トライ・トワイライト・リリウム

さわだ

トライ・トワイライト・リリウム


夏が終わってゆっくりと涼しくなる日々、夕暮れが近づいてくると上着越しでも少し肌寒く感じる。

高校生の高乃宮拳子(たかのみやけんこ)と新城鳳華(しんじょうほうか)は知らない港町を歩いていた。

港町と言っても小さな漁港があるだけで、寂れて昼間でも人を殆ど見かけない。

一番近い駅は無人駅で駅前に辛うじて都内ではあまり見ない系列のコンビニが一件あったぐらいで、駅から海へ出るのに開いているお店なんか殆ど無い。

経済的理由によって都市化する社会が生んだ空白地とでも経済学者だったら知った風に言いそうな、典型的な寂れて人と時間に見捨てられた町を、紺色のブレザーの制服、短いチェックのスカートに黒いタイツ姿の女子高生が道を歩いて行く。

二人は縦に並んで歩いている。先を歩く左側をサイドテールに結んだ髪型の女の子は眉間に少し皺を寄せながらスマートフォンを見ながら歩幅も大きく先を急いでいた。その後ろを両手で鞄を前にして丁寧に持ちながら、艶やかな黒髪を両肩口で軽く髪を結んだ女の子がゆっくりと歩いていた。

先に進む女の子は早歩きだが、たまに思い出したようにゆっくりと歩く。

だがまた気がつくとスピードを上げて歩き始めてしまい、後ろの女の子と離れてしまう。

そんな先を行く女の子の事を気にせずに後ろの子は歩くペースを変えずにゆっくりと歩く。

駅から歩いて、昔は商店があったのだろうが今はシャッターしか見えない町並みを進んで行くと、唐突に夕日に反射した漣が見えてきた。

何も無い寂れた街だが、海の無い都心郊外のベッドタウン育ちの二人にはそれなりに見応えがあって海に視線が釘付けになる。

スマートフォンの画面から目を離して、先頭を歩いていた女の子が立ち止まる。

「ったく本当にこの場所で合ってるのか?」

先頭を歩いていた拳子は海岸に沿った道路越しに見える海を見ながら呆れる。

「流石に不安になるわねケンちゃん」

追いついた女の子が横に並ぶ。

「まあな」

ケンちゃんと男の子のようなあだ名で呼ばれた高乃宮拳子は、声を掛けた新城鳳華を睨む。

「どうしたの?」

「別にハナは付いてこなくても良かったのに」

鳳華という名前に反して見た目が地味な、優しそうな女の子は周りからは鳳華の華という字にちなんでハナと呼ばれていた。

「寂しいこと言わないでよケンちゃん」

「面倒くさいだろ?」

「そんな事無いよ」

「私は面倒くさい・・・・・・」

踵を返して拳子は再び歩き始めた。

「じゃあなんでこんな所まで来るの?」

「しょうがないだろ? いつもの「姫」のわがままだ」

「大変ね王子様も」

「誰が?」

「ケンちゃんよ」

「私が王子様?」

自分を指さして拳子は不思議そうに呟く。

「そう、わがままなお姫様を救い出す為に各地を奔走する王子様」

「なんで私が「姫」に仕えている事になるんだ?」

「違うの?」

「違う」

「こんな何も無いところまでわざわざ探しに来ているのに?」

海に近いからか風が強く、鳳華は肩口で髪を押さえる。

「どうしたんだよ、やけに突っ掛かるじゃないか?」

「ごめんなさい、ちょっと羨ましくて」

鳳華が目を細めながら優しく微笑む。

拳子は鳳華の笑顔を見てため息を付いた。

「何が?」

「こんな所まで追いかけてきて貰えて良いなあって」

「ハナはこんな馬鹿なことしないだろう?」

「ええ、私はケンちゃんに迷惑掛けるの嫌だもの」

「ありがたいね、「姫」にもそう言ってやってくれよ」

「良いの? 寂しくなっちゃうかもしれないわよ?」

「寂しい?」

立ち止まって拳子は鳳華を睨みつけた。

全く化粧をしてないので派手さは無いが研ぎ澄まされた造形で、男の子のようにも見える。拳子の眼光は同世代の女の子だったら誰でも臆する鋭さがあるのだが、鳳華はずっと変わらず微笑んでいた。

「ごめんなさい、悪気があった訳じゃないのケンちゃん」

「知ってる」

鳳華が拳子の心を突いてきたのは悪気なんて可愛げのある感情では無かった。

ただ、事の核心を突いて傷口を広げようとする、悪意ある好意だった。

「それにしても何も無いところね・・・・・・」

海からの潮風が二人を撫でて、髪やスカートを揺らした。

寂れた商店街を抜けたらすぐに広々とした海が見えた。

海と二人を隔てる幹線道路は大きなトラックが行き交って、それなりの交通量があった。

「あっちみたいだ」

スマートフォンの画面を見ながら拳子が示した方にはコンクリートで出来た海へ突き出るように伸びていた。

「あんな所に居るの?」

「アレじゃ無いか?」

海面が夕焼けを反射して海は眩しいが、埠頭には小さな黒い人影が一つだけ見えた。

拳子と鳳華は顔を合わせたあと、お互い納得したのか小さく頷いてから、幹線道路を渡って、コンクリートの埠頭目指して歩きはじめた。

また、拳子が先に歩いてその後をゆっくりと鳳華が続く形になったが、先程より距離が開いているのは拳子が早足で歩いているからだった。

本人も気がついていないのか、埠頭の先頭に居座る人影に近づく程、拳子の足は速く、せわしなく動く。

そんな拳子の後ろ姿を鳳華は何処か諦めたように、ここに来るまでと同じ様にゆっくりと歩いて後に続いた。

埠頭には船が着いているわけでも無く、防潮の為のものなのか、何一つ人工物らしきものは無かった。

朝だったら地元の人が釣りにでも来てるのかも知れないが、夕暮れに沈みはじめた今の時間は誰も居なかった。

そんな埠頭の先に一人だけ女の子が座り込んでいる。

輝く海面と同じように黄金色に髪が輝いて見えた。

潮風に揺れる柔らかな小麦色に輝く髪は、本人も気づいていないうちに早足になって、息を少し荒げた拳子の結んだ髪よりも軽いのかゆっくりと、柔らかい曲線を幾重にも描いている。

拳子は同じ制服の女の子の後ろ姿に息を呑んだ。

そしてやっと自分が息を荒げるほど走っていたことに気がついた。

拳子は胸に手を当てて息を整える。

心臓の高鳴る鼓動を直接押さえられるはず無いのを知っているのに、シャツ越しに胸を掴んで呼吸を整える。

拳子は光り輝く髪と小さな背中を見つけてゆっくりと近づく。

思わず走ってしまいたくなる衝動を抑えて、一歩ずつ、一歩ずつ冷静を取り繕う為にゆっくりと拳子は動いた。

来たことも無い小さな港町、初めて立つ埠頭。

なぜ、自分が街から離れてこんな何も無い辺鄙なところに来る羽目になってしまったのか、全ては目の前に座り込む同級生のせいだった。

潮風に揺れる長い髪と小さな背中。

堤防の先で蹲る女の子は微動だにせず、ただ海を見ていた。

拳子にはさっきまでに気にならなかった防波堤にぶつかる波の音がやけに頭に響いた。

一瞬拳子が動きを止めたのは、自分が目の前の女の子に飛び付こうとしたからだった。

らしくないと拳子は大きな溜息を付いた後、ゆっくりと女の子の背中に近づく。

「姫」

拳子に声を掛けられた真田姫子(さなだひめこ)はまだ蹲ったままだった。

「姫、あんたこんな所まで来て何やって・・・・・・」

一瞬、拳子には姫子の肩が震えているように見えた。

長い髪が風に流されて、見えた小さな肩は小刻みに震えて我慢しているようだった。

「姫子?」

近くに寄ろうとした瞬間、姫子は突然立ち上がった。

振り返ると拳子の前には、気怠げな表情をした姫子が立つ。

夕日を浴びて輝く髪と、陽光に照らされた張りのある頬。

雑誌やテレビで見るモデルのような長い手足と細い胴体に付いた顔に、少し陰りが見えると、拳子は思わず見とれてしまった。

人形のような、そうでもないような。

造形美とも言うべき美しい均等の取れた顔立ち、見開いた瞳は宝石の様に大きく輝いている。

拳子は動きを一瞬で止められてしまった。

見たら石にでもなってしまう魔法でも掛けてあるのだろうか、拳子は指先一つ動かせなかった。

「遅い・・・・・・わよ・・・・・・」

腕を前に組んで姫子は拳子を睨みつける。

「もう、なんで日が暮れるまで待たせるのよ!」

「はぁ?」

「向かいに来るのが遅いって言ってるの!」

姫子は一瞬にして表情を崩す。モデルの様な体型に付いていた顔は子供のように皺を寄せ、目に涙を溜めて拳子に訴えてきた。

「もう、こんな何も無い港で、誰も居ないところって探してたらこんな所に着いちゃった。暗くなって来るし、風邪も強いし、鳥は沢山飛んでるし、もう潮風で髪はベトベトするしもう、酷いよ!」

そのときゆっくり歩いていた鳳華は何かが切れる音が聞こえた。

「あら、どうしたのかしら?」

ゆっくりと防波堤を歩いて、拳子と姫子に近づくと、一方的な報復が始まっていた。

「この馬鹿センチメンタル気取りが!」

拳子のアイアンクローが姫子の美しい顔を覆っていた。

姫子は両手でそれを引きはがそうとするが、拳子の右手は肉食獣の牙のごとく姫子の顔に食い込み、美しい姫子の顔を潰そうとしているのか、血管が浮く程の握力で締め上げて行った。

「ケンちゃん、ケン助、ケン太郎痛い、すっごく痛いこれ」

「誰がケン太郎だこの放蕩娘!」

拳子がそのまま、姫子の顔を押さえて海の方へと押し込む。

「沈め、沈んでしまえお前なんか!」

「ちょっとケン太、これ危ないマジ危ないよ」

「アンタを迎えにこんな遠いところまで来るの何度目だと思ってるんだ!」

「頭つぶれちゃう・・・・・・」

岸壁の近くまで拳子に押された姫子は膝を付いて必死に海に落とされさ無いように踏ん張っていた。

「まあ二人とも仲良しね」

じゃれ合う二人の前にゆっくりと歩いてきた鳳華が追いついてきた。

まるで喧嘩し合う子供を微笑ましく見守る母親のような包容力溢れる笑顔で二人を見守る。

「誰が仲良しだよハナ」

「えっハナちゃん?」

今までどんなに力を入れても離れなかった拳子のアイアンクローを姫子は軽く捻って外して、歩いてきた鳳華の方へと飼い主好きの犬の様に駆けていった。

「ハナちゃん迎えに来てくれたの?」

「心配したよ姫ちゃん」

ニコリと笑う鳳華の顔を見て、姫子は再び目を潤ませる。

「ハナちゃん優しい」

姫子は腕を広げてそのまま鳳華に抱きつくと、肩に顔を乗せて泣きじゃくる。

「ありがとう探しに来てくれて」

「そんな、ありがとうなんて、どうしたの姫ちゃん?」

「だって、嬉しいんだもん」

鳳華に抱きついている姫子の反応を見て、拳子は納得がいかなそうに腰に手を当てて溜息を付いた。

鳳華は姫子の背中を摩りながら拳子を見ていた。

「なんだよ」

「別に」

拳子と鳳華は二人とも声には出さないが、目線で牽制し合っていた。

声に出しても泣きじゃくる姫子の声にかき消されていただろう。

夕日に沈み始めて金色に光り始めた海の端で、女子高生三人は寄せては返す波のようにじゃれ合っていた。

「ったく、めんどくさい」

拳子は姫子の置いていった鞄を拾いあげて、二人を置いて帰ろうとする。

「ケンちゃんどうするの?」

「決まってんだろ? 帰る」

「ちょっと、ケンケン勝手に行かないでよ!?」

振り返った拳子の顔には眉間にこれでもかと皺が寄っていた。

流石に姫子も背筋を伸ばし、肩を竦めて緊張した。

「もう気がすんだろ?」

「折角こんな遠いところ来たんだから、もうちょっと海見ていこうよ?」

姫子が指さした先には小さな入江に海岸があった。

そこは本当に何も無いコンクリートで整備された壁に仕切られて、それほど広くない黒っぽい砂浜が続いていた。

観光地でも何でも無い、地元の人の散歩コースにしかならない小さな海岸だった。

目的が無いなら来るような場所には見えないが、散歩には丁度良さそうな海岸線が突き出た岬まで続いてた。

「もう暗くなるから早く帰るぞ」

まるで海に興味が無いのか、直ぐに拳子は背を向けて歩き始める。

「でも・・・・・・」

「でもなんだ?」

獣に睨みつけられた小動物のように姫子はプレッシャーに負けて鳳華の背中に隠れた。

「まあまあケンちゃん、とりあえず姫ちゃん見つかったから良かったじゃない?」

「フン、毎回ハナは姫に対して甘すぎる」

「あら、一番甘やかしてるのはケンちゃんじゃない?」

「なんだよさっきから?」

「別になんでもないわ、なんでも」

ハナは後ろに隠れている姫子の手を握る。

「帰りましょ姫ちゃん」

「うん、ハナちゃん」

見た目は大人びているのに姫子は子供のように素直で、嬉しそうに鳳華の手を取った。

「ほら鞄持て、鞄」

放り投げられた鞄は姫子の足下に落ちる。

姫子は鳳華の手を離して自分の鞄を拾い上げる。

「ちょっと酷いケンケン」

「誰がケンケンだ!」

怒鳴った後、そのまま振り返りもせずに拳子は道路へと向かって歩きはじめる。

「姫ちゃん、先にケンちゃん追いかけてくれる?」

「どうして?」

「私歩くの遅いから先に行っていて」

「でも・・・・・・」

「大丈夫先行って姫ちゃん」

「うん、じゃあ先に行ってるねハナちゃん」

「ええお願い」

鞄をもって姫子は走り始める。

海上に見える夕日を浴びて、姫子は長く伸びた影と共に堤防を駆ける。

だが突然後ろ髪を引かれたのか立ち止まって、鳳華の方へ振り返る。

手を前に伸ばして、スカートの裾を握る。

「あっハナちゃん」

姫子の顔は赤く上気していたが、夕日の明りでよくわからない。

「ここまで来てくれてありがと!」

鳳華は手を小さく振って応えた。

姫子はそれで満足なのか、両手を大きく振って応えた。

その後、姫子は全力で走って不機嫌そうにブレザーのポケットに手を突っ込んで歩いていた拳子に抱きつくように追いついてまた怒られていた。

そんな光景を遠目に見ながら鳳華はゆっくりと歩く。

「まあ、ちょっと虐めすぎたからこれくらいは、ね」

誰に聞こえるわけでも無く、波の音が聞こえる堤防で鳳華は呟いた。

ふと見た海は金色に光り始めて、鳳華にはもうすぐ夜が来る事に対して必死の抵抗のようにも見えた。




帰りの電車、降りた駅と同じローカル線の各駅停車の電車しか止まらない駅から乗車した三人は、古い車体のボックスシート席に座っていた。

海側の窓際の席に拳子が最初に座って、その対面には鳳華が座る。

「どうしたの姫ちゃん?」

「ううん、なんでもないよハナちゃん」

一瞬の躊躇の後、姫子は拳子の隣に座った。

「あっちに座れ」

拳子が鳳華の隣を指さす。

「良いじゃん私がどこに座っても!」

「狭い」

嬉しそうに姫子は拳子に思いっきり力任せに寄りかかり、すぐさまアイアンクローで報復されて、通路側に押し込まれた。

「本当に二人とも仲がいいんだから」

「そんな事ねえ」

姫子から手を離して拳子は頬杖を立てて窓側に寄りかかる。

「なんで私が姫の面倒見なくちゃならないんだよ」

「そうそう、私はケンの助と仲なんて良くないよ?」

「なんで姫は毎回私の呼び方を変えるんだよ?」

「だって「ケンちゃん」だとハナちゃんの呼び方と被って分かりづらくて嫌だとか「ケン」って短く言ったら恥ずかしがって嫌だって言ったよ?」

「言ったか?」

拳子は一般的には女子には付けない拳子という名前に対して小さくないコンプレックスを持っていた。だから姫子に名前を連呼されると腹が立って来る。

それを知らないで連呼してくる姫子の態度を見て更に腹が立つのだが、姫子は拳子が名前に対してコンプレックスを持ってるなんてなんて疑問にも思って無かった。

「じゃあ、もう「ケン」でいい?」

姫子が人懐っこい笑顔で拳子に顔を近づける。

「ああ、もうそれで良い」

「わかったよ「ケン」」

フンっと鼻を鳴らして拳子は窓ガラスをのぞき込む。

姫子には左側に巻かれたサイドテールで拳子の表情が見えなかったが、丁度対面の鳳華には確りと夕日に負けないくらい顔を赤くした拳子の表情が見られた。

「ふふ、ケンちゃんは姫ちゃんには敵わないのね」

鳳華は鞄から取り出したポッキーの箱を開いて姫子に差し出す。

「どうぞ」

「ありがとうハナちゃん!」

「ケンちゃんは?」

「要らない」

拳子は怒ったまま海に浮かぶ夕日が映る窓を見ている。

「なんか旅行みたいで楽しいね」

ポッキーを囓りながら、姫子は楽しそうに鳳華へ向かって語りかける。

「あのなあ」

気を取り直した拳子が肩で軽く隣に座る姫子を小突く。

「これから二時間以上電車乗って帰るんだぞ?」

「楽しそう!」

「この堅い椅子に二時間以上座りっぱなしだぞ?」

古い車両のボックスシートは椅子も堅く、足下も狭かった。長時間の拘束は苦行と呼ばれるものに近い筈だ。

「でも行きは一人で寂しかったから、こうやってみんなで一緒に帰るから楽しいねハナちゃん」

「私たちを巻き込むな!」

「別に私はケンに来て欲しかったわけじゃ無いもん」

「なんだと!?」

「嫌だったら来なければ良かったじゃん」

子供っぽく顔を背ける姫子に向かって、拳子は犯罪者を追い詰める刑事のごとくスマフォの画面を姫子に押しつけた。

「こんなメッセージに「探さないで下さい」って書き込んだまま、こっちのメッセ全部既読で無視しやがって、あげくGPS切らないでこんな遠いところまで突っ走って、子供の我が儘じゃないんだからいい加減その逃避行動癖なんとか直せ!」

姫子は時々「探さないで下さい」っとメッセージを入れて、電車に乗ってただひたすら遠くに行く癖があった。

子供っぽい他人の興味を引く行動なのだが、その度に拳子と鳳華が姫子を連れ戻す事になる。

「だって・・・・・・っさ」

姫子はチラリと鳳華の方を見る。

「なにかあったの姫ちゃん?」

「ないない、なんにもないんだハハ」

姫子は小さく手を振って否定する。

「笑って馬鹿みたい」

「何よ?」

「別に、いつまでこうやって付き合わされるのかってな」

また拳子は窓に顔をやって、窓枠へ肘を突いて姫子から顔を背ける。

「姫子ちゃんは本当にお姫様みたいね」

「そんな事無い。ハナちゃんの方がお姫様みたいにお淑やかで、優しくてかわいいよ」

「ありがとう。でも私は姫子ちゃんのそういう人を巻き込む力が羨ましいなあって思うもの」

「巻き込む力?」

「うん、だってケンちゃんみたいに他人に興味の無い人が、こうやって迎えに行こうって思わせるなんて私には出来ないもの」

「どう言う意味だよ?」

「他意はないわよケンちゃん」

「そう? ケンはいつも私のこと怒ってばかりいるじゃない?」

不思議そうな顔をする姫子を鳳華は笑う。

「それは姫子ちゃんだからよ」

「なんで?」

「姫が馬鹿だからだよ!」

「ほらまた怒った」

「五月蠅いもう寝る、話しかけるな!」

「えーつまんないよ」

姫子の抗議を無視して、拳子は頬杖をしたまま目を閉じてしまう。

「じゃあ私とお話しする姫ちゃん?」

「ああ、うん、嬉しい!」

姫子は顔を赤らめながら下を向いた。

「何照れてんだアホか」

「寝たんじゃなかったのケン!」

「姫が五月蠅いから寝られないだろ?」

二人は再び顔を合わせていがみ合う。

いがみ合う二人を見ながらふと鳳華が何か気がついたのか前のめりに話しかけた。

「ねえ、この電車変じゃない?」

じゃれ合う二人の前で鳳華が考え事する。

「何が?」

「この電車私達しか乗ってないわよ?」

鳳華に言われて姫子と拳子は立ち上がって周りを見渡す。

古いボックスシートと窓の近くのベンチシートにも何処にも座っている人は居なかった。

隣の車両は古い仕切りが多い電車なのでよく見えないが、あまり人気が無い。

一駅の間隔が長いから、あまり駅に止まって人が乗ったり降りたりすること自体少なくて、特急電車か何か特別な電車に乗ったかと思うくらいだった。

「まあ田舎の支線だからな」

「それにしても私達三人しか乗ってないなんて変じゃない?」

「確かに乗り換え案内アプリだともう一本待って乗った方が早く帰れるって言ってたけど・・・・・・」

拳子がスマフォを弄りながら隣の姫子を睨む。

「えっだって無人駅のホームだと海風強かったしさ、来た電車乗ってればそのうち着くじゃ無い?」

「姫はいつも思いつきで動く」

「私、行動力はある方なの!」

姫子は胸を張った。

「誉めてないからな」

再び席に座り直して、拳子は大きく溜息を付いた。

「なんだか私達しかこの電車乗ってないみたいね」

「そんな事は無いんじゃないか?」

「隣の車両見てくる?」

「いいから座ってろ」

立ち上がろうとした姫子の制服を拳子が掴んで静止させる。

「なんで」

「これ以上どっかうろつかれても困る」

「電車の中だよ?」

「電車の中でもだ」

拳子は姫子の制服を強く引っ張る。

「ふふ、ケンちゃんは姫ちゃんが心配なのね」

「そんなこと無い」

「そうかしら?」

笑いながら鳳華は拗ねている拳子を見つめる。

「ねえ、どうして姫子ちゃんは今日あんな所に行ったの?」

「ハヒ?」

突然話しを振られた姫子は、変な返事をしてしまった事も含めて顔をまた赤くした。

「いや、あの私どうしても時々ああいう風に行き止まりというか行けるところまで行っちゃいたくなるんだよ」

「何かあったの姫ちゃん?」

「ううん、別に何でも無いよハナちゃん、なんでも無いんだよ」

「本当に?」

「うん!」

「嘘つき」

窓の方を向いたまま呟いた拳子の方を二人とも不思議そうに見る。

拳子は知っていた。

姫子が態々あんな遠くの海の端っこで黄昏れていた理由を。



「ケンさん、私ねハナちゃんに告白するんだ」

誰がケンさんだと拳子が突っ込むのを躊躇させるくらい姫子は思い詰めた顔をしていた。

学校の帰り道、家の用事で先に帰った鳳華が居ないので久しぶりに姫子と二人っきりで駅のホームのベンチで電車待ちをしていた。

「告白って・・・・・・」

「うん、私がハナちゃんの事すっごく好きだって事を伝えたいの」

姫子は修道女の様に手を合わせて祈っていた。

姫子が祈る神様は具体的な名前はなかったが、その祈る姿は落ち始めた暖かな夕日を浴びて、姫子の大人びた容姿も合わさると荘厳という言葉が似合うほど何だか神秘的で拳子は見とれてしまった。

拳子はやっぱり姫子は綺麗だなとただ見とれた。

姫子は黙っていれば、何か完成された人間に見える。

これ以上手を加える必要の無い容姿、化粧すら余計なものに思える。

誰もが憧れる容姿だが、行動はいつも子供っぽく周りを呆れさせる。その偏差が魅力なのだと言い切れる自信が拳子には無いが、ついつい気になってしまう。

「聞いてるの?」

「ああゴメン、聞いてなかった」

素直に見とれてたと拳子は言ったつもりだったのだが、話しを聞いてないと言われて姫子は頭に来た。

「もう、頑張って話したのに」

「何度目だよこの話し」

姫子は時々こうやって鳳華に告白しようとする。

時限式なのかほぼ定期的な行動だった。

「今度こそ、今度こそ伝えるの・・・・・・」

「それでまた気がついたら山の中の無人駅に居たって話し覚えてるのか?」

告白しようとしていつも最後に挫けて、逃げるように人里離れた遠くへと電車に乗って遠くへ行ってしまう。

そして一人で居ることに寂しくなって拳子達を呼ぶのだった。

「姫は告白してどうしたいんだよ?」

「何が?」

「だからハナに告白してそれからどうしたいんだよ?」

「もっと仲良くなりたいじゃない?」

「ああ、だから付き合って何がやりたいんだよ?」

「何って決まってるじゃない」

拳子の顔を覗き込むように姫子は顔を近づける。

「ずっとハナちゃんと一緒に居たいの一分でも一秒でも多くね」

「それだけ?」

「他に何かあるの?」

姫子は不思議そうな顔をする。

「いや、女どうしだし・・・・・・別に告白しなくても一緒に居るのは可笑しく無いんじゃないか?」

「駄目よ、嘘は良くないわ」

「嘘?」

「そうよ、私がどれだけハナちゃんの事を好きだって言わないで近くに居るなんて、なんだか嘘ついてるみたいで悪い気がする」

「なんだそれ?」

「自分でもよくわからないの、でも嫌なの」

いつの間にか姫子は拳子の両肩に手を当てて、懇願するような格好をしていた。

「ただね、毎日ハナちゃんの事を考えてるんだ。それがなんだか大きくなってしまって、このままにしておくことが出来ないの」

他に人が居る駅のホームのベンチでする話しではないと思うが、拳子は姫子の肩を抱きしめたかった。

「そこまで思ってるんだったら別にこれ以上どうこう言わない」

拳子は姫子の顔を上げさせる。

「骨は拾ってやる」

「駄目なの前提なの?」

「アタシにはそういう経験が無いからよくわからないんだ」

「好きな人いないの?」

「いない」

拳子は即答した。

「ケンタロスにもいつか好きな人出来るよ!」

「なんだよケンタロスって!?」

突然覆い被さってきた姫子がベンチに拳子を押し倒した。

「離せって恥ずかしいだろ!?」

「ありがとね、私がんばるから!」

「顔近い」

押し倒されたまま拳子は顔を背ける。

「あとさ」

姫子は拳子に顔を近づけて囁く。

「挫けちゃったら、今度は海にすれば良い?」

「そういう問題か?」

「よーし頑張る!」

勢いよく上体を起こして飛び起きた姫子は笑いながら何度も何度も自分に頑張るぞと言い聞かせていた。

その姿といい、告白できずに落ち込んだ姿といい、姫子は何もかもが大雑把に見える。

感情が溢れて止まらないように拳子には見える。

姫子という容れ物はとても美しく、止まっている姿は誰もが見とれてしまう。

でも心は感情は、何も無くても回りながら踊り始めてしまうような、子供のように感情が力となって体を動かしているような女の子なのだ。

その姿に自分が惹かれている事に拳子は薄々気がついてはいた。

だが拳子はまだ相手の名前を口に出して他者を牽制するような、独占欲で心をみたすように人を好きになった事が無かったから、姫子の鳳華に対する好意には無感動でいた。

自分には関係ないとその時までは思っていた。



「どうしたのケンちゃん?」

考えこんでいた拳子に鳳華が話しかけた。

「うん・・・・・・ああ、この電車あと何時間乗るんだ?」

「一時間以上は乗るわね、その先で大きな駅で降りて急行に乗り換えても良いんだけど・・・・・・」

「別に明日学校休みだろ?」

乗り換えが面倒くさいのか、拳子は手を振って否定した。

拳子が覗きこんでいる車窓はだいぶ暗くなり始めていた、海側の水平線が赤く染まって、空は既に星が見え始めていた。

「そうだけど、なんだか怖いわ・・・・・・」

車内には規則正しい電車の走行音、レールとレールの繋ぎ目を踏む音が響く。

鈍い空調の音は小さく弱々しい。

「私が居るから大丈夫だよハナちゃん!」

前に乗り出して姫子が鳳華の両手を握って大きな声を出して励ます。

「ありがとう姫ちゃん」

「あのね、私ね、ハナちゃんにね」

「なに姫ちゃん?」

顔を真っ赤にする姫子は鳳華の手を握ったまま、金縛りにあったように固まってしまった。

考えることを止めたのか、出来なくなったのか、古いパソコンのように何をしても再び動く気配が無かった。

「どうしたの姫ちゃん?」

「姫、じゃまだ座ってろ」

拳子が肩を掴んで無理矢理座席へ押しつける。

その後、顔を近づけて小さな声で囁く。

「どうしてお前はそうやって何も考えずに行動出来るんだよ?」

「ちゃんと考えてるよ?」

「じゃあどうするつもりだったんだよ?」

「わかんない・・・・・・」

「考えてないだろ、それ」

「考えてたの、でも・・・・・・なんだかいつも上手くいかないけど、それでほっとするような・・・・・・」

「なに泣いてるんだよ」

突然姫子は目に涙を貯めて、大きな目を潤ませて狼狽し始めた。

「だって、私もよくわからない」

座席に腰を深く沈めて、姫子は顔を伏せてしまう。

「姫ちゃんこれ使って」

「ありがとうハナちゃん」

鳳華から渡されたハンカチを受け取って、姫子は涙を拭きながら体を拳子に預けた。

「くっつくなよ」

「ケンは冷たい」

面倒くさそうに拳子は窓をのぞき込む、いつの間にか日は落ちて電車は暗闇を進んでいた。

窓には街の光は殆ど見えず、車が通るヘッドライトが通り過ぎる数も少ない。

飛び乗った電車は何処を通ってるのか、一駅の感覚が都心部とは違い随分と駅と駅との間隔が長く感じられた。

これは単純に田舎の電車だからなのか、それともこの三人しか居ない電車の中で気まずい空気の中で時間の進みが遅いからなのか。

拳子は殆ど何も見えない暗い車窓を見る。

窓ガラスに映る自分の表情は何だか冴えず、ただ格好付けているのか澄ました顔をしていて、拳子は自分の顔に腹が立ってきた。

「姫ちゃん寝ちゃったね」

気がつくと拳子に肩に顔を寄せて姫子は寝ていた。

「こいつ寝るとなかなか起きないんだよな」

「そうなの、詳しいわね?」

「一緒に電車で帰るときも良く隣で寝やがって駅ついても起きないで寄っかかってくる」

そんな事は知らないと、鳳華は拳子を見る。

その表情には作り笑い一つも感じられない。

さっきまで笑顔を絶やすことの無かった鳳華とは別人の様に、真っ直ぐと拳子の方を見ていた。

「なんだよさっきから?」

「今、拳子ちゃん嬉しいんでしょ?」

「何がだよ?」

「そうやって姫ちゃんに寄っかかられて嬉しいんでしょ?」

「別にそんな事ない」

拳子は肩に乗っている姫子の顔に手を触れて、起きろと顔を揺さぶったが。

目を少し腫らした姫子は起きるどころか、電池が切れた様に無反応で、力なくそのまま体を崩して拳子の膝の上に頭を覆い被さって寝ている。

「邪魔だな、いい加減に起きろよ姫!」

肩を掴んで持ち上げても、姫子は起きはしなかった。

座席に座らせようとしても、すぐに拳子に寄っかかってくる。

結局拳子は座らせるのを諦めて肩を貸した。

「なんだよコイツ」

「疲れているみたいね」

「だからっておかしいだろコレ?」

「キスでもしてみたら?」

「はぁ?」

眉間に皺を寄せて拳子は鳳華に詰め寄る。

「ほら、眠っているお姫様を起こすのは王子様のキスが定番じゃない?」

「だからなんで私が王子様なんだよ?」

「姫ちゃんがお姫様って所は否定しないのね?」

つまらなそうに鳳華は小さな溜息を付いた。

「本当にケンちゃんはお姫様に夢中なのね」

「そんな事無い」

「嘘」

電車の音も一瞬止まったような静寂。

普段曖昧な返事と笑顔で過ごしている鳳華の否定は慈悲の無い断定だった。

「嘘、嘘、それは嘘だよケンちゃん」

鳳華は拳子を指さす。

「私は小さい頃からずっとケンちゃんの事を見てるもの、だからわかるよ」

「何がだよ?」

「私、あの時初めてケンちゃんが、ううん、人が、誰かに対して恋に落ちる瞬間を初めて見たもの」

「ハナ?」

鳳華は何が恍惚とした表情で拳子を見ていた。

「初めて会った時から好きになったんでしょ?」

鳳華の指がゆっくりと拳子の顔に近づいてくる。

「私にはわかるもの、ずっとケンちゃんと一緒でケンちゃんを見てたから・・・・・・」

物心つく頃から拳子と鳳華はずっと一緒だった。

近所の幼稚園の頃から、小学校、中学校とずっと同じで、姉妹のように過ごして来た。

名前に負けずに男に負けないくらい喧嘩に強い拳子、お淑やかな少女の鳳華はまるで最初っから用意されているようにお互いを補完し合って、寄り添って育っていった。

「だからあの日」

鳳華の指は遂に拳子の唇に触れた。

「ケンちゃんが姫ちゃんに一目惚れした瞬間はとっても辛かったな」

唇に触れられて、拳子は言葉を出すことが出来なかった。

何か先手を取られたような、相手の反撃を許さない先制攻撃。

拳子はいつも鳳華には手が出せなかった。



鳳華と拳子が高校生の始業式、その日に初めて二人は姫子と出会った。

女子校で周りが女子だけなのだが、姫子は一人だけ周りの視線全てを集めていた。

まだ高校生の制服が大きく着こなせていない子が多い中で姫子だけが、最初から姫子用に仕立てられていたかのように、誰もが近寄りがたい雰囲気で一人たたずんでいた。

睫が長く重そうな瞳と軽やかな栗色の髪、小さな顔と長い手足。

姫子は周りが全員子供に見えるような飛び抜けた大人らしい雰囲気で、誰も声が掛けられなかった。

「そこ、私の席みたいなんだけど?」

だから最初に名前の札が貼られて、着席順が決められているのに、黙って拳子の席に座っていた姫子に声を掛けた。

一瞬周りの空気が固まる。

明らかにクラスで異質な姫子に誰も声を掛けられなかったのに、拳子だけが何も躊躇も無く声を声を掛けた。

クラスで姫子に最初に声を掛けたのは拳子だった。

「えっ?」

姫子は机の端に張られたシールに書いてある名前を読み上げた。

「たかのみやこぶしこ?」

「けんこだ」

机に手を突いて、拳子は座っている姫子の顔をのぞき込む。

「けんた?」

「け・ん・こ」

「堅そうな名前」

「悪いか?」

少なからず男っぽいというよりは普通は女の子には絶対付けない、格闘家の父に付けられた名前にコンプレックスを持っていた拳子は姫子に馬鹿にされたと思い語気を強めた。

「なんか貴方、確かに「けんこ」って感じね!」

「どう言う意味だ?」

「ううん何となく、髪型可愛いけど強そうだし!」

「可愛い?」

「うん、サイドテール可愛い、似合ってる」

取り澄ました顔から急に子供のように無邪気に姫子は笑った。

面食らった拳子は思わず身を引いてしまった。

「男の子に間違えられるから髪伸ばしたのよねケンちゃん」

「ハナ、余計な事を言うなよ!」

後ろから鳳華が寄ってきて声を掛けた。

「わわわわ」

突然姫子が席を立ち上がって、手を合わせて感動しているのか目を輝かせる。

「貴方も凄く可愛い!」

「ありがとう」

鳳華は動じること無く姫子の賛美を受け取った。

拳子は隣でそのやりとりを見て呆れていた。

「私、今凄くうれしい」

姫子は拳子の手を取って何度も上下に振ってうれしさを表した。

拳子の手を自分の胸に押しつけて、拳子の顔をのぞき込み、無邪気に微笑む。

「誰も声かけてくれないから凄く不安だったんだ。声を掛けてくれてありがとう!」

「あっ別に私は・・・・・・」

「けんのすけがこの学校の最初の友達ね」

「けんこだ!」

手を離さない姫子の手を振りほどいて、拳子は腕を組んで姫子から離れる。

なんだか胸の動機が収まらないので、胸に手を当てて呼吸を落ち着かせた。

さっきまでお高く止まっているお嬢様だと思っていた姫子はそんな事は無く、無邪気で子供もっぽく、コロコロと表情を変える女の子だった。

落差の激しさに何だか拳子はついて行けなくて、姫子を測りかねていた。

「どうしたのケンケン?」

「誰がケンケンだよ」

からかっているのか本気で間違えてるのかも掴みかねた拳子は益々身構える。

そんな様子を隣で鳳華はずっと見ていた。

いつもは人見知りして、他人と距離を置く拳子に対して姫子は何も疑問に思わず直ぐに友達認定してしまった。

「ねえケン、これからよろしくね?」

「何をだよ?」

「全部、全部ね」

「わかったから離せ、手を、体を」

人懐っこく抱きついて離れない姫子に対して拳子は声を掛けた事を後悔していた。

あの時声を掛けなければ。

いや、姫子が席を間違えなければこんな遠くの知らない場所を走る電車になんか乗ることは無かっただろう。

その日以来、拳子と姫子と鳳華は何時も一緒に居る。



その程度の話しなのだが、何故か三人が一緒じゃないと不安になる。

今もこうして姫子が眠って鳳華と二人っきりになると、拳子は不安になっていく。

「あの最初に姫ちゃんに会った日から、ケンちゃんは変わってる」

電車の車体が軋む音が聞こえる。

何かが摩擦ですり減っているのだ。

「姫ちゃんとっても綺麗だものね、華やかで誰もが手に入れたいと思うもの」

まるで姫子を高級な観賞用の人形か何かのように見ている鳳華。

拳子は怖いと思うより、やっと鳳華の姫子に対する気持ちに気がついた。

「私は綺麗だけど美人じゃないからケンちゃんの望む守ってあげたくなるようなお姫様になれなかった。だからせめてずっと近くに寄り添って添い遂げて見せると思ってるの」

「ハナ、どうしたんだよいったい?」

「ごめんなさい、なにか今日は変なの」

鳳華は手を拳子の顔に添えた。

「私はケンちゃんが辛いのは嫌なの、ケンちゃんの迷惑にならないようにずっと側に居たいの」

「そんな事・・・・・・」

「知ってる、ケンちゃんにとって私はもうなんでも無い存在だって」

「そんな事は無い」

「ううん違う、私の方には目が向いてないの。もう私はケンちゃんに近づきすぎたから、もうその真っ直ぐな瞳が私の方だけ向いている事は無いの。私にはそれが今一番嬉しくて寂しい」

鳳華は笑っていた。

怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもなくただ笑っていた。

その笑いは空虚なものなのだが、満足そうにも見えた。

全てを悟って、悟ると言うことは諦めることであるのだから、もう執着もせず、感情という波が感情の起伏を作ることなく、ただ自分の好きな拳子の顔を近くで見られている事が鳳華の幸せだった。

「辛いのケンちゃん?」

鳳華は笑う。

「私は別に辛くなんかない」

「良かった」

鳳華の手がゆっくりと離れる。

瞳はゆっくりと閉じて、鳳華も力尽きたように眠りに落ちた。

座席に深く腰を下ろして小さく頭を垂れる。

拳子は自分だけ起きている事が不思議な感じがした。

電車の音は止まって、まるで空中でも進んでいるのかと思うほど、周りからは音が消えていた。

電車がレールの上を走る音も、車両がカーブで軋む音も、誰かが立てる寝息の音も全て消えていた。

今、自分が乗っている電車が何処に進んでいるのかも自信がなかった。

ただ乗っている事で安心感だけがある。

肩に寄りかかる姫子の体温。

目の前で静かに眠る鳳華の姿。

その二つだけで拳子は安心できた。

ふと窓を見るとその先に広がる景色は闇だった。

一つも光を発するものは無く、ただ暗く真っ暗な闇が目の前に広がるので、ガラスに映る自分の顔は鏡のようにハッキリと見えた。

そこには姫子の姿も、鳳華の姿も映っていた。

「三人しか居ないな」

異常な状況に自分が冷静で居られる理由はそれしか無かった。

この電車に乗っているのは三人しか居ない。

自分達の関係も三人しか登場しない。

姫子は鳳華が好きで、鳳華は拳子が好き、そして拳子は姫子が好きだった。

単純なこの組み合わせは強固に出来ていて、誰かが動けば誰かが傷つくようになっていた。

拳子は寝ている二人を見て、なんだか自分も眠気に負けそうになっている事に気がついた。

なんでこの電車は三人しか乗ってないのだろう、どこで間違ってこんな電車に乗ってしまったのだろうか?

考えるだけ無駄な気がして、だったら寝てしまおうという気持ちになる。

拳子はそっと隣で寝息を立てる姫子の柔らかくて綺麗な髪を撫でた。

その後で目の前に座る鳳華の形の良い小さな唇に指先で軽く触れた。

二人とも目を覚ますことも無く寝ている。

相変わらず窓は真っ暗で何も映っていなかった。

もう、電車が何処に向かっているのか分からない。

音もしないから動いていることさえ分からない。

空中にでも浮いているのかもしれないと、拳子は窓の下を覗き込んだがやっぱり真っ暗でなにも見えなかった。

拳子が顔を上げると窓ガラスに映る自分の顔が見えた。

何だか嬉しそうに笑っていて腹が立った。

何が嬉しいのだろう。何も解決せずに、何も進んでいないのに。

だからかとふと拳子は気がついた。

拳子は三人一緒に居ることがとても嬉しいのだ。

子供みたいな理屈に自分で辟易するが、仕方が無いことだと割り切る事が出来たのは、二人が眠っている姿が何だか愛おしくてほっとするからだった。

その時真っ黒だった窓が光る。

白い光に目を奪われて、拳子の視界は白く塗りつぶされた。

「何処だ?」

拳子が再び目を開けると朝日が見えた、遠く海岸から太陽が上っている。

夜が明け始めていた。

頭上は青白い空が遠くまで続いていた。

拳子が体を動かそうとすると身動きが取れなかった。

右肩には鳳華が頭を乗せて寝ている、膝の上には姫子が頭を乗せて、だらしなくベンチの上で寝ていた。

電車は?

周りの景色に見覚えがあるのは、姫子を追って降りた駅だったからだ。

駅から電車に乗っていた筈なのに、なぜこんな誰も居ないホームでベンチで寝ているのだろうか?

鞄はベンチの脇に三つ並べて置いてあって、少し肌寒いので拳子は二人の体温に助かって居ることに気がついた。

「なんで私達こんな所に居るんだ?」

白み始めた空を見上げながら、拳子は両脇で寝ている鳳華と姫子を見る。

二人とも何の疑問も持たずに健やかに寝息を立てていた。

「おい起きろよハナ」

「うん?」

拳子は右肩に顔を乗せていた鳳華の肩を揺すると直ぐに起きた。

「あれケンちゃん? ここは?」

鳳華も寝起きで状況が掴めず周りを見渡す。

「駅?」

一通り見渡した後、隣に座る拳子を鳳華は見つめる。

「なんで?」

首を傾げる拳子を見て、鳳華は大して驚かずに同じように首を傾げて少し考えてから、昨日の事を思い出そうとしているのか顔に手を当てて目を閉じる。

「私達電車に乗って家に帰ろうとしたのよね?」

「ああ」

「なんでこんな所で寝てるの?」

「さあ?」

もう一度鳳華はベンチの前のホームの景色を見る。

そのまままた鳳華は拳子の肩に頭を乗せた。

「不思議ね」

拳子の肩に頭を乗せたまま鳳華は笑う。

「なに笑ってんだ?」

「わからないけど、でもこういうのは嬉しいのかもね」

「そんなものか?」

「姫ちゃんも嬉しそうよ」

拳子の膝元で満足そうに笑みを浮かべながら空を見上げるように姫子が寝ている。

「おい起きろ」

拳子が姫子の頬を軽く叩くが、笑みは崩れずにいた。

「キモいな」

「可愛いじゃない?」

「いい加減に起きろよ姫」

拳子は拳を作ってノックするように姫子の額を叩いた。

「痛い・・・・・・」

「起きたか?」

「あれ、ケン?」

「わっ馬鹿!」

大きな目が開くと、そのまま起き上がろうと姫子が頭を上げるので、咄嗟に拳子は顔を上げて避けた。

「あれ、ここ何処?」

「駅だよ」

「なんで?」

「私達電車に乗った? よね?」

記憶の中で電車に乗ったところも曖昧なのか、姫子は起き上がってホームの先に伸びている線路を見ている。

姫子も頭では理解できないことが起こっていることは理解しているようだったが、普段とちがって騒いだり飛び上がって探し回ることもせず、ベットから起きたばかりのように、気怠い体を起こす。

「朝だね」

「ああ、朝だ」

「私達ずっとこのホームで寝てたの?」

「だろうな」

「なんで?」

「さあな」

三人ともそんな筈は無いということは知っていた。自分達は家に帰るために電車に乗った筈だった。

いつの間にか降りて無人駅のベンチで寝過ごすなんて事は有り得ない。

まだ夢の中に居るような気持ちなのだが、目は冴えていて、身体は軽かった。

なぜか誰も取り乱すこともせず、それ以上昨日の夜のことは誰も話さなかった。

あの電車で過ごした時間は幻で、そこであった事は口に出してはいけない事だった、誰かが口に出すと大事にしていたものが壊れてしまう。

無言の密約を三人は交わした。

そして朝を迎えてもう一度やり直す。

無人駅のホーム、三人で迎えた朝は爽やかで何だか晴れがましいものだった。

「どうするの?」

二人背を向けたまま姫子が呟く。

「どうしましょうか?」

鳳華も誰とも視線を会わせずに呟いた。

三人ともお互いを近くに感じていたので視線を合わせる必要が無かった。

「とりあえず」

拳子はベンチから立ち上がる。

「せっかくだから海でも見に行くか?」

立ち上がって拳子は自分の鞄を持ち上げて歩きはじめる。

「そうね」

鳳華も続いて鞄を持て拳子に続く。

「ちょっと待ってよ」

最後に姫子がベンチから立ち上がる。

小さな無人駅を降りて、夜明けの人気が無い港町を三人の女子高生が歩いて行く。

昨日までは三人で海へ行くつもりはなかったが、今日三人は肩を並べながら海岸へと歩きはじめた。




END

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トライ・トワイライト・リリウム さわだ @sawada

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