第3話終わる世界
またあの夢を見ていた。ゆかりが死ぬ瞬間の夢。
俺は夢の中では何もする事は出来ず、ただゆかりが死んでいく
のを見ていることしか出来なかった。
そしてゆかりが俺に向かって、あの言葉を呟く。
きっとあの言葉の先を知ることは永遠に出来ない、
そんな気がした。
音が聞こえる。その音で俺は夢から覚める。
携帯の着信音だった。今日は八月三十一日。
またゆかりからの電話だろう。
そして公園へ向かうことになる。
そのはずだった。
携帯を手に取り、画面を見ると、誠からの電話だった。
おかしいと思いながらも電話に出る。
「もしもし」
「もしかして寝てたか?」
「たぶん」
「悪いな。突然なんだけどよ、今から会えないか?」
「ああ、いいよ」
「じゃあ、今からお前の家に行くからさ、玄関の前に居てくれ。
十五分後ぐらいに待ち合わせで」
「ああ、分かった」
そういって電話を切った。
ゆかりからの着信はない。どういうことだろうか。
また世界が変わったのかもしれない。
これは大きな変化だ。今までは必ずこの日にゆかりから電話が
かかってきていた。
しかし、電話をかけてきたのは誠。
なんの用事があるのだろう。嫌な予感がする。
十五分後、俺は玄関の扉を開けた。
すぐに誠の姿が見えた。
「遅くに悪いな。ちょっと話しておきたい事があってよ。
とりあえず、あの公園までいこうぜ」
俺は頷いて、誠の横を歩く。
公園までは二十分ぐらいの距離だが、誠は始終無言だった。
歩きながら話すような話ではないということだろう。
途中、コンビニが見えてきた。ゆかりの事を思い出す。
今頃ゆかりはなにをしているんだろう。
どうして今回は電話をしてこないんだろう。
そんなことを思った。
公園に着き、ベンチに座る。
誠はなにかをいい出そうとしているが、踏ん切りがつかない
といった様子だ。
沈黙。
静かな時間が流れていく。
そこでようやく誠が口を開いた。
「実は夏祭りの後、みんなと別れてから、ゆかりを呼び出したんだ。
伝えたい事があってさ。俺たち三人は昔からずっと一緒で幼馴染だろ?
だから、本当は黙っていようと思ってたんだ。伝えたら今の関係が
崩れちまうんじゃないか、もう三人で遊べないんじゃないか、そんな
気持ちがあったからな。でも、伝えることにした。ゆかりの事が好きだ
って。フラれちまったけどな。分かってはいたんだ。フラれるって。
だけど、どうしてもいっておきたかった。この世界が終わる前に」
「……」
誠の言葉を聞き、動揺を隠せなかった。「この世界が終わる前に」
ってどういうことだ?
まさか誠も知っていたのだろうか、この閉じた世界の事を。
俺は今まで、他の人間が知っているなんて可能性を考えもしなかった。
誠もずっとこの夏を繰り返してきたのか?
たしかにそう考えれば合点がいくことが多々ある。
補習のときに指されてもすぐに即答できたり、いつもとは違う水着を選んだり、
スイカを忘れなかったり。
やはり俺が感じていた世界の変化は気のせいなんかじゃなかった。
「この世界が終わる前にってどういうこと?」
「優太、お前も感じているんだろう。世界が少しづつ変わってきて
いるってことに。この世界はもうすぐ終わるんだよ。もうゆかりが
死んでも、夏休み前には戻らない。きっと次が最後だ。そんな気がする。
なんでこんな世界になったのかは俺も知らない。でも、そんな予感
がするんだ。そして優太、お前はこのままでいいのか? 次も同じ
夏を繰り返して、それで終わりでいいのか? お前もゆかりに伝える
べき言葉があるんじゃないのか? 次の夏が最後のチャンスだぞ。
俺が伝えたかったのはそれだけだ。よく考えろよ」
家に帰ってから俺は考えた。俺がゆかりに伝えるべき言葉。想い。
なぜいままで気づかなかったのだろう。閉じた世界を守ることばかり
に気を取られていて、自分のゆかりに対する気持ちなんて考えもしなかった。
俺はこの夏、恋をしたと知った。
*
目覚ましの音で目が覚める。携帯の画面で日にちを確認する。
今日は七月十日だ。
俺はこの夏、決心をした。もう、この世界を守るために行動するのではなく、
後悔のないように過ごそうと。そして必ず、ゆかりへ想いを伝える。
準備をして家を出る。そしてしばらくすると誠とゆかりに声を
かけられる。
二人とも変わった様子はない。
俺は誠に伝えた。
「誠、俺は決心したよ」と。誠は、そうかといった。
ゆかりは、なんのこと? と首を傾げていた。
帰りに寄ったファーストフード店。また夏休みのイベントを決めていく。
俺は、海と夏祭りとその他色々と提案した。もう誠の提案を聞く必要はない。
そうして夏休みに入っていった。
俺は今までとは違い、積極的に行動した。ゆかりの水着を選ぶときも、
自分が可愛いと思うものをゆかりに勧めた。
海にいったときも出来るだけゆかりと一緒にいようと心がけた。
もう、少しでも長い時間、ゆかりとこの夏を過ごしたいと思ったのだ。
そんな俺に対し、ゆかりは嫌がる素振りも見せず、一緒に居てくれた。
今までの夏で一番幸せだった。でも、それと同時に悲しくもあった。
これで最後だからだ。
誠もいっていたが、この夏で最後だという感覚が俺にもある。
だから、ゆかりと一緒にいられない時間がもどかしい。
しかし、なかなかゆかりに想いを伝える決心はつかない。もし、
ゆかりが俺の想いに応えてくれなかったら、ゆかりは嫌な思い
をしたまま死を迎えることになってしまう。
それだけは避けたかった。
決心がついたのは夏休みが終わるまで、あと十日ほどになってからだった。
その日の夜に、俺は携帯を操作し、ゆかりに電話をかけようとする。
手が震えていた。なかなかかけることが出来ない。
俺は目を瞑り、深呼吸をし、頭の中を一瞬空っぽにして、
思考が無になった瞬間を狙って、通話ボタンを押した。
一コール、ニコール、三コール……
六コール目でゆかりが出た。
「……もしもし」
なかなか声が出なかった。緊張で口が乾いていたからだ。
それでもどうにかして声を絞り出した。
「もしもし。どうしたの?」
ゆかりの声はいつも通り優しい声だった。
「あのさ、今から会えないかな? 話したいことがあって」
「うん、いいよ」
「じゃあ十分後ぐらいにゆかりの家の前に居るよ。それで大丈夫?」
「分かった。じゃあ十分後にね」
電話を切り、準備をする。とりあえず、からからに渇いた喉と口を
どうにかするために、水を飲んだ。それから深呼吸をして心を
落ち着かせる。
そして着替えて、ゆかりの家の前にいった。
ゆかりを待っている間、夏の暑さと緊張で汗が酷い。
額から汗が垂れてくる。
ハンカチでも持ってくればよかったなんて思っていると、ゆかりが
家から出てきた。
「おまたせ」
「とりあえず、あの公園にいこうか」
「また懐かしいところにいくんだね」
ゆかりはそういって無邪気に笑った。
その笑顔を見て、少しだけ心が落ち着いた。
歩きながら、夏休みの思い出について話した。海が楽しかっただとか、
花火が綺麗だったとか。
そうこう話しているとコンビニが見えてきた。
「ね、喉乾かない? なんか飲みもの買っていこうよ」
そういうとゆかりはコンビニの中へと入っていった。
また、ゆかりは真剣に悩むのかな、なんて思った。
「うーん、どれにしようかな」
やはり真剣に悩んでいる。俺はいつもゆかりが選ぶお茶を勧めた。
するとゆかりは、おいしそうといって、すぐにレジへ向かっていった。
俺はいつも通りスポーツドリンクを買った。
コンビニを出て、公園へ再度向かう。
空は雲がほとんどなくて星が惜しげも無く輝いていた。
心地よい風が吹いていていつもより過ごしやすい夏の夜だった。
公園につくと、いつものベンチに二人で座る。
俺は想いを伝えるタイミングを窺っていた。
ゆかりは特になにもいってこない。
蝉の鳴き声がやたらとよく聞こえていた。
一瞬、蝉が黙る。
静寂。
無音。
俺は意を決し、口を開いた。
「あのさ、話したいことがあるんだけど」
「それはさっき電話で聞いたよ」
ゆかりがいたずらっぽく笑う。
「えっと、その内容なんだけどね」
うん、とゆかりが相槌をうつ。
ダメだ。上手くいえない。伝えたいことが多すぎて。
想いが強すぎて。
でもいわなきゃいけない。だから、伝えたいことを可能な限り
シンプルにすることにした。
「ゆかり、好きだ」
ゆかりは俺の目を見つめながら黙っている。
そして、おもむろにに俺に顔を寄せてきて、唇を重ねてきた。
それと同時に、温かい水のようなものが零れる。涙。
ゆかりは泣いていた。
俺は最初どうしていいのか分からなかったが、ゆかりを
抱きしめることにした。
それから長い時間が過ぎたように思う、実際はほんの短い
時間だったのだろうけど。
「嬉しい。すごく嬉しい」
涙で声が震えていた。
よかった。これでゆかりは嫌な思いをせずに死んでいけるんだ。
これから夏休みが終わるまでの間、少しでもゆかりを幸せにしようと
心に誓った。
その日から八月三十一日までの間、毎日ゆかりと一緒に過ごした。
ゆかりがしたいっていう事は全部した。二人で大きな池のある公園に
いってボートに乗ったり、遊園地にいって観覧車に乗ったり、あてもなく
散歩したり。そうして帰りは必ず俺の家にいって、身を寄せ合った。
幸せだった。
俺は悔いのないように、一秒一秒、時間を噛み締めた。
そして最後の日、ゆかりは出かけずに、俺の家にずっと居たいといい出した。
もう満足したのだと。後はただ、二人きりの時間をゆっくり楽しみたいと。
俺の部屋でずっと、小さいときから今までの思い出を語り明かした。
時折、ゆかりは涙ぐんだ。それでもずっと話していた。
まるで、明日自分が死ぬことを分かっているかのように。
もしかしたら、実際、誠のようにこの世界の事を知っていたのかも知れない。
でも、俺は訊かずにいた。訊いたら二人とも悲しくなるから。
そしてついに九月一日を迎えた。
学校への道中、誠とゆかりから声をかけられた。
誠は暗い顔をしているかと思ったが、いつもと変わらない様子だった。
きっと、誠はゆかりの死を受け入れたのだ。
ゆかりもいつもと変わらない笑顔を俺に向けていた。どこか悲しげではあったけど。
俺もその笑顔に精一杯の笑顔で返す。
始業式が終わり、俺たちはいつものファーストフード店に寄って夏休みの思い出
を語った。このとき、誠に初めて、ゆかりと付き合ったことを打ち明けた。
誠は特別驚く様子もなく、ただおめでとうと、祝いの言葉をくれた。
そして話も一段落し、俺たちは帰路につく。
ああ、もう少しでお別れだ。ゆかりとも、この世界とも。
俺はゆかりの手は強く握り締めながら歩いた。
そして例の暴走した車がやってくる。歩道の境界ブロックを乗り越え、そして……
俺はすぐに、ゆかりの元へ駆け寄った。ゆかりを強く抱き寄せる。
俺の大切な大切な女の子。これから死んでしまう女の子。
そしてその女の子がいう。
「ねえ、私、やっぱり死んじゃうのかな……?嫌だなあ。あのね、優太……
私本当に幸せだったよ。今までありがとう。大好き……やっといえた」
そういうとゆかりは意識を失った。
それからはいつも通りだった。救急車が来て病院について、
やっぱりゆかりは助からなくて。何も変わらなかった。
でもゆかりの最後の言葉は変わった。もしかしてゆかりが伝えたかった
事ってあの言葉だったのかもしれない。
もしそうだったら、――いや、きっとそうだろう
俺がしてきたことは無駄じゃなかった。ゆかりを幸せにすることが出来た。
俺がゆかりを幸せにするために世界は閉じたのかもしれない。
この閉じた世界は俺とゆかりのために用意されたんだと、そう思った。
ゆかりの遺体が安置されている部屋で、この夏の事を思い出す。
ゆかりを幸せにできてよかった。俺は満足している。もうこの閉じた世界が
終わってもいいと思えた。ゆかりの死を受け入れることが出来た。
部屋の時計の針が重なり、十二時を指す。
なにも起こらなかった。九月二日がやってきた。ゆかりのいない九月二日が。
俺はゆかりの冷たくなった唇に最後の口づけをした。
リング・リング・サマー 楠木尚 @kusunoki_nano
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