りんごの彼女はイジワルりんご
涙墨りぜ
りんごの彼女はイジワルりんご
付き合ったばかりの彼女の家に初めて上がる、というシチュエーションはだいたい、誰でもドキドキするものだろう。
「お、お邪魔します」
「どうぞどうぞ」
にこにこと俺を出迎え「スリッパとか、別にいいよね?」と確認してくれる彼女。手土産にと買ったシュークリームの箱を渡すと、嬉しそうに目を輝かせた。
「じゃあ、さっそくいただいちゃおうかなー。紅茶淹れるから私の部屋で、ね?」
とびきりの美人というほどではないけれど、やはり笑顔が大変可愛らしい。俺はこの無邪気な笑顔に惚れたんだな、と再確認。
にや、と頬がゆるんだ俺だったが、彼女の一言で我に返った。
「早く来ないとお仕置きだよー」
一気に、空気がぴんと張り詰めた気さえした。俺は駆け足気味に廊下を移動し、彼女が手招きするドアの中に入ったのだった。
俺の彼女、千秋茜《せんしゅうあかね》はサディストだ。
普段はそれをあまり公にしていないが、わかる人にはわかる程度に「イジワル」らしい。
俺は鈍感なので、そうとは知らず彼女に愛の告白をした。
「ごめんね、私あんまり性格いい方じゃないし、きっと芹川くんに無理……させちゃうから」
三秒も待たずに振られてしまったが、そんな言い方をされては諦められるものも諦められない。
「だ、大丈夫だよ……俺、千秋さんが性格悪いとかなら全然オッケーだし、全部受け止めるから」
その時の彼女は、ちょっと悲しそうな顔をしていた。
俺はもうひと押しすればいけるかもしれない、と謎の自信を抱いて、「お願いします、付き合ってください!」と彼女の手を握った。
「あら、だめよ勝手に触ったりしちゃ」
ひどく落ち着いた声とともに、手を軽く振りほどかれて、俺は終わったな、と思った。
急に居心地が悪くなり、「ごめん」と謝ってそそくさとその場を去ろうとした……のだが。
「これからは、私がいいって言ったとき以外私に触れないこと。約束よ」
怒っているにしては少し的外れにも聞こえる言葉と、あまりにもゆったりとした優しげな口調。
思わず振り返った俺の目に映った彼女は、にっこりと笑っていた。たまにとても面白いものや可愛いものを見たときなんかに見せる、無邪気な笑顔だった。
その笑顔のまま、彼女は俺の手を取って、
「頑張って受け止めてね、陸奥くん」
初めての名前呼びと同時に渾身の、いわゆる「しっぺ」を、俺の左手の甲に叩き込んだのだった。
「告白しなければよかったかもしれない」と思ったことは、今までにないでもないが、いまだに離れられないのは惚れているからだろう。
彼女はちゃんと俺を周囲に恋人として紹介してくれたので、俺の「都合のいい男にされてしまうのでは」という不安感が薄らいだというのも大きい。
彼女の部屋の真ん中にはミニテーブルがあった。そこにシュークリームの箱が入った袋を置き、紅茶を淹れに彼女は部屋を出た。
「んー」
本棚には参考書や小説、漫画が収まっていたが、だいたいどれもいわゆる「アブナイ」内容ではなさそうだった。
タイトルすら初めて見るものも多かったので、断言はできない、けれど。
変わったところなんて、強いて言えば「グロ可愛い」なんて言われるようなぬいぐるみがベッドにあるくらいだ。
ただ、それだって所持してる女子は多いと聞く、よくゲーセンで見かけるようなものだ。
何故か彼女のコアな趣味を裏付けるような所持品を見つけたくなった俺だったが、勝手にクローゼットを開けるなんてことをしたら彼女じゃなくても怒るので我慢した。
行儀よく正座して待っていると、やがて紅茶、それからシュークリームを載せる皿が運ばれてきた。
ひとつしかないティーカップに、ポット。彼女は当たり前のようにカップを自分の前に置いた。
「じゃあ、いただきます」
俺が差し出されたお手拭きで手を拭いてる間に、彼女は四つあるシュークリームの一つに手を伸ばし、もぐもぐと食べ始める。
一応、俺が持ってきたものとは言え勝手に手を出してはいけないであろうことが何となくわかっているので、俺は黙って見ていた。
かなりの速さで一つ目を食べ終わった後、二つめに手を伸ばしかけて彼女は言った。
「陸奥くんも食べたい?」
食べたくないというわけではないが、四つとも彼女が食べたいならそれでいい。
でもここでそんなことを言っては、「長い」と怒られてしまうし、何よりそれでは「面白くない」のだ。
「……食べたいです」
「うん、じゃあどうぞ」
彼女はシュークリームをひとつ取ってケーキ皿に載せ、躊躇わずに床に置いた。
ふむ。まあここまでは想定内だ。
一応床にあるといっても皿に載せられている。手にとって食べるのが人間の食べ方だろう。
「わかってるよね? 食べ方」
シュークリームに手を伸ばしかけたところに、彼女の声が飛んだ。
「も、もちろん」
「うん、ならいいんだ。ちゃんとお皿に載せてあるから、床汚れないよ」
この一言が決定打だ。彼女の期待には、答えなければ。
「いただきます」
俺は四つん這いになり、犬のようにシュークリームにかぶりついた。
「ふふ」
彼女は満足そうに笑って、俺の頭をしばし撫でていたが、飽きたのかぐいと俺の顔を皿に押し付けた。
クリームをはみ出させないようにどう食べたものかと思っていたのだが、見事にぐちゃりとカスタードクリームが皿を汚している。
「ちゃんとクリームも残さず食べるのよ? じゃないとお行儀悪いから」
こんな食べ方をしてるのにお行儀も何もない気がするが、せめてフローリングの床にこぼさないように気を付けないと。
そんな俺の思考を知ってか知らずか、彼女は俺の後ろ髪(伸ばして一つに結んでいる)をぐいと引っ張り顔を上げさせた。
「な、何」
「紅茶もね、ちゃんと飲ませてあげないとと思って。」
ティーカップの下のソーサーに、ポットから紅茶を注いで、「どうぞ」と差し出す彼女。
当然のようにそれは床に置かれた。
結局俺が皿の上にあふれたクリームをきれいに舐めとっている間に、彼女はシュークリームを三つ目まで食べてしまった。
「おいしかった。陸奥くんごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
彼女はもう見るからに上機嫌だった。
「楽しかった?」
「うん。だからご褒美をあげようと思うの」
「また太ももとか叩くの?」
俺の質問に彼女は笑って首を振る。
「それは今度ね。それ用にどういうの買うか考えてるから今」
「え、それ用、って」
「鞭かパドルか、まあ最初はあんまり痛くないの選ぶつもり」
「ふーん」
なんか、本格的に調教されそうな気がする。でも周囲から見たらきっと俺たちの関係はアウトな部類だし、もう今更だろうなとも思う。
彼女がいいならいい、なんて思うあたり、目覚めてきたのか感覚が鈍ったのか、どちらにせよ俺はもう彼女から離れられないんだろう。
「……飽きんなよ」
「んー?」
彼女が目をぱちくりさせる。俺は慌てて言い直した。
「だから、その、時間が経っても俺に飽きないでください。……なるべく」
彼女は小首を傾げて俺を見つめていたが、おもむろに俺ににじり寄ってきた。
「あ、ごめんなさい、言い方まずかった?」
「黙って」
近づいてきた彼女の唇が、俺の唇に触れて、離れた。
一瞬だけど、確かにキス……だった。
「え、あの、茜さん」
突然のことに驚きすぎて焦点も定まらない中、彼女の表情を確認しようと俺の目が頑張っている。
彼女の声を一言でも聞き漏らすまいと、俺の耳も必死だ。
「ご褒美だよ陸奥くん」
やっと彼女の表情を捉えることができた。
彼女は、口をぱくぱくさせる俺を滑稽だと笑うわけでもなく、ただ照れたように笑っていた。
「私は陸奥くんに飽きたりしないよ。だから陸奥くんは、外道な彼女にずっといじめられるんだよ」
「あ、う、うん」
「逃げたりなんかは許されないからね。あはは、かわいそーっ」
珍しい。彼女がさり気ない自虐をするときは、自分に自信がない時だ。こういうときに俺がすることは決まってる。
俺は彼女の手を取って、ぎゅっと握りながら言った。
「逃げたりなんかしないよ。大丈夫、俺は茜さん好きだから」
「……ありがと」
すこしほっとした様子なので、彼女の手にぎゅっぎゅっ、と力を込め、手を握っていることをアピールしてみた。
我に返った彼女が、慌てて俺を叱る。
「あっ、勝手に手とか触っちゃいけないって約束だったじゃない!」
「そうだね」
俺はすぐに彼女の手を放し、自分の左手の甲を、ぐっと突き出した。
「お仕置き、してください」
りんごの彼女はイジワルりんご 涙墨りぜ @dokuraz
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