夏と蕎麦


「私、お蕎麦との相性がいいと思うの」

 カウンター席で横長の机にしなだれながら、つぶやく少女、莉乃。青いショートデニムに白い半そでのTシャツ。カウンターの赤い丸椅子を右、左に揺らしながら、しなだれていた。暑いのだろうか。夏が近い。

 今、このお店にいるのは3人だけだ。

「蕎麦との……相性……ですか……」

 それに答えるのは、私。白いワンピースで赤い丸椅子にちょこんと座っていた。突然のお知らせになぜか敬語になった。

「でも、お蕎麦はお蕎麦のまんまだから、なぁ」

 彼女はいつも何を言いたいのか分からない。

「つまり?」

「蕎麦は私に振りむいてくれないの」

「ま、蕎麦だからね」

「つまんないよ、そんなの」

 彼女は駄々をこねた。

 そして、もうひとり。彼女の父・優作が厨房の奥で、蕎麦の元を捏ねていた。



「ねぇ、ムギちゃん」

「なに莉乃」

「私の顔見て」

 そういって彼女は、ずいと顔を向けて迫ってきた。

 私もすこしだけ、顔を近づけた。

「ねぇね」

「ん?」

 じーっと目と目が合った。

「ムギちゃん」

「莉乃」

 恋人みたいで変な感じだった。

 自然と笑みがこぼれそう。

「なんか恥ずかしいよ」

「知らないよ。顔見ろって言ったのそっちでしょ」

 私も結構照れた。

「そうそう、思い出した」

 彼女は私から顔を少し離し、両指でほっぺたを指した。

「ぷくー」

「違うよ、ムギちゃん。ここに何がある?」

 彼女はそのポーズのまま尋ねた。

「頬」

「違いまーす。あ、でも惜しいよ」

「ほっぺた」

「言い方の問題じゃないよ」

「じゃあなによ」

「これ、このあかいぼつぼつ。そばかすっていうんだよ。知ってた?」

 またお蕎麦の話だった。

「知ってた」

「でさ、このそばかすのかすを集めたら、お蕎麦、できるかな」

 莉乃は不思議な子だ。何を考えているのか分からない。

「知らないよ」

 私はちょっとだけきつい口調になってしまった。

 彼女は視線を下にして、さみしそうな顔をした。

「そうかぁ……」

 なぜか罪悪感が沸いた。

 彼女は昔からこんな子供だったようだ。私は知らないけど。

「でも、出来るといいね」

 そうやって笑うと、彼女はまた笑顔になって頷く。

「うん! 私、そばかすで蕎麦作るよ! ありがとね。出来たら最初にお蕎麦食べてね!」

 そんな笑顔を見せられて、私を少し寂しかった。

 私より先にそばがあるんだね、とは言えなかった。


 何を考えているか分からない、なんてのは嘘で。

 結局、この子は蕎麦のことしか考えてないから。


 この少女、莉乃は蕎麦に恋をしている少女だった。

 そして、彼女が私に振りむいてくれないことは、私にとってすこし寂しいことだった。



 いつも彼女は蕎麦のことばかり。

 一緒にいるのに、さ。まるで私じゃなくてもいいみたいに。

 でも、彼女が蕎麦の話をするときに子供みたいに無邪気に笑う、そんなところが好きなのであった。 



「水はね、透明なのがいいんだよ、ムギちゃん」

 厨房で帽子をかぶりエプロンを身に着けていた。店員の恰好だった。

 彼女の家は蕎麦屋さんだ。そして一人娘だし、本人がこんな調子だったから、時々店を手伝わせているそうだ。ただいま、その父・優作は仕込みを済ませて裏の家に帰っていった。

 ちなみに今日は定休日だ。

「ふうん」

「あ、冷たい。ムギちゃん蕎麦の話ちゃんと聞いてないでしょ!」

「そりゃ、知らないことだらけだもん」

「だから教えてるのに」

「別に。どうでもいいし。それより続きやってよ」

「やってるし」

 彼女はそういいながら、水を量って、粉に水を足して、また捏ねていた。

「いつも~ ムギちゃんは~ 冷たいの~ お水みたいに~」

 捏ねるときは急に歌いだすのは彼女の癖だ。もう知ってる。

「お水みたいに~ 冷たくて~ お蕎麦に~ お蕎麦~」

 音痴な彼女はリズム感もない。それも知ってる。

「お蕎麦 お蕎麦 美味しい お蕎麦~」

 急にリズムを変えてしまうことも知ってる。

 そして、この時は何を言っても彼女に耳には届かない。それも知ってる。

 

 いつも話を聞いてないのはどっちなの、と

 私の話は蕎麦には勝てないんだね、とも

 私の苗字が小麦だから、なの? とも

 私のこと、全然知らないんでしょ、とも


 でも、言葉にするのは怖いから、言わないでおくのだった。言っても聞こえないんだろうけど、どうせ。



 捏ね終わったら、その塊の形を整えていく。

 莉乃はぺっちんぺっちん叩き付けたり、棒で伸ばしたり、遊んでいるみたいだ。

「ねぇね、ムギちゃん、やる?」

 そうやって彼女は私に木の棒を渡してきたが、

「いいわよ、店のもんじゃないし、手洗ってないし、やり方知らないから」

 私はいつも断る。

「えー楽しいのに」

「自分でやりなよ、めんどくさくても」

 ぶつぶつ言いながら、彼女は蕎麦を伸ばし始めた。

 だけど、また、だんだん楽しそうな顔になって、作業をする。

 私もなんだかんだ文句言うけれど、ほんとはただこの時の莉乃を見ているのが好きなのだ。



 蕎麦の塊を麺の形に細く、切っていく。

 名前の知らない木の板で押さえて、四角い包丁で切る作業。名前、莉乃に教えてもらったけど、忘れてしまったようだ。

 彼女はなかなか器用らしく、きれいな形を保ちながら切っていた。

「ねぇね、ムギちゃん。お蕎麦を切ってよ」

「え、なんでよ」

 さっきと同じようにいなした。

 だけど、彼女は少しおずおずとしながら、

「私が食べるとこだけでいいから」

 と言った。

 すこし、返事に困った。

 しばし沈黙が流れた。

 言いたいことはあるけれど、

「いいよ」

 こう答えるしかなかった。

「ほんと! やった!」

 彼女は明るさを取り戻して、

「はやく! 切ろうよ! こっち! あ、手洗ってからね!」

 と立て続けに指示を飛ばしてきた。



 私が支度を済ませ、厨房に立つと、彼女はニコニコ顔で待っていた。こんな顔されると嬉しいけれど、やっぱり、ちょっぴり切なくもあった。

「顔に待ちきれないって書いてあるよ」

 私がそう茶化すと、

「へ? どこ?」

と、聞いてきたので、適当に

「ここ」

と、頬を指さすと

「ここはそばかすだねぇ、えへへ」

と、彼女は自慢げに笑った。


 しかし、言っておくが、私は料理が下手だ。

 だから麺も莉乃みたいにきれいに切れない。よくてうどん。悪くてきしめんである。

 だから、今回もまたそんな麺が生まれるのだ。

「そんなんになっちゃうよ」

「分かってるよ。でも、ムギちゃんが切ったやつなら、たぶん大丈夫だよ」

「ふうん」

「あと、お父さんと違って、わたしのと混ぜて茹でてもムギちゃんが作ったのわかるよ、太いから」

「あ、悪口」

「事実だもん」

「うるさい」

「いいじゃん。もうはやく切ってよ」

 そして私は厨房で麺と対峙した。

「あぁ~~!!! 痛いよぉ!! 辞めてぇ~~!!」

「莉乃! 邪魔しないの!」

 と言って叱るが彼女が楽しそうなので、なんだか叱り切れない。

「麺のきもちだよ、痛そうだったもん」


 結局また、いつもどおり、太い麺になった。

 


 そして、切った麺を湯の中に入れて茹でる。

 彼女は少し、暇になる。

 今はふたり、カウンターに座って向かい合っていた。

「ねぇ莉乃」

「なぁに?」

「今度どっかデートしようよ、おいしい蕎麦屋があるって」

「えー」

「じゃあ、きしめんにする」

「あれはだめだよ。太すぎるもん。名古屋は敵だよ」

「おいしいと思うのにな」 

 デート、といっても、本当のデートじゃない。どっか遊びに行こう、ぐらいの意味しかない。少なくとも片方にとっては。


 気持ちなんて伝えたこともないし、きっと蕎麦しか見てない彼女は言っても振りむいてくれないのだ。たとえ、私が男であっても。それは変わらないんだと思う。

 女の子だから仲良くなれたのかな? と何度も思ったし、ずっと悩んでいるけれど、彼女が変わらないままなので、私も変われないままだった。

「じゃあ、どこ行こう」

「うーんと」

 彼女は悩む。純粋なこの子は悩むときは時間をかけて、ちゃんと悩むのだ。

 彼女が蕎麦以外に好きなものは何だろう? そういえば知らない。蕎麦以外の話をしていないからかもしれない。


 ピピっとタイマーの音がした。


「あ、もう時間だ」

 そう言葉を残して彼女は厨房へ行った。

 結局、話は蕎麦にもってかれたのだ。



 器につゆをいれ、そばをいれたら、はい、蕎麦の出来上がり。

「はい、御蕎麦一丁」

 莉乃はカウンターに座る私の前にできたての蕎麦を置いた。父の声真似は結構似ていた。

 私の前の蕎麦。湯気が立っていて、透明なつゆで、きれいに茹でられた麺。別皿で薬味のねぎ。

 熱いそばをふうふう冷やしながら、私は一口すすった。

 莉乃が作った、いつもの、おいしい、蕎麦の味。

「あっつ」

「大丈夫? そうやって急いでたべるからだよ」

「水は?」

「あ、ごめん。今用意するね」

 夏を前に熱い蕎麦。でも、私は莉乃の蕎麦は嫌いじゃない。そもそも蕎麦はあんまり食べないんだけど。このお店の定休日だけ。週に一回の「手作り」な「蕎麦」。

 コップを持ってきながら、彼女は私の隣の椅子に座った。

「どう? 美味しい?」

 猫みたいな目で私を見てくる、そばかすの少女。

 私は1秒間、彼女の顔を見つめて、

「いつもどおり、おいしい」

と、答えた。

 彼女は何も言わないで、ほほ笑んだ。



「ねぇね、ムギちゃん。一口ちょうだい」

 ついに莉乃は言った。私の手が止まった。

「大丈夫なの……?」



 彼女がアレルギーと知ったのは、最初にそばを食べた時。

 作ったその手がすこし、赤くなっていた。

 そこまで重いものではないけれど、食べた後で、体のあちこちが腫れたり、あかくなったり、ぼつぼつしていたり、かゆそうにしている彼女を見るのは辛かった。

 でも、彼女は蕎麦を作ることをやめない。

『だって、蕎麦が好きだから』

 そういった彼女の顔を見たとき、私の胸の鼓動が確信に変わった。 

 


 今も手は赤い。だけど、今はもう、私は何も言えなくなっていた。

 私が黙っていると、彼女はこう続けた。

「でもね、さっきも言ったでしょ、ムギちゃんなら大丈夫だから」

 そして、器の中から私が切った、太く切られた不格好な麺をつまんだ。

「ほら」

 彼女は、蕎麦を落とさないようにしながら、箸を差し出した。

 ちょっぴりねだるように言うのだ。

「あーんして、きっと大丈夫だから」

 自分で食べるより、こっちの方が良いらしい、と彼女は言うのだ。

 私は頑張って笑顔を作って箸を取った。泣いてはいないけれど、少し目が潤んでいるのは分かった。いつもこうだ。

 彼女は口を開けて、上を見て、待っていた。その健気な顔を見ると抱きしめたかった。

 私はゆっくり、彼女の口に蕎麦を運んだ。

 きっと、私のことは見てくれてないんだろうな。私は好きな人にあーんしてるのに。

 もぐもぐ、と咀嚼をして

「美味しいね、ムギちゃん」

と、彼女は明るく笑った。



 私はひとり、カウンターで座っていた。

 奥で彼女が皿洗いをしていた。

 私はなんとなくそれを見ていた。


 その時、後ろから声がした。


「いつも、ごめんね、莉乃に付き合わせて」

 莉乃の父・優作だった。

「いえいえ、大丈夫ですよ」

「莉乃は友達が少ないから、また付き合ってあげてね」

 そういってほほ笑む優作。

 莉乃がこちらにきて、

「お父さん、買い物?」

「あぁ。ちょっとまた材料買ってくる」

「気を付けてねー」

 はーい、と優作は出ていった。

 この家に母親がいない理由を聞いたことはなかった。

 でも、分かるのはもっと後になるんだと思う。



「ねぇね」

 彼女は言った。

「何?」

 私は尋ねた。

「海」

「へ?」

 行ってる意味が分からなかった。

「海。さっきの話だよ。今度さ、海に行こうよ」

 どこに行くか、の話の続きだったようだ。覚えてたんだ。

「良いよ、莉乃」

 私は頷いた。

「あ、楽しそう」

 そう言われて、少し恥ずかしくなったけど、やっぱり嬉しい。

「だって、蕎麦と関係ないんだもん」

「あ、お蕎麦の悪口」

「うるさい」

 ふたりで笑った。



「ねぇ、ムギちゃん」

「何?」

「また、来週。来てね」

 彼女はこの時、毎回なぜかもじもじするのだ。

 私の答えは決まってるのに。

「良いよ。また来るね」

 私はドアをガラガラと引いて、外に出た。

 彼女は手を振って見送った。つられて手を振った。


 外の風が夏の暑さを少し、和らげていた。

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