黄泉戸喫

奈殊

序章 節

 竹の子。


 龍之助が生まれ育ったこの村の西端、麓路川ろくろがわを挟んで西に少し歩いたところは竹の子がよく取れる竹薮になっている。この竹薮はとても広く、そしておくが見えぬほどに深い。 鬱蒼とした皐月の風が木々の間をすり抜け、麓路川が近くにあることもあいまってか非常に涼しい。この暑くなってむしむししてきた時期は彼は決まってこの竹薮に足を運ぶのだ。

 ザクッ、ザクッと腐葉土を踏み固め、暗い竹薮の奥へ奥へと進んでいく。

 彼の手には竹の子を掘り返すための鍬と、肩には江戸時代の農民が背負っている様な大きい短冊状の網目に縫われた籠が肩にかけられているが、凡そ普通竹の子掘りにいく人間が持つものではないものが手に握られていた。

 長さ4寸ほどの細長い焦げ茶色の棒、線香である。

 彼のような若い男性には専ら縁のない物であるが、彼の関係者の墓がここ竹薮にある、などとそんな理由ではない。

 龍之介は辺りを見回す。 もうずいぶん遠くまで来たはずだ。 村の関係者もここまでつけてはこれまい。 彼は無造作に丸められた一枚の紙をポケットから取り出す。 同時に燐寸も数本取り出した。 乱雑に丸められた紙は余程余裕がなかったのか、所々千切れ、破けていた。

 龍之介は村の青年である。 彼は今朝、自分が村の人間から疑われていることを知って、いつもの習慣を逆手に取り、彼の切り札とともに家を明朝足早に出て行ったのだ。 何処も彼処も彼を奇異の眼で見つめる。 村長にこの紙の存在の事を知ったとばれたら吊るされてしまうかもしれない。

 母のチエも、親父のイサヲも、誰も彼もが疑わしくなった彼は、半狂乱になりながらも落ち着いたそぶりを見せつつ、家の戸棚の裏の畳の中に仕込んだ紙を今朝牛刀でこっそり引き裂き、何事もなかったように戸棚で傷を隠し、そのまま今に至る。

 龍之介は辺りを見回す。 誰かつけてきていないだろうか。 誰か居るのではないだろうか。 彼の不安を掻き立てるように暗い竹薮はさわさわと音を立てる。

 彼は良し来たと線香に例の紙を紙縒りにして巻きつける。結構な長さになったが、火をつければきちんと燃えそうだ。

 その時、がさっ、と木の葉を散らすような音がどこかから聞こえた。

 なんだ、人か、犬か、それとも熊か。

 龍之助は懐から――これまた村長の家から盗んできた、六発式の回転式拳銃リボルバーを取り出す。


 射撃など友人の寅吉から熊撃ち銃を少し教わったくらいで大して使ったことがなかったが、今はこれがあるだけで安心していた。

 龍之介が今一番怖いものは、人である。故に彼は今来た道をにらみつけ、ぎこちない構えで両手で撃鉄を下ろし、来た方向に銃を向けた。

 敵は、敵は居ないか。敵は、敵は。




――おじさん、面白そうなもの持ってるねェ。





背後、つまり竹薮のもっと奥の筈の場所から聞こえた人間の声に龍之助は情けない声を上げて振り向いた。 と、同時に回転銃の引き金を引く。

 ぱぁん。腹の底に響く衝撃音を立て、手首にじいんと振動が伝わる。熊撃ち銃よか幾分かましだが、基本、彼にはなれない刺激だ。

 声の主はすぐ背後に居た。 べちゃっと彼岸色の液体が彼の穴が開いた幼い服を伝い、がくんとひざから崩れ落ち、その場で何度か痙攣した。

 声の主は、幼子であった。

 そして、龍之介はその子のことを知っていた。 村長の二人息子の片割れである。 なぜこのような場所に居るのか。 なぜ後ろから出てきたのか、 そんな事を考えている心の余裕なでないはずなのに、自殺を考えていた彼はあることを思いついた。 

 存外、人間追い詰められれば大概のことはできるものである。

 

 彼はの手に銃を握らせ、仰向けにしたまま線香に火をつけた。 ぼうぼう火が書類に燃え移る。

――生きている人間に火が燃え移るのは、流石に龍之介も見ていられなかった。


 これで「あの書類」を見てしまった少年がショックのあまり自殺した、ということになるだろう。

 自分の疑いもうまくいけばばれずに済む筈だ。 書類のことは忘れよう。 そして、ゆっくりとこれからを暮らそう。

 そう思い、少年を誤って殺してしまったことによるショックからくる興奮から覚めやらぬ彼は、そのまま急いでその場を立ち去った。


 

 めらめらと燃える少年の亡骸。 その後ろから、人間のものではない黒い目が龍之介を覗いていた。


 黒い黒い、大穴が。


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黄泉戸喫 奈殊 @kariumu

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