その3

 きょとんとするイチエの背後の地面に突然、巨大な足跡が穿つ。

 背後に居た数名の部下は、一瞬にして輪郭を崩し、血肉の塊へ変貌した。

 イチエは背後へ振り返るも、事態が飲み込めず唖然となるが、身の危険だけは理解していた。

 だが部下の惨たらしい姿が視界に飛び込んだ途端、思わず身が竦んでしまい、その場から一歩も動けなかった。

 身竦むイチエに一早く気付いたのは、鞘だった。

 鞘は咄嗟に駆け出してイチエに体当たりして押し倒す。間一髪、イチエが立っていた地面には巨大な足形だけが刻まれた。


「イチエさん、この地に身を埋めるには未だ早すぎるよ」

「済まん!助かった――おい、額に血が!」


 イチエに体当たりした時に額を切ったのであろう。しかし鞘は大丈夫と答えて頭を振り、イチエを抱き起こす。そこへ血相を変えたカタナが翔んで来た。


「気を付けて! 巨人は隠れていなかったわ! 初めから目の前に居たのよ! ――あたしが違和感を覚えていた魔導力が、不可視の巨人そのものだったのよ!」

「やっぱり、あの風車が起動スイッチだったか」

「スイッチ?」

「ええ。多分、絶え間なく回っている羽根の何処かに魔導器が仕掛けられて居るんでしょう。

 街一杯に拡散していた魔導力が、強い風を受けて激しく廻り出した風車に巻き込まれる事で集中し、巨人の身体が再構成されるんだな」


 鞘は風車を睨み付け、背負っている革袋の中の剣の柄を握り締めた。


「……鞘。矢っ張り、それを使う気?」


 何故かカタナは、イチエの方に一瞥をくれてから、鞘に不安げに訊く。


「これ以上、被害は出させない。――躊躇うな、カタナ。僕は、親父が命を懸けただけの価値がある〈ラヴィーン〉を守りたいんだ」


 鞘は優しくそう言うと、戸惑うカタナの頬を左中指で優しく撫でた。


「……そうよね。これはその為の旅だったよね」


 覚悟を決めたカタナは凛とした貌で頷くと、鞘の右頬に近づき、額から伝い落ちている血を、宛ら乙女が愛しき人の頬に含羞みながら口づけする様な柔らかい仕草で舐めた。


「……よし、行くぞ。『聖なる神の剣よ、我が命の一滴と引き替えに、その偉大なる力を此処に顕し賜えっ!』」


 鞘はそう叫んで、剣を引き抜き天に翳した。

 その剣は、剣先から刀身の中央まで水晶で創られた幅広の両刃剣であった。

 しかしその刀身には何故か刃が入っていなかった。


「『操刀必割!』」


 そう叫ぶカタナの全身が突然煌めき始め、同時に、鞘が持つ剣にも変化が生じた。

 鞘が張り裂けんばかりに哮ると、閃光を放ち始めた水晶部を除いた、刃の無い刀身が左右に開いて鍔と合体する。

 そして鍔が柄を持つ鞘の右手に押されて先端へとスライドし始め、まるで斬馬刀の様な、大振りの刀身を受ける巨大な剣の柄へと変形したのである。

 刀身は、全身より閃光を放ちながら何と人間の大人の背丈まで巨大化したカタナであった。

 光り輝く大カタナは剣の水晶部に足を乗せ、やがて柄と繋がった。


「ア――はははっ! ア~~楽し――ィ!」


 刀身となった大きいカタナは、何とも大胆不敵に哄笑し始めた。

 あのまるっきり小心者であった小さいカタナとはまるで別人の様である。或いは身体が大きくなると気まで大きくなるのであろうか。


「鞘ォ! アの風車を一気にぶっ飛ばすわよ!」


 鞘は頷き、大きいカタナが刀身となった奇怪な剣を青眼に構える。その様は、多くの戦で剣を振り慣れたイチエ達を思わず唸らせるほど、堂に入ったものであった。

 唖然とするイチエ達を後目に、鞘は今なお峡谷を走る風を受けて回り続ける風車の方へ向いた。

 大きいカタナは風車に一瞥をくれ、詠唱し始める。

 すると、光を放つ刀身たるカタナ目掛けて、大地や天空から電撃が走り、その身に吸収されて行く。カタナが自然界からそのパワーを吸収しているのである。

 次第にカタナの全身は黄金色のオーラに包み込まれていった。まさしくその姿は――


「……これはまるで……〈魔皇の剣〉!?」


 イチエら騎士団の面々は伝え知るのみであった伝説の魔剣を、その姿から連想せずにはいられなかった。

 一方、不可視の巨人は、敵が凄まじい力を保有する存在と認め、身体を構成する魔導力を含む大気の密度を高めて、風車を庇う様に朧気な姿を見せて立ちはだかった。


「「一刀両断! 『流星光帝斬』!!」」


 鞘はカタナと声を揃えて哮り、振り上げた剣を振り下ろす。

 同時にカタナが放った凄まじい魔導力の波動は、正面の大地を切り裂き、立ちはだかる不可視の巨人の身体をものともせず分断して、不可視の巨人を作り出す風車を撃破した。全ては、一瞬の出来事であった。

 暫しの静寂。風車が崩壊する轟音さえも、甦りし伝説を目の当たりにして慄然となるイチエ達の耳には届いていなかった。

 凄まじい破壊力を秘めた魔導力を放出した大きいカタナは剣から離れ、再び煌めきながらあの儚げな貌をする小さいカタナへ戻って行く。

 イチエたちの、明らかに恐怖の色が浮かぶ眼差しを一身に受けている事に気付いていたカタナは、悲痛そうに唇を噛み締め、鞘の右肩に両腕を回して縋った。

 鞘は元の刃無し剣に戻った両刃剣を背負う革袋に収めてから、縋るカタナの髪を左中指の腹で優しく撫でてやった。


「……皆、あたしの事、怖がってるね」

「大丈夫。僕はその為の『鞘』なんだから」


 今にも泣き出しそうなカタナを、鞘は微笑んで優しく慰める。

 儚げな精霊を慰めているこの優しき少年の姿を見つめていたイチエ達の心にはいつしか、宗教画の様なその光景がとても美しく、そして逞しく映っていた。感動は、彼らの恐怖心を薄れさせていた。

 そんなイチエの目は、鞘の姿を、別の人物と錯視していた。

 肖像画以外、決して逢う事の叶わぬ伝説の男。

 その彼が独り王座に腰を下ろし、戦で人を危めた事への後悔と哀しみに打ち拉がれているこの心優しき精霊を慰めている光景が、イチエの脳裏に甦っていた。


「……うん。たとえそうだとしても――否。所詮、空想の域に過ぎんさ」


 ふとイチエは、声に出してそう自問自答している自分に気付き、思わず苦笑した。


「……そうだよ。今は――そう、今は、鞘君の〈剣〉、だ。二人とも、ご苦労さん」


 イチエはそう言って、照れ臭そうに鞘に右手を差し出した。握手を求められた鞘は、少し躊躇い、右肩のカタナの様子を伺い見る。

 カタナは笑顔で頷いた。鞘も笑顔で応えると、差し出されたイチエの手に握手した。

 カタナも握手する二人の手の上にそっと両掌を乗せるのを見て、二人は一緒に微笑んだ。


     *   *   *


 後世、『英雄王』と並び賞され、混沌とした〈ラヴィーン〉に平和をもたらした青年剣士の伝説があった。

 水面の如く静かなる貌に、穏やかな少年の瞳を宿す青年の傍らには、燃える様な紅い髪を持つ、美麗なる剣の神霊が常に寄り添っていたという。

 

                        完

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魔導狩人 arm1475 @arm1475

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