第6話武士の泣き所

「火を操る兎ですか」

奏は確認するように、もう一度反復して聞いた。


「そうだ。先ほども言ったように、正確に言えばかぐやを監視するために送られてきた使者の部類に入るであろうな」


「ということは昔からここら辺にいるのですか」


「それは違うかもしれないの」

なおさんは一旦腕を組み直し、かぐやを一瞥すると再び話を続けた。


「昔からこの地にいたのなら、今までに例があるはずだろう。しかしそれが無いのだ。恐らく日本全国で、あるいは世界を跨いでかぐやを探していたのかもしれない。それが何らかの理由があってか、この地に目をつけたのだろう。大きな足跡が残っていた事件を調べたか、日本で最期に足跡が見られたのは一九六〇年の四月に長野県の大火事だ。市街地の五分の二が焼け野原になったそうだ。この五十年間は安全という二文字に浸りきった生活を送れたのだがの」


今まで、頷いたり一言の返事しかしなかったかぐやが口を開いた。

「きっと月にいた火鉢兎だと思う。兎に車を牽引させ私たちは乗り物として使っていた。天上界の一部の天女達、神を除いてあの兎よりも足が速いものはいない。あと餌を必要としないから、致命傷を与えない限り永続的に働く」


「致命傷ってなに」

奏はメモを取る手を止め、かぐやの方を向いた。


「詳しいことはあまり分からないんだけど、エネルギー源は火かなにかだったから水には弱かった気がする」


「水ねぇ…」

奏はメモに水とどの文字より大きく書き、丸で囲んだ。あまりにも、二人が深刻そうな顔をしているものだから真面目に聞かなければならないと、メモに「必死に」と書き加えたのだった。


「妾からの頼みだ。この兎を討伐して欲しい。老人からの命乞いだと思って聞いてはくれぬか」

なおさんのつむじを見るのも二回目だ。奏はご年配の方を失望されるわけにいかないと、

「分かりました。何ができるか分かりませんが、頑張ってみます」

二つ返事で了承するのであった。


和やかな雰囲気の中、大きな古時計がチクタクとリズムを刻んでいた。奏はこの空気が好きだなと再確認するのであった。お茶も格別に美味だった。


「それにしてもこんなに勇敢な青年を見たのは久しぶりだ」

急須のお茶が無くなったなおさんは、立ち上がりポットからお湯を注ぎながら語りかけた。


「もういっそ、このままかぐやを貰ってくれぬかのぅ」

ニヤニヤして、眉を上げながらかぐやと奏を交互にチラチラと見た。


二人は何も言わず熱々の茶を承諾のかわりに呑み込んだ。


「熱っ」

奏の情けない一言が和やかの雰囲気に拍車をかけたのだった。


そこから少しの間、世間話をして奏はお暇することにした。坂の下までかぐやが見送ってくれることになった。かぐやは少し着替えてくると二階へ駆け上がっていた。

奏は先に靴を履いて玄関で待っていると、何かを思い出したようになおさんが白い長方形の御守りを持ってきた。


「これをお主にやる。災厄からきっとお主の身体を守ってくれるだろう」


「ありがとうございます」

綺麗に刺繍の入った純白の御守りだった。奏はそれを制服の内ポケットに入れ、布の上から入ったことを確認しポンと叩くのだった。


丁度、トントントンと階段をかぐやが駆け下りてきた。紅いニットと黒のスカートの姿。火鉢兎を意識したコーディネートなのかと不謹慎なことを思ってしまった奏である。

じゃあ行きましょうと靴を履きかぐやは扉を開けるのだった。奏はなおさんに挨拶をして家を出た。


綺麗な庭園を眺めながらのんびり二人で歩き、門を出た。

するとかぐやは急に立ち止まった。

「もしも自分の命が危険になったら、すぐさま逃げて欲しい。私がいたとしても貴方の命を最優先してお願い」

前髪を手でいじったあと、俯いた。


奏は自分の役目が頼りないと思われているようで強めに、

「守ってと言ったのは君だろ。俺は何があっても守るよ。望月さんを命に代えても」と言った。


「やめて。自分の命を大事にして。貴方がいなくなったら私は…」


「そんな危険な場面にさせないよ。自分の命が危ない時は望月さんの命も危険にさらされるってことだし」


「本当に無理はしないで。約束だよ。天に誓って」

かぐやはまた歩き出し奏の隣についた。足取りをぴったり合わせ、日が少し傾いた昼下がり、坂道を下っていく。雲がゆっくりだか確かに流れ、春と土が湿った香りがした。


「望月さんに誓うよ」

奏は自分でもギザなことを言ってしまったと、ハッと気付いた。心臓の音が速くなって吐血しそうなほど恥ずかしかった。


「それと、も、望月じゃなくてかぐやでいい…。かぐやって呼んで」

その瞬間、奏の心の中では『Amazing Grace』が流れた。何故か天にも昇るような心地でやってやったと思った。アンサンブル。この男に恩寵もクソもへったくれもないのである。あるのは使命感と僅かな下心だった…。決戦の前に相応しくないものだったことは確かだった。

今思い返しても、妙にけだるく恥ずかしい出来事だった。


***

弱い犬ほどよく吠えると聞く。弱い人ほど強がったり悪ぶったりすることが多いのかもしれない。僕もそうだと思う。昔から正義のヒーローより、悪の参謀に憧れ、ダークサイドに加担する役に共感を覚えた。

でも、どこか勇猛果敢な武士になりたくて気丈を振舞う。

望月さんの件もそうなのだろう。表では強気の発言をしているが内心ビクビクして怯えているに違いないのだ。

自分の弱さをなんとかしなくては。そうしなければ彼女を守りきれない。

奏は考えた。火を操る兎を倒すにはどうしたらいいのかということを。


「バケツで水をかければいいのか?それとももっと大きな…海が近くにあればな」

あいにく海は近くになかった。平野が広がるこの台地、井戸という井戸はあまりなく山の近くに至っては皆無と言えるほど水源が乏しかった。


「まずは情報収集からかな」

奏はベットの枕元にあった携帯で、火鉢兎に関する情報を整理した文を見ていた。あの話し合いが終わった日の夜、かぐやから火事のあった場所が集中している場所をマークした地図を送ってもらったのである。

街全体の地図には、北東のほうに山々が広がっていた。火事が多発している地域はその山々の麓付近であった。北のほうは南に比べ乾燥していて湿気があまりない。そのようなところを狙って襲っているのかもしれないと奏は思った。

奏の家から二十分も自転車を走らせれば着く距離だった。さほど遠くない。それはこの辺りも灰になってしまう可能性があるということだ。奏はギジリと歯をくいしばった。

幸いにも今日は土曜日、調査をするにはうってつけの日だった。

奏は動きやすいストレッチジーパンをはき、Tシャツにカーディガンを羽織り外に飛び出した。

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雲よ、月を隠して霧となれ 鯛末 千 @BNIGeagT8Cgw9JP

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