その2

「……ねぇ鞘。やはり、何人かは助けておくべきだったンでは……?」

「無理を言うない。あん時はこっちも脱出するだけで精一杯だったろ?」


 鞘はその脱出劇を思い出して身震いした。


「何が哀しゅうて、ハリウッド映画のクライマックスみたいな脱出劇を体験せにゃならんのか……ぶつぶつ」

「せめて、のこのこと脅迫状を持って来た唯一の生き残りの下っ端が、魔導器を仕掛けた場所を知っていたら良かったんですけどねぇ」


 暗然とした面持ちのイチエが溜息混じりにぼやくと、カタナと鞘は、やれやれ、と肩を竦めた。


「……ねぇ、鞘」

「なんだい?」

「……んとね、あたし、先から巨人の存在感より、何か変な違和感を感じているの。――妙な魔導力がこの町を包み込む様に取り巻いているのよ。

 曖昧過ぎて、発現地点はさっぱり判ンないけど、別に、他から干渉する魔導力を無力化している訳では無さそう。

 巨人が暴れ回った時に生じた残留物かしら?」

「今思えば、あの魔皇がそんな巨人を操ったという話は、聞いた事がありません。或いは、幻術の類だったのでは?」

「幻にあんな真似が出来る?」


 小首を傾げるイチエに、気怠げに応えた鞘が指す先には、大人を縦に四、五人並べてすっぽり収まりくらいの、巨人が残したと思しき巨大な足跡があった。

 足跡の中には、無惨にも押し潰されて原形を留めていない、村人と思しき亡骸が、半分地中に埋まっていた。


「酷ぇ光景だ。……女、子供もお構い無しか、外道めっ!」


 イチエは吐き捨てるように言った。


「全く、魔皇もとんでもないものを残してくれたもんだ。死んでも尚、世界を滅茶苦茶にするたぁ、忌々しいったらありゃしねぇ」

「……そンなにあの御方の悪口を言わないで下さい…!」


 魔皇への悪態を吐くイチエの鼻先へ、突然カタナが翔び寄り、泣き顔で魔皇を擁護し始めた。


「……あの御方は不器用な生き方しか出来ませンでしたが、最後までこの世界の行く末を憂いていたンですぅ……!

 否、無理に判って頂かなくても結構ですぅ…………。

 でもぉ、死者に鞭打つ様な事は言わないで下さい……。

 でないと、あの御方はきっとあの世で安らかに眠れません……それに鞘だって……うるうる」

「カタナ、イチエさん困っているでしょうが」


 呆れ顔の鞘は後頭部を掻きながら二人の傍へ歩み寄り、困惑するイチエの鼻先に浮くカタナの法衣の襟を指先で摘んで離す。


「イチエさん、御免なさい。彼女、魔皇とは縁があるもんで、悪態吐かれるとついムキになってしまうんですよ。

 ほら、カタナももう泣かないの。キミがいつまでも泣いている事の方が、魔皇の安眠を妨げると思うぞ」


 鞘はそう言ってカタナを慰め、右小指の先でカタナの眦に溢れている涙を拭ってやる。

 鞘に慰められ、カタナが漸く、うん、と頷いて儚げに微笑むのを見て、イチエは、やれやれ、と胸を撫で下ろした。


「それはそうと、イチエさん。もう、街の人達の避難は完了しているんですよね?」

「あ、……あぁ、巨人が出現したのが昼間だったのが幸いした。人的被害は建物の被害と比較して少なかったよ。

 しかし、あんなに綺麗だった街並みがこんなに変貌するとはなぁ。城に帰ったら女房に何と言って説明すればいいやら」

「え?イチエさん、奥さん居るんですか?」


 鞘が驚くのも無理はない。イチエ――市重は鞘と同じく、1970年代の日本からこの異世界に紛れ込んで来た日本人だからだった。


「……ま、色々あってな」


 問われて、イチエは照れ臭そうに鼻の頭を掻きながら答える。


「俺が居た70年代の日本は、安保闘争やベトナム反戦運動等で、国中燃えていたが……。

 君の様に少し未来からやって来た連中から、未来の日本の様子を聞く限り、結局俺達は何をして来たんだ?って想うと、すっかり還る気が失せちまってな……。

 6年も此処に暮らしてみて、このままこの異世界に身を埋めても悪くは無いと思ったのさ」


 そう言ってイチエは、腰に下げている日本刀の柄を撫でた。西洋風の両刃刀がこの世界のスタンダードなのだが、日本人の血がこの刀を選んだのだろう。

 その刀をしみじみと見つめるイチエを見て、鞘は、ふっ、と笑みをこぼし、


「僕は好きですよ、そう言う生き方」

「ナマイキ言うなぃ、少年」


 イチエと鞘は一緒に笑った。


「本当だったら、親子ほど歳が違うハズなのに、余り歳が違わないなんて、妙な話ですね。次元の繋がりに時間の影響が無い、って言うのはある意味で考え物ですね」

「さながら、浦島太郎かリップバーンウィンクルか。まぁ骨をここに埋める決心が付いた今となっては、時間の差なんてどうでも良いけどな」


 イチエは辺りを見回した。

 いつの間にか山のほうから風が吹き始めていた。頬を撫でるそれをイチエは優しく感じた。


「ロンデニオからの風が強まってきたな。この時期になると特に強く吹く」

「イチエさん、この街をご存じで?」

「ああ、このミカナは思い出深い地でな、俺がこの世界に紛れ込んだ時、この街に出現したのさ。――俺は此処で、今の女房と出会えたのさ」


 彼がこの異世界に留まろうと決意した本当の理由は、自分と心を通わせた少女をずっと守りたいと想ったからであった。

 イチエはかつて妻と見たあの風景が跡形も無い街並みに一瞥をくれ、やり切れなさそうに嘆息した。

 鞘もつられる様に嘆息すると、その鼻先に、何処か不安げな貌をして自分を見つめるカタナが翔び寄って来た。


「……ねぇ。……鞘は」

「ん?何?」


 きょとんとする鞘は右腕を上げ、カタナを腕に乗せて訊き返した。


「……鞘は……元の世界に戻りたいんでしょ?」

「ん?――あ、あぁ。僕は他の時代と比較出来る程、元の世界を知っちゃいないさ。それに、お袋に伝えなきゃいけない事があるしな」


 鞘がそう答えると、カタナは昏い貌をして俯いてしまった。カタナが消沈してしまった事に気付いた鞘は慌てて、にっ、と少しぎこちない笑みを浮かべ、


「もっとも、今の僕には、この世界でやらなきゃならない事があるから、たとえ術が見つかっても直ぐには還らないさ。――あ、そうだ、忘れてた」


 不意に、鞘は大事な事を思い出し、再び風車の方へ険しげな視線をくれた。


「鞘君、どうかしたのか?」

「……えぇ。――ねぇ、イチエさん。どうしてあの風車だけ、全く無傷なんでしょうね?」


 鞘が風車を指すと、一同は釣られて風車の方を見た。

 指摘通り、風車は全く傷一つ無く、次第に強くなり始めて来た、山脈から吹き下ろされる風を当たり前の様に受けて、回転を早めていた。


「確かに妙だが、あの風車からは魔導力の反応は見られなかった。

 幸運だけでこの惨状を免れられたとは、確かに考えにくい。巨人と何らかの関係があると考えるべき、なんだが、しかし……って、カタナ殿、どうかされましたか?」


 イチエは、鞘の右肩に腰を下ろして、険しい眼差しでじっと風車を見つめているカタナの不穏な様子に気付いた。


「……確かに変よ、あの風車。――ああっ、周囲から魔導力が集中し始めているわ!」

「どうゆうコト?」

「理由は判らない。あたしがさっき知覚した、街一杯に広がっていた魔導力が、次第にあの風車へ集結し始めているのよ!」

「広がっていた魔導力が集中している……!?」


 困惑する鞘の目には、人の目には見えぬ魔導力が集中し始めている風車が映っていた。風車は先より強まった風を巻いて、一層回転を早めていた。

 巨人が出現した時も、強く吹く風に風車は激しく回っていたという。


「まさか――カタナ!? 魔導器に込められた魔導力って、魔導器本体から分離しても影響がない事もあるのか?」

「……うん。魔導力の力場を構成する念粒子は、魔導器が分解しても構成時の配列を記憶しているの。

 だから、魔導器から魔導力を抽出しても、再び注ぎ込めば力場は発揮出来る――!!」


 そこまで言って、カタナの貌が閃いた。


「あぁ、そうか!――いけない! みんな、この街から急いで逃げて!」

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