第2話 幽霊騒ぎと食欲減退

「―――であるからして、コロニーという大きな船に住まう我々は、共に手と手を取り合い、人類最後の砦としてプラントXの脅威を跳ね除けなければならぬのです!その道程の中で、反逆を企てる者がるとすれば、我々は断固として人類にとっての逆賊行為を―――」

  

作業員用の食堂では、公営放送の昼のニュースが垂れ流されている。今日もまた、コロニーでは特別に何事も起こってはいないらしい。

 総理大臣がぱんぱんに膨れた顔面でこのコロニーの向かうべき方向性とやらを舌鋒も鋭く熱弁し、コロニーの中に広がりつつあるアナーキー思想への徹底抗戦を呼びかける。こんな日常風景を取り上げてわざわざ放送するというのは、他にろくな事件がない何よりの証拠だ。

 僕はうどんをすすった。気のせいか、最近は随分と味も薄くなり、麺の量も減った気がする。半年前のコロニー北部地域の自爆テロからこっち、市民一人一人へ行きわたる食糧の質も量も随分とランクが下がった気がする。件のテロで被害を受けたのは畜産施設や食品加工施設だったというから、それも詮無いことなのかもしれないが、僕はやはり深い嘆息を吐かざるを得ないのだ。とはいえ、もともとグルメではないし、何より最近は食欲も湧いてこない。このくらいの量で十分だった。これ以上食べたら戻してしまいそうだった。

 箸を置いて、コップの水を口へ流し込んでいると、テーブルの向かい側から快活な声が降ってきた。

「よぉ~、リュウタロウ君っ!俺を待たずして昼食を取るとは、随分と没義道な真似をしてくれるではないかリュウタロウく~ん」

 トレイを景気よく置く音がした後、眼鏡を掛けた長身の男がどかりと向かいの席に腰を下ろした。

 この男の名は、ヨウジロウ。同じ宿舎の隣の部屋に住んでいるということもあり、何となく互いに友人であると認識しあっている男の一人だ。他の人間に弁によれば、僕は「暗い」そうなのだが、ヨウジロウはその逆。詳しく言えば、ウザいくらいに明るい。より詳細に言えば、単にウザい。

「お疲れ。ヨウジロウも今から休憩?」

「いんや。休憩自体は12時から。除菌作業のところで少しまごついてな」

 ヨウジロウは最後まで言い終わらないうちにカレーライスの一口目を口へと放り込んだ。ろくすっぽ咀嚼せずにそれを飲み込むと「くーっ」と小さく漏らしながら顔をしわくちゃにしてみせた。

「いやぁ、労働の後の飯は最高だな。人間が人間であると思う瞬間だな」

「そうかな?」

「そうだぞリュウタロウ。君はもう終わりかい?」

 ヨウジロウは、僕の盆の上に乗っかっている小さな器を見ながら言った。

「まぁね。最近、全然食欲がなくてさ」

「そいつは心配だな。薬の影響?」

 ヨウジロウは特に深い意図などなく、今までの会話の流れで僕の薬の話に触れた。薬の影響だとはあまり思いたくなかったが、何せ薬が薬だし、副作用のようなものがあってもおかしくはない。それ以前に、僕が抱えている疾患が薬の効力を押しのけて悪さをしているかもしれなかった。

「わからない。そうかもね」

 僕は明確な答えを控えることにした。ヨウジロウは「ふーん、そっか」とこれまたわずかな逡巡すらせずに平板な声で呟いた。

「まぁ、いずれにしてもだ!リュウタロウ!君は昼飯でも朝飯でも夜飯でもいつも無表情で飯を食っているが、それはもったいないし食に対して失礼なことだぞ?もっともりもり食べたまえ!あっはっは!」

 そういうと、ヨウジロウは大きな一口でカレーライスを口へ放り込む。ヨウジロウの口と器の上のカレーライスを行き交うスプーンの手数はまだ両手で数えるほど。しかし、カレーライスの量はここへ来た時よりも既に半分近く減じている。

 意味もなく、何となく水を一口。

「そういえば、ヨウジロウ。昼飯に斯様な意欲を見せる君が、今日は随分と遅かったじゃないか」

「あぁ、それなんだけどな・・・」今までのハイテンションに僅かに陰りが差すのと同時に、ヨウジロウは匙を一旦皿の端に置いた。

「今日も出たんだよ・・・あいつが」

「あいつって?」

 ヨウジロウはちろりちろりと辺りを見回してから、僕にそっと告げた。

「今話題になってるだろ?コロニー外の『幽霊』がさ、俺たちが作業している場所のずっと向こう側にいたんだよ」

 コロニーの外に、生身の人間の幽霊が現れる・・・この頃作業者の間で確かにそういう話がされているのを聞いたような気がする。

 僕らが今いるコロニーは、そもそもプラントXなる人造植物が放つ花粉から人間を守るために何百年も前に建設されたものだ。このプラントXも、もともとは過去にあった大きな戦争のバイオ兵器として人工的に作られた植物だったらしいのだが、あまりに強力な繁殖能力を与えてしまったことが災いした。まず一番初めにこれまで一般的だった植物を根絶やしにしてしまい、その次は今まで木の実や果実を食べていた動物が死に絶え、その動物を捕食していた大型の動物が滅んだ。食物連鎖のピラミッドを下から順々に突き崩していったプラントXは、彼らを生み落とし、その頂上に座臥し全てを操っていたと勘違いしていた人間に刃を向けるのにそう長い時間はかからなかった。プラントXの猛然たる植生と繁殖はたちまちに農村を飲み込み、アパートを倒壊させ、大都市を海嘯のごとく破壊した。そして何より厄介であるのは、プラントXは茎の中に強力な毒素を持っているということだ。それは繁殖している間も空気中に毒を吐き続けるし、薙ぎ払ったら薙ぎ払ったでやはりその断面から毒を撒き散らすのであった。つまり、一度侵食を許してしまえばその土地はもう人間の住む場所ではなくなる、ということだ。当然の帰結として、敗残者たる人間はプラントXから逃れるようにあちらこちらと彷徨い続け、遂にはこの透明な半球の中で種の延命をちまちまと何百年も続ける羽目になったという具合だ。

 ゆえに、人間はコロニーの外では生身の体では生きられない。仮に命知らずな誰かがえいやっとコロニーを飛び出したら最後、そいつの命は持って一日というところだろう。それほど、プラントXは人間にとってまさに天敵といえる存在なのだ。


 だが、少し前から妙な噂が流れ始めた。コロニー外で防護服なしで平然と歩く人間を確認した、というのだ。

 初めは、現実とフィクションの境目がわからなくなった輩の愚にも付かない戯言ではないかと誰もが思った。しかし、除草作業員から次々とその幽霊の目撃例が相次いだことから、幽霊話はやおら真実味を帯びてコロニー内の市民の間に拡散することとなった。

 その幽霊は、除草作業員たちに特に危害を加えるということもない。それどころか、姿を目撃した作業員たちがあれは何だと騒ぎ立てると、まるで強風に吹かれた煙のごとくその姿を消すのだという。だから、実際のところ幽霊の正体を知っている者は誰もいない。

「コロニーの外の幽霊か・・・一体何だろうね?」

 昼飯を掻きこむ合間、ほんの少し考えを巡らすようにヨウジロウは呻いた。

「噂好きの連中は色々と仮設を立てているみたいだけどな。そいつらは自分の説が正しいんだと侃侃諤々の論争を繰り広げている。だがしかし」

 ヨウジロウはたまたまなのか、それとも故意なのか、言葉を切った。昼食時間の明るい笑い声や食器が擦れあう甲高い音が、僕ら二人の間に差し挟まる。

「だがしかし・・・?」

「だがしかし・・・実際のところ誰にも幽霊の正体は分からない。それだけが、唯一わかっていること、ってわけさ」

「・・・まぁ、古来オカルトなんてのはそういうもんだよね」

「その通り。仮説を立てている奴らだって確固たる真実なんて求めちゃいない。わからないんだわからないんだと騒いでるのが楽しいだけさ」

 ヨウジロウは素っ気なく言い捨てた。実際のところ、それがこの幽霊騒動の真実を言い当てている気がしたので、僕は特に何も言わずに相槌を打った。

「おっと!もうこんな時間かよ!さっさと飯を食っちまわねぇとな」

 ヨウジロウは瞬く間にカレーライスを胃袋へと呑みこんでいく。昼飯は大体奴さんと食うことが多いのだが、ヨウジロウの健啖ぶりには舌を巻くよりほかない。時間にしてほんの五~六分で奴さんの皿は空っぽになった。

「ごちそうさーん・・・んじゃあ、俺は先に行かせてもらうぜ。作業員のテニス部の会合があるからよ」

「そうか、大変だね」

「まぁ好きでやってることだからさ。じゃあな。またそのうちにどっかに遊びに行こうぜ」

「あぁ。またね」

 ヨウジロウは掌をひらひらとさせながら僕に笑顔を見せ、盆を持って去っていった。テニス部はヨウジロウたちが中心になって部活動を立ち上げたという話だ。今は言ってみれば黎明期。色々な取り決めなどを決めねばならないのだろう、今まで昼飯はいつも一緒だったヨウジロウだが、最近はさっさとご飯を食べてさっさと会合へ行くことが多くなった。別に僕は何とも思わなかった。奴さんが楽しいならそれでいい。


 時計を見る。休憩時間はまだ残っているる。食堂は除草作業員たちが歓談に花を咲かせている。ずっと遠くの方では、食堂を切り盛りするおばさんたちががちゃがちゃに賑々しく大量の食器を洗う音が微かに耳孔へ流れ込んでくる。

 ニュースを見ながら、僕は財布や電子端末を放り込んだボディバックからプラスチックのケースを引っ張り出し、その中で予め区分けしておいた錠剤を二錠、口に放り込む。そして、それを口に含んだ水と一緒に食道の奥へ押し込んだ。薬の異物感と水の冷たさがいっしょくたになって、体の下の方へ流れていくのがわかった。

 これでとりあえずは安心。だが、午後の作業が嫌で嫌で仕方がないことには変わらない。


 そう、何も変えられていないのだ。





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