天啓の仔 其の五
陽は既に西に傾き、大理石の遊歩道を紅に染めている。
帰路に着くべく、待たせていた馬車に乗り込もうとした時、足元に伸びてくる来る二つの影法師に亜朱羅は気付いた。
振り返るとそこには幽楽、そして──。
その──怪しげな風体に、亜朱羅達一行は目を奪われた。
踝まで覆い尽くす、亜麻の外套を身体に羽織り、頭は目深に被りで覆っている。
顔は
肩幅や、腰の辺りの膨らみ──恐らく刀であろう──から、辛うじて男だろうと推測できるぐらいであった。
近付いて来た幽楽に、導伽が戸惑いながらも話しかけた。
「幽楽殿……この方は?」
「フム、まぁ、驚かれるのも無理は無かろう。実はな、今日、私が此処に来た本当の理由は、お主らにこの男を紹介したかったからだ。」
「それは……一体?」
「単刀直入に申すとな、明朝出立する難儀の旅路に、この者に同行してもらおうと思ったのだ。」
突飛な申し出に二の句が継げない一同。
幽楽が、更に話を続ける。
「大丈夫だ。この者の素性に関しては、この神代幽楽の名に於いて保証する故、安心するがよい。名はそうだな、怪士とでも呼べばいい。」
得心がいかない亜朱羅が尋ねる。
「何故……で御座いますか?」
すると、幽楽は腕を組んで「フム。」と唸り、背後に立つ怪士という男を振り返って見た。
怪士は押し黙ったまま、僅かに頷き同意の意思を示す。
幽楽は、向き直ると、
「
ややあって、「分かりません。」と答える亜朱羅に、導伽が助け船を出す。
「つまり、この方は伐折羅……ということでしょうか?」
「そういうことだ──。」
伐折羅──。
その言葉なら亜朱羅も知っていた。
魔を喰らう鬼とも呼ばれる。
人の身でありながら魔に対抗する力を持つ者達がいると──。
蓬莱皇国より北西に位置する、
鬼道宗とは、八百年余りの歴史を持つ、仏教守護の鬼神阿修羅を本尊とする宗派で、魔との戦い、つまり修羅道を実践する対魔の戦闘集団であった。
開祖である
目の前に立つ面の男が、その伐折羅だという。
亜朱羅にとって魔の存在は、物語の住人と同じく、想像の産物に等しかった。
魔と呼ばれる異形のものが、蓬莱の領外である穢土と呼ばれる地域には居るという──。
人に害をなし、拐かし、取って喰らうと。
幼い頃から聞かされていたその話を、亜朱羅は絵空事のように感じていた。
見たことのない人外のものを、信じる気にはなれなかったからである。
信心深い導伽などは、それを見たことがないにも関わらず、当たり前のように存在を確信し、恐れているらしかったが、亜朱羅にはそれは信じられないことであった。
──その魔と戦うとされる者が目の前にいる。
亜朱羅は自らの現実感に揺らぎを感じていた。
導伽が、怪訝そうな口ぶりで尋ねる。
「幽楽殿。それでは、伐折羅の力を必要とする事態が想定されるということか?」
「それは私にも分からん……。だが、何やらきな臭いことになりそうでな。話によれば、穢土の方では、魔の動きが活発になっておるらしい……。私の方でも、先頃、難儀の日時に合わせて星見を行ったのだが、あまり良い結果にならなくてな。そこで、伐折羅殿にご足労願った──と、いう訳だ。」
「ですが、幽楽殿──。難儀の行われる不二の山は、金曜のヴァジュラを奉じた霊験灼かな地。魔の跳梁する穢土とは違うではありませぬか?」
「──確かにそうだ。では、もし、──その、ヴァジュラの力が失われてきてるとしたらどうだ?」
「まさか──そのような恐ろしいことなど考えたくもありませぬ。」
「あくまでも仮定の話ではある。だが、魔とは穢れた曜気である魔障より生ずるもの。幽世の世界から魔障を介し、現世に顕現するのだ。閻浮五州は、魔障を払う五曜のヴァジュラの力で、穢土の魔障が流れずに済んでおるのは言うまでもあるまい。それは、ヴァジュラの力で穢土に魔障を封じておるからだ。もし、魔障の力が増しておるならば、その力が弱まっていることは充分に考えられる。」
「それで伐折羅殿の力を──。」
「そうだ。伐折羅は曜気や魔障を感じる力を持っておる。私に代わり不二の摩尼洞に赴き、金曜のヴァジュラに異変がないか彼に確認してもらいたいのだ。どうせ、難儀で彼処に用があるのだ。一緒に行けばよかろう。」
「理由は分かり申したが、その、大事なお役目を……この方に任せてよいのか?」
「先ほども言ったであろう。この者に関しては私が保証すると。何せ私が神霊山に名指しで頼んだのだからな。」
「すると、幽楽殿はこの方を──。」
「ああ、私のよく知る者だ。」
二人の会話を聞きながら、亜朱羅は、怪士を訝しい思いで眺めていた。
眉を吊り上げ目を見開き、歯を剥き出しにした不気味な面。
その表情は怒っているようでもあり、泣いているようでもあった。
導伽は亜朱羅の方を向くと、
「なるほど。幽楽殿がそこまで仰るのであれば、もう何も言いますまい。ですが、難儀を行うのは亜朱羅様。そのお考えを聞かねばなりますまい。」と言った。
「どうだ?」と尋ねる幽楽。
亜朱羅は、本心では快く思ってはいなかったが、それを顔に出さぬよう、「分かりました。ですが──二つほどお聞かせ下さい。」と答えた。
「申してみよ。」と言う幽楽。
亜朱羅は改まったような表情で問う。
「では、お訪ねします。幽楽様。この──怪士殿は、先ほどから一言も発せず、又、その顔を面で伏せております。怪士というのも恐らく偽名なのでしょう。何故、我らに全てを執拗に隠すのか。これでは、同道する者として些か不安に駆られます。幽楽様は、この方をご存知だと仰いましたが、もしや、この方は蓬莱人なのですか?」
幽楽は、僅かに後ろを気にしたような素振りを見せる。
「フム、それに関しては私の口からは何とも言えん。ただ、伐折羅とは俗世より離れ修羅の道に生きる者。中には過去を捨てた者もおろう。どうか、それで理解してはくれぬか?」
亜朱羅は、少し腑に落ちない気持ちではあったが、これ以上詮索する意味もないので、無理矢理自分を納得させた。
「──分かりました。では、もう一つお聞かせ下さい。これは、幽楽様のことですが……実は、先程より少々気になっていたことがあります。幽楽様はまるで私たちの行動を予見していたかのように、此処に参られたように感じます。私自身、皇宮に赴くのは随分と久しぶりにも関わらず、我々に用があって参ったと仰いました。何故、それを知り得たのか?」
幽楽は、「ホウ。」と感嘆すると、少し笑ったように見えた。
そして、徐に衣の裾から懐紙のようなものを取り出すと亜朱羅にそれを見せる。
それには、何か文字のようなものが書かれているが、判別できるようなものではなく、一見模様のように見えなくもない。
何やら呪いで使う符のようである。
幽楽は「見ておれ。」と言うと、それを左手に持ち、右手の指先で虚空に九字を切り出す。
そして、一言強く「唵。」と唱えると、その呪符が瞬く間に一羽の鳶へと姿を変えた。
その信じられない出来事に、亜朱羅らは驚きを隠せない。
鳶は、幽楽の手を離れて空へ登ると、中空でひらりと身を翻し、ピューと一声鳴くと何処かへと飛んで行ってしまった。
「これは、式神と言ってな。私の目の代わりとなり働いてくれる優秀な部下だ。」
そう言うと、幽楽は眴をして見せた。
亜朱羅はその既視感に、幽楽が行動を知っていた理由を理解すると共に、その底知れぬ力に言いようのない恐れを抱くのであった。
「幽楽様。あなたは恐ろしい人です。」
嘘偽りのない、亜朱羅の本心だった。
亜朱羅たちを乗せた馬車を、その姿が見えなくなるまで、怪士面の男はいつまでも見ている。
幽楽が背後から話しかけた。
「どうだ。中々に面白い娘であろう。」
男は「──ええ。健やかに成長しているようで何よりです。」と答えた。
咳払いをすると、幽楽は険しい表情になり、
「奴らが何を企んでいるか分からん。難儀に合わせて仕掛けてくる可能性も充分ある。姫のことは頼んだぞ。」と注文をつける。
男は振り返ると、大極殿の方を見ながら言った。
「分かっています。貴方の方も気をつけて下さい。奴らにとって貴方は目の上の瘤でしょうからね。」
「フフフ、私を誰だと思っておる。──まぁ、殺されぬ程度に奴らに探りを入れておくとしよう。」
そう言うと幽楽は、物憂げな表情で空を見上げた。
陽は殆ど沈み、暗くなった西の彼方には、宵の明星が明々と輝いていた。
──その、同時刻。
既に誰も居なくなった玉座の間では、兌唎亜と白蓮が、先程の出来事について話し合っていた。
兌唎亜が苦虫を噛み潰したような顔で毒突いた。
「おのれ、幽楽め。忌々しい奴よ。」
「やはり、あの男が、我々にとって最大の障害になりそうねぇ。」
まるで他人事のような口振りである。
兌唎亜は、白蓮の態度に苛つきを隠さずに言った。
「そんな悠長なことを言っててよいのか?あれが難儀を終えたら、どうにもならんぞ。任せておけと言ったのは誰だ。」
「ウフフ、そのことなら大丈夫よ。」
そう言うが早いか、白蓮は、手をパンパンと叩き合図を送った。
すると、部屋の左右奥にある石柱の陰から、数人の人物が姿を現した。
「おお、そのような所に隠れていようとは、全く気づかなんだ。」
兌唎亜は驚いたような表情を見せている。
近づいて来た者達の一人、杖をついた傴僂の不気味な老婆が、呻き声のような笑い声を出して答える。
「ヒョヒョヒョッ、我々は気配を消せます故。」
隠れていたのは全部で五人。
白蓮達の前まで歩み寄り、片膝を付き忠誠を示した。
傴僂の老婆、青白い顔の痩身の宦官、皺だらけの顔をした検校、そして、褌姿の双子の巨漢である。
白蓮が問うた。
「お前達。的の顔はしっかりと確認したかえ?」
老婆が答える。
「フェッフェッフェッ、あれが噂の神代幽楽でありますか。──しかし、あの男……我らの存在に気付いてましたなぁ。」
「ええ。とことん食えない男だわ。八百年も生きるという話も満更大袈裟ではなさそうねぇ。」
「して、あの娘はどうなされまする?」
「娘は、
「成る程、奴は鼻が効きますからな。追っ手としてはこれ以上ない適任でしょうぞ。しかし、奴は獲物をいたぶる癖があるのが玉に瑕。最早姫君に安らかな死はありますまいて。」
「ウフフフ、可哀想な亜朱羅ちゃん。臓物を引きずり出されて殺されちゃうのかしらねぇ。」
白蓮と老婆の悍ましい会話を聞きながら、兌唎亜は己にも、僅かながらに背徳感が残っていることを感じていた。
──そして、同時に、もう引き返せぬことも分かっていた。
伐折羅地獄変 @nukogamike
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