第七章 問答末と相対
───何物でもない。何者でもない。自分だけを研ぎ澄まして。
● ●
空があった。
気温を上げない青空だ。
太陽は確かに照っているが、体感的には
……2月並みの気温だってお天気お姉さんが言ってたっけな……。
直前まで走っていた為に体が火照っている
「…………」
「…………」
というか昨日の時点でそうではあったが、この娘、微妙にしか表情が変わらない。
僅かに眉を上下したりする程度で、頬の筋肉が上がるのを見せることがない。
……単純に警戒……? いや、俺のことを覚えてるなら尚更おかしい。
紘一は記憶の中で幼い頃の仟螺・旋を『太陽のような笑顔を浮かべる少女』とカテゴライズしていた。
はっきり言って、目の前にいる氷が擬人化したみたいな女とは
「……あのさ、ぜ……仟螺。さっきのこと以外で俺に対して怒ってることがあるなら言ってくれ」
「別に、怒ってないけど」
「嘘だ、絶対嘘だ。じゃなきゃそんな半目で人は
「……眠いだけだから」
沈黙。
暫くして彼女は缶のタブを開け、静かに口をつける。が、すぐに放し、口を抑えながら珈琲を眺める。
表情は変わらないが何となく感情は察せた。
「……お茶の方が良かったか」
「次からはそうして……」
沈黙。
「……し、しかし懐かしいな! 昨日は宗次と三條にも会ったし、その時は一目で分かったんだが、ぜ……お前は雰囲気変わりすぎて流石に気が付かなかったぜ。はははは!!」
「……………………うん」
「はははは、は……」
沈黙。
流石に堪えかねたので、思い切って聞いてみることにする。
「えーっと、さ。仟螺?」
「……うん?」
言い難い。言い難いが、言い切った。
「……お前、なんで笑わないの?」
● ●
紘一は、己の問いに面食らった旋を見た。
まるで、「聞かれるまでもない」と思っていたかのようだ。
……やっぱ俺の冗談が詰まらなさ過ぎるだけか?
そう考え直した矢先、口に手を当て黙り込んでいた旋がこっちを見て、
「……ねぇ」
「お、おう?」
「……自分で自分のこと、どれだけ憶えてる?」
そう問うてきた。
なんだそりゃ。哲学か?
そう突っ込みかけた言葉を喉で押さえ込んで唾とともに飲み込む。
そうしたのは、こちらを見つめる
何か、重要なことを確かめる意味でもあるかもしれない。
……自分で自分のことを、か……。
そして、紘一は自身の記憶を呼び起こす。
だが、
「…………あ、れ?」
同じだ、と思った。
今朝、記憶の断片を揃え出会うまで、仟螺・旋という強烈な個性を思い出すことが出来なかった。
同じだ。
今、紘一の頭の中から、『7年前の夏から東京へ引っ越してくるまで』の記憶がすっぽりと抜けてしまっている。
……否、それだけじゃない。もっと忘れている!
7年前、あれほどまでに濃密に暮らした小学校時代。
双川・宗次、三條・伊里栖、そして仟螺・旋……それしか思い出せない。
全員と仲が良かった訳では無い。だが、
……それ以外の同級生の顔が一切思い出せないのは、どういうことなんだ!?
思わず紘一は足を止めた。少し離れてから、旋も止まり振り向く。
なのにどうして、引っ越す直前の記憶が消えてしまっているのか。
「……俺、何か大事なことを忘れている気がする」
紘一がその困惑を静かに呟いた瞬間、旋は悲しそうな表情を見せたかと思うと、顔を伏せた。
そして、
「……じゃあ、多分、それが貴方の奪われたものだと思う」
「……奪われた、って」
おずおずと言葉を返すと、旋は───今度はこちらをしっかりと見て───言った。
「七年前のあの日……、私達は『あの邪神』に、大切なものを奪われた」
● ●
7年前に発生し、しかし公にされず、この町の中で闇に葬り去られた『神隠し』。
生還者はわずか4名。それが、
「……俺と仟螺、それに宗次と三條だっていうのか」
「そう。……多分、あの2人も覚えてないか、もしかしたら覚えててわざと口にしないのかもしれないけど」
「……………………」
「信じられない? でも、実感はあるでしょ」
その通りだ、と紘一は頷く他ない。
事実、思い出したくても思い出すことが出来ないのだ。
17年という人生の中で、最も濃い時間を過ごしたこの町での記憶が無い。
……正確には『僅かな断片しか見当たらない』、か。
宗次、伊里栖、そして辛うじて旋のことが思い出すことが出来たのは、彼らがこの町で生きていたから。
当人に違和を出来るだけ与えぬよう、わざわざ配慮されてるとでもいうのか。
ご都合が過ぎるが、旋の眼光はいたって真面目。ならば、答えはひとつだ。
目をしっかりと見て言い放つ。
「……正直信じたくないけど、お前を信じないわけにはいかない、と思う」
「そう」
「あ、あぁ……。あの、……」
結構勇気を持って放った発言だったが、顔色一つ変えてくれない。
単純にスルー能力が高すぎるのではないか、と思わなくもないが、よく見るとほんの気持ちそわそわしている気がする。気がするだけだ。
「『邪神』って言ってたけど、実際には何なんだ? まさかそのままの意味じゃないよな」
「そのままの意味だけど」
「……マジかよ」
「本気」
旋の動きが再び止まる。
瞳に嘘はない。むしろ一番力の……いや、あれは、
……怒りの篭った眼?
紘一の思考を
「七年前のあの日。クラスの皆の命を……私たちからは"かけがえのないもの"を奪い、そして、今も町の人を襲い続けている」
「……何だって?」
よほど強く握っているのか、日本刀が震え、金属の揺れる音が聞こえる。
すると旋は突如こちらを……否、その先を強く睨み、腰を落とす。
……どうしたんだ? 後ろに誰か───『何か』がいる?
振り返るより先に、旋の言葉が響く。
「それだけじゃない……私が何よりも許せないのは! 無差別に人の命を奪い!人を人で無くし! 遊び感覚で人を死に至らしめる! ……そしてあまつさえ、『その行為を含めた存在そのもの』が、───"町の人たちに受け入れられてしまっている"という現実……!!」
● ●
紘一が振り返った先。そこには"闇"がいた。
目のゴミかと誤認するほどの、晴天に似合わぬ"闇"。
それらが、電柱の足元でわらわらと蠢いていた。
紘一は、その動きに既視感を覚えた。
以前、夕食時にテレビに映っていた動物番組で見たものと酷似していたからだ。
場所はサバンナ。
弱肉強食の権化とも呼べるその場所で、集団行動で狩りをする獣。
獲物を捕らえ、生きたまま食事を始めるその姿に、こちらの食欲が減退させられたものだ。
……そうだ、奴らに似ている。
我先に喰らわんと肉にかぶり付き、骨を砕き、根こそぎ齧り尽くす、まさに"狩り"。
ハイエナだ。
その捕食者達はこちらの存在など意も介さないかのように、獲物だったらしいものを貪っていたが、旋の殺意と紘一の恐怖に気付いたのか、ゆっくりとこちらを向いた。
「───ッ!!」
紘一は、その姿を視認した瞬間、全身の血が凍ったかと思うほどの
その"闇"の正体は、人の顔だけが浮かんだ化け物だったからだ。
全容は形の線がぼやけるほどの闇に覆われ、生理的嫌悪感を擬人化したかのような、嫌らしい表情を浮かべた巨大な目と口。
その歯は、今まさに食事をしていたという証拠とも言うべき
今、見えているだけで16匹。
集合体恐怖症というものがあるらしいが、それに該当する者が見れば卒倒ものだろう。それだけで命の危険に晒されるが。
「う、あっ……」
紘一は思わず後ずさる。そして間髪入れずに、旋が前に躍り出た。
「紘一。あれが私の敵。私たち人間の敵。……"
「け、がい……」
旋に話しかけられて、紘一はようやく口を聞けた。続けて旋は言う。
「紘一は下がって。出来るだけ離れてて」
「す、すまん……」
「いいから!」
……くそっ、情けねぇ!
自分よりも身長の低い女子に守られるように動かれるとは、男子失格だ。
だが、これ以上ないほどに足が竦んでしまっている。
ここまでの恐怖は今まで記憶に無かった。
もしかしたら奪われたものの中にあるかもしれないが、今は関係ない。
恐怖。
旋が一緒に居なければ、死ぬかもしれないという絶望が紘一を包み込んでいただろう。
昨晩体験したばかりだ。仟螺・旋は死なない。
故にこの場を任せるには、旋しか頼れる者が存在しないのだ。
紘一は旋に守られるという事実に、心の底から安堵した。
……情けねぇ!
その安堵こそが、今最も紘一を苛立たせる概念だった。
● ●
旋は、紘一が自分の背後から離れたことを、気配で察する。
その間も目線は目の前の化け物から絶対に外さない。
腰を落とし、いつでも抜刀できる態勢で相手の出方を見る。
顔だけの化外らは旋をまじまじと見つめてきた。
怖気を全身に帯びるが、まだ動かない。
不意に、顔の一匹が動きを変えた。
『ギヒッ!』
この世のものとは思えない音色で吹き出したのだ。
『ギヒャッ! ギシィ! ギシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャ!!!』
すると、残りの顔面もそれに共鳴するかのように笑い出す。
『イヒャヒャヒャヒャ!!』『ギヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!』『ギイィィィィィィィィィィ! ギヒイィィィィィィィィィィ!』『ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ!!!!!!』
まるで人の神経を逆撫でしたいかのような不協和音。それも大音量。
ずっと聞いていたらきっと発狂してしまうだろう。
「……………………」
旋は、
分かっている。分かっている。
これはあからさまに、私に対する挑発だ。
こいつらは知っているのだろう。もしくは知らされていたのだろう。
旋は顔から目を離さないまま、視界の端を意識する。
電柱の足元。そこには、無残に喰らい尽くされた血と骨と少量の肉片、それに鈴のついた首輪が見えた。
「……ッ!」
一瞬だけ目を開き、そして閉じる。
旋は、落とした腰を一旦戻す。
右手を日本刀の柄に乗せ、確かに握る。
柄を握ると、静かに、そしてゆっくりと鞘から刀を抜いていく。
太陽に照らされた刀身は、白く、それでいて澄んだ輝きを放っていた。
左手に持ったままの鞘を道端に投げ捨てる。
その音に反応したのか、顔共は下卑た笑いを止めた。
静寂。
それを破るように、旋は言葉を発する。
「……何のために殺したの?」
『ギ……?』
言葉の意味が分からなかったのか、言葉そのものが伝わっていないのか。
どうでもいい。
「貴方たち"
『……………………』
「───なら、何のために生き物を殺す? 貴方たちの狩りの目的は、一体何なの? 」
『……ギジィ! ギッ!』
旋の並々ならぬ殺意に怯えを得たのか、顔の化外は各々が浮かび上がる。
『ギギキキィィィ!!!』
「……やっぱり
刃先を顔共に向け、そして構える。
宣戦布告だ。
「その身に
セーラー服と日本刀 深咲兎 @Makkey090908
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