スペースファンタジー

近くて遠いアースウォーク

 少年は、脚をぎこちなく動かしていた。

 前に進もうかと片足を出すが、体は後ろへと行きたがっている。

 どちらも少年の意思だ。少年はその矛盾する動きを、マスターしたくて練習している。

 唐突に扉がスライドして、少年と同じ年ぐらいの少女が部屋に入ってきた。

 額にうっすらと汗を浮かべながら奇妙な動きをしている幼なじみを見て少女は口をポカンと開けて首をかしげる。

「ねぇ、ちょっと何やってんの?」

「ダンスのステップの練習だよ」

 少年は動きを止めて、友人を見て微苦笑を浮かべた。

「ダンスぅ? 今のが?」

 言われて、小さなダンサー見習いはさらに情けなさそうな顔になった。

「うまくいけばかっこいいんだよ」

「へえぇ? どんなの?」

「前に進んでるように見えて後ろに下がる動きなんだ」

「何それ」

 そんな動きができるのか、と言わんばかりの辛辣な声だった。

「ずぅーっと昔に、地球でさ、やってたミュージシャンがいるんだって」

 言いながら、少年は窓の外を見る。

 宇宙ステーションの一室から見る黒い宇宙と、灰色の星が、そこにある。

「大人達が言ってるみたいな、帰れなくなっちゃった地球に思いを寄せて、って感じ? でもわたし達ってば、ここで産まれて育ってるから、いまいち『帰る』って言われてもピンとこないよね」

「そうだね。帰る、っていうのとは、ちょっと違うよね」

 地球人がいよいよ地球に住めなくなってきたのは百年近く前の事だ。その頃から、環境汚染と資源枯渇の進んだ母なる星から、月面やその近くに建設された宇宙ステーションに移住する人々が増えてきた。

 地球に住む人を減らし、宇宙側と連絡を取り合い、いずれ諸問題が解決すれば、戻りたい人達は戻ればよい。それがいつになるかは判らないが。

 こう言われ続けてきた。

 だが地球は戻れぬ場所となってしまった。

 原因は、数年後に起こった超巨大火山地帯の爆発的噴火だった。大量の火山灰に覆われてしまった大気の下では、動植物が生きながらえるのは非常に困難だ。

「地球の人達、みんな死んじゃったのかなぁ。あんなに大きな噴火だったし、今も火山灰が残ってるし」

 少女がじっと窓の外を見つめてつぶやいた。

「連絡が取れなくなっちゃったし、確かめに行く人もいないから、判らないね」

 最初の火山噴火は宇宙からでも肉眼ではっきりと見て取ることができた、と大人達は言う。

 この子達も、記録された映像を何度も見た。まさに地獄のようなマグマ噴火だった。

 恐ろしい映像の記憶を振り払うように、少年はタブレットを出してきた。

「ほら、これ。ムーンウォークって言うんだって」

 先程練習していたダンスの映像を少女に見せて、少年は笑った。

「へえぇ。……かっこいい、っていうより、おもしろいかも」

「あぁ、なんか、おもしろいって感覚も判る気がする」

「ムーンウォーク、かぁ。まだ宇宙に来れなかった昔の人達って、月の上だとこんなふうに歩くんじゃないかって、想像していたのかなぁ」

「じゃあ、ぼく達はアースウォークって新しいステップを考えてみる?」

 言いながら少年は、また足を不器用に動かし始めた。

「なんでわたしまで考えないといけないのさ。……ねぇ、これでいいわけ?」

 なんと少女はあっさりと、タブレットの画像の中のミュージシャンのように、するすると自然な動きで後ろに下がるステップを披露した。

 少年のあごがガクンと音を立てるぐらいに口を開けて驚いた。

「うわ、ちょっと、それ……、ひどくない? ぼくはさんざん練習してたのに」

「ひどいのは、あんたの運動能力だと思うよ」

 少女のさらなる追撃に、少年はうなだれる。

「あんたはアースウォークを考えるんでしょ? がんばってねー」

 少女は軽やかな足取りで部屋を出て行った。

 こうなったら、本当に新しいステップを考えるしかないか、と嘆く少年があたしい目標を実現する頃、灰色になってしまった地球は、新しい一歩を踏み出せているのだろうか。



(了)



 お題:ムーンウォーク

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