entrée(アントレ) トニラ

星名はライブ・ナ・ライブのスタッフ全員を集めた。

そして、一枚の紙を掲げる。


「これが店の権利書です。父から譲り受けました」


全員の視線が紙に注がれる。

興味深そうに見つめる目が、だんだん不信の色を帯びてくる。


「星名さん、それ……」


星名は忽那の声で気が付いた。

すぐさま紙を丸めてポケットに突っ込んだ。

しかし、スタッフは次の二つの単語が紙に書かれていることをはっきりと認識した。


是正勧告書 

スペースデブリ認定候補


「というのは冗談で、これです」


今度は正しい権利書を取り出した。

スタッフは正しい権利書なんか見ていなかった。

さっき丸めた紙が気になる様子で、ある者は隣の者とざわめき、ある者は星名の膨らんだポケットを凝視していた。


星名が、父親から店を譲り受けた経緯を説明している間、星名の話を聞いているスタッフはいなかった。


「ということで、私が今日から支配人となることとなりました。みなさんどうぞよろしくお願いします」


星名の話が終わると、一人のスタッフが立ち上がった。

ワインセラーで泥酔していた料理長の米原まいはらだ。

狐のように吊り上がっている目を、さらに吊り上げている。

もうほとんど垂直だ。

彼の種族は体のパーツを自由に移動させることができる能力を持っていた。

これを器用さと結びつける向きもある。


「で、さっきの紙はなんだってんだ」


相変わらずの態度だ。


「紙ってこれですか。私はあなたの上司になります。私の指示には従ってもらいます」


権利書を再び掲げた。


「それじゃない、ポケットに入れたやつだよ」


「あれですか、銀河座に着いた時に配られたビラですよ」


とお茶を濁した。

スタッフは誰も信用していない。


料理長の米原は座り、仏頂面だ。

今度は目を水平にしている。


その後、ばつの悪い静寂が訪れた。

この場を打破しようと、次の話題を思案していると、あの声が聞こえた。


ゲロ

ゲロ

ゲロ


猫蛙だ。


レセプションスタッフの入江がレセプションに向かって走った。

忽那は襟を正す。


入江がレセプションに着くなり、声を上げた。


「お客さんじゃないです。配達の方ですよ」


アプランティの平井と忽那がレセプションに向かった。

さしずめ荷物を運ぶのを手伝うのだろう。

星名は、渡りに船を得たとばかりに平井と忽那の後を追った。

このばつの悪い静寂を終わらせることができる。


配達人の黒猫人が荷物を置いた後に、重たい言葉も置いた。


「今月の分です、先月の支払いはいつもらえますかね」


黒猫人は荷物に手をかけている。

支払いが確約されないと、こちらに引き渡さないという意思のようだ。


「先月分の支払いですか、ええと星名さん」


入江が艶めかしい目でこちらに目配せする。

もしここが夜の店だったら、ねだるのが上手だと褒めるべきだろう。


「今、振り込みましょう」


実際、多少の手持ち資金はあった。

黒猫人からデバイスをひったくり、いくつかの操作を行った。

先月分の支払いは、何とか片が付いた。


黒猫人は荷物から手をどけた。


「ええと、注文の品を確認願います」


忽那が注文書をレセプションから持ってきた。

平井が品物と注文書を突合している。

平井は何度も確認作業を繰り返している。

確認作業を繰り返しているうちに、平井の顔が青ざめていった。


「トニラはないんですか」


「トニラだって?注文書に書いてあるニラのことか?」


確かにニラと書いてあった。

黒猫人は律儀にニラを一キログラム納品するようだ。


スタッフがトニラと聞いて、集まってきた。


「おい、トニラはあと数日で切れそうなんだぞ、これじゃ料理なんてできやしない」


と料理長の米原。


「これじゃあ前菜の下ごしらえができないじゃないか」


とガルド・マンジェの冷川。


「スープの味が決まらなくなる」


とアントルメティエの柳水流やなぎずる


「これじゃあワインをこぼした時に、汚れを落とせません」


とソムリエの尾崎。


「お客様がお帰りになられた後に、使うこともあるんですがね」


とレセプションの入江。


他のスタッフも口々にトニラの重要性を説いている。


「総支配人どうしましょう。トニラ無しなんてレストランが営業できませんよね」


忽那がすがりついてきた。


「ああ、そうだ。トニラ無しではやっていけない。トニラはレストランの要とも言うべき存在だ」


と星名が応じると、スタッフ全員が頷いた。


「なんとか、なりませんか」


星名は黒猫人と交渉を試みた。


「次の配達は一か月後です」


「そこをなんとか」


「先立つものがあれば、なんとかなるものですが」


と黒猫人は親指と人差し指をこすり合わせた。


「1000でどうだ」


「桁が足りません」


「2000」


「次の配達があるので」


「5000!」


「またお支払いが滞っちゃ困りますから、やめておきましょう」


黒猫人は納品書を入江に渡し、ドアから出て行ってしまった。

猫蛙が鳴く。


ゲロ

ゲロ

ゲロ


スタッフの顔色を見れば、これは非常に悪い状況であることが見て取れた。

ライブ・ナ・ライブはまた、ばつの悪い静寂に支配された。

星名は誰にも聞こえない声で、猫蛙に向かって独り言を呟いた。


「トニラって一体なんなんだよ」

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