最初から最終章。

ケンコーホーシ

最終話

 勇者は魔王を殺すことに成功した。魔王の死に顔は笑顔だった。

 今は夜。揺れる馬車の中。勇者とお供の二人は、魔王の城を去り、勇者を派遣することになった王国に、ゆっくりと揺られながら向かっていた。


 勇者は思いを馳せる。

 すべて終わったのだと。

 親や兄弟のいない天涯孤独の独り身で、腕っ節が強いことだけが唯一の取り柄だった勇者が、世界の悪の中心を担っていた魔王を殺したのだ。

 もうやることは何もない。

 魔王の影響を受けていたモンスターは全て消滅し、魔王に仕えていた幹部陣は残らず死んだ。

 世界は変わるだろう。

 たとえその先に新たな諍いが起きようと、彼には関係のない話だった。勇者は魔王を殺す存在なのだ。そうした概念だった。紛争の解決は勇者の領分ではない。

「ずいぶんと、不安そうな顔をなさるのね、

 と、声をかけられる。

 憂いだ顔を見られたのだろうか、勇者はバツの悪そうな表情を浮かべて、

 お供の女性――魔女を見る。

 

 いつも通りの黒いマントを羽織って、馬車の中だからだろうか、同じく黒の三角帽をお腹に抱えながらいたずらっ子の笑みを見せる。

「すべて終わりましたね」

 銀色の長い髪を月明かりで光らせて、魔女は勇者に語りかける。

「ねぇ、勇者様。貴方の"お仕事"は、全部、全部、ぜーんぶ終わりましたね。勇者様。私はかの石――究極にて幻の石、賢者の石を、ついに手に入れることができましたわ」


 と、彼女は首から下げた小さなそれを嬉しそうに撫でる。

「貴方の役目は魔王城までの私の護衛。私の役目は貴方の魔王殺しのサポート。お互い持ちつ持たれつうまくやってきましたわ」

 と、彼女は勇者を見る。

「でも、それもおしまい」

 フフッ、と少女のような声を漏らして、魔女は言う。

「私はこれから賢者の石を調べなくちゃなりませんもの。王国から褒賞を貰ったら、それを資金源にさっさと山に篭って研究に没頭するつもりですわ」

 独り言のようにそれだけ言い終えると、魔女は勇者に軽くウィンクした。

 勇者はそれを手で払う。

 まったく、羨ましい限りだ。

 と、魔女を睨んで勇者ははたと気がつく。

(……羨ましい?)

 勇者は魔女が羨ましかった。

 なぜなら、彼女はすべてが終わっていないから。

 魔女は彼女曰く、今後は賢者の石を研究し、同族の魔女たちを救わねばならない。

 魔王襲来前に行われていた魔女狩り。

 そこで滅亡した同胞を生き返らせる。

 それが、それこそが魔女の存在であり、概念なのだ。

 

 ――魔女狩りとは、魔術者の台頭に伴う王家の権威失墜を恐れた王様が始めた魔女大虐殺事件だ。

 元々反対勢力が多かったことや魔女達の必死の抵抗もあり、魔王襲来を機に止めることになった。

 しかし、その影響で当時現存していた魔女のほとんどは死滅。火あぶり、首絞め、溺死。その様子は凄惨たるものだったと伝え聞く。

 彼女はその数少ない魔女の生き残りだ。

 ゆえに、王国到着時は、バレぬよう変装をするつもりだと言っていた。

「ねえ、勇者様。あなたはどうなさいますの?」

 と、魔女の声がする。

「私は、もちろんみんなを取り戻すためにこれから頑張りますわ。それこそが私の真の目的なんですもの。しかし、勇者様。あなたはどうなさいますの?」

 と、魔女は言った。

 嫌味ではなく、心配したトーンで。不安げな勇者を気遣うように。

 だが、勇者には答えられなかった。

 分からない。分からなかった。

 王国を出発し、モンスターを消滅させ、手下を殺し、魔王を殺し、それから――。

 数秒の後、勇者はなんとか言葉を返すべく口を開く。

 

「俺は……俺は、魔王を殺すことがすべてだった。それがこの俺勇者であり、勇者が俺である所以だったんだ。だから、正直言って、わからない。俺がこれからどうすべきなのか、何をなすべきなのか」

 言い終えて、嘆息。

 と、彼を――勇者を見て魔女は思う。

 ならば、辞めれば良いと。

 存在意義が消失したのなら、役目を終えたなら、勇者を辞めれば良いと。

 だが、魔女にはそれは言えなかった。言えないのだ。魔女にだってそれくらいは分かる。

 

 彼は、彼自身は、勇者であるからこそ、ここまで来れたのだ。そして、勇者であるからこそ彼でいられるのだ。

 昔聞いた話によると、かの男勇者は、勇者になる前、貧民街に住みながら工場で低賃金労働に従事していたらしい。そして、偶然出る機会に見舞われた格闘大会で優勝。その後、魔王殺すために勇者となったのだと聞く。

 勇者になる前、俺は人ではなかった。

 この王国には人ならざる人は大勢いたし、寂しくはなかったが、それでも俺は人でありたかった。

 そう前に勇者がぼやいていたことを魔女は思い出す。

 だから、魔女はなにも言えない。

 魔女狩りの時の名残で、人ならざる扱いを多く受けてきた魔女はなにも言えない。

 辞めろなどと。

 もうしなくていいなどと。

 そんな残虐な言葉は。



 🌙



 

 魔女が寝息を立てた後も、勇者は起きている。

 夜空を眺めながらこれまでの日々を追憶する。

 初めて違う街を訪れた時のこと。

 初めてまともな宿に泊まった時のこと。

 初めて美味しい料理を食べた時のこと。

 初めて他人に感謝された時のこと。

 初めて仲間ができた時のこと。

 初めて人間らしくいられた日々のことを。

 

 敵を殺すのは怖くなかった。モンスターとの死闘は怖くなかった。

 そんなものは貧民街にいれば日常だった。得られる幸福の対価としては安いものだった。

 ただ、唯一悲しかったのは、以前の自分と同じ境遇の者が、想像以上に世界に蔓延っていたことだ。

 浮浪者の数はどの街でも一定以上おり、王様による圧政が続いてる影響があるためだと聞く。

 苦しむ彼らを救済するためにも、勇者は剣を振るい、魔法を唱えた。

 人を助けられるようになった。人に助けを求められるようになった。

 人に頼られるようになった。人の頼みを聞き入れられるようになった。

 そのたびに幾度も感謝された。恥ずかしかった。

 でも、嬉しかった。

「……」

 と、勇者はこちらに視線をよこしている者の存在に気づいた。

 二人目のお供――戦士であった。

 精悍な顔つきと鍛えぬかれた身体、腰に当てた剣は月明かりの中で光っていた。

「お邪魔でしたか」

 いや、構わないよ、と勇者は返す。

 戦士は勇者の隣に座った。

「それにしても信じられないことです。一介の兵卒に過ぎぬ自分が、魔王を倒せたなんて」

「謙遜はするな」

 お前は立派な戦士だ、と勇者は加えた。

 ただし彼は、まさしく勇者のお供となる前は一介の兵卒――王国に仕えるただの兵士だった。

 正確に述べれば、彼は城から左遷された兵士だった。

 戦士は正しい男だった。誰よりも真っ直ぐな男だった。

 素晴らしいことを素晴らしいと言い、間違っていることを間違っていると言った。

 だが、それゆえに矛盾に満ちた城での生活は彼の状況を悪くした。

 素晴らしいことに間違っていると言い、間違っていることに素晴らしいと言う必要のある城での生活は、戦士自身にとって苦痛であったし、上役の人間にとっても戦士は目障りな存在だったのだ。

 そんな戦士が城での生活を続けられたのは、彼自身の能力が優れているからこそであった。

 戦士は高いリーダーシップを持ち、部下や同僚からの信頼は厚かった。剣の腕も凄まじく、大型のモンスターも剣をもった彼に係れば勝負は大抵一瞬で決していた。

 しかし、そんな戦士の高い能力が世間に広まるようになると、彼の上役である人々は戦士が自分達の地位を押しのけて、下克上を果たすのではないかと恐れるようになった。

 そこで、上役らは戦士に謀反の疑いをかけ、裁判を行わせたのだ。結果は戦士の敗北であった。

 そして、戦士は左遷され、勇者と共に旅をすることとなった。

「お前は戦士だ。俺の、勇者の大切な相棒である"戦士"なんだ。だから、そんなことを言うな。お前は戦士であることに誇りを抱け」

「分かりました。……ありがとうございます、勇者様」

 戦士の言葉に勇者は安堵する。

 勇者としての誇りを抱く彼は、戦士にも戦士としての己を大切にして欲しかった。

 だが、

(……待てよ)

 勇者は気づく。

 ――戦士はこの後どうするのだろう?

 

 戦士は、勇者を助ける存在だ。

 魔王を殺す勇者を、サポートして共に魔王殺しを成し遂げる存在なのだ。

 彼の、戦士としての概念も、魔王がいなくなった今は消滅してしまう。

 戦士の仕事は終わった。

 彼のやるべきことはなにもない。

 

 ならば、戦士はどうするのか?

 また、兵士に戻るのか?

 城の兵士に?

(そんなことを戦士は許せるのか?)

 魔王を殺すまでの日々を、あの栄光と冒険に満ち溢れた日々を捨てて、上役のご機嫌を伺いながら、自らを殺し、苦しみに満ちた腐敗の日々に戻るというのか?

 いや、無理だ。

 そんなことはできない。

 少なくとも俺には無理だ。

 勇者はそう思う。

 と、同時に勇者は想像してしまう。

 戦士の先ほどの発言にあった一介の兵士という言葉。それは、もしかしたら彼が、戦士が、今後の自分のあり方を、必死に、一心に受け止めようとして放ったものではないのだろうかと。

(そうだとすると、俺はとてもひどい奴なんじゃないのか)

 誇りを抱けなどと。

 大切にしろだなどと。

 そんな残酷な言葉は言って良いものだったのだろうか。



 🌓



 勇者が罪悪感を覚えていると、戦士が話しかけてきた。

「ところで、勇者様。相談があるのです」

 申し訳無さそうな顔で戦士を見ると、勇者は驚いた。

 その顔が真剣そのものであったからだ。

 勇者が戦士に相談事を持ちかけるのは今に始まったことではなかった。

 これまでの城での日々が影響してだろうか、もともと従属性が高い気質だからだろうか、戦士は事あるごとに勇者に相談事をしてきた。

 それは特殊なモンスターの倒し方から夕飯の鍋に入れる具材まで。

 だが、今回の相談事はどれとも遥かに異なっていた。

 なぜなら戦士の表情が――魔王を倒す時と同じものをしていたからだ。

「いいだろう。何でも話してくれ」

 勇者は、すぐさま只ならぬものを察して、気持ちを切り替える。

 冒険の中で鍛えられた緊張感を携え、覚悟を決める。

「今後とのことでご相談が」

「今後というと、王国に帰ってからのことか」

「そうです。王国に帰ってからのことなのです」

 やはりそれか。

 

 勇者は得心する。それは勇者自身も何度も考えたことなのだから。そして勇者自身にはどうしても結論付けることのできないものだったから。

「王国に帰ってから、どうするかとういうことか?」

「そのとおりです。さすが勇者様、話が早い」

 と、褒めて、一瞬だけ戦士は迷いを見せる。

「……しかし、勇者様。その話に入る前にお聞きしたいことがあるのです」

「何だ? 何でも答えてやるぞ」

 勇者は、先ほどの罪滅ぼしの意味も含めて、戦士の質問には何でも答えてやろうと思った。

 すると、戦士はわずかに勇者から目線を外した。

「……勇者様、私たち三人は、随分と長い間、この旅を続けてきました」

「そうだな。魔女は賢者の石を見つけるのが目的と言い張っていたが、最後まで俺たちと一緒に戦ってくれたしな。そう考えていいだろう」

「はい、彼女は強がっているけれど、実際は気遣いのできるとてもいい女性です。ところで、勇者様。私達が魔王を倒すために旅していくなかで、魔王やモンスターを倒す以外に何か感じたこと、学んだことはありませんでしたか?」

 感じたことや学んだこと。

 正直なところ多すぎて数え切れないほどだと勇者は考える。

 そして、その気持ちを素直に答える。

「はっきり言って、多すぎる。数えることが不可能なほどにな」

「そうですか、私も同じです。自分の矮小さと認識の甘さを痛感しました」

「そうだろうな。俺も全くの無知だった。無知の知を知り得ることはまさにこのことだと思ったよ」

 二人は頷き合い、そして戦士は一層覚悟を決めた顔になる。

「ならば、十分です。勇者様、これからお話することをよくお聞きください。後に魔女にもお話致しますが、とても、とても重要な事なのです」

「ああ、分かったよ」

 魔王を殺してすべてを失った勇者。

 彼は自分の運命を切り開くため、戦士の話に耳を傾けた。



 🌑



 そこから、五年の月日が流れる。

 勇者は立っていた。立ち向かっていた。

 眼前に見えるは巨大な壁。城壁。巨大な城の巨大な城壁。雄々しく不気味な様子は全てを威圧する。

 勇者は気圧されながらも、負けじと立ち向かう。

 見つめる。

 彼の隣に、二人の存在がいる。

 頼れる二人がいる。

 魔女、

 勇者の右に立つは魔女、長年の勇者の仲間にして、最強の魔法使い。

 黒い三角帽と黒いマント、長い銀色の髪が美しく靡く。

 そして戦士、

 勇者の左に立つは戦士、長年の勇者の仲間にして、最強の一兵卒。

 精悍な顔と鍛えぬかれた身体、腰に当てた剣は光る。

 二人は勇者とともに城壁の前に立っていた。

「ついに来たな」

 勇者は眼前の城を睨む。

「ええ、そうよ。ついに来たのよ」

 魔女も眼前の城を睨む。

「はい、そうです。ついにここまで来たのです」

 戦士も共に眼前の城を睨む。

 城。

 眼前の城。

 巨大な城。

 いと懐かしき城。

 王国の城!

「政策を怠り、多くの貧民街を生み出した王国!!」

 勇者は叫ぶ。貧民街で困窮していた己の過去を胸に。冒険の中で出会った民衆の苦しみを胸に。

「権威の保持のため、多くの魔女狩りを行った王国!!」

 魔女は叫ぶ。魔女狩りで滅せられた一族の恨みを胸に。冒険の中で出会った迫害される民族の嘆きを胸に。

「独裁政治に陥り、多くの腐敗者を生み出した王国!!」

 戦士は叫ぶ。不当な裁判で飛ばされた自らの境遇を胸に。冒険の中で出会った正しき者達の怒りを胸に。

 三人は叫ぶ。思いを。自分達の思いを。五年前、冒険してくる中で見てきた王国による圧政を。人々の苦しみを。人々の思いを。

 そして、勇者は宣言する。

「王国よ。王よ。貴様の権威はすでに権力となり、人々を救う光は人々を苦しめる闇となっている。人々を害するものの頂点に立つ貴様は、もはや王ではない」

 一拍。

「魔王だ」

 勇者は思う。五年前、魔王が死ぬ際なぜ笑ったのかを。

 彼は信じたのだ。きっと。勇者たちを。自分とは違うやり方で突き進む勇者たちを。

 そして、ラスボスを倒してくれるだろう勇者たちを。

「魔王よ。貴様が何人手下を出そうがけっして関係ない。なぜなら――」

「俺は勇者だからだ」

 勇者は魔女や戦士とともに、城に突入する。

 味方たち――生き返った魔女軍団二百人、戦士の部下の兵士達百人、民衆のレジスタンス千二百人は、鍛え抜かれた王国の正規軍二千人と戦ってくれている。

 勝てる。勝ってみせる。

 みんなのためにも。

 自分のためにも。

 勇者は信じ込む。

 勝てると。

 そして、感じる。

 勇者は感じる。

 今生きていると。

 確かに生きていると。

 確かに存在してると。

 勇者は確かにここにあると。

 勇者が扉を開けると、ついに戦いが始まった。

 




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