月の女神は石斧を振るう
月から眺める地球は、白い雲の下に海の青と大地の緑が垣間見える。
千年前は薄灰色だったそうだが、月の民となって久しい彼らには実感がない。ただ過去の資料の中に火山灰に包まれる地球の姿はしっかりと残っている。
それ以前の「青い惑星」と呼ばれていた頃よりは雲が増えてしまってなかなか陸や海をすっきりと見通せることはできないのだが。
「そろそろころあいと思わないか」
ステーションの管理区域の一角で、地球観測班、俗称「地球へ帰ろうプロジェクトチーム」の一人が提案する。
「大気の成分も気温も大噴火以前のものと変わりないぐらいにまで回復したそうだし、試してみる価値はあるかもな」
別の班員が賛成する。
「まずは簡易住居を作ってみか。しばらく生活してみて様子を見よう」
「千年ぶりか。環境問題と資源枯渇で宇宙に逃げなければならなかったご先祖達の悲願達成だな」
「まだ達成どころか始まってもないぞ。千年の間に地上がどうなったのか判らないのだから気を引き締めないと」
室内に、おー、とメンバーの声が響いた。
それから一か月後、物資を積んだ宇宙船が月面ステーションから地球へと飛び立った。
かつて月への移住を可能にした文明のおかげで人類は絶滅をまぬかれた。今度は月面で維持し続けた文明でもって地球に帰るのだ。
宇宙船に乗るのは五十人近くの男女だ。アメリカ合衆国と呼ばれた辺りの中央に開けた土地があることが確認できたのでそこへ降り立ち、生活する予定だ。生物達の生態調査も任務の一つだ。
無事に着陸した宇宙船から、月の人々がおっかなびっくり、しかし期待に満ちた顔で降りてくる。
「記念すべき地球への一歩!」
「大昔には、月への一歩が話題になってたってね」
「その頃の人達は逆になるなんて思ってなかっただろうな」
感想や感慨を口々に、皆が地上へ降り立った。
「大気成分正常、ヘルメット取っていいぞ」
「うわぁ、これが地球の空気!」
「ステーションより少し湿っぽいな」
「風が気持ちいいね」
「おーい、感動もいいけど、早く作業終わらせてしまおう」
地球に帰ってきた地球人の子孫達は宇宙船から組み立て式住居用の機材を搬出した。
数時間後。
「おい、なんだあれ」
一人が草原の遠くを指さした。
声に気づいた者がそちらを見ると、遠くで土煙が上がっている。
カメラ付きドローンを飛ばし、望遠レンズで撮影されたものを見て驚愕する。
「きょ、恐竜!?」
巨大な四つ足の
すぐさま映像データをもとに検索をかけると、クロサイと呼ばれる動物に酷似していると表示される。だが平均的なクロサイより倍のサイズがある。
「生物の調査ってあれを調査しないといけないってことだよな」
「何のんきなこと言ってんだ。まっすぐこっちに向かってきてるんだぞ。今はまず隠れろ! 住居、いや、船の方だっ!」
グループのリーダーが指示を与えると、皆、作業を中断して宇宙船へと走る。
小型恐竜と見間違うほどの仮称巨大クロサイは、ベースキャンプ予定地まで走り込んできた。作りかけの住居のひとつは突撃で傾いた。ものすごい勢いだがさすがに痛かったらしくふらふらしている。
このまま立ち去ってくれればと願う乗員達の思いもむなしく、サイはキャンプ地をゆっくりとうろつき始めた。
さらに。
「他にも来るぞ!」
「今度は超巨大犬だっ! しかも群れでっ!」
他方向から白い巨大な犬のような獣までやってきた。
「とっ、とにかく月に連絡だっ」
このままでは仮住まいどころか作業すらままならない。
船員は月のステーションに現状報告という名のSOSを発した。
「ふむ。サイのようなものは恐竜とするならケラトプス科に属する感じだな」
「白い巨大犬は犬というよりオオカミだな。近いのはダイアウルフか。資料に残るものよりさらに体が大きいが」
報告という名の救難要請を受け取ったステーションの有識者達は首をひねる。
「いや、いまはそれよりも地上に降りた人達をどうするかでしょう? 引き揚げさせます?」
「馬鹿な! これぐらいで引いていてはいつまで経っても地上を調べられない!」
「しかし調査班を危険にさらしたままでは」
「ならば武器を配達員に届けさせればいいではないか?」
「殺傷力の高いものは駄目だぞ。生態系に影響が出る」
「武器という時点で殺傷力ありまくりですがっ」
話し合いは紛糾している。
だが、彼女がすっと立ち上がると、それまでの喧騒が嘘のように鎮まる。
「地上の生物を殺すことなく無力化すればよいのですね」
涼やかな声。凛と佇む彼女はにっこりと微笑んだ。
宇宙船に逃げ込んだ人達は外を映し出すモニターを見て震えていた。
巨大生物達は一向に立ち退く気配はない。見慣れない人間達が見慣れない物を持ち込んだからだろうか。辺りをうろうろと警戒している。
そこへ月からの通信が入った。明日までしのげば応援が到着する、と。
船内に安堵の声が広がる。
さらに幸いなことに、陽が落ちると動物達は離れて行ってくれた。
もし明日にもまたやってきたとしても月からの討伐隊がどうにかしてくれると彼らは期待していた。
だが、夜が明け、小型宇宙船でやってきた女性を見て、探索隊員達は驚きと失望の声をあげた。
てっきり討伐隊が組織されているものと思っていたのに、やってきたのはおっとりとした雰囲気の若い女性一人だけ。しかも服装は膝丈スカート、武器は手に持った石斧一本なのだ。
「そんな恰好で、そんな武器で、どうしようって言うんだ」
「あらあら、ご存知ありません? はじめ人間と呼ばれた方々は石斧でとても大きな象、マンモスをも打ち倒して食糧にしていたのですよ?」
女性は非難されてもにっこりと微笑んでこともなげに言った。
それはフィクションでは? と誰もが思ったが、彼女の自信ありげな声と安堵を誘う笑みに何も言えない。
「大丈夫です。このわたくし、クロマ・ジーファにお任せください」
船内にどよめきが起こった。
「ジーファ……、人類が月に上がる前から武闘派で知られるあの伝説のジーファ家かっ」
「人類最強の名をほしいままにする家系と恐れられる、あの」
「ジーファ様にならお任せできる」
絶望は希望へと姿を変えた。
昼頃、また動物達がやってきた。種類も数も増えている。
「だ、大丈夫ですか?」
「はい。群れを率いている個体を無力化すればいいのです」
クロマは相変わらず見る者を安心させる癒しの微笑みを浮かべて、行ってきます、と宇宙船から外へ出て行った。
彼女の姿をとらえた動物が警戒しながら近寄ってくる。
「安心してください。害を加えるつもりはないのです。ここでしばらく過ごすことを認めていただけるかしら?」
クロマは動物達に語り掛ける。しかし人の言葉が通じるはずもなく、狼が、サイが、トラが、じりじりと彼女を囲む。
血気盛んな個体が、彼女に跳びかかった。
ひらりとかわしながら「あらあら、ダメですか?」とクロマは微笑む。
その一体を皮切りに、次々にクロマめがけて襲いかかった。
クロマは跳び上がり、動物達の背を軽々と渡った。彼女が目指すのは動物達のボス、小型恐竜と見まごうクロサイだ。
「ごめんなさいね」
一段と高く跳躍すると石斧を振り上げ、極上の笑みでクロマはクロサイの首に強烈な一撃を加えた。
クロサイはびくりと震えた後、地面にひっくり返った。地面が軽く揺れ、土煙が上がる。
たった一撃でノックアウトされた群れの主を見せつけられ、動物達の動きも止まった。
ダイアウルフ達は伏せの姿勢をとり、クロマに服従の意思を示した。彼らに倣うように他の動物も抵抗をやめた。
「わかっていただけて嬉しいわ。――さぁ、発信機を付けるなら今ですよ」
クロマは宇宙船に呼び掛けると歓声があがる。
「彼女こそ救いの女神だ」
「月の女神、ダイアナだ」
「それって狩りの……」
「無粋な訂正はするな」
クロマはほめたたえられ、ジーファ家はますます伝説化した。ついでに石斧最強説も流れたのだそうだ。
異常気象による突然変異をした動物達の調査も順調に進み、月の民が地上に戻る日も、そう遠くないのかもしれない。
(了)
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お題:癒し、微笑み、斧、恐竜、宇宙ステーション、犬、配達員
ひかりのにわ 掌編集 1 御剣ひかる @miturugihikaru
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