最終話 魔法とともに

 俺は制服に身を通し、忘れ物がないかを確認してから家を出た。とはいっても、今日は始業式だけだから、特に持ち物は必要ないのだが。習慣、いつもの癖ってやつだ。

 外に出ると、強い日差しが俺を迎えた。しかし、そこに夏のような輝きはなかった。少し控えめになった太陽が、そこにはあった。

 俺は歩きながら、あの魔法に満ちた夏を思い出していた。

 出会いは突然だった。明日に控えた納涼祭を前に、彼女は空から降ってきた。驚きのあまり呆然とその光景を見ていると、彼女は俺に近づき、そしてキスをした。そこから俺の夏は動き出した。

 彼女に散々振り回されながらも次第に彼女を見る目も変わっていった。ホタルを見に行ったとき、それは明白な恋心になっていた。

 海に遊びに行き、夜、俺は告白した。邪魔が入って返事を聞けないまま気まずい雰囲気が続いた。

 それから、花火大会に行った。そのときにようやくリリアの口から返事を聞くことができた。

 しかし、二人が結ばれるのは遅かった。それまでの間に、リリアを取り巻く向こうの星とのいざこざが起きていた。もちろん、契約させられた俺もそれに巻き込まれていった。

 リリアの仲間の助けもあって、それは何とか収束した。花火大会のあとのことだった。

 リリアがこの星に来たのは、時間を稼ぐためだった。問題が解決するとその必要もなくなり、リリアは元の世界に帰ることになった。しかし、一日だけ時間を与えてもらい、俺たちは最初で最後のデートをした。なかなか密度の濃い一日だった。

 そしてその日、契約解除とともにリリアは自分の星に帰っていった。数日たった今でも、リリアの感触はよく覚えている。

 空を見上げる。まだ午前中だ。星なんか見えるはずない。しかし、かすかだが白い光が見えた。あれは何の光だろう。星? UFO?

どちらでもいいや。

 俺はポケットをまさぐり携帯を取り出した。ディスプレイを表示させると、そこにはリリアの姿があった。

 まだ出会ったばかりの頃。寝ているところを隠し撮りした写真だった。

 それを見て小さく笑っていると、うしろから肩を組まれた。

「よ! 星吾。朝からなーに見てんのかなー」

「あ、いや、何も見てない……」

「んー?」

 俺が携帯を隠し、淳平がそれを取り上げようとしているのを見ていた綾音、聡太、絵梨は、

「全く、変態なんだから」

「星吾は禁欲するべきだね」

「あはは……」

 と口々に言った。

 心を通わせた人がいなくなった秋の始め。そこにはこれまでと変わらない日常があった。

 学校に着くと、数人の友人からリリアについて訊ねられた。俺が地元に帰ったという旨を伝えると、友人たちはがっくり肩を落とした。俺は去り行く友人たちをただ眺めることしかできなかった。

「なあ、星吾。俺たちの夏って、キラキラしてたよな」

 俺が外の景色をぼんやりと視界に捉えていると、淳平が前の席に腰を下ろした。

 何気なく外を眺める淳平だが、やはり様になっているというか、認めたくないがかっこいい。

 俺は答えなかった。そうしなくても、こいつには伝わるからだ。現に俺が窓の外から視線を外さないのを一瞥した淳平は、口許をわずかばかり緩めた。

「なーにあんた。リリアちゃんがいなくなっちゃったから落ち込んでんのー?」突然綾音が肩を叩いてきた。「いて、何すんだよ」と口を尖らせると、「まあリリアちゃんも変なところに気を回すっていうかさ、別れも言わないで帰っちゃうなんてね」と付け加えた。

「寂しいよね」と絵梨。

「僕さ」と聡太が口を挟んできた。「科学科学ってこだわってたけど、この世には科学じゃ証明できないこともあるんじゃないかなって思ったんだ。だから――」

 そう言って聡太が取り出したものは……。

「図書館にこんな本があったんだ。『マビノギオン』とかいうやつ。読んでみると結構おもしろいんだ」

 俺たちは揃って目を丸くした。そしてお互いに顔を見合わせ、笑った。

 聡太は顔を赤くして何か言っていたが、よく聞こえなかった。

 担任の先生が教室に入ってきた。俺たちは自然と元の席に戻る。全員が席に着いたところで、俺は気づいた。隣の席が空いている。二学期早々に休みか? などと頬杖をついて考えていると、先生は話し始めた。

「みんな、今年の夏休みはどうだった?」

 静まり返っていた教室に喧騒がよみがえる。みんなの声色を聞いて先生は顔をほころばせた。

「あのなあ。今日はみんなに重大なお知らせがある」

「なにー結婚するのー」とかいう声を先生はうるさいと一蹴した。そしてわずかに開いた扉に向かって入ってと言った。

 音を立てて扉が開くと、窓から風が吹き込んできて、夏の匂いがした。彼女はなびく髪を抑えて教壇まで歩いてきた。

 俺の目は瞬きするのを忘れ、ずっと彼女の動きを捉えていた。その動作一つ一つを焼き付けるように。

 彼女は俺たち生徒と向き合うと、教室を見回した。それはあのときと同じように、不敵な笑みを浮かべて一人一人品定めをしているかのようだった。

 そうして、俺と目があった。その顔、その瞳が俺だけに注がれている。

 彼女の大きな目は、さらに大きくなった。煌めいていた目に、涙が溢れ、頬を伝った。

 先生に、自己紹介を促されて彼女ははっとして涙を拭った。そして――

「初めまして、リリア――と申します」


 夏に出会った魔法の少女は、また俺の前に現れた。魔法の所為か、彼女は輝いて見えた。

 と、先生が俺の隣の席を指差し、そこに座るように促した。

 彼女は俺に近づいてくる。あのときと同じように視線を交わしたまま、俺たちの距離はどんどん縮まっていく。五メートル……一メートル……。視界の端の方で、クラスメイトたちがこちらをじっと見守っているのがわかった。やがて彼女は俺の前まで来るとその足を止めた。そして、言った。

「ねえ。名前、何て言うの?」

 俺は立ち上がった。そして彼女に一歩近づこうとしたが、やめた。

 震えそうになる声をどうにかこらえ、俺は答えた。

「星吾。大河星吾」

「そっか……」つぶやくように言うと、彼女は優しく笑った。細めた目から再び涙が零れ、少し赤みの差した頬に流れた。「ただいま、星吾」

「おかえり、リリア」

 俺の目からも温かい涙が滴ったが、意に介せず彼女の目元に溜まった輝きを指先で拭った。

 そうして俺たちは、キスをした。契約の手段としてではなく、別れのキスでもなく、二人の愛を確かめるための、甘くて優しい、キスをした。


Fin.

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夏の恋は魔法とともに 高瀬拓実 @Takase_Takumi

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