檻を挟んだ二人

「なるほど。君はここから出たいというのか」

「はい」


 荊門島(けいもんとう)。周りを海で囲まれた刑務所であり、脱獄は容易ではなく、また見つかれば容赦なく始末される。所長の指示の下、それぞれが独立した特殊な監獄に閉じ込められ、刑務官が二十四時間配置されている。警備体制、そして罰則は他に類を見ないほど厳しい。犯罪者にとっては最凶最悪の刑務所である。

そんな獄中で、檻を挟んで二人の男が会話をしている。


「自分の立場がわかってる?」

「わかっています。ただ、妻と娘に会いたいのです」

「そんなことを言われても僕は何もできない。立場上は仕方がない」

「わかっています。どうにかしてもらおうなどとは思っておらず、ただ心中を吐き出しているだけです。この監獄に閉じ込められ数年。愛する妻と娘に会えず、もうどうしたらいいか……」

「ふむ。まあ僕も、話を聞くのはやぶさかではないよ。それに、そんな話を引き出した要因は僕にある。始まりは二週間前だったね。最初は警戒していたけど、君はそれから話す度にぽつぽつと話をするようになった。今は僕以外ここにはいないから、存分に話してくれて構わない」

「……俺がここに来たのも、全部あいつのせいだ。あいつのせいで俺の人生は無茶苦茶だ」

「そいつをどうしたい?」

「この手で……殺してやりたい」

「当然の気持ちだね。殺意なんて、おかしな精神から発せられるものじゃない。たとえロールシャッハ・テストをしたところで、君の異常性は見受けられないだろう。君は正常だよ」

「正常……」

「そう、正常。恨みを持つ。それで殺意を抱く至極当たり前のことだ。そこでどうだろう。迷わず実行してみては?」

「なっ! そんなことできるわけないだろ!」

「それならずっとここで暮らすか? いつ出られるとも知れない監獄にずっと暮らすのか?」


 男の天秤は揺れていた。片方に善が、片方には悪がある。


「なぜこんなことを話すと思う? 僕はこの島から出る、最善の方法を知っているからだよ」

「そんなことがわかるんですか? 俺は長い間ここにいますが、囚人や刑務官が何人もいる定期便以外に外に出る方法なんて聞いたことがないですよ」

「所長室の先の部屋に鍵がある。それが地下の空洞へと繋がる扉の鍵なんだ。そこには所長専用のボードがあり、たまにお忍びで外に行っているそうだよ。厳しい警備が成り立っているのは刑務官の過剰労働のおかげなのに、自分は我が物顔で休んでいるのさ」

「知らなかった……」

「僕の言いたいことは、わかるよね」


 男は檻の間に手を入れ、もう一方の男の足下に何かを落とした。チャリンと、耳につんざく金属音がした。揺れる天秤の悪が載る皿に、それは落とされた。


「これは……」

「これを使ってここから脱出するんだ。僕が渡したと言ってはいけないよ」

「そ、それで具体的にはどうすれば」

「これまた簡単な話だ。所長を殺せ。そして鍵を盗み、お前は脱出しろ」

「ど、どうしてここまでしてくれるんです」

「あの所長が嫌いだからだよ。それに死んでくれれば、もう少しこの刑務所の待遇も変わるだろう。だから僕にとってもありがたいことなんだ。そして君は、待ちに待った、焦がれた日々を妻と娘と過ごせる。お互いに得をするというわけさ」


 男は足下に落とされた金属を取り、檻越しの男を見つめた。やがてその決意を、それを握りしめると同時に固めた。


(馬鹿な男だ)


 檻越しの男は、本音を悟られぬよう小さく笑った。



 荊門島の所長が殺されたというニュースが島内を駆け巡ったのは、二人の男が語った翌朝のことだった。


 所長の死因は、ナイフで頸動脈を切られたことによる失血死だった。ナイフは傍らに落ちていたが、指紋を採取するには本土からの鑑識を待たなければならない。

 数人の刑務官がそのナイフを調べたところ、どうも形状がおかしいように見えた。それは柄がついておらず、全体が金属となり、一部分が鋭く光っているのだ。不格好な金属を研いで何とかナイフの形にしたような印象を受けたと言う。


 脱獄者がいないか、今は刑務官が総掛かりで牢屋をチェックする。しかし半分を過ぎても、脱獄者は見当たらなかった。


 刑務官の一人、矢嶋敬一(やじま・けいいち)が見当たらないという報せが入ったのは、全ての囚人の確認が済んだ後だった。

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ショートショートの詰め合わせ 初瀬明生 @hase-akio

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