第6話
学校でも、今井は俺を無視した。今井の教室に行っても逃げられるし。部活は来ないし。理科室でつっぷしていたら、森口が俺の頭をこづいた。
「つーかアンタ双葉になにしたの?」
「わからん。俺が教えてほしい」
三日たち、一週間が過ぎても俺は避けられつづけた。俺たち、あんなにいい雰囲気だったのに。小学校からずっと仲良くしてきたのに。恋人同士になる寸前で、すべてが壊れてしまうなんて、わけもわからず嫌われたまま終わるなんて。そんなのってあるか?
「もー、ハジメくんってば、ひどいっ」
甘ったるい声がひびく。見れば、ふわふわの髪の毛の、子犬みたいな雰囲気の女子が芹沢の制服のすそをつまんでほっぺたをふくらませている。あれが噂の彼女か。結構可愛いじゃねーか、むかつく。じっとりと呪いの念を送っていたら芹沢と目があった。とたんに奴はにまあっと笑って、ユノキンユノキン、と寄ってくる。
「鬱陶しい。離れろ、このリア充め」
「ユノキン最近この世の終わりみたいな顔してるよねー? なんかあったー?」
「あったけど、お前にだけは話さない」
水くさいなーもう、と芹沢はぶうたれて、彼女のところに戻った。
芹沢と、その彼女と、ふたりの共通の友達であろう何人かが、まるく輪になって笑いさざめき合っている。ふうと息をつき、ふと隣の席を見やれば、小池がうつむいて単語帳をじっと睨みつけている。あーあ。お気の毒に。
「小池ー。甘いもんでも食えー」
キャラメルを放ってやった。さーんきゅ、と覇気のない声が返ってくる。俺は小池の前の椅子に座った。
「つかさ。俺も振られそうなんだわ」
「俺もってなに? 俺もって。あたしは別に……」
「まあまあ」
キャラメルを指でつんつんと小突きながら、小池はつぶやくように聞いてきた。
「振られそうって、どういうこと? まだ振られてはいないんだ?」
「もうほとんどつき合ってると言ってもいい感じだったのに、いきなり嫌われたんだよね」
「心当たりは?」
「まったく」
水原と話したあたりから今井のようすがおかしくなったけど……水原のせい?
考え込んでいると、小池が、テキストで俺の頭をぽんとこづいた。
「聞いてみたらいーじゃん、その子に」
「でも無視されてっし」
「だめだよ、ちゃんと話さないと。ちゃんと向き合わないと。もったいないよ、もう少しでうまく行きそうだったんでしょ?」
「…………うん」
「ちゃんとつかまえなきゃ。一瞬のうちに、するりと逃げてっちゃうよ」
諭すような小池のことば。みょうに説得力あんじゃん、と言うと、あははと小池は笑った。一瞬のうちに、か。
まだ手遅れじゃないのなら。ちゃんと今井に、自分の気持ちをぶつけないとな。
教室の掛け時計を見やる。五時間目がはじまるまで、まだ十分ほどある。最高のシチュエーションなんてものを用意する余裕は、もはやまったくないんだ、俺には。
今井の教室まで駆ける。たんっ、とドアを開き、窓側から二番目、後ろから二番目の、今井の席をまっすぐに見やる。いた。机に向かって何か書いてる。つぎの授業の予習か。
逃げるなよ。……逃げる、なよ。
そろりそろりと近寄れば、ふいに今井が顔をあげて、目が合った。今井はすぐにそらし、席を立とうとする。させるか!
俺は今井の腕をつかんだ。
「はなして!」
「いやだ!」
「ばかばか、柚木なんてだいっきらい!」
「なんでだよっ! 理由を聞かせろよ!」
なんだなんだ、と教室にいたほかの生徒たちが俺たちふたりに視線を投げる。にやにやと笑っている奴もいる。かまうもんか。
今井は顔を真っ赤にして、大粒のなみだを、ぽろり、ぽろりとこぼした。
「今井……。どうしたんだ……?」
戸惑う俺の声は、自然と、やさしくなる。今井は、すん、と鼻をすすった。
「柚木、おっぱい見てた」
「は?」
「水原さんの! おっぱい! 見てた!」
教室中の視線が、一斉に俺に集まる。こ、こここ、声が大きい!
「み、見てねーよ!」
「うそ! うそばっかり! おっぱいだけじゃないもん、おしりとか、ふとももとか、ちらちら見てたもん! 鼻の下のばして、見てたもん!」
「だから声がでかいんだってばっ!」
「ばかばか、すけべ、ヘンタイっ。柚木のケダモノっ」
「しょーがないだろ男子の本能なんだよっ」
つーか、そんなことで怒ってたのかよ!
「認めたー。あー、認めたー。やっぱり見てたんじゃんっ……」
「ちょ、ちょっとだけ、な。ちらっと、視界に入っただけであって」
水原があんな露出の多い恰好してたから悪い。誰だって見ちゃうだろ、あんなん。わんわんと泣きだした今井の肩に触れようとして、でもまたヘンタイって言われたらどうしようとおろおろしていたら。今井が。鼻声で、しゃくりあげながら、話しはじめた。
「水原さん、とっても綺麗になってた……。なのにあたしは。気づいちゃったの。ださいし、かわいくないし、ひ、貧乳だし。へんな趣味はあるし。こんななのに、あたし、勝手に柚木のとなりで舞いあがってて。ばかみたい。消えてなくなりたい……」
今井は両手で顔を覆った。しんと静まり返った教室で、今井のすすり泣く声だけが、響いている。
女の子はね。ちゃんと、言葉がほしいんだよ。
森口が言った台詞の意味が、いま、分かった。
不安だったんだな。俺が、不安にさせてしまったんだな。
「好きだよ」
自然と、ことばが口をついて出ていた。
「俺は今井が好きなんだ」
「うそだ」
「うそじゃないよ。ほんとに。ちゃんと……好きだよ」
今井が顔をあげて、真っ赤に充血した目を俺に向ける。俺はもう、ぜったいに、逸らさない。
「今井は可愛いよ。水原みたいな派手さはないけど。俺は、バラの花より、梅の花のほうが好きなんだ」
「なにそのたとえ。よくわかんない」
ちょっとだけ、今井が笑った。
「あたし、柚木の彼女になっても、いいん、ですか?」
「もちろん。……俺と、つきあってください」
こくんと、今井がうなずいた。その、瞬間。
わああっと、歓声があがって。割れんばかりの拍手が巻き起こって。
俺は我にかえった。背すじに、冷や汗が、たらり。
勇気を出して見回せば、教室中の生徒が俺たちを取り囲んでいた。いつの間に集まったのか、ほかのクラスのやつらまで、廊下側の窓から顔を出して俺たちを見ている。芹沢もいるし、小池もいる。
あああ……、終わった。
「チューしろよ、チューっ!」
だれかが叫んで、あっという間に「チューしろ」コールが沸き起こり、教室に渦をつくる。なんだこの状況。ドラマか何かで観たことがあるぞ? そうだ、結婚式の二次会だ。
冗談じゃないぞ!
今井は熟れすぎた林檎みたいに真っ赤になってて、素直に可愛いと思ったけど。ファースト・キスがこんな下衆いやつらの見世物になるだなんて、あんまりだよな。
すっと片手を突きだして、止まないチュー・コールを、俺は、制した。
「チューは。その。ふたりきりの時がいい」
真剣な目で、おごそかに告げると、みんな、あきらかに落胆の表情を見せつつも、引き下がってくれた。
そうだ。ふたりきりで、できれば最高にロマンティックなシチュエーションがいい。
懲りずにそう考えて妄想をふくらませた俺だが。
部活が終わっても、ずっと告白の時の興奮がつづいてて。我慢できずに、帰り道の途中で立ち寄った公園で、今井の肩を抱き寄せて、そのまま口づけてしまったのだった。
結局、すごくありふれたシチュエーションではあったけど。だけど。はじめてのキスはマシュマロのようにふかふかで甘かった、とだけ。言っておこう。
理科室ミルキー 夜野せせり @shizimi-seseri
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