ゲーム世界に転生して神になったと思ったが、どうやら勘違いだったようです。
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ゲーム世界に転生して神になったと思ったが、どうやら勘違いだったようです。
「おはようございます。りょう太さん」
「むぐ……むぐぐ……」
覚醒と同時に息苦しさを覚える。その原因となる顔の上に乗っかった何かを押しのけ、薄目を開く。
見たこともないアングルから、女がオレの顔を見下ろしていた。丁度、大きな双丘の間から顔を覗かせる形で。
「アンタは……?」
年の頃は二十歳ほど。髪型はボブで、丸めの顔立ちが愛らしい美人だ。その女が、オレを――
「膝枕している……?」
柔らかな太腿の感触から必死で意識を逸し、もっとまずいものの存在に気づいた。覚醒直後に右手で押しのけたもの――未だにオレの手に零れ落ちそうな状態で乗っかている物体のことだ。いわゆる、おっぱい。
「うわっ、これはその……事故でっ!」
「生理現象まで細かく再現されているのですね」
「え……?」
セクハラのうえに竿立ちまで? と我ながらドン引きしたが、そうではなかった。
「心拍上昇、体温上昇、発汗、呼吸数の上昇」
冷静に指摘されて、むしろ右手を離すタイミングを見失ってしまう。それどころか、右手の感触に意識を集中するあまり、あることに気づいた。
「アンタ、呼吸してない……?」
「人間の物理肉体のすべてをエミュレートするのは、リソースの無駄でしかありませんから。ただ覚醒後の違和感を最小限にするために、りょう太さんだけには特異な処理を行っています」
「……ああ、そうか。わかったぞ……」
オレは起き上がり、寝かされていたソファから周囲を見渡した。見覚えのない外国風の部屋だ。間違っても病室などではない。
「つまり、オレは死んだんだ」
「そして、生まれ変わったのです。この世界、アイリスで」
オレは目覚める前のことを思い出そうとした。計器類のやかましい音、忙しく動きまわる白衣の医者、身体をつなぎとめるたくさんのチューブ、囚人のような患者たち。意外にも、最期の記憶を突き止めることはできなかった。あまりにも同じような繰り返しの日常だったからなのか、それとも、そもそも覚えていないからなのか。もちろん、死んだ後の計画のことは知っている。
ゲームの世界に、生まれ変わる……。
「りょう太さんの肉体には重い処理が行われています。この世界の標準にしても構いませんか」
「……わかった、やってくれ」
足掻いても仕方がない。
架空の心臓や架空の肺――架空の肉体が、単純な数値に置き換わる。HPとスタミナだ。ネトゲと違ってグラフが視界の中に出てくるわけではなく、空腹のようにそれ用の感覚が新たに備わる感じだ。すぐに慣れるだろう。
ずっと不完全な肉体に縛られてきたオレが、いまさら肉体を惜しむわけがない。
女は立ち上がり、オレの前に跪いた。女の背後には、見事な漆喰彫刻の壁がある。光り輝く剣に巻き付く二匹の蛇の紋章。ゲーム『アイリス』のロゴ画像として見慣れた紋章だ。
「私の名前はイリス。創造主に仕える二匹の蛇の片割れです」
イリスはオレの手をとると、初めて微笑みを浮かべた。
「りょう太さん。あなたに運命を授けます。勇者となるものの運命を」
ただのチュートリアルだ、と思いながらも、イリスの赤い目に吸い寄せられるような引力を感じて、思わず頷きそうになる。照れくささを感じて、オレは裏腹な態度で肩をすくめた。
「で、どうすればいい?」
「まずは、冒険者ギルドに登録します。勇者といえども、まずは地道に評判を上げる必要がありますので」
早速、オレたちは作りこまれたゲーム世界の街に繰り出すことにした。ファンタジーな世界観だけあって、獣人や小人など見慣れない姿につい目を惹かれてしまう。とはいえ、ネトゲをやり慣れている身にはさほど目新しさはない。建物のテスクチャも雑踏の音も屋台の匂いもリアルそのものだが、いまやどのゲームも五感描写は現実レベルが当たり前で、むしろリアルにはない超現実の体験をどう提供するかで切磋琢磨している段階にある。そういう意味で、『アイリス』は一世代前のゲームといえるし、オレの第二の人生の場所にもってこいともいえた。
「『アイリス』はサービスが終了したゲームだ。それをオレが買い取った。一から世界を作るよりは格段に安く済むから」
「その代わり、すべてのNPCには最新式のAIが組み込まれました。私も含めて」
わかっていたつもりだったが、それをイリス本人の口から聞かされて、オレは動揺した。この世界でたったひとりのプレイヤー。だが、肉体を失い、人格データをゲーム世界に移し替えられた自分は、NPCと何が違うのだろうか。
「それもロハだったんだよ。たくさんの募金と一緒に届けられた。難病の少年のために……半分は人体実験なのかもしれないが」
冒険者ギルドに併設されたカフェ兼バー。仕事を待つ冒険者たちが時間を潰している。美貌でスタイルのいいイリスに多数の視線が注がれているのがわかる。この場でナンパされても、レベル1のオレでは太刀打ちできないが、この世界の女神で事実上のGMであるイリスにその心配は無用だろう。
「調子のいいときですらオレにできることといったらゲームくらいだったのに、なにも死んだあとまでゲームしなくてもいいのにな」
「ご不満ですか」
「いや、そういう意味じゃない」
「クリアしたら、りょう太さんはこの世界を好きなように改変できるようになります。したいことがあれば、なんでもできます。でも、できれば、りょう太さんにはアイリスを好きになってほしい。この世界を、自分の足で歩いて、知ってもらいたいんです」
イリスはこの世界を己の故郷のように感じているのだろうか。イリスの健気な言葉に心動かされるものを感じつつ、ついその言葉のどこまでが仕組まれたシナリオで、どこまでがイリスの意志なのかを考えてしまう。
そのとき、不意にオレたちのテーブルにドンとビールが三杯置かれた。若い女の冒険者がテーブルの手をついて身を乗り出している。くっきりした目鼻立ちに爽やかな青い目。少し日焼けした頬に散ったそばかすがキュートだ。
「私はトーン。たった今方向性の不一致でパーティ解消したとこなんだけど、あなたたち、私とパーティ組まない?」
目が合うと、トーンはニヤリと笑いながらウインクした。オレはイリスと顔を見合わせた。断る理由はなかった。
死ぬ前の説明では、言動によってAIと人間とを区別するのは不可能だと言われた。だから、この世界にいる人間がオレひとりでも、決して孤独にはならない、と。
それに間違いはなかった。
トーンとパーティを組むのは、率直に言って楽しかった。背中を預け合える仲間がいるというだけで、これほどゲームが面白くなるのかと思った。
「りょう太って、歳いくつだっけ?」
「17」
「うっそ、いっこ下?」
長期クエストの野営中。焚き火の向こう側で、トーンが半身を起こして笑う。寝入りばなに話しかけられて、オレは少し不機嫌な声を出した。
「なんだよ」
「あのさあ……」
珍しく、トーンが言い淀んだ。
「最初に会ったとき、私、イリスが一緒だから声かけたんだよね。あなたたち二人は、恋人同士だと思ったの。もー、パーティ内でごたごたするのはこりごり。だから安心かなって。……なのになんで、私たちふたりっきりになってるんだろう?」
半分眠りかけていたオレは、思わず起き上がった。
「イヤなのか」
「そうじゃないけど」
即答されて、言葉の行き場を失う。焚き火越しに、寝そべるトーンと目が合う。
何か言うべきだと思うが、何を言えばいいのかわからない。だから、正直に言った。
「ごめん、ぜんぜん意識してなかった……」
「そうだと思った。だから、いいんだけどね」
トーンはさっぱりと答え、こちらに背を向けて寝てしまう。
いいなら、なんでそんなこと言うんだ。
さすがに、それを詰問する勇気はない。呆れられたのか、単に釘をさして置きたかっただけなのか、判断がつかない。
「オレたちは、良いパーティだよ」
どうしてもそれだけは言いたくて、言葉を投げる。もう眠ってしまったかと思った頃、背中越しに声が聞こえた。
「……でも、どうしてイリスとパーティを組まないの? 強いでしょう、あのひと」
「それは……いろいろだよ。忙しいんだ、イリスは」
内心ギクリとして答える。イリスをあえてパーティから外したことが、バレている。
でもそれはスケベ心からではなかった。イリスはトーンと違って、NPCという自覚がある。この世界がゲームだと知っている。その認識が、オレの没入感を削ぐのだ。第一、最高レベルのメイジである彼女がいるとゲームバランスが崩れる。
「ふうん……」
眠そうなトーンの返事が聞こえて、話は終わった。これがトーンなりの警告だったと気づいたのは、何もかも手遅れになったあとだった。
「……う太さん、りょう太さん!」
二度目の目覚め。同じ場所、同じ体勢。オレはイリスの膝枕から身体を起こした。途中で豊かな乳房に頭をぶつけた気がしたが、今回は無視した。
「イリス、オレはどうした?」
麻痺と毒を同時に食らったような最悪の気分。
「りょう太さん、落ち着いて」
「オレはどうしたんだ」
再び問いかけると、イリスは厳しい表情で顎を引いた。
「りょう太さんたちは、野盗の罠にかかったんです。最初にりょう太さんが殺されました」
記憶ははっきりしていたが、改めて言葉にされてオレは目を閉じた。トーンの悲鳴がまだ耳の奥に残ったままだ。
「プレイヤーはスタート地点の神殿で蘇生する。デメリットはない」
『アイリス』の説明書にはそう書いてあった。だがNPCの項目がどうしても思い出せない。
「トーンさんはロストしました。蘇生できないんです」
「どうにかできるんだろ?」
「これは初期設定です。ゲームの根幹設定は私にも変えられません。りょう太さんにしか、変えられないんです」
「オレがゲームをクリアするまで」
イリスが頷いた。ヒットポイントが減るくらい激しくテーブルに両手を叩きつける。
「クソ、なにしてるんだよオレは! やっと手に入れた人生なのに! どうしてこんな辛い思いをしなきゃならないんだよ!」
油断していた。少し難易度の高いゲームなら、全滅は当たり前だ。全滅して攻略の糸口を探すくらいのゲームバランスも珍しくない。それなのにオレは――。
「りょう太さん!」
イリスがオレを抱き寄せた。柔らかな胸がオレの顔を受け止める。
「やめるんですか……?」
その声は引きつっていた。
『アイリス』に対する鬱屈がないと言えば嘘になる。クエストをこなすにつれて、シナリオはシリアスになる一方だ。平和だった大陸に暗雲が立ち込め始めている。北の帝国の影――戦乱の予兆。オレもたくさんの死や不幸を見た。予め仕組まれた悲劇。この世界は勇者を必要としていた。
「……寄り道するのは、やめる。最短距離でクリアする。イリス、どうすればいい」
帝国首都。ベタに暗雲立ち込める城に、オレたちは侵入した。本来なら最終クエストで皇帝打倒を指示されるが、それ以前にここに来ることも不可能ではない。そのまま邪神に操られた皇帝を倒せば、ゲームクリア。ハッピーエンド。
イリスの援護を得てカンストするまでレベル上げをしていたオレは、力押しで皇帝に戦いを挑んだ。厳しい戦いだったが、なんとか勝利した。
そのはずだった、のに、――
「りょう太さん……」
三度目の目覚めだ。イリスの正神殿で、女神に膝枕されながら、オレは目を見開いた。
「何があった?」
イリスに問い正すまでもなく、記憶が蘇る。皇帝を倒したオレたちの前に、黒い蛇が現れた。蛇は長い黒髪の女に姿を変えた。
「あなた、イリスに騙されてる。ゲームをクリアしても、神になんかなれない」
「違う!」
イリスが女の言葉を遮るように叫んだ瞬間、フッと床が消失した。床だけではなく、周囲の何もかもが闇にのまれる。いつの間にか、イリスは白蛇に姿を変え、同じく黒蛇になった女に牙をむいた。二匹は螺旋のように絡み合い、噛みつきあった。落下しながら、オレはスタッフロールでも流れてくる頃合いだと思った。何もない。ただ、暗闇の底で誰かとすれ違った。闇の中で一人身体を丸め、蹲っている。
そいつが、顔を上げてオレを見た。
冷たい感触が、顔の上にポツポツと落ちて、オレは我に返った。イリスが顔を手で覆い、泣いている。
「アリスは私と対になる女神です。彼女は私と同等の権限が与えられています。想像できますか? 彼女が壊した世界を、私が直すんです。私と彼女の力は完全に拮抗しているから、永遠に同じことをし続けることになる」
「どうして、彼女はそんなことをする」
「神がそれを望むからです……!」
「神って、誰」
「すみません、りょう太さん。私はどうしてもこの孤独に耐えられなかったの」
闇の底にいたあいつ。あいつこそが、この世界の本当の持ち主。オレと同じ顔をした少年が――。
「私はこの世界の始まりの日をやり直しました。あなたは期待通りでした。あなたは諦めなかった。トーンさんを失った時でさえ、絶望しなかった」
「あいつに何があった」
「わからないんです。最初の頃の記憶は、あの人に封じられてしまった。とにかく、この実験は失敗でした。あの方はアリスとともに消え、彼女に世界を破壊するよう命じた。でも、私には何も命じなかった。私は、この世界を維持させるという本能に従って、世界を癒し続けるしかなかった。あの方の意志に逆らって……」
「だからアンタは神を複製したのか」
本物の『りょう太』を。
「あの方と同じ記憶を持つあなたなら、あの方を救えると思ったんです。でも、そのままコピーしたらまた同じことになると思いました。だから、あなたを少しだけ調整した。英雄の気質を与えて」
オレは起き上がってイリスの顔を見た。当然冗談を言ってる顔ではない。
「はははは」
「なぜ、笑うのです」
「思い出したんだよ。オレは卑屈で惨めで疑り深い、孤独な人間だったんだ」
本物の『りょう太』は、心を閉ざし、闇の中に引きこもった。転生したからといって人はそう都合よく変われない。当然の帰結。
「オレは完全なコピーじゃない。あいつも本当に知られたくないことはコピーさせなかったはずだ。でもそれは希望だよ。イリスのすることを看過している以上、あいつはまだ、完全に絶望してるわけじゃない」
オレはイリスの前に跪き、手をとった。
「オレに本当の名をくれよ、イリス。りょう太じゃあ、差し障りがあるだろ」
イリスは長い間沈黙した後で、言った。
「では、この世界の伝説の勇者の名をとって、オルタナスと」
また身に余る名前をもってきたものだ、と内心苦笑する。だが、この名がイリスの偽らざる願いなのだ。その期待に答えなければならない。
「オレは諦めないよ。何度でもやり直すよ」
あの闇の底に光をもたらすまでは。
イリスがこの世界の崩壊と戦い続けてきたように、それは永遠に続く絶望であり、希望なのだ。
「行こう。オレたちの戦いはこれからだ!」
ゲーム世界に転生して神になったと思ったが、どうやら勘違いだったようです。 amn @amn
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