夏と透明

水乃 素直

夏と透明


 青々とした草木が茂り、せみの声が鳴り響く、夏。

 太陽は真上を過ぎて、最も気温が暑い、2時頃。熱風が空間を歪めている。


 とあるおんぼろアパートの一室。夏らしさはこの部屋に伝わる熱風だけだ。

 椅子にしばられた少女がいた。縄でぐるぐると。


 僕は縄を解いていた。彼女はそれに気付いていないようなフリをする。

 年齢は15.16ぐらいか。彼女は白いワンピースを着ていた。紅を差したような綺麗な唇。整えられた眉毛。切り揃えられた前髪。つやつやとしたその髪は背中まで伸びていた。完璧なまでの「少女」がここに居る気がした。

 だけど、縛られていることをいとわない、気怠そうにも、落ち着いてるようにも見える目をしていた。



「なんで縛られてるの?」

 僕は聞いた。

 彼女は初めて僕に気付いたように僕を見た。もともと感情の起伏が無いようだ。


「私は縛られているから」

「質問の答えになってないよ」

 

 僕は縄を解いていた。なんでも切れる万能ばさみで、彼女を傷つけないように、分厚い縄を切っていた。

 彼女の肌は白くて透き通っていて、こんなところで言うのも変だけど、触れてみたい肌だった。いやらしい気持ちとかではなく、ただそれほどに綺麗な肌だと思えた。それだけに傷が付かないように、僕は丁寧にハサミを入れていた。


「いつからここに居るの?」

「分からない」

「なんで?記憶が曖昧とか?」

「まぁ、そんなところ」

 彼女は気怠そうだった。会話も出来るだけしたくないらしい。でも聞かないと。


「あなたはなんでここに居るの?」


 彼女から聞いてきた。


「なんで居ると思う?」


 僕は聞き返した。


「なんで?」


 彼女は会話を無視するように聞いてきた。考える気すら無さそうだ。


「考えない子には何も教えないよ」

「じゃあ、考える」

「ふうん」

「私を誘拐しに来た」

「縛られてる子を誘拐するのは非合理的だね」

「でも、無関係の人の部屋に入り込んで、縄を解くことよりも非合理なこともなかなかないと、わたしは思うの」


 少女の少しずれてる回答に僕は笑った。


「でもさ、これだけは言えるよ、縄を解くのは僕のためでもあるんだよ」

「なんで」

「抽象的に語るなら、すべてのことはひとりのためじゃないってことかな、誰かの行いは、また違う誰かの為になったり、毒になったり、薬になったりしてるよ」

「そんな話をしてるんじゃないよ、難しい話は嫌い」


 少女から嫌いと言われてしまったようだ。やれやれ。

 適当に抽象的に話すのは悪い癖だな。



       ******



 彼女が言った。ハサミが彼女の白い肌を傷つけてしまったようだ。

「ごめん」

 謝ったものの、なぜか、白に朱が加わることが僕にはとても美しいような気がしてしまった。なぜだろうか。

 そう思いながら、付いてしまった血を拭こうと使っているハサミを見た。

 ハサミに血は付いていなかった。

 彼女のどこを切りつけたのだろうか……


「ごめん、僕のハンカチで、その血を……」

「わたしのことはいいから、早く切ってよ」


 彼女の声で僕は手を止めていたことに気付いた。

 僕はまた縄を切り始めた。



       ******



 彼女は突然言った。

「あなたにとってヒーローはいないの?」

 僕は彼女のふたつの足首をひとつに縛る縄を切っていた時だった。

「うん、居ないかな」

「ヒロインも?」

「そうだね」

 僕は改めていった。

「まだこの物語にはが居ないんだよ」


そう


と、彼女は笑った。

 僕も笑った。

 僕は彼女の足首の縄をハサミで切っていた。足が動く分かなり気を遣っていた。


 でも。まるでこの姿勢、目の前の少女に、こうべを垂れて、かしずいてるみたいじゃないか。


 蝉がうるさく鳴いているのが、ちゃんと聞こえた。



      ******

  


  今度は僕が聞いてみた。


「君にはヒーローはいないのかい?」

「うん。それでね、もし、いるなら、今こんなことになってないよ。助けてくれるもん」

「嘘はついちゃダメだよ」


  僕はさとすように笑った。


「何言ってるの?」


  彼女は不思議そうに首を傾け聞いてきた。

  でも、僕はヒーローじゃないと思うけど。


「外に出ようよ」


  僕は唐突に告げた。そして続けて、

「縄は解けたよ?」


  そう言って僕は手から切れた縄を落とした。


「え……」

 少女は驚いて僕を見た。先程の気だるそうな目がびっくりして見開いていた。しばらくして、落ち着いて、また目を見開いた。驚いている自分にも驚いているようだ。

 ぱっちりした目はとても健康そうだ、なんてことをこんな時に思った。

「さぁ、行こう」

「い、いや……」

 少女は渋った。やっぱり。


「縄で縛ってたのは自分でしょ

「縄を縛ったのも自分でしょ?

「要は君はさ。

「縄がなくても自分で自分を縛り付けてるわけだよ?」




「そうでしょ?」

 僕はゆっくり言った。

 少女は答えられないようだ。沈黙というよりは、言葉にしたいことが本当に言葉にできない純粋な驚愕きょうがくの思いなのだろう。過度であれ、純粋は純粋なのだ。自分で自分を縛り付けるくらいだから。彼女の中に何かあるんだろう。

となると、僕は嘘でごまかすしかないのかもしれない。嘘というよりいっときの幻みたいなものだけど。


「じゃあ……。またここに縛られに来ようよ」

「……ん?」

「ちょっとだけさ、どっか外に行こうよ。空気吸ってきた方がいいよ」

「なんで、そう思うの?」

「なんでだろ……非合理的だからかな……?」

「………ぷっ。ははっ」


 少女は破顔した。初めてそんな顔を見た。笑顔がとても素敵だなと思った。

だけど、僕はなんとも言えない顔をした。別に笑うところではなかった気がする。


「あなたのごまかし方は下手ね」

「そうかい?」

「褒めてないよ」

「知ってる。でも外は行こうよ」

「それがいいのかもね、あなたを信じるわ」

「本当は信じてないでしょ?」

「随分嫌な聞き方するのね。でも、信じることは出来ないかもしれない」

「でしょ、そうだと思ったよ、君は」

「でもね」


 彼女は凛とした口調で続けた。


「この人ならって思えるなら、もう信頼なんてしなくてもいいのかもね?」


 彼女の言ってることはきっと何よりも正しい、そんな気がした。


「よし行こう」

 焦ったように、焦れたように僕は、急いで彼女の手を引いて外へ駆け出しーーーー


「自分で出られるから大丈夫だよ」


 僕は振り返ると、彼女は変わらずそこに立っていた。

 僕は手を掴み損ねていたようだった。



******



 外。

 川の水が流れる音が強く、川の勢いのように溢れていた。

 川の青。黄昏たそがれ時の夕焼けが茂る草木をオレンジに染めていた。

 その中でも、彼女の白さはとても綺麗で。光っているようで、でも主張することもなくひっそりと、静かに輝いていて。そして、とても儚そうな顔をしていた。


 どこかに消えてしまいそうな透明感だった。

 抱きしめたらどうなるんだろう?


「なんてことは考えないでね?」

 彼女は笑って、釘をさしてきた。

 バレていたようだ。

「ここの君はすごく綺麗だよ」

 驚く代わりに、僕は言った。苦笑いをしながら。 ごまかしてみたつもりだ。

 流れる水の音でほとんどかきけされてしまって、彼女の声は聞き取れなかった。だけど、「嬉しい」と口の形が動いたのはわかった。褒められるとちゃんと喜ぶのか。これで喜んでくれたのは嬉しい。


「どこに行くの?」

 少女からかろうじて聞き取れた言葉である。

「さぁ、秘密だよ」

 僕はにこりと笑って、嘘をついた。


「行く道まで少しあるから、何話そう?」

「何も話さないという答えもあるよ」

「でも。そしたら、つまらないでしょ。会話は全ての物語の始まりだよ」

「そうやって知った顔して真理っぽいこという人に付いて行っちゃ行けませんって、昔言われたことあるわ」

「ふうん」

「うん」


 やっぱり会話は3秒で終わって、沈黙が続いた。


 僕らは、川沿いに沿って歩いて、すこし逸れたところの墓場に着いた。

「なんでここにきたの?」

 やや問い詰めるように彼女は僕に向かいあっていた。

「君がまだ自覚してないから」

「何を」

 少女はやっぱり分からないような顔をしていた。

「ここで、君の質問に答えようと思う」

「へ?」


 質問はこうだった。

ーー『あなたはなんでここに居るの?』ーー


「僕は聞くよ、あの時、なんで君は部屋にいたの?」

「え、それは……」

「誰に縛られたの?」

「う、ううん……?」

 白い少女はぱちくりとして、目を泳がせた。

「なんで、まだこの世界に居たの?」

「この世界……?」

 僕は告げた。本当は自分自身で気付いて欲しかったけど。

「君はもう……


とっくに死んでいるんだよ。


 簡単な事実。もう物語は見えた。

 

 本物の地縛霊、を見たのは初めてだった。


「誰が縛ったなんて、知らなくて当然だよ、だって自分自身で縛ってたんだもの。当たり前だよ、それなら縛られても君は抵抗しないものだし」

 そもそも、死んだ自覚もないんだし。

 と、僕は彼女にあらかた話していった。


「え、えええええ」

 彼女は困惑していた。僕を見る彼女の目に警戒と違和感に対する嫌悪が見て取れた。


「じゃあ、なんで、私はずっとあそこにいたの?」

「それは君があそこに住んでたからだよ、以前。あ、今もか」

「そういうことじゃなくて」

「それは君がまだ自覚してないからでしょ?そのためにここにきたんだよ」

「何言ってるか分からないよ」

 彼女は身体が震えていた。泣きそうだ。

「ほら、


 僕はしばらく歩いて、ある一つのお墓の前に立った。


「ここが私のお墓?」

「そうだよ、君が亡くなった事が書いてあるんじゃないかな?よく分かんないけど」


 まぁ、ここが少女の墓かどうかは僕も。ただ、君が死を受け入れてくれればいいんだ。そう思って嘘をつき続けた。死んだことは本当なんだけどね?


「私は…死んでいたの………?死ぬの……?わた……あっ……あっ!!っっ……!!」


 突然震えだして、彼女は頭を抱えた。膝をつき、ようやく、彼女は事実を受容していく。


 彼女が消える前に、僕は言った。

「またきてよ、結構楽しかったよ」

 正直、まだ前のひとが住んでたなんて思ってなかったけど。


 僕は少女の手をつかもうとした。しかし、幽霊には触れない。君の手はそこにあるのに、見えるのに、僕は触れないままだった。


「ほら、触れない」

「うん」

「でも、分かっていたんでしょ?」

「うん」

「だから、抱きしめることもできない」

「うん。無理だね」

「君もずっと非合理的だよ」

「ぷっ……」


 彼女は一旦笑って。

 身体が湯気のような煙に包まれたあと、彼女はもうそこに居なかったようだ。

 彼女は成仏したようだ。

 すっかり周りは暗くなってしまった。

 僕はそこから独りで帰り出した。蝉の声が後押ししてた。



      ******



 僕は大家さんのところに向かった。

「あー、これはこれはどうも!」

 彼は大きな声で迎えてくれた。

「どうでしたか!? 安いですよ! なんてたって曰く付きの事故物件ですからね!! まぁ僕も自分のこんなボロアパートで犯罪なんて全く考えてませんでしたけどね……」

「結構楽しかったですね、契約しますよ」

「分かりました。また明日、契約の詳しい紙用意しますね」

「あ、ひとついいですか?」

「はい! なんでしょう?」

「玄関に塩は置かないでくださいね、魔除けとか除霊用の。近々お客さんが来るので」

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