第5話 天界1

天使と聞いてどんなことを想像するだろうか。


人が死を迎えた時、魂を天国へ誘うというのが一般的なイメージだろうか。


もしくは、宗教画に描かれる「受胎告知」や「最後の審判」のようなイメージを持つ人もいるかもしれない。

そう……、そうなのだ。

本来天使とは、神の尊い意志に従い、神の手足となって美しく優雅に人間を導く存在なのだ。


断じて、そう断じて! 

徹夜でギャルゲーをプレイすることが天使である私の仕事として、正しいはずがないのだ!

 

と、私はもう何度目になるかわからない心の叫びを上げた。

この仕事をするようになってから2年……、いくら神の御意志とはいえ、この天使らしからぬ仕事に不満を抱かない日はない。

なぜ天使である私が、人間の乱れた娯楽に貴重な時間を費やさねばならないのか。

それは天界が数年前から、多様化する人間の文明に対応するため神を増員し、より人の営みに近い神が増えたためである。

天使と神が住まう天界は、それまで少数の神の下に天使という、単純な組織であった。

しかし、人間の文明は驚異的な早さで発展し、少数の神では人間を管理することが困難になった。

そこで天界の頂点に君臨する我が主、全知全能の神は神の数を増やし、天界を大きく作り変えたのだ。その際に人間界の会社の組織図を模倣し、それぞれの神に合った部署を設けた。

私ことゲームの天使長・ミカエルが所属する現代娯楽部・コンピューターゲーム課は、文字どおり人間界で生まれる全てのコンピューターゲームを管理する部署だ。ちなみに天使長は人間界でいう係長に相当する。

主な仕事はゲームのシナリオ、キャラクターなど、不適切で悪影響を及ぼす内容かどうかをチェックし、改善することである。

我々が管理するコンピューターゲームとは、テレビゲーム、パソコンゲーム、携帯アプリなどなど、とにかく膨大な数だ。

ゲームそのものの数はもちろんだが、内容のボリュームもあるので徹夜で仕事するのは当たり前。基本は一人で同ジャンルのゲームを担当するので、似たような内容のゲームを何度もプレイすることになる。

しかし、内容がひどいものは腐るほどあるが、問題のあるゲームは全体としてそれほどない。

ゲームをプレイして報告書を提出して終わる。

毎日がその繰り返しだ。

それならば、わざわざ神が管理する必要があるのかと思うだろう。

とても天使がやるにふさわしいとは思えない内容と膨大な仕事量。いくら神の命とはいえ、正直私もつらい。

まあ、私は天界の組織が改変された本当の理由を知っているから、やる気も出ないのだが……。

実は人間の文明の多様化というのは建前であり、ここ以外にも必要かどうか疑問を抱く部署はたくさんあるのだ。その本当の理由とは……。


「ちょっと、いつまで待たせる気なのよ! 」


ヘッドホンからかわいらしい少女の声が聞こえてきた。いけない、攻略中の彼女が私を呼んでいる。

このギャルゲー、『ぎゅっと手をつないで~キミ想フ春~』は、攻略キャラと分岐ルートが多く、思いのほか時間がかかってしまった。

恋愛シュミレーションゲームは、一人のキャラにいくつもルートがあるので、同じキャラで同じ場面を何度も繰り返さなければならない。イベントのスキップや台詞の早送りをしても、ボリュームのあるゲームの攻略はやはり苦労する。

だが、まあこのゲームはなかなかいいとは思う。

細部の演出に力を入れており、特に選択肢の最中で放っておくと、今のように女の子に急かされるという演出はよかった。

ディスプレイには攻略キャラの花川さなが、私の告白を今か今かと待ちわびている。主人公が通う高校の後輩で、ツインテールのツンデレキャラ、最初はベタ過ぎて新鮮味に欠ける設定だと思ったが、彼女の複雑な生い立ちや家庭環境を巧みに描いたシナリオは大変秀逸であった。

さてと、お待たせするのも申し訳ないので、選択肢「きみのことが好きだ!」をクリックと。

待ち望んでいた主人公の返事を聞いたさなちゃんは顔を真っ赤にして泣き始めてしまった。


「ど、どうしよう……。誰にも好きなんて言ってもらえたことないから。すっごく、すごくうれしいよ! 今まで生きてる中で一番幸せ」


さなちゃん! やっと私に心を開いてくれたのか!

罵られようが、殴られようが、唾を吐き捨てられようが、がんばった甲斐があったなぁ。ツンが九割のさなちゃんだが、デレる時はとてつもなくデレる。

この告白にこぎ着けるまでどれだけの苦労をしたことか……。

何て感動的なんだ! 

って、何を言っているんだ私は!

いやだ、こんな仕事いやなはずなのに。

落ち着け! 毒されるんじゃない!

つい先ほどまで心の中で愚痴り続けていたというのに、油断するとこうだ。

神に仕える天使の私が女性に対して感情を抱くなんて、これまで考えられなかった。

ギャルゲー担当になるまで女性に縁もなく、欠片も興味などなかったのに……。いつの間にかギャルゲーの女の子に好意を抱く自分がいるのだ。

疲れていても、徹夜続きでも、画面の向こうの彼女たちに微笑みかけられると……。

だめだ! 女性に興味を持つなんて神の使いとして恥ずべきだ!

断じて、そう断じて! こんな仕事を少しでもいいと思ってはいけないんだ!

心の中で葛藤していると、隣の席からゴトンという音がした。隣の席は半年前に配属されたばかりの新人だ、キーボードに頭をのせて眠っている。いや、気絶という言葉が正しいかもしれない。


「おい、きみ」


 私は彼の肩をそっと揺する。配属されたばかりの頃、爽やかな笑顔を振り撒き、嬉々として仕事に取り組んでいた彼だったが、今ではその元気はなくなってしまった。締め切りという悪夢にうなされているのだろう。眠っていても苦悶の表情を浮かべている。

揺すってから少しすると、閉じている目が微かに動き、ゆっくりと瞼が上がる。二、三回まばたきすると、自分が寝落ちしたことに気付き、飛び上がりそうな勢いで起きた。


「て、天使長さま! 申し訳ございません」


「いや、大丈夫だ。まだ仕事に不慣れなのだから疲れるのも無理はない。配属されたばかりなのに仕事続きですまないな。しかも……」


新人の机には私の机と同様にゲームが山積みになっている。ただし、彼の机にあるのは大量のエロゲーだが。

この部署で最も過酷とされているエロゲー担当。

その過酷さゆえ、天界でも優秀と有名な前担当者は精神を病み、転属願いを出したほどだ。

精神を病んだ理由は、エロゲー担当になったせいで女性の魅力に目覚めてしまったためである。

神に仕える身として恥ずべきとは言ったが、実際のところは隠れて異性に対して興味を持つ者も多い。

天使にも男女の性別があり、天使といえどもやはり男なのだ。性的欲求が全くないということではない。

だが、神の使いである天使が邪な欲望を抱くことは古より禁忌とされていた。最近はその感覚和らいだものの、未だに異性への感情に対して潔癖な者の方が多い。

常に理性と欲望との闘い。生真面目な奴だっただけに、そんな毎日に精神を病んでしまったというわけだ。

日々気力を失っていく彼を見ていた我々は、自分たちも欲望に耐えきれる自信がなかったので、エロゲー担当を当番制にすることにした。

私も何度か経験したが、楽しいのは最初だけ。性描写の連続は精神的にきつく、バリエーションも富んでいるので、気持ちは興奮するどころか萎える一方だった。

本来は新人にいきなりやらせるべき仕事ではないが、当番だった格ゲー担当者の仕事が立て込んでおり、とてもエロゲーまで手が回りそうもない状態だった。エロゲー経験のある他の天使たちも自分の仕事をこなすのが手いっぱいで、唯一手が空いていた新人が担当することになったのだ。


「あはは……、大丈夫ですよ。遅かれ早かれ経験することだったんですから」


そう言って、新人は無理に笑顔を作る。

彼は机の精力剤のストックから一本取り出して、一気に飲み干す。少しは目が覚めたようであるが、瞼はまだ半開き状態だ。

中身のなくなった空き瓶をゴミ箱に向けて放る。空き瓶はカランとガラス同士がぶつかる音がして、床にできた空き瓶の山の一角になった。ゴミ箱はすでに満杯状態で入りきらず、もう何本飲んだかわからないくらいになった空き瓶の山々が、誰も片づけようともしないのでそこら中にできているのだ。

補給をした新人はキーボードに手を置き、ディスプレイに目を向ける。ちょうど、濡れ場に差しかかるところだったようで、ベッドに仰向けに寝た女の子が熱っぽい視線を送っていた。

あどけない顔立ちをした女の子は扇情的な格好をしている。上着のボタンは外され、隙間から可愛らしいピンク色の下着が覗く。

しかし、そんなあられもない姿で待っている女の子がいるにもかかわらず、新人の手が動く様子はない。


「天使長様」

 

新人は神妙な面持ちで私に話しかける。


「ぼくの……我々の仕事は、天使として主のお役に立つ仕事と言えるのでしょうか? 我らが主、全知全能の神より命が下されたとはいえ、ぼくは主のお役に立てているという実感がわかないのです! こんな……人間の一娯楽を我々が監視する必要があるのでしょうか。同期の天使は皆、神々の下で働くことを誇りに思っています。そんな同期たちがぼくの仕事内容を聞くと、嘲るような目でぼくを見て、しまいには集まりに呼ばなくなりました。ぼくは……悔しいです」


新人は俯き、キーボードの上で拳を握る。

疲れていても弱音を吐かずにがんばる彼だったが、仕事以外でもそんな辛い目にあっていたのか……。

結構根性のある奴だから大丈夫だろうと思っていたが、失敗だったようだ。

 

しかし、本当は彼の言うとおりだ。人間に悪影響を及ぼすから改善が必要なんて大義名分は嘘なのだ、だが……。


「そのくらいにしておけ」

 

私は彼の言葉を遮る。


「確かに我ら天使の中では人間の営みに近い部署ほど、低俗なことをやっていると思われているし、役立たずと軽んじる者がいることも事実だ、だがな!」


私だってこの仕事を良くは思っていない、新人の気持ちも痛いほど理解できる。

私はパソコンのディスプレイに映る自分の顔を見た。

一度見たら目を反らせないほどに美しい容姿の私は人間からも、天使からも崇拝される存在であった。銀色に煌めく髪、宝石のようなエメラルドグリーンの瞳、雪のように白く透き通った肌。そんな私が少し口角を上げ、微笑みかけるだけで皆ひれ伏した。

しかし、それも過去の話……。煌めく髪は、風呂に入る暇もないので油でベタつき、汚らしく輝きを失っている。長くて鬱陶しいので今は一つ結びだ。瞳は充血して目の下には真っ黒な隈ができ、肌は張りも無くなって吹き出物ができている。主から賜った純白の衣はジャージとジーパンに変わり、履物も人間界のホームセンターで買ったルームシューズだ。

かつて、神の右腕だった大天使はどこにもいない。

これが今の仕事、これが今の自分の姿。

現状に目を背けたくなる。

だが、私は。

栄光を捨ててでも主の命に従うと決めた。

それが主の僕である天使の務めであるからだ。

そして、隣の新人を含め、大天使であった私に羨望の眼差しを向ける者もいる。私はそんな彼らの模範であらねばならない!

心に渦巻く不満の感情を押し込めて、私は新人に語りかける。


「主は常に人間が健やかに幸福に暮らすことを願っておられる。人間に及ぼす影響が大きかろうが小さかろうが関係ない。人間に悪影響を与えるものを、主は放っておくことはできないのだ!」


私は熱弁をふるう。身ぶり手ぶりで大袈裟に語ってみたが、彼の反応はどうだろうか。


「主の願い……」


私を見つめる彼の目には光が戻りつつある。よし、もう一息だ。


「いいか、新人。我々の仕事を嘲る者は主の御意志を理解していない愚か者どもだ。小さなことを疎かにすれば、いずれは大事になり、人間界を破滅へと導くかもしれない。確かに我々の仕事はまだ実績もなく認められてはいない。だが、だからこそ!我々が先駆者として神の御意志のもとに、精進せねばならないのではないか!」


どうやら、彼の心に響いたらしい。涙が頬を伝っている。


「ぼくごときが神の采配に疑念を抱くなど、浅はかでした。ぼく、がんばります! 」


彼は女の子と濡れ場シーンに突入するための選択肢を選び始めた。こんなに輝いた目でエロゲーやる奴もいないだろう。

彼に心にもないことを言ってで良心は痛むが、しょうがない。本当のことを言ったら異動願いを提出されてしまうだろう。

まあ、何はともあれ浮上してよかった。私も手をだいぶ止めてしまった。攻略していたギャルゲーはあとわずかだったので、最後のシナリオを終える。

同時に入力していた報告書を印刷し、私は席を立った。立ち上がった途端に精力剤の空き瓶が倒れる音がする。床に散らかるゴミをつま先立ちで避けながら、上司のいる課長室に向かう。

彼を諭しておいて自分もこの仕事に疑念を抱いている。

かつての栄光、私が大天使・ミカエルだった頃をまだ忘れきれていないことは確かだ。だが、それでも私はこの部署のゲームの天使長として部下の手本とならねばならない。ここまで落ちてしまえば、あとは這い上がるのみ。天界の新たな先駆者として、この仕事を全うするのみだ。


「失礼します」


私は課長室、この部署の責任者・ゲームの神様がいるドアをノックした。……返事はない。おかしい、この間大失態を犯した仕事をカンヅメなって取り掛かっているはずだ。この部屋から出た様子もなかった。まさかまた逃げ出したのか、あいつ。


「ゲー神様!」


私は返事を待たずに勢いよくドアを開けた。空気が籠り、物が溢れかえり散乱している部屋。パソコンの電源は点いているようだが、席にはいない。寝転がっているのか? しかし床には人らしき姿はない。

間違いない。奴め、逃げたな。


「ああ、主よ。甘やかさずに愚かな我が上司に神罰をお与えください」

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英雄伝説(ひでおサーガ)〜ギャルゲーの主人公が魔王討伐の旅に出る〜 士ケンジ @velaciela

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