第一章 兵士と姫君 …神暦600年代?
「塔」システムの始まりとして伝えられる話。
一応、史実として記録されているが、裏付けとなる資料が極端に少ないため伝説の域を出ない。
なお、この話と関連すると思われる民間伝承が二通り伝わっており、併せて収録した。
――
…伝承一
むかし、ある国に一人の姫がいた。
姫は世にまたとない美しさであった。そのため結婚を申し込む王子たちが後を絶たず、やがて姫を望む国々の間で争いが起こるまでになった。
それを憂えた父王は、深い森の中へ石の塔を建て、姫をそこへ閉じ込めてしまった。
こうして塔の姫は、囚われの身を深く嘆く日々を送るようになった。
しかしある日、小さな天窓から一羽の小鳥が入ってきた。
小鳥の足には赤いリボンが結んであった。
「誰かが窓の外から、私にこの小鳥を下すったのだわ」
姫は喜び、その小鳥を大層かわいがって暮らした。
しばらく経ったある日、お付きの小姓が金魚鉢を抱えてきた。
「とある高貴な男の方から、姫様への贈り物だそうです」
金魚鉢のふちには、今度は橙のリボンが結んであった。
姫は大層喜び、小鳥と同じように金魚の世話もした。そして、このような贈り物をくれたのはどちらの殿方なのだろう、と思った。
また別の日、小姓が白いはつかねずみを持ってきた。
「同じ方から、姫様への贈り物だそうです」
今度も、はつかねずみの尾に黄色のリボンが巻いてあった。
それから幾度も、姫は見知らぬ貴人からの贈り物を受け取った。緑のリボンを付けた花に美しい蝶。首に青のリボンを巻いた仔猫。藍のリボンを巻いた仔犬。
ある日、姫は扉の外に、小姓とは違う足音を聞いた。
扉が開くと、そこには息を呑むほど美しい王子が立っていた。
「お父上にお願いしたのです。石の塔のあなたを慰めることができれば、あなたと結婚させていただきたいと」
王子の胸には、紫色のリボンが付けられていた。
こうして父王から許された二人は塔から出、王子の国で幸せに暮らしたということだ。
―――――――――――
…史実とされる話
国境近くの砦を守るのが、その兵士の役目だった。
国境といっても深い森の中のこと、どこまでが自国でどこからが隣国かは、しかと定めがたい。加えて、この国は小国であった。周りを三つの大国に囲まれ、そのにらみ合いの内に独立を保っていた。
つまり、隣国に手出ししないことで、この国は太平を守っているのだ。
そのような理由で、その兵士の仕事といえば、日がな一日砦にいること、それだけであった。
まだ若い兵士にとって、それはあまり楽しい任務ではなかった。
* * *
あるとき、砦からそう遠くない場所に、石の塔がひとつ、建った。
単調な暮らしを送る兵士の目に、その塔は不思議と気になって見えた。
……何だろう、これは?
同じ砦に詰める兵士たちに、彼は塔のことを尋ねてみた。
――ああ、あれか。なんでも囚人を閉じ込めるための物だそうだが、それ以上は聞かされなかった。
――国の守りには関係ないらしいな。ま、よう分からんものには触れずにおくことだ。
彼より年かさの兵士たちはそう言ったきり、もう別の話に移っていった。
結局、これで彼の欲求が満たされることはなく、塔への興味は日増しにつのっていった。
* * *
ある日、森の中を見回っていた兵士は、見知らぬ男から声をかけられた。
「なあ、兵隊さん。蝶を一匹、探して欲しいのだがね」
男を見て、兵士は仰天した。こんな森の奥に自分たち以外の人間が来ることがまず珍しかった。その上、相手の身なりは、色こそ地味だが貴人のそれであった。
「蝶、ですか」
「ああ。どんな蝶でも構わぬが、できれば美しいのがいいな。あの石の塔の方がお望みなのだよ」
石の塔。その言葉に、兵士の胸はとどろいた。
「そっちのほうにある、あの塔ですかい」
「そのとおり」
「……恐れ入りますが、あの塔にはどなたがお住まいで?」
兵士のぶしつけな問いに、少しの間沈黙が降りた。
「あ、いえ、ちょっと気になっただけでして。どうぞ忘れてください」
兵士が慌てて打ち消すと、相手はふむと言った。
「お前さん、他言はせぬと誓えるかな」
「え? ……あ、はい。誓いまさ」
「実はな、さる姫君がお住まいなのだよ。高貴な出だが、お気の毒にお父上と不仲でな。目の黒いうちはあそこから出られぬのだ」
「そりゃあ、お可哀相に」
「だろう? それで、少しでもそのお心を晴らそうと、こうしてお前さんに声をかけたわけさ」
「なァる。良うござんす、蝶ならその辺にいくらでもおりますんで、ちょいとお待ちを」
兵士はその辺りを見回し、すぐに近くの花を一枝折り取った。
「ほれ、ここにサナギがございます。この陽気ならすぐに蝶々が出てきまさ」
「うむ、かたじけない。もらおうか」
くれぐれも内密にな。そう言って男は去っていった。
秘密。そして、塔の姫。その二つは、兵士の心を甘く震わせた。
* * *
それからしばらくして、兵士はもう一度、その男に出会った。
「やあ、兵隊さん」
男は軽く手を上げ、兵士を呼び止めた。
「この間は手数をかけたな。おかげで姫様はいたくお喜びだ」
その言葉は、若い兵士を有頂天にさせた。
「ほんとですかい、従者さん」
「ほんとだとも。あの蝶に無聊を慰められると、大層お気に召しておいでさ」
「へえ……そいつはまた」
「それでな、今度は小魚を一匹、探して欲しいのだ」
「そりゃ、お安い御用で」
兵士は小川まですっ飛んで行き、ほどなく小魚を一匹、皮袋に入れてきた。
「あいにく容れ物がございませんので、お戻りまではこれをお使いくださいまし」
「こいつは済まんな、拝借しよう」
塔の姫様が、俺の差し上げた物を喜んで下さるなんて。その晩、兵士は嬉しさで寝付けなかった。
* * *
それから幾度か、兵士はその男を通じて、塔の姫に生き物を贈った。
あるときは小鳥、あるときは仔犬。
そのたび彼は心の中に美しい姫の面影を描いた。そして、自分の贈った動物たちを愛でるその人の姿を幾度も夢見た。
ある日姿を現した男は、いつになく秘密めかして兵士にささやいた。
「実はな、今日はお前さんに、塔へ来て欲しいのだ」
「……え?」
「お前さんがいつも可愛い生き物をくれるから、姫様がどうしてもお礼をおっしゃりたいそうだよ」
「そいつぁ……本当ですかい、従者さん」
「ほんとさ。俺がこの耳で承ったのだからな」
「ぜひ……こんな者でよろしいんでしたら、ぜひ」
宙を踏むような心地で、兵士は男の後をついていった。
* * *
あれほど夢に見た塔の扉は、入ってみると意外に小さく思えた。
暗いらせんの階段が、細々と上へ昇っている。
「なにせご婦人用の塔だからな。あまり大きくなくてもよいのだ」
「そんなもんですかい。ちょいと暗すぎて、お気の毒な気もいたしますがね」
そう言いながらも兵士は階段に足をかけ、ゆっくりと昇っていった。
らせん階段の果てには、何の細工もない木の扉がひとつ。
しかし、恋焦がれた姫がその向こうにいるということが、彼を夢心地にさせた。
男が無骨な鍵で錠前をあけ、重い扉を押し開いた。
兵士はおずおずと足を踏み入れ――
とたん、強い血の臭い。
思わず一歩下がろうとした兵士の後ろで、扉が強く閉まった。
「これは、ようお越し下されました」
鈴を振るような声。
眼前には、夢にまで見た佳人。まるで匂い立つようなその姿。
その傍らの台の上には。
数日前に献上した仔犬の変わり果てた姿と、血に染まった小刀。
「おかげさまで、所在無い囚われの日々がずいぶんと楽しゅうございます。礼を申しますぞ」
凍りついたような兵士の横で、男が低い声を出した。
「姫様はご病気でな。ああして生き物を慰まぬとお気が晴れぬのだ。父王様がそれを気に病まれて、ここにお入れになった。……ついでに、お前さんは俺を姫様の従者だと思っておいでだが」
男が一息入れる。
「本当は、ここの獄卒なのさ」
兵士は、その場に釘付けになっていた。足先からじわじわと萎えていくようだった。
「姫様は、お前さんをご所望だ。もはや仔犬などでは飽き足らぬそうだよ」
姫がにっこりと微笑んだ。
痺れたような頭でなお、その笑顔を、兵士は花のようだと思った。
―――――――――――
…伝承二
むかし、ある国に一人の姫がいた。
美しいがわがままな姫で、怒った父王は森の奥に塔を建て、罰としてそこへ姫を閉じ込めてしまった。
退屈をもてあました姫は、あるとき外を通りかかった奇術師を連れてこさせた。
奇術師は命じられるままに、木の葉を蝶に変えてみせた。
姫は大層喜んだが、すぐに飽きてしまい、もっと別のものを見せるよう命じた。
次に、奇術師は皮袋を魚に変えてみせたが、姫はこれもあまり喜ばなかった。
奇術師は近くにあるものを片っ端から小鳥、はつかねずみ、仔猫、仔犬へと変えてみせたが、姫の気に入るものはなかった。
退屈した姫は怒り出し、これまでで最高のものを出して見せるよう奇術師を脅した。
困り果てた奇術師は自分自身にまじないをかけた。途端、かき消すようにその姿が消え、二度と現れることはなかった。
(兵士と姫君 了)
孤塔奇譚 セイ @say_umhr
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