第24話  記憶にない記憶

2020年4月13日 9:10 大宝寺邸地下


「お坊ちゃん、お眠りになるなら、お部屋で横になった方が宜しいですよ」


 伝十郎が声を掛けた時、空人はパイプ椅子の上で膝を抱えて、ぼんやりと宙を見つめていた。薄汚れたクリーム地の毛布が、椅子ごと彼を包んでいる。その中から両眼だけを出した彼は、もう一時間以上身じろぎひとつしていなかった。

 伝十郎は、空人が眠っているとが勘違いしたようだ。目が開いているという些細なことなど、脳天気な執事とって注目に値しないのだろう。


「寝てないよ」


 伝十郎のボケにツッコミを入れることもなく、空人が答えた。彼には珍しく、沈んだ声だ。


「起きていらっしゃったんですか」

「なあ、伝十郎」

「何でしょうか?」

「……いや、なんでもない」


 ひよりが出て行ってから、彼はずっと自分の過去を思い出そうと試みていた。

『マスコミにでも何でも、好きにタレ込んだらいいわ。この弱虫野郎!』

 最後に彼女が言った言葉だ。

 捨てゼリフにしては陳腐だが、空人の心には十分届いた。だからこそ、デスクの上に置かれた濃紺の携帯電話には見向きもしていないのだ。


 忘れてしまった過去?


 そんなものはないと否定したはずなのに、考えるのが怖かった。


 自分は何かを恐れている?


 空人は心の中で首を振った。

 過去を思い出すのが嫌いなだけだ。そう言う性格なんだ。振り返って反省なんて作業をするぐらいなら、未来について思い悩んだ方がまだマシじゃないか!

 いや、本当はそんなことではない。


 昔のことを思い出していると、心の中に黒い霧が満ち、恐怖に似た感覚に襲われる。昨日一昨日ならともかく、記憶を遡れば遡るほどそれが顕著になるのだ。十歳より前に到ると、吐き気さえ感じるようになる。先ほども、散々苦労してある一つのことを思い出しただけで、胃の方から酸っぱいものが逆流してきた。

 やはり、パンドラの箱か。

 空人は不承不承にも認めざるをえなかった。何であるにしろ、認めてしめば楽になるという類のものではなさそうだ。


 逃げている?


 ひよりの言葉を思い出し、空人は睨んでた宙から携帯へと視線を移した。

 電話をかけようとした時に襲いかかってきた彼女の表情といったら! 鬼の形相というのは正にあのことを言うのだろう。

 あんなにムキになって、本当に馬鹿みたいだ。たかがマスコミじゃないか。こっちは犯罪者になるかならないか、未来がかかってるんだ。テロリストのレッテルが一度でも貼られてしまったら、帰国すら叶わなくなる。

 そう、帰国だ。アメリカに帰国できなくなるんだ。自分のホームグランドはこんなちっぽけな国じゃなく、世界の中心と言われるあの国なのだから。

 そこまで考えた時、唐突に父の姿が脳裏に蘇ってきた。


 何故、父はこんなロボットを作ったのだろう?


 顔を上げ、白熱灯を反射しているグレーの装甲を仰ぎ見ながら思いを馳せる。


 趣味? テロ活動? それとも世界侵略か?


 何だっていいじゃないか、自分には関係ない。こんなもの、さっさと手放して、煩わしい連中を早く手を切ってしまおう。

 そう思った瞬間、解読作業を続けていた少女の姿が蘇る。さすがの空人も、幾ばくかの後ろめたさを禁じ得なかった。

 空人は毛布から顔を出すと、先ほどから腕時計を睨んでいる伝十郎に目を向けた。


「もう時間なのか?」

「いえ、あと十分ございます。ですが、そろそろ上に行って、設計図を持ってくる方をお待ちした方が宜しゅうございますね」

「どうせ、ここに降りてくるんだろ。渡しただけで帰るとは思えないし。俺はここで待ってる」

「まさか私一人で対応しろと?」


 臆病な執事らしく、その目が不安の色に満ちあふれた。


「公安の奴らみたいなことはしないだろうさ」

「そうですけど……」

「とにかく、俺はここで待ってる」


 本当は、設計図なんて空人にはどうでも良かった。田神や国安は糞真面目だし、ひよりやあの侵入者は真剣だし、それに流されているだけだった。迎合するだけならまだしも、モチベーションまで巻き込まれる気はサラサラない。


 とはいえ、ロボットは自分の持ち物だから、逃れる術など見つかるはずもなく。何もかも八方塞がりなのに、自分の問題にも悩まされることになろうとは……。堂堂巡になっている思考に、空人は限界を感じていた。


 本当は逃げちゃいけないことぐらい自分でも分かっている。逃げるだけじゃ、先に進めないと誰かも教えてくれたじゃないか。時には立ち向かわなければならない時があるんだと……。


 って誰に?


 そう思った瞬間、空人は激しい動悸に襲われた。

 もう、こんなことを繰り返すのはイヤだ!


 心臓を落ち着かせようと深呼吸を繰り返しながら、空人は心の中で叫んでいた。いっそ箱を開け放ってしまおうか。あんな小生意気な少女に言われっぱなしでは堪らないじゃないか。いや、それ以上に過去に縛られているのも耐えられない。


 強くあれ。


 これも誰かに言われた言葉だ。けれど、もう誰だって構わない。傍若無人だと揶揄されようとも、ずっと自我を主張してきたのは、その言葉に従ってきた為だ。それで満足だったし、これからだってそうあるつもりだ。

 だからこそ、過去を取り戻すんだ。

 それにパンドラの箱なんて存在していない可能性だってある。つまり、幼い頃の記憶が無いのも、忘却曲線の範疇に収まる程度というオチが付く。もしくは、大人になってしまえばなんてことはない、子供ならではのトラウマが原因とか。

 そう考えれば、空人の心に僅かな光が差し込んできた。

 手がかりらしき物は、既に思い出していた。あとは、尋ねる勇気さえ出せばいい。


 毛布を払い除け、顔を上げる。行き渋っているのか、伝十郎は腕時計を眺めながら空人の横でウロウロしていた。


「あのさ、伝十郎」

「はいはい、何でしょうか? ああ、もしかして一緒に来ていただける?」


 勘違いをした執事が、にこやかに返事をした。


「そうじゃなくて。思い出したんだけど、俺が小さい頃、医者が家にいたよな?」


 ハッとするような表情で、執事が空人を見返してくる。見開かれた瞳に、それが事実だと書いてあった。


「やっぱりな」

「お坊ちゃん、覚えていらっしゃったんですか?」

「何となく思い出したんだ。名前は覚えていないし、顔もぼんやりとしか分からないけど」

「ご主人様の主治医ですよ」

「主治医?」

「お医者様がそばにいれば、何かあった場合は助かりますからね」

「オヤジって、そんなに体の具合が悪かったっけか?」

「持病がおありだったので……」


 およそ信じられない話だ。

 アメリカにいた時の父は、年に一度の定期検診以外、医者などにかかったことはなかったはずだ。医者が一緒にいなければならないほどの持病があったとは考えにくかった。


「お前、嘘ついてるだろ?」

「そのようなことは……」


 しどろもどろになっている執事を、空人は睨みつけた。


「誰の医者だ? お袋か? 俺か?」


 母親は五つの時にこの世を去った。彼女のことはほとんど覚えていないが、医者が必要なほど重病だったのだろうか? 死因は事故死だったはずなのだが。


「よもやお坊ちゃんが、新井先生を覚えていらっしゃっるとは……」

「新井? そうだ、確かに新井先生だ。長身で痩せぎすの人だよな? 年齢は四十ぐらい?」

「ええ、そうです」

「俺とよく遊んでくれたよな。凄い優しい人だった」

「私、そろそろお客様をお迎えに上がります」


 逃げるようにその場を立ち去ろうとする伝十郎の手首を、空人はさっと掴んだ。


「待てよ。お前、何を隠してるんだ?」

「私は別に何も……」


 逸らされた瞳が、嘘を告白していた。

 執事はかつて無いほど強い力で空人の手を振り払うと、自分の行為に驚いたのか申し訳なさそうな声を発した。


「ああ、すみません、すみません」


 ペコペコと頭を下げる。そんな様子に、空人は何故かイライラした。


「俺に言えないことなんだな?」

「忘れてしまった事を掘り返しても、仕方がないですよ、お坊ちゃん」

「やっぱり忘れていることがあるのか」

「私ならソッとしておきます。新井先生だって、そうするのが一番いいとお考えになり、治療されたんでしょうから」


 言った瞬間、伝十郎は自分の口に手を当てて、自分の失言を表現した。


「俺の主治医だったわけだな、つまり」

「昔のことなど、どうでも宜しいではないですか。それより、もう時間なので行きますよ」


 立ち去っていく執事の後ろ姿を見送りながら、空人はひよりの言葉が真実だと改めて悟る。

 すると、恐怖に似た感情が吹き出してきて、思わず唇を噛みしめた。


 このまま過去を掘り返して、本当にいいのだろうか?


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