https://kakuyomu.jp/works/2912051606379357742
「【創作怪談】ぶつぶつさん」で企画に参加し、講評をいただきました。主催の秋犬さま、まことにありがとうございます!
また、★や♡を付けてくださった皆さま、ありがとうございました!
創作を通して、学校の怪談って奥が深いなあと思いました。学校の怪談における学校とはそもそもなにか? 名作『学校の怪談』(編・著/日本民話の会 学校の怪談編集委員会)の巻末解説にあったかと思うのですが、子供にとっての異界なのだということです。
家庭=自分の領域
学校=他者の領域
そこでは、どんな悪意が存在するか知れたものではありません。まだ世界に足を踏み入れたばかりの子供にとっては、学校は人生で初めて出会う異界なのでしょう。悪意は怪異という形で具現化します。学校の怪談の真髄は、そこにこそあるのだと思います。
会社や職場の怪談というのが、学校のソレほど隆盛でないのも、大人は異界に踏み入れることに慣れているからなのかもしれません。そう考えると子供の世界というのは、義務教育が二段階に分かれていたり、クラスや部活などがあったりして、手を変え品を変え異界が立ち現れる。近代教育の目的は、異界に慣れた人間を育成することなのかもしれない、というのは穿ちすぎでしょうか。大昔には生まれ育ったコミュニティで生涯過ごしていたのでしょうが、近代社会は人生で異界に立ち向かうことを避けられません。そこへのアンフィットが怪異を生む。
翻って学校。中でもトイレは友達からも離れ、ひとりにならざるを得ない、だけどどうしても行かなければいかない場所です。だから学校のトイレには怪異がひしめいているのだといいます。
今作はそんなことを意識して考えた怪談です。逃げられない場所で、空間そのものが悪意を示したら――。自分が学校にいるつもりになって、こうだったらいやだなというイメージを反映させた怪談です。よろしければお読みください。