博士と助手のタイムトラ【ブ】ル

青出インディゴ

第1話

 意外に知られていない事実だが、タイムマシンでの旅行は時間がかかるものなのだ。過去や未来に行くのだから当たり前じゃないかって? いやいや、それは到着後の話。移動中も時間はとられるのだ。三年過去に戻りたければ、マシン内で過ごす時間は三時間。三十年過去なら一日ちょっと。三百年過去なら二週間弱。三千年過去なら……。極端な大昔へ行く人がいないのはこういうわけ。ちょっとマンモスと遊びたいからといって、誰でも気軽に一年の休暇を取れるわけじゃない。いわゆる太古の昔へ行くのは専ら酔狂者に限られている。

 ここはそんな太古の昔に行ったタイムマシンの中。目的を果たして現在時に帰還中。マシンは銀色の外板もつややかに、音もなく亜空間を航行している。

「ちくしょう、こいつはまずいことになった」

 操縦室。コンソールを力任せに叩いたのは、船長で恐竜学者のドクター・ニュー。ブラシを通したことがあるのか疑わしいほど入り乱れた髪といい、血走った目といい、一般常識を持った人間ならちょっとお近づきになりたくない人種だ。コンソールは彼の両拳の下で混乱しまくった電気信号を点滅させていたが、蝿の羽音のような音を最後に静まり返ってしまった。あとはうんともすんとも言わない。それでも狂乱状態で動いていたときよりは余程ましではあった。

「いかれコンピュータめ。完全にぶっ壊れやがった」

 ドクターの言葉に呼応するかのように(もしかするとコンピュータなりの抗議かもしれない)、突然マシンが揺れて止まり、同時に舷窓の外の亜空間の流れも止まった。慌てて窓に張りつく。灰色の空間はもう全く動かない。さっきまでは川の上流のように激しく轟々と流れていたのに。完全に静止。そして静寂。

 見ていられなくて操縦室を飛び出した。格納エリアを通り抜け、居住エリアに行こうとしてちょっと立ち止まり、一つの檻の中から茶色い犬くらいの大きさの恐竜を抱き上げて、また居住エリアへと向かった。

「助けて!」

 自動ドアが開くと同時に、寝棚の上の人物が絶叫した。

(やばい。もう事故に気づかれたのか?)。ドクターは瞬間的にそう思い、すがりつくように恐竜を抱きしめた。が、予想とは裏腹に、寝棚の人物はまだ目を覚ましていない。ただシーツを握りしめ、これでもかというくらい、うなされているだけだ。

 寝棚に近づく。貧相な少年が寝ている。ダマーといい、ドクターの助手だ。この偉大な学術調査(とドクターは思っている)のために、研究所に頼みこんで新規採用してもらった研究補助員だ。それというのも、長期の時間旅行に加え、社会的公益がありそうもない研究に労力を費やしたいと思う同僚は皆無だったから。しかし結局のところ、白亜紀後期の、成果になるかもわからない草や貝や鉱石の標本を毎日熱心に収集してくれたことを振り返ると、同行者は彼以外にはありえなかったのかもしれない。研究所ができるだけ安く上げるため最低賃金で雇った子供とはいえ。最大の成果はこの小型恐竜だ。現在時に帰った暁には、論文の末尾に協力者として名前を書き添えても悪くはなかろう。

 が、それもこれも帰ることができたらの話だ。ダマーは唸り声を上げて、いよいよ苦しそうな様子。彼が今夢を見ていて、しかもそれは悪夢であることは間違いなさそうな気配なのである。

「ダマー……ダマー……ダマー!」

 ドクターは片手で肩を揺すぶる。反対側の腕の中の恐竜が小さく鳴いた。ダマーの唸り声はだんだん苦悩を増すようだったが、やがてドクターの声に反応して跳ね起きた。汗でびっしょりのその顔は見知った人物を認めると、ほっと息をついた。

「起こして悪いね。ずいぶんいい夢を見てたみたいじゃないか」ドクターは姿勢を戻して皮肉っぽく言う。

 ダマーは頭を振ってやっと言った。「ああ、いい夢でしたよ、ドクター。巨大な羊にどこまでも追いかけられる夢をいい夢って言うんだったらね」

「羊?」

「羊ですよ」

 ドクターが声を上げて笑ったので、ダマーは途端に少年らしく拗ねた表情を見せる。ドクターはちょっと鼻のわきを掻いた。

「まあ、なんでもいいさ。それよりちょっとまずいことになった」

「羊より?」

「羊は置いとけ。いいか、落ち着いて聞けよ……」

 ドクターが言い終えるより先に、ダマーは脇の小さな舷窓に目をやった。「止まってる」

 ドクターは目頭を押さえる。ダマーは繰り返す。「止まってる」

「ああ、止まってるよ」ドクターはやけになって言った。小型恐竜が腕の中で暴れ出す。寝棚の上のダマーの膝にちょこんと乗った。

「やっぱり発見者がいいんだな。お前のこと父親だと思ってるのかも」ドクターが褒めると、ダマーは叫んだ。

「なぜ話をそらすんです!? 止まってるでしょうが!」

「うん、ちょっとね。コンピュータのトラブル」

 ドクターは気楽な調子で肩をすくめた。もちろんそれでごまかされる助手ではなかった。その後しばらくマシン内は悲鳴が響き、口論に発展し、最後にはすすり泣きで満たされた。

 一時間後、今度拗ねるのはドクターの方だった。散々不手際を責められ、責任を追及され、挙句に労災の認定を申請された。床に立った助手に唾を飛ばされて説教される。ドクターは彼より背が低かったので、唾は雨のように降りかかってきた。これではどちらが上司かわかったものではない。

「ダマー、そんなに怒るなよ」

「怒ってません。どうやって帰るのか訊いてるんですけど」

「責めるなって」

「責めてません。ただ説明を要求してるんですけど」

 ドクターはため息をついた。恐竜がキューキュー鳴く。どうやらドクターの感情に反応して鳴くらしい。これも論文記載対象かな、と内心考えた。賢明にも言葉にはしなかったが、代わりにもっと悪い言葉を口にした。

「帰れない」

 ダマーは憤死寸前の表情になった。「つまり……ここで一生?」

「一生……僕とお前で。おっと失礼、お前もいたな、恐竜君。なあダマー、こいつに名前をつけてやらなきゃ」

「僕が今なにを考えてるのか教えましょうか」

「結構だ」

「くそったれって考えてるんです」

「あんまりいい名前じゃないな」

 ドクターは自室に戻った。とぼとぼと肩を落としながら。腹の立つやつだ。と自らの助手に対して考えた。あいつはいつだってそうだ。腹の立つ、わからずやの、くそガキ。

 乱暴に寝棚に寝転んで天井を見上げる。この時初めて孤独という感情が実感を伴って去来した。孤独には慣れっこになったと思ってたがな。灰色の広がりしか見えない舷窓の外を見やった。

 物心ついてからずっと孤独だった。寂しさが彼をイレギュラーな人間に育て上げたのだ。学校をずる休みしてはシティ図書館最奥の古書コーナーに隠れて過ごしたが、生涯の友を見つけたのはそこだった。『白亜紀の動物たち』というその大判の図鑑の中では、遠い昔に滅んだ恐竜たちが悠々と闊歩していた。シダの葉の茂る大地、噴き上がる火山煙、足音を轟かせてのし歩く巨大な爬虫類! 彼はその夢想に没頭した。どうにか研究者になったが、実学主義の現代では研究費は雀の涙。学者仲間には嘲笑される始末。やっと太古への出張が認められたはいいものの費用はほぼ自腹の上、助手は子供で、亜空間に永久監禁とは。僕は余程孤独と相性がいいらしい。それとも研究所がわざと事故を起こすよう細工して厄介払いしたのかな。

 数十年後の未来を想像してみた。数十年後といっても、タイムマシンの中での数十年後だ。きっともう白髪だ。ダマーのやつはまだかもしれない、あいつは僕より十歳若いからな。それじゃ禿げたことにしてやれ。死ぬまで男二人。結婚もできない。結婚はともかくセックスができない。永久に。どちらかが先に死んだら? 亜空間に一人ぼっちの無為の時間。耐えられるだろうか。いや、無理だろうな。

 おっと待てよ、この恐竜の寿命はどれくらいだろう?

 ドクターは早速飛び起きてデスク内蔵型コンピュータに向かう。恐竜(暫定名「くそったれ」)が足元にじゃれつくのをすげなく追っ払い、体長、皮膚色、鳴声、糞の形態その他今わかっている恐竜のあらゆるデータを入力し、予想し、計算し、検算し、もろもろを経て答えを割り出した。そして悲鳴を上げた。

 悲鳴を上げている最中、ドアの外にけたたましい足音が鳴り響いた。あ、あ、あ、とドクターは声を絞り出し、入ってきたダマーを横目で見た。

「ドクター?」

「大変なことがわかった。この恐竜……」

「インロンでしょう。鳥盤類周飾頭類角竜類の」

「トリケラトプスだ」

 ダマーは床の上で無邪気に遊んでいるちびの恐竜をちらりと見る。「亜空間に閉じ込められたことがそんなにショックだったんですか?」

「いや、マジで。トリケラトプスの子供だよ」

「まさか。トリケラトプスって戦車みたいなんだって言ってたじゃないですか。体長平均九メートル。長い三本の角を持つ雄壮な草食恐竜ですよ」

「だから子供なんだって」ドクターは言い募る。「小さい頃は角が発達しないんだよ。なあ哺乳類の幼生がなぜ可愛いか知ってるか? 詳細は今は省くが、親の庇護本能を誘うためなんだ。僕はこの性質は哺乳類だけのものと考えてた。爬虫類の幼生は大体親と同じ体型で、生まれてすぐ歩き出すだろ。でも今わかった! 恐竜は違う。恐竜の幼生は哺乳類と同じように可愛くて、親の庇護を受けるんだ。お前もこいつを可愛いと思ったろ。それは赤ん坊だからなんだ」

 ダマーは目を見開いた。「なんてこった」

「そう、そうなんだ! 恐竜の生態に対する重大証拠だよ! ああ、現在時に帰って発表したらみんな驚くだろうな。恐竜はなんて魅力的な生き物なんだろうってね!」

「なんてこった!」

 ダマーは感極まったように叫んだ。その様子に、興奮していたドクターは感動してしまった。こんなふうに心から共感してもらえるのは初めての経験だったのだ。不覚にも涙が出そうになって照れ隠しに背を向け、椅子に座って再びコンピュータに向かった。

「さあ僕は記録を書くぞ。一生に一度こんな発見をしたら、あとはもう恐竜の成長を見守りながら助手と添い遂げても構わない。だけどいつか誰かに発見された時のために書こう。

 まず署名だ。ドクター・ニュー。それにダマー」

「えっ、僕の名前も入れてくれるんですか。あのケチなあなたが」

 ドクターは背中で答えた。「ケチは余計だ。でも捕獲者はお前だからな。さて、ダマーってどう綴るんだ」

「D-a-m-e-rです」

 ドクターはキーボードを叩いてそれを打ち込んだ。恐竜(今やトリケラトプスの幼生と判明した)は無心にテーブルの脚と格闘している。

 しばらくドクターがキーを打ち込む音だけが響く。ダマーは許可もなく寝棚に座り込んだ。やがて彼が口を開いた。

「ドクター、話しかけてもいいですか」

「うん? お前にしては殊勝な発言だな、ダマー」

「『お前にしては』は余計です。あなたは僕が助手に志願した理由を訊かないですね」

「タイムマシンに乗りたかった? 失恋して遁世したかった? 研究所の工作員? それとも、ただの酔狂? なんにしろ知りたくないね。お前が恐竜に異常に詳しい変わり者のくそガキってことさえ知ってれば充分さ」

「どうして異常に詳しいか訊かないんですね。僕はね、あなたと同じなんです」

 ドクターはちょっと手を休めてダマーを振り返った。ダマーは続ける。

「ネットであなたの論文を片っ端から読んだんです。それで惚れ込んじまった。恐竜と、太古の世界と、それを研究してるドクター・ニューにね。そうやってまだ見ぬ世界に思いを馳せ、孤独を慰めたんです。あなたが友達としたのは『白亜紀の動物たち』っていう本かもしれないけど、僕にとってはそれがあなたの論文なんです。知ってますか。現代の図書館の最奥は古書コーナーじゃなくて、ネット端末コーナーなんですよ」

 ドクターは完全に手を止めた。それから両手を頭にやって、乱れた髪の毛を一層掻きまわした。彼の平常どおりの気違いじみた行動。ダマーは眉をしかめた。が、気分を害したわけではない。

 ドクターは更に髪を掻きまわしたあと、コンピュータに戻った。そして一言だけ言った。

「D-a-m-e-rか。入れ替えるとDreamだ。羊の夢を見たってことはきっとお前はアンドロイドじゃないな。一緒に年をとれる。ほっとした」

 ダマーは笑った。

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