第3話 夕暮れと精神不安定

 午後も午前と同じように時間が過ぎ、いつの間にか除草作業時間終了の文字がヘルメットのスクリーン上に映し出されていた。僕は昼と同様に除菌を受け、チェーンソーと防護服を係の人間に返却する。もうなんべんもこの手数を踏んでいるはずなのだが、この一連の作業があまりにかったるい。ただでさえ、退屈で押し潰されそうなルーチンワークで身も心もへとへとだというのに。

 地球の引力が倍増したかのような体の重さを感じつつ、僕は除菌室からコロニーの中へ戻る。ドーム型の半透明な防御壁で覆われた街は、薄らとした橙色に染まっていた。遠くにある高層ビル群も、眩暈を起こしそうなほどぎらぎらと輝いてみせたり、あるいは端正に構築された面に準じたのっぺりとした影を落としこんだりしていた。

 大通り沿いの歩道を少し歩き、いつものように都市の空白に申し訳程度に作られた狭い脇道へと入る。その脇道を歩いて数分のところにあるのが、僕らのような除草作業員の多くが住まう宿舎である。随分と前に建てられたものらしく、近くで見ればその壁面は他のビルと比べても明らかにくすんでいる。建物の目的自体も、「除草作業員たちが食って寝る場所」といういたって割り切られたものなので、デザイン自体も質素そのものである。初めて見た者は水道のポンプ施設と見間違えるかもしれない。


 僕は宿舎の三階へあがり、自分の部屋のドアを開ける。不運なことに、この部屋の外側は隣の建物がすぐに迫っているので、昼間でもまともに陽光が差し込まない。ドアががたり、と閉まる音がするのと同時に、部屋はにわかに暗闇に包まれた。僕は照明を付けるのも億劫で、何となくの感覚で1LDKの狭い部屋を横断し、ベッドへと倒れ込んだ。薄っぺらい布団の弾力とベッドのばねで僕の体は小さく跳ねて、小さく墜落する。

 朝起床してから僕にのしかかり続けていた重力がなくなると、体の疲れがより一層感じられる。いつものこととはいえ、やはり慣れることはできなかった。

 毛玉だらけのシーツに顔を押し付ける。部屋は静寂に包まれた。その分、壁一枚挟んだ向こう側の音がやたらと耳に付く。上調子な声で誰かと談笑する音。それが右隣か左隣のどちらかから聞こえてくる。あるいはどちらからもかもしれない。彼らもまた、昼時にヨウジロウが言っていたような部活動やらに行くのかもしれない。あるいは、目的もなく遊びに出かけるのかもしれない。どっちにしろ、僕には関係のないことだし、無性に耳障りであった。

 これもまた、いつもの感覚である。

 だが、今日はどういうわけか一抹の寂しさにも似た感覚に囚われている僕がいた。

 仕事明け、そして明日は休み。その現実によって誘起される、コロニー内の人々の言動。その中には、今人類がプラントXによって存亡の危機に瀕している、ということを嘆く向きは本当に少ないだろう。

 僕は気付いた。僕は今まさにわけもなく絶叫してしまいそうなほどに精神的な乱れを来していることを。

 初めは我慢していたのだが、だんだんとイライラが募っていき、意味もなく指や手や足を動かしている自分がいた。これはまずい・・・直感と経験則がそれを教えてくれた。

 疲労と倦怠感で動くのも億劫だったのだが、玄関口で投げ捨てたショルダーバックをよろよろと拾いに行く。悪い癖だとは思うが、また精神剤に頼ることにした。プラスチックの錠剤入れから薬を取り出して掌へ落とし、それを口に放り込んで水で押し込む。

 この薬は、いつだったか心療内科を診断したときに処方されたものだった。聞けば軽度の抗鬱剤と精神安定剤なんだそうだ。

 こういう薬は耐性がついてしまい、徐々に効き目が薄くなるのだという。確かに、以前は飲めばすぐに自分の中でこじれたあれこれがすうっとなくなる心地がした。しかし、今やそんなことはまったくなくなったといってよい。

 だが、この薬を飲んでいる、という事実が僕に微々たる安心感と安堵を与えてくれているような気がするのだ。そんな偽りの安堵に滑り落ちた僕は、この薬なしでは最低限必要な活力や気概すら保てなくなっていた。いつだったか、さすがにこれはまずいと薬を絶ったときもあったのだが、それは地獄の苦しみで、結局また薬を再開。それで今に至っている。

 兎にも角にも、どうにか気分が楽になった。冷静になって気付いたが、もう薬がない。洗面台の下の覗いてみたのだが、ストックも全て使い果たしてしまったらしい。買い足す必要があった。

 今から混雑も極まれり市街地へ出ていくのは面倒以外の何物でもなかった。だが、こんな物ぐさで薬を切らしてはもっと面倒なことになりかねない。

 僕は一張羅に着替え、ショルダーバックに最低限に荷物を押し込み、再び部屋の外へと飛び出した。

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