最終話

 時は、動く。


「この瞬間を……待って、イタ」


 じとりとした、闇の底から聞こえるような声。


 暗闇から這い出るように姿を現した王賀真琴おうがまことは、ボロボロの制服の内側から携行状態のクロノドール・テラを取り出した。モザイク状のテラの電脳体が、パチパチと展開されていく。


 その異様な空気に気付いたグングニルが真琴に向けて銃撃を仕掛けるが、遅い。


「エクスパンド・アサルト」


 周防地下四階の闇に、太陽が昇る。


 無数の光線が八方に飛び散り、あらゆる端末、モニタ、壁を焼き焦がす。

 直撃したドールの肩先が融解し、真っ赤な火の玉に包まれた。爆発音が数珠のように繋がって鳴り、コントロールルームに星々が瞬く。


 慌てて肉壁を築き耐え忍ぶグングニルのドールたちも、執拗に降り注ぐ光線の雨の前に成す術はなく、分厚い肉壁はみるみるうちに溶け、数多の紅い光は白く強烈な光に飲まれて行った。


 煙が晴れる。


 残ったのは、分厚いミネットのシールドに守られた、学徒達のドールだけだ。


「やった……のか?」

「待ってください、周囲をサーチ中です」


 目視で確認できる敵のドールはもはやいない。

 学徒達の顔に、期待の表情が浮かんだ。



 その時だった。


 何もなかったはずの虚空が、ぺらりとシールのように捲られ、内側から一躯のドールが姿を現した。

 それは、誰にとっても見覚えのある、のドール。


「……カガリ……!!」


 その瞳は、紅い。


 そして、その光はゆっくりと指先を伝い、彼女の構えるピストルの先端へと集中する。照準は真っ直ぐ、制御コンピュータへ。


「まずい、自分を──射出する気だ!!」


 真鈴と、すべての学徒達は、カガリに向かって武器を構える。


 が、次の瞬間、その視界は宇宙に飛ばされていた。


 ARグラスハック。

 全てのが、グングニルによって奪われる。


『この手を使うことになるとは……思いませんでした。あなた方は、本当に面白い』


『わたしにとって、良い教訓でした。いずれ、もう一度、会いましょう』


『わたしが、世界を統べたあとに』



 ピストルの先端から、グングニルが放たれる。


 自分達のドールさえ見失った彼女たちに、もはや、出来ることは残されていなかった。



 ──否。


 そこには、一人だけ居た。

 ハッキングによってARグラスを奪われない者。ARグラスを使わなくとも、電脳世界が見える、唯一の存在。


 神月イコナは、その全身を盾として、制御コンピュータの前に立ちはだかった。


『なっ!?』


 グングニルは、イコナに着弾する。


『小癪な! あなたの身体など、奪い取ってやります』


 凄まじいスピードで、イコナの身体が乗っ取られていく。


 それでも、構わない。

 の方が早いのだ。


 クロノドール・ナナが、銃口を構える。

 【聖櫃】に差し込まれた、黒いメモリースティックを携えて。その照準は、正確にイコナの頭部を捉えている。


『待て……やめなさい、神月イコナ。そんなことしたら、あなたも──』


「これで……いいの。私が、始めたこと。私が終わらせる。さようなら、グングニル」


『やめろおおおおおおおオォォォォ!!』



 ルートキット【ヌル・メモリー】。全てを終わらせる、原初の毒。


 ナナが、静かにその引き金を引く。



 ドクン。



 紅い光が、宇宙を覆う。


 恐ろしいほど、静かで、美しく、幻想的な光。


 色は消え、姿を失い、そして、全ては無に還る。





「イコナ……イコナ!!」


 横たわった少女に、皆が駆け寄る。彼女たちの世界は、勝利したのだ。


 しかし、その代償は、あまりにも大きい。


「イコナ、目を覚まして、イコナ……」


 茅乃の悲痛な声が、がらんとした部屋に響く。


「彼女は、最初からこうする気だったんだ……私がちゃんと、引き止めるべきだった」


 瞑った瞼の端に涙をにじませて、真鈴が拳を握り締めた。

 それに従い、黙祷するように子供達は瞳を閉じる。


 重たく冷たい、空調の音だけがごうごうとどよめいた。




 そこに、一つの引きずるような足音が近づいてくる。


 神月道悟だ。

 肩を恵理に支えられ、彼はイコナの元へと歩みを進める。泣きはらした目の茅乃を横目に、座り込み、腹部に手を添わせた。


 全ての視線が、彼に集まる。


 ……その中心で、彼はふいに笑みを浮かべた。


「大丈夫だ」

「えっ……」


 道悟は茅乃の方を向いて、小さく頷いた。


「仕込んでおいたのさ。──父が、娘を殺すような兵器を創るはず、ないだろう」


 ぽうっと、イコナの身体に光が宿った。

 全員が、息を呑む。


 そしてゆっくりと、彼女は瞼を開け、二つの目で親友の顔を見る。


「茅……乃?」

「イコナ!!」


 茅乃が、イコナに抱きついた。

 部屋が、本物の歓声に包まれる。



────────────────────────────────────────



 電脳都市、東京。


 その栄華は失われて久しいが、街は快復に向かっている。


 有志で活動を続けていた各地の学院が、国家研究機関EDDAと提携し、資源の発掘と機能復元のための人的リソースを提供したためだ。

 この活動は国際的にも評価され、一度は全てを失い見放された東京に、再び世界中からの注目が集まりつつある。



 やがて、世界は元通りになるだろう。その影で奮闘した、数多の小さな戦士たちの物語は、語られることなく、忘れ去られてしまうかもしれない。



 しかし、それでいい。

 たとえ語り部が居なくとも、その意志は、きっと受け継がれていくのだから。



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懐中少女 -クロノガールズ- EIKI` @eiki_okuma

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