夜半

 夜半のこと。

 美が目を覚ますと、由羅がいた。


 戸板の隙間より、線を引くように入り込んだ月の光で朧気に見える。布団に横たわる美のとなり、思いのほか近くで、自分の腕を枕代わりに寝そべっていた。

 相変わらずの無頓着ぶりで、何も無い床の上、被るものさえなく、見ているこちらが寒くなるような寝姿だ。

 美はそっと身を起こし、にじり寄ると鬼の顔を見つめる。


 美が熱を出して伏せった日から、由羅は同じ部屋で寝ることが多くなった。多くなったとは言え、元々家にいつかない鬼だ。毎日という訳では無い。けれど、ふと気付けば、このように傍へいることが多くなったように思う。


 しかし、このように寒々とした床の上で寝て、休まるのか。

 もちろん、彼は人ならざるものなので、このような心配は余計なことなのかもしれないが。


 一度、布団に横になったらどうかと勧めたことがある。すると、由羅は意味ありげな視線をよこし。


「鬼を床に誘うとは、お前も中々だな」


 などと言う。

 意味に気が付き、こちらが真っ赤になると、『何でもするのではなかったか?』と更にからかわれた。


 そのように彼女を困らせながらも、心細く思う時には不思議と傍にいる。


 優しいのか。意地悪なのか。


 美は自分の羽織を一枚とると、由羅へそっと掛けた。気配で目を覚ますかと伺うも、鬼は穏やかに目を瞑ったままだ。

 信じられないほど鋭い感覚で、些細なことでも目を覚ましてしまう彼が、警戒もせずこのように眠っている。

 信頼されているのだろうか?

 そう思うと、美の胸は騒いだ。


 そう言えば、近頃桜の夢を見なくなった。

 理由は分からなかったが、やはり夢は夢に過ぎなかったのかもしれない。姉と名乗る姫が現れたのは、美の寂しさが見せた幻だったのだろうか?


 由羅が添い寝をするようになってから、怖い夢を見なくなるとは、年端も行かぬ童のようではないか。なんとも情けない気持ちになり、ため息が漏れる。それでも、誰かがそばにいる事が嬉しかった。


 けれど、もしかしたら誰かではなく…。

 由羅だから、かも知れない。


 *


 無意識というようなすばやさで、眠っていたはずの由羅の手が宙を掴む。同時に開いた目が、鋭く隣で眠る者を窺った。

 美は静かな寝息を立てている。


 美が彼に打掛けを被せた時も、困ったような微笑みを向け、こちらを見つめていた時も。由羅は眠ってなどいなかった。

 ただ、その視線を受け止めることがこそばゆく、狸寝入りをしたのである。


 招かれざる客の訪問以来、由羅はこの娘の処し方を先延ばしにしていた。

 いつもの様に食べ、淵にでも沈めてしまえばいいのだが、それが出来ない。したくなかった。

 なぜ?


 その気持ちを、突き詰めようともしなかった。

 もう、分かっているも同然なのに、確かめたくなかった。それから何事も起きなかったのをいいことに時間を引き伸ばし、もう無かった事にしてしまおうとさえしていた。


 それなのに、だ。


 握りしめた拳を顔近くまで下ろし、薄く開く。手の中には絶え絶えにひかる蛍が一匹握られていた。それを確認し、軽く舌打ちをする。


「切り無し」


 一晩に一匹飛んできていた蛍が、日に日に数が増し、今や潰しても潰しても代わりが飛んでくるという状態になっていた。

 命を脅かすような妖ではなさそうだが、これが来ると美はよく眠れないようで、朝疲れた顔をしている。何故か由羅はそれが気に入らなかった。


 そこで、あまり気は進まなかったが、知り合いのあやかしに頼んで、蛍がどこから飛んでくるものなのか調べてもらっていた。


 その返事はまだ無い。

 もう少しかかりそうだ。


 空がしらみ始めるのを感じ、由羅は静かに身を起こした。部屋を去る前に、もう一度美を振り返る。ふと、体から滑り落ちた打ち掛けが、床に鮮やかな波を作っているのが目に留まった。

 鬼はそれを手に取ると、労わるように美へ被せた。いつも彼女がするように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夕月夜 縹 イチロ @furacoco

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ