amuse-bouche2(アミューズ) 支配人
「おーい、食事を注文するお客さんが来たよー」
忽那は厨房全体に聞こえる大きさの声で叫んだ。
なにかが動く気配もしなければ、物音も聞こえない。
忽那は厨房の電気を点けた。
「起きろ!」
今度は厨房のあちこちで動く気配がした。
「さあ、仕事だよ」
忽那は足元に転がっているアプランティの平井を蹴飛ばした。
アプランティとは見習いの意味であり、平たく言ってしまえば雑用係と言ったところだろうか。
平井はネズミの顔をしていた。
第三亜人星出身の平民出で、料理学校の研修の一環で来ているという話だ。
研修の割に、もう五年もここでアプランティをやっている。
第三亜人星の時間が悠長なのか、そもそも料理学校の研修生というのが嘘なのか、もうどうでもよくなっているくらい時間が過ぎている。
「ガルド・マンジェの
「ふぁ」
平井は完全に寝ぼけていた。
もう一度わき腹に、蹴りを入れると、平井の鼻の先の毛が逆立った。
「起きたわね、できる?」
「あとで、チーズをくれるなら」
「腐ったのでよければ」
平井は満足したようだ。
彼は腐ったチーズで、腐ったチーズ並みの働きをする。
忽那は厨房を見渡し、料理長を探した。
焼き場、オーブン、冷蔵庫、サラダ場、料理長はどこにもいない。
忽那は舌打ちをして、客席に戻ろうとした。
戻る前に鏡に向かって、掛け違えていたボタンを直した。
そして、髪を手櫛で
テーブルには相変わらず星名が座っている。
あっけにとられたような顔で。
「大変お待たせしてして、失礼いたしました。お食事でよろしいですね。当店はコースのみを承っています。何かご希望はございますか」
星名は忽那の様子が先ほどと違うことに気が付いた。
なんというか、きちんとしている。
「お任せするよ」
「かしこまりました」
お辞儀の角度も悪くない。
背筋が伸び、清潔感が出てきた。
「メインは肉でご用意させていただきます。ただいま、ワインリストをお持ちいたします」
「ちょっと待って、ワインを選ぼうにも肉が何か分からないと選べないじゃないか。肉って何の肉ですか」
「お楽しみでございます」
「お、お楽しみ……」
忽那は厨房に引き上げていった。
忽那自身も何の肉が出るのか分かっていなかった。
というより、腹を壊さずに食べられる肉があるのかどうか微妙な線だ。
肉と言ったののはギャンブルだ。
魚と言うより勝つ確率の高いギャンブルだ。
大概、魚は肉より賞味期限が短い。
厨房の奥には階段があり、階段は半地下に通じていた。
半地下にはワインセラーが在る。
忽那は、冷川が冷蔵庫から使えそうな食材を漁っている横でぼけっと突っ立っている平井を突き飛ばし、厨房を横ぎった。
途中、冷川が何か確認してきたが、適当に相槌をうった。
半地下のワインセラーに、二人の生き物が居た。
一人は骨董品、もう一人は不良品だ。
骨董品の方でソムリエの尾崎は、犬のスタンダード・シュナウザーによく似た顔をしていた。
出身の星はもう存在しないという話を聞いたことがある。
ゆえに、彼らは絶滅に瀕しているという噂がある。
「尾崎さん、ワインリストを持って、客席に行ってくれる」
尾崎は眉を上げた。
ワイシャツの腕を捲り、ゆっくりと腰を上げた。
尾崎のワインに対する博識と情熱は一流のものだった。
ただ、このワインセラーにあるワインはその博識と情熱を持て余す。
「まだ、ワインを飲んでくれる人がいるものかね」
「ええ、必要としてくれる人が来てくれました」
「必要としている人なら、そこにもおるが」
尾崎が目配せした先には、忽那が探している人物がいた。
不良品の方だ。
泥酔し、壁にもたれかかり、顔には生気がない。
彼がライブ・ナ・ライブの総料理長だった。
「彼に沢山飲まれてしまって、今からこのワインリストに斜線を入れなきゃならん」
尾崎は万年筆を持って、ワインリストに線を入れ始めた。
「料理長、あなた客が来ているのよ」
料理長と呼ばれた人物は、忽那が放った言葉に微動だにしない。
「早く厨房に行って、指示を出しなさい」
料理長は手に持ったワインを瓶のまま口に運んだ。
喉を通る水の音が響く。
「いつまで、ここにいるつもりなの」
忽那は料理長の肩を掴んで揺らし始めた。
尾崎は淡々とワインリストに斜線を入れながら、横目でその様子を伺っている。
料理長は忽那にされるがまま、ただ揺れていた。
その間、忽那は色々な言葉を発していたが、料理長には一切届いていないようだった。
「ワインを飲んだ後、口直しするならチェイサーです。チェイサーには冷えた水を使います」
尾崎が独り言のように呟いた。
もちろん、それはアドバイスだった。
忽那は意をくみ取り、水をバケツに汲み取った。
そして、その水を料理長にぶちまけた。
口直しになればよい。
と。
「おまえに指示される筋合いはない」
料理長が冷たく言った。
「支配人がいないんだったら、俺の上司は俺自身だ」
強い口調だった。
とても頑なで、ここから料理長を動かすには
「そうやって、逃げるのね」
忽那は諦めた。
支配人がいなくなってから、何度も諦めているから慣れたものだ。
それでも毎回、辛さが胸に刺さる。
「支配人を連れてこい」
料理長の低い声がワインセラーに響いた。
乾いた響きだった。
その時、上の厨房が少し騒がしくなった。
忽那はまた、誰かがトラブルを起こしたかと合点し、上に向かおうとした。
すると、厨房からワインセラーに差し込む光が、何かの影で
誰かが、こっちに向かってくる。
影が上下に揺れ、大きくなってくる。
「支配人は私だ」
声を出した人物の後ろから光が差し、顔がよく見えない。
忽那と尾崎と料理長は必死にその顔を見定めようとしている。
忽那は気が付いた。
「星名さん」
「そうです。私が、今日から支配人となる星名です」
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