番外編2 彼女の趣味

 さらさらと紙の上を流れる筆は軽快。

 午後の日差しの中、ルイは読みあさりまくった何冊もの本の印を付けたページを開いたまま、かなり広いリュシアンの書斎の机のど真ん中で自分のノートをせっせとまとめていた。

 重く分厚いそのノートは、既に8割方、調べ尽くした呪いの数々で埋められていた。

 時々、資料へ目を落としはするが、それ以外はノートにだけルイの視線は向けられる。

 ペンにつけたインクがなくなりさえしなければ、更に長く。

「……あ」

 ルイは突然、単語のひとつの最後の文字を書いたところで閃いた。

「そうだよ、教会……。なんで気がつかなかったんだろう」

 祖父の書斎の次は学校の図書館、その次は魔法議会の資料室と、毎日渡り歩いて読みあさった本。

 そこからでさえもまだ収集しきれない呪いの数々は、これ以上は書籍をあたってもどうしようもない。

「ん~、困ったな。教会関係者なんて、お祖父さまに頼むしかないかなあ」

 リュシアンは部屋に閉じこもってばかりいるルイにあまり良い顔をしていない。

 祖父は仕事が忙しく滅多に顔は合わせないが、うっかり食事時に会おうものなら、何度も何度もオーギュストとの結婚を勧められる。

 オーギュストはといえば、彼女の捜索で自分の能力を知り、学生時代の面影もないほど気落ちしていた。

 そうしてルイとの結婚は諦めた、と、それだけをしたためた手紙を彼女に送ってきた。

 そんな彼を可哀相に思い、ルイはリュシアンの下での仕事を頑張ればいいと返事を書いた。

 それを読んだオーギュストはいきなり奮い立ち、仕事の鬼と化す。

 単純と言えば単純だが、あの男がそれだけのために動いているとは、ルイは到底思えない。

 まだまだ、彼女は結婚など微塵も考えていないのだ。

「お祖父さまには会いたくないし……かといってこのままじゃ片手落ち……」

 ルイは暫く逡巡した後、椅子の左側に立てかけておいた『忘却の森』を手にした。

「『忘却の森』よ、主に従い姿を現せ」

 ルイがそう言うと、白い光が書斎に溢れ、長い金髪の青年が現れる。

「つれないな、主。ひと月ぶりじゃないか」

 リカルドゥスはルイの髪を一房取り上げ口づけた。

「いい匂いだな。香油をつけたのか? 巻き具合も綺麗だぞ」

 ルイはリカルドゥスの手をぱぱっと叩いた。

 リカルドゥスは掴んでいたルイの髪から手を放す。

「はい、はい。用があるから呼んだの。余計なことはしなくてもいいの」

「寂しいじゃないか、主。毎晩なんて言わないから、おれを呼んでくれよ」

「仕事があるときはね」

「閨の務めも必要だろう?」

 ルイの眉間にしわが寄る。

「おほん! あのね……呪いについてわかんないとこがあるの。訊いてもいい?」

「ベッドの上でならなんでも教えてやろう」

「ここで結構」

「そういう趣味なのか。確かに書斎も悪くない」

「何もかもそっちにしない! ヴィーがいないんだからあんたにしか訊けないでしょ!」

「グリエルムス? 何処に行った?」

「ディルの店に行ったの。まさかキリムがうんて言うなんて思いもしなかったけど、どうせマリーベルの店が目当てなんでしょ」

「ほほう。どうやらグリエルムスの主は煙を吐く機械が苦手なようだな」

「どうしてそんなこと知ってるの?」

「おれは前の主と一緒にそれに乗ったんだぞ? あれには三日くらい乗ってたかな」

 ルイはリカルドゥスを見上げた。

「……へえ……ちゃんと思い出したの?」

「ああ。きちんと。時系列に沿ってる」

「それは良かった。……あ、でも、昔の記憶は?」

「当然」

「じゃあ大丈夫だね。ねえ、あんた達、どのくらい自分の呪いについてわかってんの?」

 リカルドゥスは首をかしげる。

「例えばさあ、かけられた時の呪文、全部ちゃんと覚えてる?」

「そうだな。多分」

「多分じゃ困る」

「ふむ……主がどこまで知りたいのかわからんが、なんならかけた本人に会いに行くか?」

「えっ?! そんなことができるんなら、自分でそうすりゃいいじゃない」

「呪われた当人ができることじゃないからこうなってるんだが」

「……あー、そう」

 ルイは肘をついて自分の顎を支えた。

「呪文を覚えてるって、ここでそれを全部言わせるのも……」

「まあそうだな。そうするとおれには二重に呪いがかかって、主にも同じ呪いが」

「かかるの?! 冗談でしょ!」

「今時の軽い魔法と同じにしてもらいたくはない。これは深い階層の、それはそれは高度な呪文なんだ」

「あー、悪うございました。どうせ軽い魔法使いです」

 ルイは唇を尖らせて横を向いた。

「拗ねるな、主。そんな顔も可愛いぞ」

「いちいちそういうこと言わないの。全くもう」

 ルイはノートの上に吸い取り紙を載せ、照れ隠しにぎゅっと押さえた。

「……覚えてるんなら、まあいっか。でもどうやって聞き出せばいいの? また同じ呪いにかかるなんて……」

「紙に書いても同じだぞ。だから文字としても残ってないんだからな」

「……ああ、なるほど~。じゃあ教会で聞いてもダメってことか……ううん」

 ルイは先ほどリカルドゥスが持ち上げた、同じ辺りの髪を指先でくるくると弄る。

「やっぱりそう簡単には解けないわけか……。あ、ところでねえ、あんた」

「名を呼んでくれ、主」

「そうそう、それなんだけど、あんたの名前、長いからさ、これからはカルって呼ぶね」

 リカルドゥスの目が丸くなる。

「可愛いでしょ。以前ディルの妹が飼ってた猫と同じ名前。あんたの名前にもカルってとこがあるから丁度いいと思って」

「……主……おれは猫じゃない」

「いいじゃない。私、長い名前とか嫌いなんだもん」

「だからルイって呼ばせてるのか?」

「まあね。ディルだって長いから、なんか可愛い名前がないかなって思ってて、それで見つけた香草の名前と同じだからいいかなって思って、そう呼んでる」

「……はあ……。香草……。猫の次は、香草……」

 リカルドゥスは額を押さえた。

「学校なんかじゃね、全部呼ぶんだ。マリー・ルイーズ・アルベールって。長くて嫌になる」

「いいじゃないか。ルイじゃあ男の名前だろう? じゃあおれは、これから主のことをマリーって呼ぼう」

「それやめて。祖母と同じ名前なんだもん。祖母はマリ・アンヌだから」

「……」

 リカルドゥスは目を細めて天井を見上げた。

「さて、カルを呼び出しても結局解決法はみつからなかったってことで、戻っていいよ」

「ええ? 主、これから日が暮れて、夜になったらお楽しみだろう?」

「何言ってるの。オーギュストじゃないんだから私は夜中にカルに用はないよ……って……オーギュスト……」

 ルイはふいに考え込む。

「……主? どうした?」

「オーギュスト……これも、長い……ね。なんかいい呼び方を考えよう。オーギュスト・ブルギニヨン……かあ……。ん~」

 ルイは腕を組んで俯いた。

「主……」

「あ! そうだ! ヨンにしよう! ヨン。簡単でいいね。よしっ! これからはヨンだ!」

 リカルドゥスはもう一度天井を見上げ、そこにある梁の美しい木目を、思わず数えて現実逃避したくなった。


***おわり***

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夜明けの星に約束 島村ゆに @sim

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