エピローグ
────おい
オレは目を瞑ったまま眉をひそめた。
うるさいな。オレは眠たいんだ。静かにしてくれ。
────おいったら
突然、オレの頬に凄まじい痛みが走った。
「起きろっつってんだろボケ!!」
オレは慌てて目を開き、仰向けに寝たまま後じさった。
そこにいたのは死にぞこないのじじいだった。
オレのよく知る顔だ。
「じいちゃん!?」
「おうそうだよ。オレの言うことは死んでも守れっつったろ」
オレは周りを見た。
真っ暗闇で、何もない。
「……ここが地獄か?」
「おい。失礼なこと言うなよ小僧。このオレが地獄行きだと? ふざけんじゃねえ馬鹿野郎」
「違うのか?」
「そうだけど」
「そうなのかよ……」
オレはため息をついた。
「お前な。久しぶりに会ったじいちゃんに対して、いきなり『地獄行きだったか?』なんて聞くなよ。非常識だな」
「孫連れて女子風呂覗きに行くような奴が常識を語るな」
じいちゃんがオレを殴った。
「孫の顔をグーで殴るなよ!!」
「じいちゃんに向かってなんて口の利き方だ! お前のような奴は孫じゃない!」
「お前がじいちゃんだって言って出てきたんだろうが!!」
お互いに、ため息をついた。
じいちゃんと話をすると、大抵喧嘩になり、最後はお互いに疲れ切ってしまうのだ。
「……まさか、ワシが地獄行きになるとはな」
「いや、あんたは当たり前だろ」
ほとんどの悪事をこの男から教えてもらったオレが言うのだから間違いない。
「まったく。口の悪い大人になったもんだ」
「どう考えてもお前の影響だけどな」
馬鹿のくせに責任転嫁だけはうまかったのを、オレはまざまざと思い出していた。
「昔、お前に言ったことを覚えとるか?」
「あん?」
「ワシらのような人種は、人から誤解されて当たり前の生き方をしている。自分が正しいと思ったことに突っ走って、人に非難されるような生き方をな。そのことに関して誰かを恨んじゃいねえ。そういう生き方をしてたのはこっちだからな」
その通りだ。
まさかこのじじいの口からそんなまともな言葉が聞けるとは思わなかった。
「だがそういう人間を、本当に理解してくれる酔狂な奴ってのが奇跡的に現れることがある」
じいちゃんは珍しく、真剣な様子でオレを見つめた。
「だからな。もしもそんな酔狂な奴がいたなら……、死んでも手放すなよ」
オレははっとした。
いつの間にかベッドの上にいる。
どうやら病院にいるようだ。
オレはしばらく思考停止していたが、やがて大きく安堵した。
「……はぁー。なんつー夢だ」
「夢じゃありませんよ」
オレは飛び起きた。
ベッドの傍にある三脚椅子で、巴がリンゴを剥いてる。
オレは額を押さえた。
「……ええと、どこから突っ込むべきか」
「安心してください。ここは本当の病院です。幽霊専門ですけど」
フォークに刺したリンゴを、オレの口へと近づける。
未だ思考が混乱していたオレは、恥ずかしさなど感じることもなくそれを口にいれた。
味はまったくしない。
「……幽霊も風邪とか引くんだ」
「知恵熱みたいなものです。所有する情報が許容量を超えたりすると、オーバーヒートを起こすんですよ」
まるで一昔前のデスクトップパソコンみたいな言い方だ。
「病院だってのは分かったが、場所はどこなんだ? お前がいるってことは、まだ地獄じゃないみたいだが」
「あれは取り消しです」
巴は澄ました様子で言った。
「は?」
にわかには信じられない話だ。
あの閻魔が自分の言ったことを曲げるとは思えない。
「一体どんな魔法を使った?」
「私が直訴したんです」
「直訴ったって……そんなもんで覆るもんか?」
「思えば私って、徳を貯めるだけ貯めて、一度も使ったことがなかったんですよね」
そう言って、巴は微笑んだ。
「だから、今回の件に全払いさせてもらいました」
全払いって……。
「だ、だが、地獄行きは決定事項だろ? そういう縁を結んだのはオレだし……」
「ええ。ですから、私もあなたの真似をしてみました」
巴が小指をたてた。ゲートではないので、縁が見えることはない。しかしそこにある糸が、オレの小指に巻き付いてるのを、感覚的に理解できた。
「今回の事件を使って、私の縁をあなたと結びました。地獄は徳を持ち寄ることができません。大量の徳が消費されるまで、当分は霊界で暮らせるというわけです」
「……お前、分かってんのか? それってあれだろ? 一蓮托生ってやつだろ。お前も地獄行きが決定しちまうんじゃねえのか」
「はい」
巴はあっけらかんと言ってのけた。
「じゃあなんで!」
「だって、私はあなたの妻ですから」
オレはぽかんとした。
「地獄だろうとどこだろうと、共についていくのが妻の役目です。それに……あなたのような人が堕ちる場所なら、地獄もそう悪いところじゃありませんよ」
オレは呆気にとられた。
相反する二つの感情がオレの中でせめぎ合い、そこで初めて、さっき見た夢を思い出す。
思わず自分の額を押さえた。
まったく。エリート気質な癖に妙なところで馬鹿ときやがる。
オレは巴の手を掴んで引っ張り上げると、そのままベッドに押し倒した。
「後悔すんなよ」
巴が顔を赤くし、こくりと頷く。
オレはゆっくりと自分の顔を彼女に近づけ────
「あれ? 久城さんじゃないですか」
オレは大慌てで巴から離れた。
「あ、ああお前か。……って、ええ!? お前、金田か!? なんでここにいる!?」
そこにいたのは、生前の刑事時代、後輩だった金田だった。
「いやー。実は婦警さんと恋人になったんですが、浮気がばれて刺されちゃったんですよね。まったくやんなっちゃうなぁ」
おそらく、オレが狙っていたあの婦警だろう。
なんでもないように、あっけらかんと言ってのける。
さすがだぜ、ゆとり世代。死んで尚変わらない余裕ある態度は尊敬すら覚える。
「ぱねぇな」
オレはそのライフスタイルに経緯を込めて、若者世代の言葉で金田を歓迎した。
「何言ってるんですか、久城さん。今時古いですよ、ぱねぇなんて」
「……」
気づけば、オレはそいつを殴っていた。
◇◇◇
オレは地獄に来ていた。
移送する悪霊がいるわけではない。あのガキに用事があったのだ。
閻魔はいつもと同じ、仰々しい門の前で悠然と立っていた。
「よぉ」
オレが声をかけるも、閻魔は顔を見ようとすらしない。
「何か用かな?」
「獲物を取り損ねたクソガキの顔でも見ようかと思ってな」
「悪趣味なことだね」
「内心ほくそ笑んでるくせに何言ってやがる。何考えてるか当ててやろうか? ただの撒き餌が偉そうに、だろ?」
閻魔はようやくオレの方を向いた。
「お前はオレという餌を使って、まんまと大魚を釣り上げたってわけだ」
「……何を言ってるのか、理解できないな」
「オレを殺した亡霊はお前の手下だろ? 縁を持てるお前なら、オレを殺すことが可能だった。お前の目的は最初から坂上を地獄へ引きずり下ろすことだ。そのためには、ここのひよった保安官共じゃ物足らない。霊になっても保安官になる強い動機があり、かつ坂上を糾弾できるベテラン刑事。その白羽の矢に当たった最高に不運な人間が、このオレだったってわけだ」
オレは手を広げて、自嘲するように肩をすくめてみせた。
「ユカにオレを殺すことを予告し、あいつを使った今回の事件を推理させた。まったく、大した奴だぜ。自分の手を一切使わず、目的を達成しちまいやがった」
「……別に、僕自身が動いてもよかったんだけどね。それをすると、閻魔という仕事の枠を超えることになる。だから敢えて悪人らしく動いてみたのさ。気に入ったかい?」
「ああ。最高にな」
オレは閻魔を指さした。
「いつかてめえも豚箱にいれてやる。覚悟しとけよこの野郎」
閻魔はそれを聞いて、今まで見たことのない、心底楽しそうな笑みを浮かべた。
「僕にそこまでの口を利いた人間は初めてだ。覚えておくよ、久城はじめ」
オレは背を向け、地獄をあとにした。
オレはどんなイカれた悪党相手でも、借りを返さなかったことはない。
オレを巻き込んだこと、いずれ後悔させてやる。
◇◇◇
由香は自分の家の前で、ずっと俯いていた。
もう何十分経ったかもわからない。
ようやく意を決し、由香はドアを開けた。
そこには、ちょうど母親がいた。彼女はちらと由香の方へ眼を向け、何も言わずにリビングへ入ろうとする。
「ただいま!」
由香は叫ぶようにそう言った。
母親はぴたりと動きを止める。
由香をじっと見つめ、何も言わずに背を向ける。
由香が落胆し、顔を落とした時だった。
「……おかえり」
由香は顔を上げた。
既に母親はそこにいない。しかし由香は、込み上げてくる感情で、自然と笑みを浮かべていた。
その時、由香は小指に何かを感じた。まるで、結んでいた何かが切れるような感触。
由香は首をかしげながらも、微笑みながら家の中へ入って行った。
Fin
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