姉妹連帯 大熊家
さわだ
姉妹連帯 大熊家
古い木造家屋の畳敷きの居間、長方形をした古い漆塗りのちゃぶ台を囲むように、各辺に五人の女性が座り込んで居た。
「うーん、困りましたね」
本当に困っているのだろうか全く信じられない屈託の無い笑みを絶やさずに、口を開いたのは長女の大熊愛(おおくまあい)だった。
都内の上場企業に勤め始めて一年目、仕事から帰ってきたばかりなのか白いブラウスにロングスカートを履いたまま膝を折っていた。
ブラウスは大きな胸に支えられるように膨らみ、黒く長い髪は女性らしく、清楚すぎて垢抜けないが誰もが好意を抱くであろう。
大きな目で微笑む姿には子供っぽい茶目っ気もあり、初対面では清楚な物静かな大人の女性なのか、明朗快活な女性なのか掴みかねるところもある。
「ホントに困ってるの愛姉?」
愛から見て右側に座っているサイドテールの女の子が頬を膨らませながら拳を握ってちゃぶ台を叩く。
「だめよ渚ちゃんそんな強く叩いちゃ」
隣に座っていた女の子が小さい声で耳打ちする用に囁く。
「だって岬姉、愛姉が全然困ってないんだもん!」
指差して愛を非難するのは末っ子の高校生の渚(なぎさ)だった。背が高く運動神経は姉妹の中で一番あって、そのせいか活発な性格で、いつも声が大きい。
「そんな事ないわよ渚ちゃん」
不安そうに、少し渚に身体を寄せながら宥めているのは同じく高校に通う四女の岬(みさき)だった。
好戦的な姉妹の中で唯一お淑やかがベースになっている、家庭的な女の子で実際料理選択の家事全般をそつなくこなしている。
「愛姉さんは私達を不安にさせないようにワザと堂々としているのよ?」
「それは無いでしょ? ねえ愛姉?」
横から声を掛けたのは愛と対面に座っている大学生の三女の港(みなと)だった。キュロットパンツを履き、足を立てて身体を横にして肘を机の上に乗っけている姿は、他の姉妹が正座しているのとは対称的に粗野に見えた。
「ねえ港、そんなに私不安に見えない?」
「見えませーん」
「そう、本当に困ってるからみんなに相談してるのだけど・・・・・・」
湯飲みをゆっくり置いて、愛はちゃぶ台の真ん中に若干自分よりに寄せてあった御菓子の入った皿に手を出して、煎餅を取り出す。
「本当にどうしましょうねえ?」
また愛は呟いて、すぐ煎餅を囓りはじめた。
「本当に困ってるの愛姉!」
渚は大きな声を出し、今度は両手を机に付いて身体を乗り出す。
「だめよ渚ちゃん落ち着いて」
間に岬が割って入って渚を止めようとして渚の肩を掴もうとしたが、なぜか肩を掴めず渚の後に倒れ込んでしまった。
「ちょっと岬姉だいじょうぶ?」
「大丈夫よ・・・・・・渚ちゃん」
倒れかかった時、手を付けられず顔から畳に倒れてしまったのか岬は鼻の頭を真っ赤にしていた。
「ドタバタ五月蠅いわよ渚、岬」
それまで全く存在を感じさせなかった、渚と岬の対面に座っていた大学生の二女の海(うみ)が声を出した。
耳を隠したショートボブ、太い黒縁の眼鏡を掛けて愛想笑いの一つも無く、張った肩からは怒りすら感じる。
そして放ったドスの効いた低い声はそれだけで居間の空気を重くさせた。
「何か文句あるの海姉?」
渚は姉の海へ明らかな不満を表す。
「渚がそこで猿みたいに机叩いても事態は好転しない」
「猿ですって!」
また渚が机を両手で叩いて今度は次女の海の方へと身体を寄せる。
腕を組んでずっと話しを聞いていた海も顔を上げて末の妹を睨み付けた。
「ちょっと渚ちゃん、喧嘩はだめよ・・・」
岬は渚を宥めたいと思ったのだが、ぶつけた鼻が痛くて顔を抑えている。
「そのすぐにモノを叩いたり大きな声を出したりするのが理性が効いてない証拠でしょ?」
「じゃあ海姉みたいにムッツリ黙ってれば状況がよくなるって言うの?」
「少なくとも大きな声を出すことに何の生産性があるの? 教えて」
「何よ難しい言葉使わないでハッキリ言いなさいよ!」
「渚が大声出しても無駄でしょ、無駄、意味が無い、必要ない」
「何ですって!?」
二人とも遂には立ち上がって目線を合わせる。
背はほんの少し妹の渚の方が海より高い、だが上目遣いの海は一歩も引かず顔を少し上げる。
その姿が渚には「見下されている」と感じて、さらに眉間に皺を寄せてしまう。
「ほら、そろそろ止めなよ、止めなーって」
胡座を組みながら三女の港も声を掛けるが、その姿にはやる気は感じられない。
「渚ちゃんダメよ・・・海姉さんに逆らっちゃ」
岬はまだ鼻を押さえていた。
「ああもう、今日という今日はこの頭でっかちの好き勝手に言わせておけないわ!」
「あら、頭空っぽのあんたからどんな言葉が出てくるのか楽しみね」
愛と同じくらい胸が豊かな海が胸を張って渚を挑発する。
渚はもう勘弁ならないと遂に手が出て海の胸座でも掴もうかと手が出そうになった。
「ハイそこまで」
パンと愛が手が叩いた。
まるで幼稚園児を呼び込む保母さんのように信頼しきったと捉えるか、なめきった態度と捉えるか難しい、屈託の無い笑顔で注意を呼び込んだ。
「もう海、渚、喧嘩したらダメよ、大熊家の家訓にもあるでしょ?」
全員の視線が長女の愛に集まる。
「喧嘩で声を出すなら手を出すな、手を出すなら無音でやれってね?」
「初めて聞いたわ」
「初めて聞いたよ!」
海も渚も二人して声を揃えて姉の愛に抗議した。
「でた、愛姉の適当な大熊家家訓」
嬉しそうに三女の岬は手を叩きながら笑った。
「あら初めてだったかしら?」
愛は惚けているのか、本当にそう思ってるのか誰にも判断出来ない顔で笑う。
「もう愛姉はいつも適当なんだから・・・・・・」
呆れながら力が抜けたように渚は座り込んで胡座を組んだ。
「まあ、こんな事をしていても仕方が無いものね・・・・・・」
海も座り込んで眼鏡を外す。
「でっどうするの姉さん?」
海は睫毛の重たそうな瞳で睨みながら、少し溜息の交じった気怠い声を出す。
「なんですか?」
愛は大きな目を見開いて、腕と背筋を伸ばして不思議そうな顔を浮かべる。
その呑気な笑顔にもう一度海が溜息をつくと同時に、また渚が机を両手で叩く。
「お金!」
「お金の事です」
声が被ったことに納得がいかないのか渚と海はお互い一瞥した後、お互いの不満よりも大事な問題に対するべくすぐに愛の方を向く。
同じように港とまだ顔に手を当てながらも岬も愛の方を見る。
「本当に来週までに三十万円も用意しなければいけないの?」
「ええ、どうやらそのようですね」
「そんな大金すぐ用意出来る分け無いじゃない!」
「なんでそんな事になってんの?」
「お父さんどうやらその方に借金していたようで・・・・・・」
そう言って愛は後ろにある居間の横にある古い箪笥の引き戸の中から封筒を取り出し、その中にある折り畳まれた借用書を取り出して机の上に広げた。
借用書と書かれた、たった一枚の紙は三つ折りにしてあったのか折り目がついている。雑な扱いをされている感じがするが、紙の上の割り印と、直筆のサインに届け印が押してあるそれなりに法的根拠のある書類であった。
「私は貴殿より金・・・何て読むの?」
「参拾万(さんじゅうまん)円を借り受けましたって書いてあるのよ、愚妹」
「そっそれくらい分かるわよ!」
海の言葉を聞いて渚は愚妹の意味が分からなかったが馬鹿にしている事は分かった。
「三十万円か、大金といえば大金だね」
「そうね、微妙に大金ね・・・・・・借用期限が来週末までで遅延の場合は十五パーセントの遅延損害金が発生ね」
白い紙に書いてあるのが数行で、それ自体が三十万円の価値があるとはなかなかピンと来ない。特に高校生の岬や渚には三十万円というお金の重さも、この紙一枚の為に好きな洋服や新しいスマホ、家族で旅行に行ける金額を払わなければいけない理由が発生する事も中々理解できなかった。
「お父さん銀行に借金してただけじゃなかったの?」
「私もつい最近まで知らなかったのよ」
「誰にお金借りたの?」
「私も名前は知らないのだけど・・・・・・」
お金を貸した借主の名前は姉妹も始めてみる名前だった。
住所は神奈川県の横須賀で、姉妹の暮らす埼玉県の郊外からは少し離れているが、遠過ぎはしなかった。
「こんな名前、香典貰った人の中にもなかったんじゃない?」
港が借用書を取り出して不思議そうに見る。
「そんな縁のあった人じゃないんじゃない?」
透かしでもあるかのように、港は持ち上げて訝しげに借用書を見上げた。
つい二年前にあった父の葬儀には家族総出で対応して、港は香典返しの準備をしていたので何となく名前は覚えてる。
「私もお香典の台帳見たんだけど、この方のお名前はありませんでしたね」
「うーんこの借用書どうしたの?」
「お家の権利書類を探してたら書類の間に挟まってたんです」
「あーもう出て来なくって良いのになぁ」
港は興味無くなったのか紙を机の上に放り投げた。
「返済期限の前に気が付いて良かったのかも知れないわね」
今度は海が借用書を拾い上げた。
「この借用書を元にいきなり返済を求められても、ちょっと困るわよね?」
「三十万みたいな大金、ウチにすぐ用意出来るの?」
心配そうに言う渚に、誰も返答は出来なかった。
家も借金の肩代わりに抵当に入ってる大熊家で、働きに出ているのは長女の愛だけで、両親も居ない家族に来週末までに三十万用意しろというのは酷な事だった。
「しかもちょっと最近出費が続いてましたしね、貯金を切り崩すしか無いのですが・・・・・・」
大熊家の貯金というのは主に学費の為の蓄えだった。
毎月節約して、岬と渚の大学進学への学費を貯めている。
姉妹誰もがバイトをしているし、節制をしていても両親の居ない大熊家の生活は厳しい。
「何かと先月お金使いましたからね」
愛の発言と同時に突然海と渚が立ち上がる。
「だから言ったじゃ無いの、あんなオモチャみたいなハンディータイプのサイクロン式掃除機なんか買うからお金無いんでしょ!?」
「海姉だってゲームやりたいっていって、家のパソコン無駄に大きくて重くて邪魔なやつにこの前切り換えたじゃん!アレ、十万したよね、十万!」
「パソコンは必要でしょ? 前のヤツはもう立ち上がるのに三分くらい掛かってたんだから使えないわ」
「パソコンなんてスマフォあれば要らないじゃん」
「掃除機よりは必要よ」
「ちょっと岬姉がいつも掃除大変なの知ってるでしょ! あんな十年前のバカでかい掃除機使って掃除すんの大変だったんだからね!」
「渚ちゃん落ち着いて・・・・・・」
岬は別に古いままの掃除機でもよかったのだが、渚が絶対新しいのにした方が良いと渋る岬を伴って姉妹全員で家電量販店に行って、その場で岬を除く家族全員が最新式の掃除機の吸引力に感動したが流石に七万円以上するので一度は諦めたが、渚が愛を説得して量販店でプレゼント包装して貰って買ってきた。
それ以来岬は高い買い物に恐縮して毎日掃除機を掛けている。
後は偶に愛が自分の部屋に掃除機を掛けるのに使う以外は誰もサイクロン式の掃除機は使っていなかった。
「まあ、お父さんの借金の話しに気が付いたタイミングが悪いですね」
「本当に返さなきゃ行けないの?」
「知らなかったフリして返済しないで、いきなり裁判所とかに話しを持って行かれても困るわよ」
「そうねえ、そうなると銀行の覚えも悪くなるだろうし・・・」
大熊家の持ち家は家のローンは返済を銀行に待って貰ってる状態で、現在は利息分だけ支払っている。
まだ数百万の借金が銀行に残っているのだ。
「どうすんのよ、無駄遣いばっかりしてるからこういう時に困るんじゃない!」
「だからあんな高い掃除機要らなかったのよ・・・・・・」
「なんですって!? あんなデカイパソコンの方が要らないわよ!」
また海と渚の口論が再び始まろうとしたとき、パンと手を叩く音が聞こえた。
手を合わせて菩薩のような笑みを浮かべる愛の顔を姉妹全員の視線が集まる。
「ハイこの話しはここまで、やめ、やめ」
愛は立ち上がって借用書拾い上げると、後の箪笥に仕舞い込んだ。
「ちょっと愛姉どうするの?」
「まあ、お金の事は何とかします」
「でも来週までに三十万円なんて・・・・・・」
「大丈夫よ渚ちゃん、心配させてごめんなさいね」
長女の愛は笑みを決して絶やさない。
「岬ちゃん、私のご飯は?」
「ハイ、お台所のテーブルの上にあります」
「ありがとう、お腹空いちゃったわ」
「あっ準備しますね」
「いいわよ一人で出来るわ」
「いえ、お仕事お疲れですから、私やります」
慌てて岬は台所の方へと駆けていく。
「今日のご飯は?」
「カレイの煮付けです」
「やったわー」
両手で握り拳を握って腰だめにガッツポーズした後、愛も居間から出て行った。
居間に残った三人はそのまま動きづらそうに、三人とも同時に溜息をついた。
「はぁ〜お父さんの借金かぁー」
「一年前の家をどうするかって話しの時の事思い出すね」
港が言う家の話しは、父親が亡くなったときにまだ三十年ローンの返済が終わっていない家を、売却するかどうかの話しが親族間で話し合われた事だった。
誰もが家を手放して、借金を清算するしかないと思っていたとき、ただ一人長女の愛が反対して、自分が代わりの保証人になるから家の売却だけはしないと訴えた事。
書類上の手続き、お金の問題など親族間の多少のやり取りはあったが、なんとか大熊家の離散は食い止められた。
「お父さんはお金の問題だけ残して行ったわね」
「ああ、私も石油王の娘に産まれたかったなあ」
「そうね、渚が石油王の娘だったらバカみたいにお金使って、世界経済にお金が良く回ってみんな幸せになるわね」
「どうせバカにするんだったら、もっと分かり易くバカにしなさいよ!」
「まあまあ二人とも落ち着いて落ち着いて」
三女の港は流石に末っ子の渚が可愛そうになって来たので間に入った。
「まあ愛姉さんが何とかするって言ったんだから何とかなるでしょ?」
「そんな事言ってもウチにそんなお金あるの?」
「どこかで借りるしかないわね」
大きなちゃぶ台を囲んで三人とも腕を組んで考える。
何かお金に換えられるものがこの古い家に残ってないだろうか?
その時渚は家の隅にある、物置になっている父親の部屋の事を思い出していた。
「あっ!お父さんのアレって高く売れないかな」
「アレ?」
「ほら、アレよアレ」
「渚、主語がないわ、主語が」
「いや、だって私アレなんていうのか知らないもん」
「なによアレって?」
「ほら、お父さんの机の上にあるアレ、透明ケースに入ってるヤツ!」
「ああ、アレかぁ・・・・・・」
「アレね・・・・・・」
「そうアレ」
三人ともアレしか言ってないのだが、思い描いている絵は同じようだった。
ただ、それを表現する言葉が出て来ない。
「ああいうのなんて言うの?」
三人が腕を組んで考える。
「戦艦?」
「ソレだ!」
「ソレ!」
海の一言に港と渚は指差して疑問が解けた事への喜びと同意を示した。
「騒がしいわね」
「そうですね」
台所で食事をしている愛と片付けをしている岬が居間の方を振り返る。
そのあとドタドタと廊下に出て階段を上り下りする音が聞こえた。
「どうしたの貴方たち?」
居間に愛が戻ると、机の上には少し大きめのアクリルケースに入れられた灰色の船の模型があった。
「あら、そんなもの持ち出してどうしたの?」
三十センチほどの長さの中に、台座に据えられたのは大砲をたくさん積んで、他にもアンテナを結ぶ線や、小さな複葉機を乗せて、艦尾には旭日旗を飾っていた。
見る人間が見ればすぐにこれは何十年も前に戦争で戦っていた時代の船だと分かるだろうが、誰もそんな知識もない姉妹には「お父さんの作ったプラモデル」でしかない。
「愛姉、これお父さんが作ったプラモデルだよね?」
「ええそうよ、みんなが小さいときに昔よく作ってたわね」
手先が器用だった父はよく家の小さな物置部屋にある小さな机の上で艦船模型を作っていた。
スケールは本物から七百分の一のサイズで、数ミリ程の小さな柵やロープを接着剤でくっつけて、小さい部品をピンセットで拾い上げて組み立て行く。
部品が組み上がった後にプラスチックを鋼鉄の塊に見せるための塗装を施していく。
目を近づけて見れば小さな部品を巧みにくみ上げ塗装を施している技巧が良くわかる。
「これ売ったら結構なお金になるんじゃないかな?」
「お父さんの船を?」
「うん」
「まあ結構細かいし、こういうの好きな人には案外受けるかもね?」
渚の隣に座る港が冷やかすように言う。
「そうだよ、これネットオークションとかに出せば結構いい値段が付くかも!」
「そうかしら?」
「いいじゃん試しにオークションに出してみようよ? ねえ愛姉?」
「そんなお金にならないと思うけど・・・・・・」
「モノは試しよ、試し」
「箱とか無いわけ?」
「部屋を掃除してても、そういう船の箱とか見た事無いです」
大熊家の家の掃除を一手に引き受けている岬が言うのだから、箱などの類はこの家には無いのだろうと全員が納得した。
「まあ、とりあえずケースから出して写真撮って上げてみようよ」
「渚、あんたオークションのやり方分かってるの?」
「友達がやってるの見た事ある・・・・・・だけ」
「全く思いつきですぐに動こうとするんだから・・・・・・」
「何よ、私は少しでも足しになればって思ってやってるんの!」
「まあまあ二人とも落ち着いて落ち着いて、私が昔要らないモノ売るときに作ったアカウントがあるからさ、ソレ使ってやってみようよ」
「港、あんた何売ったの?」
「えっ服とか鞄とかだよ、あんまりたいした値段付かなかったけどね」
「その売ったお金は?」
「お酒飲んじゃった」
港は二十歳前に飲酒を始めている。港はお酒にはめっぽう強く、稼いだバイト代はお酒に消えている。
「ありがとう港姉、じゃあとりあえず写真撮るね」
「渚、あんたこの船の説明できるの?」
「えっお父さんが作った船ですって書けば良いんじゃ無い?」
「それじゃこの戦艦を欲しがってる人に情報が届かないでしょ?」
「そうだけど・・・・・・」
「売るんだったらちゃんとやることやりましょ」
「あれ海姉も賛成なの?」
「お金が必要なのは家族全員でしょ?」
海はそっと渚に手を出す。
海と渚はそのまま左手で固い握手を交わした。
「いいんですか愛姉さん」
一部始終を見ていた岬が心配そうに愛の方を向く。
「まあ、やりたいようにやらせましょう」
「でも・・・・・・」
「古い作ってしまった模型だからそんな値段が着くモノとは思えないしね。まあ、お金を稼ごうと努力することは悪いことじゃないわ」
愛はそんなことよりと、再び台所に戻ってごはんでも食べようとした。
「ねえ、愛姉この船の名前知ってる?」
「船の名前?」
愛姉は顔に手を当てて考えた。
「うーん確か・・・・・・」
愛は船の模型を見ながら何か思い出そうとした。
家族全員が愛に躙り寄る。
「忘れちゃった」
全員が膝を折ってその場に崩れた。
「愛姉にそういう細かい事聞いちゃダメだった・・・・・・」
渚が呆れて頭を抱える。
「フフ冗談よ冗談」
「なんで今そんな冗談言えるの・・・・・・」
「その船の名前は熊野よ、重巡・熊野よ」
「じゅうじゅう?」
「軽い重いの方の重に巡礼のじゅんで「じゅうじゅん」って書く種類の熊野って名前の船よ、お父さんが良く言ってたの覚えてるは」
「分かった「じゅうじゅん・くまの」って船なのね、サンキュー愛姉」
名前を聞くと早速渚と海、港がノートパソコンを持って来たり準備を始めた。
「良いんですか愛姉さん・・・・・・」
「まあ、やるだけやってみるのも良いんじゃ無い?」
「でも、お父さんの作った大事な思い出の品なんじゃ・・・・・・」
「そうだったらあんな物置部屋に置きっ放しにしないわよ」
「でも・・・・・・」
愛は岬の肩をポンと叩いた。
「ねえ、ご飯のおかずもう少し無い?」
「里芋の煮物が冷蔵庫に残ってます・・・・・・」
「じゃあそれでもう少しご飯食べられるわね」
嬉しそうに台所へと消えていった姉を見ながら岬は何だか大きなモノを見落としているような気持ちになった。
数日後、また大熊家姉妹は居間に集まってちゃぶ台を囲んでいた。
「どうしようコレ」
「そうね、まさかこんな事になるなんてね」
いつもの様に対面する形で座っている海と渚が腕を組みながら
「世の中はよく分からないねえ」
売ると決めた艦船模型を透明アクリルケースに入ったまま手が届き難いようにピッタリと机の中央に置き、それを囲うように大熊家五姉妹が揃っていた。
「あっまた入札あったよ」
港が持っていたスマホを覗く。
「今、幾らの値段付いてるの?」
「二十五万円」
「凄い、これが二十五万円か・・・・・・」
全く興味の無い姉妹にはなぜこの小さい船の模型が二十五万円も価値があるのか全く理解できなかった。
そうとう父が作った艦船模型は出来が良いらしく、噂が噂を呼んであっという間に設定してた金額を軽く超えてしまった。
入札者は数十人居て、今も毎時間入札価格が上がっていた。
色々と熱いコメントが記載されているのだが、戦艦の事なんか何一つわからない姉妹にはコメントを返しようが無かったが、誰もが欲しがってるのはわかった。
「オークションてあれでしょ、最後の方で価格が上がるんでしょ?」
「入札の締め切り間際が当然ね、値段が上がるものね」
「もしかして借金返しちゃうどころか、利益出ちゃうんじゃ!?」
興奮した渚が立ち上がって拳を握ってガッツポーズをする。
「落ち着きなさい渚」
「まあまあ海姉さん、ナギが喜ぶのも無理ないって」
「港、貴方も二本目早すぎるでしょ自重しなさい自重」
「へいへいっと」
そう言うと港は持っていた発泡酒の缶を一気に飲み干して空にしてみせた。
「いやーめでたいねー直近の借金からもおさらばだね」
「それどころさ、もっと値段が付いたらさ、また何か好きなモノ変えるかも」
「おっいいねえナギ、何欲しいの?」
「うーん家族全員で使うモノだったらなんだろうなあ・・・・・・食器洗い機とかがいい岬姉? 」
「それ位はあなたが手伝えば良いでしょう?」
「そういう海姉だって手伝えばいいでしょう?」
「私は自分の分は自分で洗ってるわ、洗濯物の何もかも出しっ放しのアンタと違うの」
海の洗い方は雑だからその後もう一度岬が洗っているのは内緒だったが、そのままの渚よりは家事に協力的だった。
「なんですって!」
ぐうの音も出ない正論に渚は唇を噛んだ。
「まあ、よかったよね借金チャラになってさ、このお父さんが残してくれた船のお陰だね」
「そうだよ、お父さん凄い人だったんだね」
港が振ってくれた話題に渚が飛びつく。
「まあその借金を作ったのはお父さんだけどね」
「ああもう海姉はすぐそういう事言うんだから、けど三十万円以上価値がするなんて凄くない?」
「でもこれ作るのに凄く時間掛かるでしょ? 三十万円じゃ原価割れしてるんじゃないの?」
「海姉は借金チャラになって嬉しくないの?」
まだ三十万円の借金の分まで落札価格は上がってないが、渚はすっかり三十万円に達しているつもりで話す。
「そりゃ嬉しいわよ、五月蠅いわね」
慎重な海はもう借金が返せてさらに新しい買い物が出来るつもりになっている渚が気に入らなかった。
「いやー幾らになるのかね、楽しみ」
三本目の発泡酒を開けながら港は微笑む。
「この船って本当にお父さんが作ったものなんですか?」
それまで黙っていた岬が突然会話に入り込んだ。
「何言ってんの岬姉、ずっとお父さんの部屋にあったじゃない?」
「そうだけど、私あまりお父さんがこういうことやってるの見た事なくて・・・・・・」
「えっそう? 私はあの狭い物置小屋で背中丸めて作ってるの見た事あるよ、ねえ海姉」
「そうね、本当に時々だけど見た事あるわ」
「あっ確かに私もお父さんが模型作ってるの見た事無いかも」
姉妹で父親に対する印象は割れていた。
「そうね、岬や渚が生まれてからお母様が病気になったから、その時にはもう殆ど模型作りの趣味は止めてしまっていたわね」
それまで一言も発していなかった愛が口を開く。
「私が小さい頃はよく膝枕に乗っけて貰って、お父さんが船の模型を作るのを見てたわ」
愛は何処か懐かしそうに目の前の船の模型を見た。
「私が目の前の船の部品を口に入れてしまってから、子供と一緒にそういう事はしなくなったんですけどね」
私達がお父さんの模型を作る姿を殆ど観たことがないのは愛の子供らしい何でも口に入れてしまう事故のせいだった。
ときどき周りが驚くほどの決断力を発揮する愛らしいと言えばらしい事故だと姉妹全員が納得した。
「何か私にはお父さんって趣味なんか無い、仕事ばっかりしてる人だと思ってた」
渚も模型を見ながら小さく呟く。
「みんなそう思ってたんじゃない?」
少しだけ頬を赤くした港が追随する。
「知らない所で借金してたり、凄い模型を作ってたり、なんだかお父さんって変な人ね」
海は何だか怒っているようだった。
「私達はお父さんのことよく知らないんですね一緒に暮らしてたのに」
岬は何だか酷く他人事のように言う。
「私がお父さんについて知ってるのは船の模型を作るのが得意なのと、いつも家族の事を第一に考えて頑張ってたって事だけね」
ちゃぶ台の真ん中に置かれた模型、それなりの価値を持つ精密なプラモデルを見ながら、姉妹全員がそれを作った父親の事を考えた。
大小の借金を残して死んでしまった父親。
遺品として残したわけでもない船を見ながら姉妹は黙ってしまった。
その時ふと思い出したのは父親の納棺の時だった。あの時大熊家五人姉妹は誰一人泣いてなかった。
渚だけは目に涙を溜め込んでいたが、誰も泣かなかったので泣けなかった。
「よし、じゃあこの話しはここまでね、ハイ、ここまで」
突然愛は嬉しそうに手を叩いてそのあと手の平を皆に向けて、まるで興奮する大衆に語りかける弁士のように姉妹に自制を即す。
「どっどうしたの愛姉?」
「じゃあ渚ちゃん、そういう事でお金はなんとかするから、この船を売るっていう話しは無かったって事でよろしくね」
「えっ? ちょっとちょっと愛姉どうしたのよ」
立ち上がった愛を見上げながら渚は手を上げる。
「じゃあ、私台所でご飯食べてくるわね」
「ねえ、愛姉今なんて言った?」
「ご飯を食べてくるって」
「違う、その前」
「台所で・・・・・・」
「本当にこの船売るの止めちゃうのかって聞いてるの!」
「ええ止めましょうやっぱりこの船を売るの」
「愛姉さん、本気で言ってる」
「そうよ海ちゃん」
「それは大熊家長女としての結論?」
「そうよ」
海は大きな溜息をついた。
「だそうよ渚」
「ちょっと海姉まで売るの諦めろって言うの?」
何か文句あるのかという海の高圧的な態度も気にくわないが、それよりも皆で盛り上がって決めた事が覆ったことが渚は納得できない。
「私はどっちでも良かったけど、愛姉が売らないと言ったらその船を売ることはできないわ」
「どうして、どうして?この船を売ればお金が手に入るじゃない! 今の今までみんなそのつもりだったんでしょ?」
「まあまあ、ナギ落ち着いて」
港がいつもの様に仲裁に入るが、渚は興奮して立ち上がる。
「お父さんの借金じゃない。お父さんが作ったもので返せば良いじゃん。私達生きてる姉妹が苦労するなんておかしいよ!」
「そうね渚ちゃんの言うとおりね」
愛は渚の言葉を否定しなかった。
「だったら・・・・・・こんな灰色の古い船の模型なんて売っちゃえばさ・・・・・・」
そこまで言って渚は気が付いた。
「この模型売っちゃえばお父さんが作ったものこの家から無くなっちゃう・・・・・・」
張り詰めていたモノがたった一つの小さな穴が空いてしまった為に、、ゆっくりと確実に怒りを形作っていたモノが空気の様に抜けて形を失い萎んでいく。
渚は急に小さくなったかのように肩を竦めて下を向く。
「渚ちゃん大丈夫?」
隣に座っていた岬が心配そうに肩に手をやる。
立ち上がった愛はゆっくりと渚の背中に立つと、腰を降ろしてすっかり小さくなった背中に右手を置いた。
「渚ちゃん御免なさいね心配掛けてね」
「私・・・・・・」
渚が喋ろうとしたとき、愛は手を上げて大きく渚の背中を叩いた。
「痛い!」
「あら御免なさい、ちょっと力入れ過ぎちゃった」
「何すんの!?」
「いえ、随分と元気を無くしてるので力を入れようと思ったんだけど御免なさい強すぎたわね」
「愛姉ちょっとは加減してよ・・・・・・」
咳き込みながら渚は愛に抗議する。
「まあ本当にいよいよ何かお金に困ったら、もっとよくお父さんが作った船の事調べて、もっと値段がつり上がるように色々と細工して売りましょうね」
「ええ結局売るの!?」
大事なお父さんとの思い出の品ではなかったのかと渚は抗議する。
「本当に私達姉妹がご飯食べるお金が無くなったらね。だってそれ・・・・・・」
愛は大きな胸を反らせ宣言した。
「食べられないのはずっと昔に私が確認したもの」
長方形をした古い、よく見ると細かい傷が沢山付いたちゃぶ台を囲むように、各辺に大熊家姉妹が座り込んでいた。
それはつい一週間程前と変わらぬ風景、大熊家五人姉妹の居間でのよくある家族の風景だ。
「うーん困りましたね」
「困ることなの愛姉?」
「そうね、良かったじゃない」
いつもの様に同時に海と渚が声を上げる。
ふん、とお互い不機嫌を装って渚と海は顔を背ける。
「いやー、っでどうする? やっぱり売っちゃう?」
嬉しそうに少し酔って頬を赤くしている港がちゃぶ台の真ん中にある模型を指差す。
姉妹の目の前には二つの同じ様な船の模型があって、同じようにアクリル製の透明なケースに入って並べられていた。
「増えましたね船・・・・・・」
岬は目の前に置かれたお父さんが残した二隻の模型をマジマジと見ていた。
「これも同じ熊野という船らしいですよ」
「お父さん同じの作ったの?」
「いや、これは建造当初の熊野で軽巡型ね、ほら載っかっている大砲の数が違うでしょ?」
「ほんとだ、こっちの新しい方が棒が増えてる」
元々大熊家にあった軍艦熊野の模型は艦首前部に三門、背負い式に二門、計五門搭載している主砲塔が二十センチ連装砲塔に改装され太平洋戦争を戦った形の姿だったが、増えた二隻目はその改装前の十五センチ三連装砲塔が搭載されたものだった。
よく観ると細部も違うし、戦中を再現してある重巡型よりも戦隊の汚し塗装も抑えてある。
船体後方に張られた白いキャンバスなど、戦闘中ではなく港に停泊している落ち着いた姿を再現した模型だったが、もちろん姉妹にはそんな些細な事は解らない。
「どうしてお金返しにいってコレが増えるの?」
「態々返しに来てくれたお礼ですって頂いて来ました」
休日の今日、愛はお金を持って借用書に書いてあった住所、神奈川県の横須賀に有るお宅に伺った。
電話等の連絡先が無かったので突然の訪問だったが借り主は快く愛を家に上げて話しを聞いてくれた。
「お金はずっと前に送って貰って返してあったそうです。借用書は当然返済してあるから無効ですって、お金は当然結構で受け取れないと」
「なに? じゃあ早とちりだったの」
「そういう事になりますね」
「なーんだ、もう心配して損した・・・・・・」
机に肘を置いて渚はだらける。
「心配なんかしてたの?」
「だって他にも借金あったらとか考えるじゃん?」
「ふーん黙ってれば三十万円また貰えたのにその人は良い人だね」
確かにそうだねと港の指摘に渚は顔を上げる。
「海が見える高台の立派な邸宅にお住みの方でしたからね。通して頂いた客間にお父さんの作った模型みたいな小さい船とか、もっと大きなモノとかが沢山飾ってありましたね」
父が借金をしていた人は艦船模型を集めるのが趣味で、どこかの模型展示会で父に会って交流があり、その繋がりでお金の貸し借りがあった。
「その方、お父さんが亡くなった事を知らなかったんです」
父が亡くなった事を愛が告げると、借り主は声も出さずに惜しい人を亡くしたと頭を抑えながら客間に並べた模型を見上げた。
「本当に深い繋がりが会ったわけじゃないんだ?」
「ええ、実際会ったのは数える程だったららしいです」
港はよくそんな人にお父さんは三十万円も借りてたねえ。と言おうと思ったが、まあ言わなくても良いかと頭を掻いた。
「たくさんの船の模型が並んでて、中にお父さんの作った模型も飾ってあって、お金借りる時に置いて行ったものらしいです」
「へえ、じゃあこの船は借金の肩代わりなんだ」
姉妹全員が少し前のめりになって増えた新しい船をみる。
並べたどちらの船も細かいパーツをピンセットでくみ上げて、丁寧に塗装がされている。
はためく信号旗、高いマストから船首に向かって張られた電信用の空中線、十年前に作られたモノなのにその精密さは失われていない。
「本当にお父さんって変わった人だったんだね」
渚が小さく呟く。
「どうして?」
「こんな細かいもの作ろうとおもうんだもん」
「そうね変わっているかも」
船に、ましてや大砲の付いた軍艦などの類に興味の無い姉妹にとっては艦船模型の趣味などは何が作っていて楽しいのか理解の範疇を超えていた。
ただ亡くなって一年、改めて残されたモノをみていると姉妹全員が不思議な気がした。
欲しい人には数十万円の価値がある模型を作る技術があったのに、自分達の思い出には仕事に疲れていつも土日は寝ていて、いつもお金の事を心配している姿しか思い出せない。
「お父さんどうして模型作るの止めちゃったんだろう?」
「仕事忙しかったからね」
「こんな凄いモノ作れるんだから、こういうの仕事にしたら良かったのに・・・・・・」
「それで五人の娘を養うのは何個作れば良いのよ?」
渚の考えに港が水を差す。
「例えばの話しでしょ!」
「まあ、これだけ細かいんだから、一年に一つか二つくらいしか作れないでしょ?」
「それじゃあダメか・・・・・・」
居間には、結局お父さんがこの時間の掛かる趣味から離れたのは、自分達を養う為に仕事で忙しくなったからかと沈黙した空気が流れる。
その時またパンっと乾いた音が部屋に響く。
愛が両手を叩いて姉妹の注意を惹き付ける。
「っということでとりあえず当面のお金の事は心配なくなりましたので、みんな心配掛けてごめんなさいね。もう大丈夫よありがとう」
唐突な愛の宣言に皆驚いたあとは愛姉らしいと呆れたりもしたが、安堵の空気が流れた。
「いやー良かったよ、本当に良かったー」
港が嬉しそうに声を上げて、発泡酒の缶を口に付けたがもうそんなに入って無かったのか、すぐに口を離した。
「港ちゃんもお酒美味しそうねえ、私もお酒飲もうかしら」
「おっ愛姉久しぶりに一緒に祝杯挙げる?」
嬉しそうに港が愛の方へと身体を乗り出して近づく。
「すみません、冷蔵庫に入れておいた発泡酒それで最後です・・・・・・」
恐る恐る岬が声を掛ける。
「うそ、まだ沢山あったよね?」
「港姉さんが昨日全部飲んじゃいましたよね・・・・・・」
「あらあら、港は一日に何本飲むつもり?」
「ごっごめんなさい」
「全くお酒代なんて無駄よ、勿体ないわ!」
「いやいや、お酒は大事なんだよナギ、心の洗濯に必要なんだよ、新型の掃除機よりも、新しいパソコンよりも大事なモノなんだよ」
「そんなわけないじゃない!」
「なに港? 私のパソコンにケチ付けるの?」
海と渚の両方から港に対して批判した。
「まあまあみんな、喧嘩はしないの喧嘩は」
愛が三人の仲裁に入る。
「まあ、何を買っても良いけど結局お金は使った分だけ出て行ってしまうから、でも使わないと何も得られないし、ただお金を貯めるだけなんてのも意味は無いわね」
愛はちゃぶ台の真ん中に置かれた艦船模型を見つめる。
「それに私達は私達しか居ない家族だから、その上貧乏だからどうしてもお金の問題は一生付いて回るわね、でもお父さんがお母さんが残してくれたものが沢山あるし、私は少しだけ気を付ければ何とかなるんじゃ無いかなあって思ってるの」
愛は淡々と机の上の父親が作った船の模型を見る。
その後で亡くなった母親の面影が残る姉妹達の顔を見た。
「まあ、っと言うことで」
愛は満面の笑みを浮かべて握り拳を天に突き上げた。
「大熊家、コレからも頑張って行こう!」
「おー・・・・・・えっ?」
愛の掛け声に反応したのは岬だけだった。
「洗い物悪いわね岬ちゃん」
「いえ、愛姉さんは休んでて下さい。疲れたでしょう?」
愛は食事を終えて台所のテーブルでお茶を飲みながら一息ついて、岬はエプロンを掛けて、先程の自分だけ手を上げて周りに白い目で見られた事をときどき思い出しては赤面しながら台所で洗い物をしている。
他の姉妹は自室にそれぞれ戻っていて、大熊家の一階には愛と岬だけだった、
「そうね本当に疲れたわね。お父さんのお友達に会うのはやっぱり色々と疲れるわね」
愛は態とらしく肩を動かす。
「お金の事よかったですね」
洗ったお皿を拭きながら岬は話し掛ける。
「ええ、まあお金は別に良かったのよ・・・・・・岬ちゃんには言うけど三十万くらいだったら貯金と生活費からなんとかなったから。別に私は家のお金から払うつもりだったから・・・・・・ナギちゃんがお父さんの模型売ろうって言いだしたときはビックリしたわ」
「本当にお金大丈夫だったんですか?」
お皿を重ね合わせて手を拭き岬は愛の方へと振り返る。
「ええ、だって買ったばっかりのパソコンも半分以上、海が自分のバイト代から出してくれてましたしね」
「えっそうなんですか?」
「私がこれは家のお金から出しましょうって言っても、海は自分が一番多く使うだろうからってお金出してくれたんです」
コレは家族のパソコンだといつも海が言っていたから、海からお金が出ていたなんて岬は知らなかった。
「それにあの新しい掃除機も渚ちゃんがチラシやら家のパソコンでネット広告から探して見つけて来て現金特価の掘り出し物でしたから、半額くらい安かったのですよ」
「ええ、そうなんですか?」
それも岬は知らなかった。
渚が最新式の掃除機を岬に買ってあげようと家族会議で何度も主張して、家電量販店に愛と渚の二人で買いに行って来たものだと思っていた。
「どうして二人ともその事を言わないんですか?」
「海も姉としてのプライドが有りますからね。家のお金で買ったと言うことにしておけば家族も使いやすいし遠慮しないってからって」
海はいつも冷静を装うとするが、一番気を使ったり感情的になりやすい。
「渚ちゃんも学校が忙しくてなかなかバイトしたりお金を貯められないから、変わりに色々な所で話しを聞いたりして、貴方に新しい掃除機をあげたいからって見栄を張ったのね」
「そんな、私は掃除機なんか新しくなくても大丈夫なのに・・・・・・」
「ふふふ、可笑しいわねなんだか皆で気を使い合って家族なのにね・・・・・・港も事あるごとに町内の会合出たり、大学やバイト先で色々なモノを貰ってきますしね、それにバイト代も偶には家に入れてくれますからね」
岬はあの自由奔放な港が家にお金を入れているとは思わなかったので驚いたが、口に出すのも失礼だと思って黙った。
「それにしても海も渚ちゃんも二人とも家族の事を大事に考えているのに、どうしても姉と妹という立場をお互いに意識しすぎて反発してしまいますからね。年長者としてのプライドと末っ子としての疎外感、そんなところがぶつかっているのかしらね?」
「私は二人とももう少し仲良くなってもらいたいです」
「昔は一緒の布団じゃ無いと嫌だと渚ちゃんが文句を言ったものなのにね」
「そうだったんですか?」
「岬ちゃんは小さいから覚えてないかも知れないけど、あの二人はすっごく仲がよかったのよ。まあ、それは今も変わらないけどね・・・・・・」
愛はそこまで喋ると、お茶が切れていることに気が付いた。
「今、煎れますね」
ささっと急須にお茶っ葉を入れなおして岬がお茶の準備をする。
「どうぞ愛姉さん」
「ありがとう」
口を付けると熱すぎずお茶にはちょうど良い温度のお湯で煎れられたお茶は愛の心を落ち着かせてくれた。
「私達大熊家は多分もなにも周りから見ればきっと貧乏で、慎ましい生活をしなければいけないのでしょうけどね・・・・・・でも私は何だかそういう毎日が最近楽しいわね」
長女の責任感からなのか、愛は何処かいつも超然と構えている様に岬には見えた。
それは不遜と取られてもしょうがないほどの自信。父も母も居ない家族をまとめる愛にはそれだけの自信があるように岬には見えた。
「あのー愛姉さん一つだけ聞いて良いですか?」
「なあに岬ちゃん?」
「本当に今日お金を返しに行ったんですか?」
お茶を口に含んだ愛は一瞬噴き出しそうな素振りを見せた後もう一度湯飲みを持ち上げてお茶を一気に呑み込んだ。
「どうしてそう思うの?」
「だって、愛姉さんは何度もお父さんと病室でお金の事を話し合ってました。三十万円も忘れてたなんて思えなくて・・・・・・」
岬は父親の病室に訪れる度に愛と父親が書類を広げて何度もお金の相談をしていた事を覚えている。
病床で衰えていく父が残された家族にできる限りの努力をと、殆どの遺留品を売ってまでお金集めに奔走した二人が三十万円という額の借金を取りこぼすのだろうか?
そんな風にずっと岬は考えていた。
「岬ちゃん」
「ハッハイ」
愛は少しも笑ってなかった。
いつも笑みを絶やさぬ愛が、まるで怒りに震えているようにも岬には感じられた。
「まあ、普通そう思うわよね」
「えっ?」
「三十万円も貸した相手が期限直前まで何も言ってこないなんてあり得ないかな?」
湯飲みを手の平で回しながら愛は囁く。
「じゃあお金は・・・・・・」
愛は湯飲みを持って立ち上がって流し台へと向かう。
水を出してまだ洗剤の付いたスポンジで湯飲みを洗って水に流して、流しの横の水切りに湯飲みを置いた。
「あの新しい模型はねお金を貸してくれてた人の家に有ったのは本当よ」
愛は振り向いて誰かに聞かれたくないのか近くで話す。
「でもお金の貸し借りが原因で、ずっと疎遠が続いて居たの。お金は送りつけたけど、ちゃんと謝りたいってお父さんが言ってたから私が今日行って来たのよ」
「そうだったんですか」
「あちらの家の方も後悔されてたわ、お父さんが亡くなったの知らなくてね・・・・・・それで知らせてくれてありがとうって模型を頂いて来たわ」
「お金の事は嘘だったんですか?」
「ちょっとみんなの危機感煽るのにちょうど良いかなあって思ってね」
愛はいつもの無邪気な笑顔を浮かべた。
「私達姉妹の最大の敵、貧乏に立ち向かうのにみんな最近鈍ってるって思ってね。捨てずに取っておいた書類を引っ張り出してきたのよ、書いてある期限からこのタイミングでしか使えないからね」
「じゃあ渚ちゃんが模型売ってたら・・・・・・」
「そうね、私もお父さんの趣味がそんなにお金になるなんて知らなかったからそれはそれで儲かってよかったのかもしれないわね・・・・・・でもアレはやっぱり売れないわね」
「お父さんとの大事な思い出ですね」
「いえ、よく見ると私の歯形が付いてるから価値が下がってる」
「えっ!?」
「冗談よ」
こういう風にバカにされた時に怒れない岬は固まったままになってしまった。
あらっと愛は困った顔で岬の顔を覗き込んだ。
そして、岬の瞳から涙が零れ落ちるのを見た。
「ごめんなさいね岬ちゃん、冗談だったのよ冗談!」
「ズッ・・・・・・ズッ」
「ズ?」
「ずるいです、私達に嘘をついて・・・・・・」
温厚な岬は怒り方も知らないのか、声を荒げるわけでも睨み付けるわけでも無く、自分に言い聞かせるようにポツリポツリと話す。
「ごめんなさい私は嘘をついてばかりね。きっといつか罰が当たる悪い姉ね」
反省するように愛は目を背けた。
「愛姉さんはそうやってひとりでお金の事とか心配して、私達はそんなに頼りないですか?」
「そんな事ないわ、みんな良い子だものお金の話しをしたらちゃんとその中でやり繰りしてくれると思ってる。でもね、私はみんなでお金が無いお金が無いって遠慮し合うなんて絶対いやなの、姉妹で虚勢張ってでもね声をだして前を向いていたいの」
「でも、愛姉さんが皆に嘘をつく必要なんて・・・・・・無いと思います」
「みんなに嘘をついたのはごめんなさい、いけない事ね」
愛は岬の両肩に手を置いて、学校の先生のように落ち込む岬に優しく語りかける。
「私も家族をまとめようとするのに、つまらない嘘を重ねたから岬ちゃんに心配かけちゃったわね」
「違うんです、ごめんなさい、愛姉さんに頼りっきりだから……」
愛に父親や母親代わりをさせている事が岬には辛かった。
長女はいつもこの古い借金でできている家の維持のために頑張っている。
「頼ってくれて貰ってる内は嬉しいは、だって私は大熊家姉妹の長女ですもの」
「でもそれじゃ愛姉さんが……」
岬には愛が家族の結束の為にわが身を犠牲にしているようにも思う。その姿は必死に働いていた父の姿に重なる。家族を家を維持するのが簡単ではないことを岬は日々の家事を通じてなんとなくは理解していた。
家や家族を維持するのはただ何か思っていればいい事ではない。手を動かして、絶えずメンテナンスをし続けなければ簡単に汚れて朽ちてしまう。
「そうね、でも私はみんなの事が大好きよ」
愛は岬を抱きしめた。
「だからもっとわがまま言って困らせて欲しいわ、それに私は全力で、嘘をついてだってなんだって応えたいの」
岬は愛の温もりを感じながら、やっぱりこの姉は凄いと思った。
早くに母親を亡くした姉妹にとって愛は母親の代わりでもあったが、父が亡くなったら父親の代わりにもなる。
愛という名前は出来すぎだと岬は思う。
そう考えると名付けたお父さんはやっぱり変な、妙に理屈っぽいくせにロマン主義者の屈折した人だと思った。
岬の考えは正しく、そうじゃなければ小さい模型にワザと極めて小さいディティールを施すという矛盾を楽しむ艦船模型なんか作らないのだが、岬にはどうでも良い事だった。
「愛姉さん」
「なに?」
愛の胸元で岬が口を開く。
「冷蔵庫」
「えっ?」
「私、新しい冷蔵庫が欲しいです・・・・・・今の冷凍庫が小さくてセールの冷凍食品沢山買えないから・・・・・・」
その時岬はお父さんが亡くなってから始めてお願いした。
「だから冷蔵庫は家族で、海姉さんも、港姉さんも、渚ちゃんも、姉妹みんなで話し合ってお父さんの船も売らないでちゃんとお金貯めて冷蔵庫買いたいです」
「そうね、今度はそうしましょうね。大事な妹に泣きながらお願いされたら絶対買わなきゃいけないわね」
「これは嘘泣きです。愛姉さんからお金を引き出すための」
岬は虚勢を張った。
「やだ、女の武器は最後まで使わないって大熊家の家訓にあったでしょ?」
「そんなの知らないです」
こうして嘘を重ねて姉妹の連帯は護られた。
END
姉妹連帯 大熊家 さわだ @sawada
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます