第4話 満員電車と背負った光
僕が不服にも服用している薬を販売している薬局は、コロニー南側のタイハクシティの中心地区にある。僕が住まう宿舎はタイハクシティの南端に位置しているため、同じ街の中とはいえ電車に乗る必要があった。
コロニー環状地下鉄・タイハク線「イワフネゲート前駅」のプラットホームは、休日前ということもあってか、電車待ちの人間でごった返していた。普段であれば電車を待つ場所とただ単純にその場を通過するための場所にしっかりと区分けされているはずなのだが、今日はあまりの混雑のせいでその境界が曖昧になっていた。駅員が押し合いへし合いされながらメガフォン片手に誘導を試みているが、はっきりいってこの混雑の掌握できているとは言い難い様子だった。僕はどうにか列の末端を見つけ、列に並ぶ人々が暫定的かつ形而下に定めたテリトリーを侵さぬように列に加わった。無数の見知らぬ人たちの幾重にも重なった談笑が、人間があまり好きではない僕の聴覚に障る。時折、乗車率100%をはるかに超過した快速列車が、仄暗いトンネルに積層された冷たい風を巻き上げていく。
今日は何でこんなにも人が多いのだろうか―――ほんの少し考えたが、ヒントらしきものを周囲の人間の服装に見つける。
列を成す人々の半分程度は、おもいおもいの服装の上から薄っぺらいジャケットのようなものを羽織っている。鮮烈な橙色を地にして紺色の差し色が入ったジャケットの背中部分には、太陽を模したマークのようなものと、「DAWN OF THE ODESSEY」の文字があしらわれている。
なるほど・・・得心がいった。恐らく、最近会員数を増やしつつあるという団体、「オデッセイの夜明け」の決起集会が、タイハクシティ中心部で催されるのだろう。僕は情報には疎いのだが、彼らの多くが除草作業員などの若年層を中心に構成されていること、反政府的言動を繰り返すアナーキー団体であることくらいは何となく知っていた。
確かに、最近の政府のやり方は横暴以外の何物でもない。叩いては屈服させ、また叩いては隷属を強いる。そういう手法で何でもかんでも力ずくだ。だから、それに反抗する気持ちも何となく分かる。しかし、だからといって斯様な混雑を生んではオデッセイの夜明けも大概だな・・・舌打ちしながら僕は思った。
ようやく乗るべき電車がやってきた。やはり、車内は満員をはるかに越えた数の人間が乗り込んでいるらしい。見たところ、どうやらあの中にも相当な数のオデッセイの夜明け会員がいるらしい。車両に設けられた透明なガラス越しに、ほとんど隙間なく圧縮されて詰め込まれた橙色の人の塊・・・僕はげんなりした。
ぴたりと停車した電車から吐瀉物のごとく人が吐き出され、そしてまた性懲りもなく異物たる僕を鋼鉄の内臓に押し込んでいく。まるで頭の悪い食人動物のようだ。怪物の如き電車は、中心部方向へゆっくりと加速度を増加させながら走り出す。
「次は、ナガマチに停車いたします。アキウタイハク線をご利用の方は、お乗換えです。なお、本日はナトリ駅にて発生した人身事故の影響により―――」
案の定、電車内はぎゅうぎゅうだ。
プラットホームから電車内へと戦場を移した個人的空間の奪い合い。僕はその戦いの惨めなる敗者となった。風紀上これが限界だろうと思しきミニスカートを履いた女と、それをえへらえへらとだらしなく電子端末を眺めるメタボの男に空間を抑圧された僕は、先ほど乗り込んできたドアとは反対側のドアのアクリル硝子にへばりつくような格好で潰れていた。そして周囲一帯は相変わらず橙色の世界。目がちかちかしてきそうだった。
思わず反対側へ顔を向ける。長い長い電車が、伏し目がちに溜息をする僕を揺らしながら真っ暗な地下鉄を轟々と駆けていく。
近くの女二人が、騒々しく会話をしている。どちらもあの橙色のジャケットを着ているようだ。
「ねぇねぇ、聞いた?今日の決起集会、代表が来るんだって!」
「代表ってもしかしてナンブさん?えっまじ?あたしナンブさんめっちゃ好き」
「あたしも!でもぉ、生のナンブさん、一回も見たことないのよねえ!」
公共倫理というものを無視した黄色い声が鋼鉄の車体の中で反芻した。どうでもいい話だし、何より耳がきんきん痛むからとにかく女どもには黙ってもらいたかった。だが、もちろんそんなことをする余裕もない。橙色と真っ黒な世界に板挟みになった僕は、ただただ汚い床を睨み付け、その声がなすすべなく耳に滑り込んでくるのに耐えるよりほか、することがなかった。混雑のせいか、頭の周りを重苦しい熱気が取り囲んでいる。
僕は、息が苦しかった。
タイハクシティ中央駅に到着し、僕は休む暇もなく人の激流にもまれ、つんのめりながら地上へ這いあがった。いや、むしろ噴き上げられたといった方が正しいかもしれない。いずれ、地上に出た。
今や夕刻も過ぎ去り、コロニーの透明な隔壁越しの空は、もうほとんど夜の気配を帯びた漆黒に支配されていた。平地よりも高度の高い地面(山、という名の地形らしい)の稜線がぼうっと淡い紫色に光っている。歩道とガードレールで区切られた広い道路では、宿舎近辺と同様、自動車が牛歩のごとくストップアンドゴーを繰り返してはちまちまとそれぞれの向かう場所への距離を削り取っている。
まったく難儀なこった、と対岸の火事を見る野次馬を決め込んでいた僕だったが、歩道の人の流れも自動車の渋滞と同様に鈍りだした。駅から出る辺りまで周囲の誰もが浮かべていた笑顔は一転、口をへの字に曲げ、つま先立ちをしながらそわそわとしている。列の前方の方では怒気を混じらせた声音で何やら文句めいたものを言う声も聞こえる。まったく、文句を垂れたいのはこっちだ。縁もゆかりもないオデッセイの夜明けのせいで円滑な通行を阻害されているのだから。
のろのろ運転が始まってから十数分。人間の渋滞は少し進んでは止まり、またしばらく時間が経過した後にまた進む、という横の自動車渋滞と似たようなアルゴリズムで進んでいく。そしてようやく、カダンストリートとアカモンストリートが交わる大きな交差点に辿り着いた。この交差点はT字路となっており、僕が来た通りからは右折か左折かのいずれかしかできないような線形となっている。
本来こちら側の通りの直進道路があるべきはずの場所には、松の木で囲まれた森がある。あの辺りはタイハクシティで一番大きな市民公園のコウトウダイフォレストがあり、野外イベントなどが多く催されているようだ。恐らく集会はそこで開かれるのだろう。これだけの人間が集まることが可能な場所といえば、コウトウダイフォレストを除いて付近には一つもないだろうから。
薬局までの道程の途中なので、僕もよくこの公園の脇を通る。いつもであれば、さほど明かりのないこの公園は、夜ともなれば重たい闇に覆われてしまう。だが、何やら今日は少し違うようだ。公園の広場には何基ものスポットライトが設置され、松の木の幹と幹、梢と梢の間から、まばゆい光を放っている。まるで、公園の森の中に恒星が墜落したかのようだ。その手前側には、膨大な量の人の形の影がゆらゆらと蠢いていた。その中からオデッセイの夜明けのシンボルマークが染め抜かれた旗が角のように突きだし、滑らかな陰影を作りながらばたばたとたなびいている。
信号が青になると、橙色の集団は太陽のマークが染め抜かれたジャケットをはためかせ、その光の中へ吸い込まれていく。いつものコウトウダイフォレストが街の光を吸い込むブラックホールだとすれば、さしずめ今のコウトウダイフォレストは太陽光すらも飲み込むの超新星爆発、といったところだろうか。
僕もそんな彼らとともに横断歩道を渡る。しかし、彼らがそのままコウトウダイフォレストへ入っていくのを横に見ながら、僕は公園沿いの広い歩道へと動線をくず折らせる。反対側からは相変わらず橙色の人々がぞろぞろと歩いてくるが、ありがたいことに僕のようなオデッセイの夜明けとは無関係な人間が逆流するための空間も用意されていた。それにより、僕は円滑な通行と、そしてすれ違い様にオデッセイの夜明けに参加する人々の様子を観察するだけの精神的余裕を与えられた。彼らは、前方からの強い光に照射され、全体的に明るい雰囲気をまとっている。表情も何だか輝いているように見える。
光と騒音が織りなす世界。それを背後に湛える僕。
僕の視界は、煤で汚れていた。
希死念慮が満ちる前に No.2149 @kyohei0528h
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