『君の足跡はバラ色』は入れ替わり漫画の傑作

 雑誌「まんがライフSTORIA」で連載され、竹書房から一巻本として刊行された『君の足跡はバラ色』(仙石寛子)。この作品は、商業出版の漫画としては、男女入れ替わりものにとっての大きな一歩を踏み出したと思います。


 小学五年生の時、神社に供えられていたお神酒をふざけて飲んでもつれて転倒した、幼なじみの石川拓海と鹿島はるか。その時に二人は入れ替わってしまい、誰にも内緒で互いのふりをしながら過ごしていた。

 そして今、二人は中学二年生。ある日、『拓海』の身体のはるかが『はるか』の身体の拓海に告白して……。


 長期戦の入れ替わりものとしては近年の先行作品がありますが、そちらが周囲の登場人物をあれこれ絡めているのに対し、本作はかなり徹底して焦点を拓海とはるかに絞っています。女の子になってしまった元男の子と、男の子になってしまった元女の子。あるいは言い換えれば、かつて男の子だった女の子と、かつて女の子だった男の子。そんな二人の物語です。


 男女入れ替わりを描く時、三つの変化がポイントになるかと思われます。

 まず肉体(性別)の変化。これは説明の必要もないかと。

 次いで立場(ジェンダー)の変化。二人の入れ替わりが作中で広く周知された作品ならまた別となりますが、たいていの入れ替わりものでは信じてもらえそうにないからと二人は互いのふりをします。結果、男子が女子として扱われるようになり、女子が男子として扱われるようになる。元々男の子だったのに女子のグループの中で会話するようになる。逆に元々女の子だったのに女子の輪の中には入りづらくなる。

 そして二つ目と多少かぶりますが、生活(環境)の変化。例えば、修学旅行で東京に来ていた北海道の少女と東京在住の少年が入れ替わった場合。あるいは日本人と地球の裏側に住む外国人が入れ替わった場合。さらには異世界人、または別時代人と入れ替わった場合。時間と場所が一致していても、大人とこどもが入れ替わったら、いや、十代半ばの子と幼稚園児が入れ替わっても、高校生と中学生の入れ替わりでも、生活は激しく変化するでしょう。王女と貧乏な少年、アイドルと追っかけの女の子の入れ替わりなども、劇的な変化をもたらします。

 本作は、二人の関係を「幼なじみの同級生」とすることで、三つ目の要素についてはほぼ触れずにいます。料理でいえば塩と胡椒だけで味付けするようなシンプルさ。しかし、一つ目と二つ目の変化を丁寧に扱えば、それだけでも男女入れ替わりは十二分に面白くなるのです(作品の大きな個性となりうる三つ目の要素を否定する意図はまったくありませんが)。『君の足跡はバラ色』はその何よりの証明と言えるでしょう。


 入れ替わり作品においては、入れ替わった二人が入れ替わりという状況にどう向かい合うかが、各キャラの個性を描き物語の方向性を決めます。二人とも元に戻りたい、片方だけが元に戻りたがっている、戻りたいけど現状は戻らない方が好都合(なので戻ることに積極的にならない)、戻りたくなかったけど次第に心境が変化していく等々、色々なバリエーションがあり、それぞれに魅力がありますね。

 本作では、主人公二人が対照的な姿勢を示し、その対立がドラマを生みます。

 戻れない可能性が高いことを前提にこれからを生きていこう、『拓海』として自分のしたいことをしていこう、拓海にもしたいようにしてもらえれば、と考えるに至ったはるか(その第一歩が、作品冒頭の告白でしょう)。

 元に戻ることを大前提に、今の『はるか』の生活は本来はるかのものなのだから、将来困らないようにと変化のない現状維持を目指している拓海。

 どちらも真剣に考えていて、相手のことも大切に思っていて、けれど戻れるか戻れないかに対する認識を中心に、いくばくかずれている。

 そしてサザエさん時空ではない本作では、拓海の望まぬ方向へ事態は流れていきます。妙な変化が起きないようにと心がけていても、周囲の男子は『はるか』のことが気になります。『はるか』らしく振る舞う日々は、拓海の心も次第に作り変えていきます。

 それははるかの心にも当然起きていることで、無邪気に『はるか』の小さな胸をはるかに触らせる拓海の行為ははるかを困惑させます。『はるか』の長い髪や甘い匂いに突き動かされるはるかの精神(関連しますが、巻末の単行本描き下ろしエピソードは、思春期男子の肉体の変化が心に及ぼす影響を端的に示した、屈指のエピソードと言えると思います)。

 二人のずれがどんな結末を導くのか、気になりながら読んでいくうち、作品内では現状を動かすきっかけがもたらされ……。



 以下、ネタバレとなりますので50行ほど空白とします。『君の足跡はバラ色』をお読みになった方だけお進みくださると幸いです。



















































 終盤において、二人はいったん元に戻りました。

 しかしそれは「元に戻った」と言えるのか、二人は様々な日常生活の中で問われ続けます。女子たちに「はるからしくないよ!」と言われるはるか。男子とのやり取りがぎこちない拓海。そして拓海にじゃれつきながらも「どうせ触るなら女の子の方がかわいいかな」などと言ってしまうはるか。

 ラストにおいて、二人は再び入れ替わります。入れ替わることを自分たちの意志で選択します。そしてたぶん、入れ替わったまま生きていくのでしょう。

 思春期の三年間を異性として・別人として生きたことは二人に大きな変化をもたらし、この道を選ぶに至りました。おそらく将来、二人はやっぱり悔んだり悩んだりもするのでしょう。ただしそれは戻る選択をした場合も同じはず。

 けれど、隣には相手がいる。それだけはきっとこの先ずっと確かなことで、だからこの二人は大丈夫なのではないかなと……読み終えて思いました(作者あとがきには「タイトルは入れ替りぽくないのですが、どんな選択でも素晴らしい人生になるように、と気持ちを込めてました。」とあり、こう思っていたのは読んでいるこちらだけではなかったのだとうれしくなったものです)。



 元に戻らない選択について、作品レベルでの話もします。

 短編の漫画や小説なら、あるいは十八禁のエロ漫画においてなら、入れ替わったまま元に戻れないという結末はすでにあれこれ存在します。

 ネット小説においてなら、元に戻れない・戻らないというストーリー展開は当たり前、むしろこちらの方が多数派なくらいではないかと。

 入れ替わって戻れない、というのは従来の感覚においては一種のバッドエンドです。ゆえに、普通は許容されない。許されるのは、一般的ではない・表立っては語られない領域のみに限られた、そんな結末。藤子・F・不二雄だって単発の短編で主人公カップルを入れ替えてそのままにはできても、のび太としずかを入れ替えたままにはできません。

 そうしたポジションにある「戻れない」結末を――それどころかさらに一歩踏み込んだ「戻らない」選択を――商業出版の長編で真っ当に描ききったというのは、非常に大きな意義があると思います。


 いわゆる「行きて帰りし物語」の枠組みで考えれば、入れ替わったら元に戻るのが筋ではあるでしょう。非日常の経験を経て日常に帰還することで、日常の価値が再認識され、非日常も特筆すべき体験としてさらに輝きを増します。大冒険を繰り広げてハッピーエンドにたどり着いたのび太たちがコーヤコーヤ星から地球に帰れない話なんて、私も見たくありません。

 けれど、日常自体が決定的に変化してしまうというのも、日々の生活においてはよくある話です。学生なら進級・進学・転校・卒業。働けば配置転換・転勤・転職・退職。それに結婚や出産。引っ越しとか、家電の故障・買い替えとか、細かいレベルならより多く。

 後者の意味合いとしての戻れない・戻らない入れ替わりも、私はありだと思います。読んでみたいし、自分でも書いてみたい。

 今回の『君の足跡はバラ色』を機に、そんな作品も増えていけばいいなと願っています。

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