第5話


 決戦の日まで。俺は腹筋・背筋・腕立て伏せを一日五十ずつ自分に課した。意味はない。ただ、何かせずにはいられなかっただけだ。

 そして日曜。俺たちはバスに揺られて市内の中心部までやってきた。なんとなく映画でも観ようかという話になったのだ。

 映画館は、市内にひとつだけ、今にもつぶれそうなのが、寂れたアーケード街のはじっこにある。小さなビルの三階で、一階にある洋服屋はつぶれて不動産屋の張り紙だけが残されていた。ろくなやつは上映してなくて、子ども向けのアニメと、泣かせる気ムンムンのラブコメと、バカそうなアクションコメディの三択で、今井は子ども向けのアニメを選んだ。これがまたよくできたストーリーで。まんまと泣かされてしまった俺はいつまでもぐすぐすと鼻をすすっていた。

「いいかげん泣きやみなよ、柚木」

「だって。だってさあああっ」

「柚木ってむかしからそうだね。やさしいよね」

「そうか? てか、映画に感動すんのと、やさしいのと、関係あるの?」

「あるんです。柚木は、やさしいんです」

 ぶっきらぼうにそう言うと、今井はふくれた。赤いニットにデニムのスカートにタイツ、それにもっこもこのレッグウォーマー。いつもの学校指定のダッフルコートを羽織って。お世辞にもあか抜けているとはいえないいでたちだ。

「てか、なんでいつも学校のコート着てくるの?」

「だってあったかいし。あたしのワードローブの中でいちばん値が張るやつだし」

 そんな理由なのかよ。

「……まあ、たしかに。高いよね、学校指定のやつって」

「ださいのかな。へん、なのかな」

「へんだよ」

 俺は笑った。よく晴れて明るい空の下を歩く。あてもなくアーケードをぶらぶらしたけど、人はまばらだし、気の利いたカフェなんかもない。

「どこ行く?」

 今井はしばらく考えて、

「じゃ、城跡のほうに、行ってみたい」

 それなら、と、城跡公園方面行きのバスをつかまえて、早速、飛び乗ったのだった。

 一月最後の日曜日、早朝は冷え込んだものの、よく晴れたおかげで、午後ちかくにはほこほこと暖かかった。城跡をぐるりと取り囲むお堀、そのお堀端に植えられた桜並木が本丸跡への道を彩る。

 公園のベンチに腰掛けてハンバーガーを食べて、まったりと、遊んでいる子どもや鳩を眺めたり、そばの歴史資料館に入ってみたりして、俺は、何と言うか、とても幸せだった。今井の小さな手に、少しだけ触れてみる。二、三回、偶然ぶつかったように装って、嫌がって引っ込めないか反応を確かめてから。思い切って、ぎゅっと、つかんだ。一瞬、つめたい手がびくっと震えて、それからすぐに、丸い小さな瞳が、訝しげに俺を見つめてくる。だけど振り払おうとはしない。遠慮がちに握りかえしてくる彼女の手のちから。

 俺たちふたり、何かあたたかいもので守られてるような気がしていた。

 日がだいぶ傾いて、俺は、今井とふたり、帰りのバスを待っていた。つないだ手は熱を発して、昼間より気温は下がっているはずなのに、からだじゅうがほんわりと暖かかった。今井はうつむいて、時おり、潤んだ目で俺を見つめ、目が合うと、すぐにそらした。

 いつ言おう。ていうか、やっぱ「告白」っているのかな? これってもうつき合ってるって言ってもいいと思うんだが。

 女の子は約束がほしいの。言葉がほしいんだよ。

 森口のせりふが鼓膜の向こう側でリフレインする。

「あっれー? 柚木? と、今井サン?」

 とつぜん、声をかけられて振り向く。

 めちゃくちゃ可愛い女の子だ。髪を肩までのボブにして、ルーズな感じのニットにやたら短いスカート……だかショートパンツだか、とにかく短いやつ―――に、ブーツ。洒落た感じのコートを羽織っている。誰だ? と首をひねる俺に、

「あたしあたしー。水原さやかだよー。中一のとき同じクラスだったじゃーんっ」

「……あ。ああ、水原か。ひさしぶりだな」

 思い出した。クラスのリーダー格だった女子だ。そのころから可愛くて男子に人気があったけど、今目の前にいる彼女はさらにレベルアップしている。透明感のある肌、マスカラでぱっちりと愛くるしさを強調させた目、上気した頬、つやつやの、ぷるんとみずみずしいくちびる。水原は、たしか、隣の市にある私立高校に進学していた。俺らの街より数段大きくて活気のある街、おしゃれな制服に自由な校風の学校。

 でも、だからって、こんなに人って変わるのか。メイク、ファッション、俺の学校のやつらより数段垢抜けている。女子ってすげえ。

 水原さやかのニットは胸元が大きく開いて谷間が見えるし、やたら短いスカート(多分)からはむっちりとした太ももがのぞいていた。なんなんだ、どこもかしこもグラドルなみに成長してねえか? 

 水原は蠱惑的な笑みをうかべて、ささやく。

「柚木くんたち、つき合ってるんだ?」

 え、と固まる。つき、つき合ってるって、言っても、いいのか。そっと隣を見れば、学校指定の紺色のコートにうずもれるようにして縮こまっている今井が、ぎゅっとくちびるをかみしめている。

「えっと。俺たち、は」

「……せん」

 地の底から沸きあがるような声。え?

「つき合って、ませんっ」

 今井が声を張りあげた。度胆をぬくようなでかい声で。

 バスが来た。ひょっとして今井、怒ってる? なんで? 気まずいムードのまま乗り込む。俺たちの前の座席に座った水原が、いろいろ話しかけてきて。なんとなく流れでアドレスなど交換する。今井は固く口を閉ざしてまったく会話に入ってこようとしない。

 連絡するねーと水原は明るく笑って先に下車した。俺も笑って手を振る。ドアが閉まる。

「今井? どうしたの?」

 今井のほっぺをつついてみるけど、ぱしんと手をはたかれた。

「え? ちょ、なんで泣いてるの?」

 顔を真っ赤にして。口をぎゅっと引き結んで。涙をこらえている今井。

 なんで? なんでだ? 俺は頭を抱えた

 

 夜、今井に電話したが、出なかった。メッセージを何度も送ったが、返信はなかった。


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