雨が無い町

景 詠一

雨が無い町

「この町はね、雨が降らないんですよ」


 ある民家の前で、赤いコートの男は住人の愚痴を聞いていた。

 曰く、この町にはずっと雨が降っていない――少なくとも、今この話を教えてくれている住人が生まれてからは、一度もないという。

 そんな場所でよく暮らしていたなとも考えられたが、男は口をつぐむ。

 どうやら地下水だけはあるようで、井戸からくみ出した水で最低限の生活用水はあるらしい。だとしてもそれがどれほどの意味を持つのか。いいや、とため息を漏らしながら考えを散らした。


「今から畑仕事なんです」


 そう話す住人に興味を持ち、男は付いて行くことにした。

 雨の降らない土地は枯れ果て、残念ながら命の育みを感じることはできない。せいぜい背の低い雑草が健気に伸びているだけで、見ているだけで心寂しくなりそうだった。

 住人は土汚れたくわを載せたリヤカーを引いて、ギシギシと鳴らしながら作業を開始する。

 土をただ無心に――何度も何度もかき混ぜる。やせた土地の地面は固く、いくら耕そうとも意味がないように思えた。


「地下水は貴重ですから、なかなか使えません」


 などと、住人は再び愚痴をこぼす。

 だけどいつかこの土地を満足に使う日が来るはずだと、信じて疑わないそうだ。

 

「それだけが、私達の唯一の誇りですよ」


 ギシギシと慣らす腕の上で、住人は笑い声に乗せて言う。

 男は「なるほど」と思いながら、大事なことを言った。

 それならそれで、土地に見合った作物の種などは使わないのか、と。


「種?」


 住人は訊き返す。


「何故、種など蒔くのです?」


 男はその言葉に何も疑問を向けなかった。一瞬驚いた風な住人が再び作業に戻るまで、ギシギシと鳴る作業音に耳を傾けていた。


「今日は泊まっていかれませんか?」


 誘われた男は厚意に感謝し、ベッドを借りることにした。

 夜遅くに寝る前まで、住人と男は繰り返し話し続ける。住人は今日という日までにあった出来事を、男はこれまで見てきた各地の話を――。

 頭の上にあったランプの油が途絶えかけて、住人はさも嬉しそうに感謝を述べた。


「あなたに会えてよかった。私は、私達はずっとここにいますから」


 少しだけ哀しそうに見えて気を使いそうになり――男はやめた。

 代わりに、以前訪れた場所で手に入れたと言う木製のネックレスを手渡す。住人は固辞したが、一宿の礼だと言い続けると折れた。

 翌朝。日が昇り始めた時間帯に、男はそこを出る。

 見送りにと住人が後ろに立ち、離れていく男へと手を振り続けていた。

 男は何度か振り返りながら、道の無い先へと歩き続ける。

 遠くなっていく民家の前で、ギシギシと音が鳴っていた。



    ◇



 しばらくして、男は白い門の前に到着していた。

 門の周囲には金網がぐんと伸びていて、円形に曲がりながらどこかを目指している。

 男が来たことを監視カメラがとらえたのか、門から緑色の整った身なりの男が数人出てきた。誰もが肩に――長い銃を携えている。


「ああ、あんたか。東門から連絡があったし聞いてるぜ」


 その中のベレー帽の男――この門の責任者である軍人が片手にコーヒーカップを持ったままやって来た。

 軍人は片手で男の背中を押しながら、門の中へと案内する。


「にしても、あんたも変わり者だよな? こんな仕事を引き受けるなんて」


 男は「別に」と軽く話を遠ざけて、軍人に案内されて小さなテーブルに着いた。

 もてなしとして同じコーヒーカップが前に置かれ、熱い湯気が鼻先に触れる。


「どうだった、あの町は。いや、観光じゃないのはわかってるさ。政府からの仕事だもんな。あの町の今の見て来てくれって」


 男は旅人でも何でもなかった。

 ただ依頼されて、あの場所へ訪れたのである。

 依頼されて、あの場所を知るために行った。

 男は軍人に見たままのことを伝えると、彼は「そうか」と頷きながら言う。


「やっぱり、あのはずっとそうしていたのか」


 今度は男が頷いた。


「そうかぁ……ずっと、あの場所であいつらも生きてたんだな。あんな場所で、鉄錆びながらずっと命令を守っていた」


 行動は人間らしく。

 生活様式は人間らしく。

 生存行動だけは、機械らしく。

 鉄錆び始めた機械の人々が、ずっと人間の真似事をして生活していた。


「あいつら、自分でも『あんなこと』をしているなんてわからなかっただろうな。あんたの話を聞く限りじゃ、とても理にかなった行動は無い」


 畑を耕すことを知っていても種を蒔くことは知らない。

 水は貴重であるとわかっていても、そもそも使わない。

 古い農具の傷みより、自身の傷みに気付かない。


「雨だって降らすわけない。降らせたら、あいつら錆びちまうんだから……」


 雨の無い町には、元より雨が与えられなかった。

 命の恵みである水こそが、彼らの命を奪う毒であったから。


「あそこは実験室みたいなもんだからな。機械人形を動かして、最低限の生活モデルケースを維持する実験室。あんたの話の中じゃ、かなりガタが来ていたらしい」


 政府はあの町の周囲だけ雨雲を払うようにさせていた。だけど、住人たちはそんなこと露も知らない。彼らは雨の来ない日々だけを全てとしていた。

 軍人はコーヒーカップの中を飲み干すと、強めにテーブルへ置く。

 彼は彼なりに思うところがあるのかもしれない。だけど、男は訊こうとはしなかった――訊いたところで、それは終わった感想でしかないのだから。


「さて、迎えが来たぜ」


 窓の外に緑色の車が停車する。中から同じような服を着た軍人が降りて来て、男へと敬礼した。

 ご苦労様ですと口々に言われる姿に何とも言えない切なさを堪え、男は車へと乗り込んだ。


「町はどうでしたか?」


 向かい側に座る若い軍人が微笑みながら問う。男は苦笑いを浮かべるばかりで、無言を貫いた。

 反応がないことも仕方がないとわかっていたのだろう。若い軍人は続けて述べる。


「あなたがお戻りになられた時点で、政府は実験を行うことをついに決定したそうです。もう十年近くも計画が進んでいませんでしたが、これでようやく町の役割も終わりですよ」


 若い軍人はまた微笑みながら言い切った。それを最後に男は目を離し、車の窓から遠くなっていく門を眺める。

 走り去っていく景色をじっと眺めながら、男は途中にある大きな看板の文字を読んだ。



「この先、核実験場――」



 雨が、やって来る。





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