第5話兎と薙刀

2時間目、あんなに寝たのにまだ眠気が取れない奏はウトウトと意識と無意識の狭間を行き来していた。眠りに落ちる寸前で右ポケットに入れていた携帯のバイブがなった。いきなりなったバイブ音に飛び起きた反動で椅子が揺れ、クラス中の注目を集めることとなった…。恥ずかしさを押し殺し、平然を保ちつつ机の中でメールを見る。


From:Kaguya Mochiduki>

To:Sou Sainomiya>

Re:今日

何か、おばぁちゃんが家から出させてくれない。

今までも、婚約を迫られた時とか告白を迫られた時とかは学校へ行かせてもらえなかった。

もしかしたら語弊があるのかもしれないから、後で私の家に来てくれない?

うちの正門というか坂を登った正面の門に来て。


「語弊って何だよ」

奏はかぐやがいない空白の席に向かって、独り言を言った。鉛のように重くタレ込んだ雲は今にも垂れ落ちてきそうで、何故だか奏背中から冷や汗を流させた。ちなみにクラスの男子も重くダレていた。理由は二個目の太陽がないことらしい。


放課後にボート部の顧問に欠席のことわりを入れ自転車を走らせた。かぐやの家まではかなり急勾配な坂があり、自転車で今から登るとなると想像以上にエネルギーを使うのだ。奏は身震いをした。

そして坂を目にした途端、絶望した。


「ハァ、ハァ、ダァ」

息を切らし、坂を登りきった奏の脚はまるで動かなく棒のようなという例が的を射ていた。目の前には荘厳な雰囲気を漂わせる門が今か今かと待ち受けていた。エンタシスの技法を用いて作られた支柱は何とも重々しく、卍字型の柵や装飾があしらわれた屋根は一目見て富豪の家だと分かる造りをしていた。呼吸を安定させた後、奏はそのまま門をくぐるのも失礼だと思い一旦かぐやに家の前に着いたということをメールで送った。


それから数分後、見慣れたと言ってもまだ会って半年もたっていないが一人の凛とした少女と、気品溢れる服装に黒いスカーフを巻いた老婆が出てきた。薙刀を手にして。

二人は一緒の歩幅で歩いてきたが、かぐやは申し訳なさそうに老婆の隣で身体を小さくしていた。


奏の前まで来ると老婆は歩きを止め、睨みながら

「お前が、最近かぐやにちょっかいをだしている輩か。名をなんと申すか」

と若干殺意をはらんだ問いを投げかけてきた。奏はピリピリした空気を居心地悪そうにため息ついた。


「すいません、斎宮奏と申します。ちょっかいを出している覚えはないのですが」

奏は背中に冷や汗でナイアガラの滝でもできている気がした。


「お前が最近、かぐやに付きまとっているのは分かっておる」


「おばぁ、付きまとわれてるわけじゃなくてわたしから頼ん-」


「かぐやは黙っておれ」

話の腰を折られたかぐやはまるで子犬のように、小さくなり頭を抱えていた。女帝の意外な一面である。


「お前のような婚約者、妾が許さんぞ」

そう言って、奏に鋭く尖った薙刀の刃先。向けて構えた。


奏「こ、婚約者⁉︎」

かぐや「くぁwせdrftgyおばぁlp!!」

二人は声にならない音を出すのだった。かぐやにいたっては、恥ずかしさでもうこれ以上縮みきれないのではないかというほど小さく小さくなっていた。狼狽していた。


「あれ 違うのかのう」

こちらもこちらで、何か想像していた返事と違ったようで口をポカンと開けて、首をかしげていた。あんなに分厚かった雲はどこかに飛んでしまって、何かの前触れかと思わせるほど澄んでいた。


それから奏は家の中に通してもらい、客間に案内されお茶をすすっていた。映画やドラマの中でしか見たことがなかったような、豪奢で長い机やきちんと整理された本棚が時代の味を醸し出してきた。三人はその長机に座ってかぐやと奏の出会いから今の今までの話をした。後からそのおばあさんの名は讃岐(さぬき)なお さんだと分かった。かぐやと苗字が違ったが、そこはセンシティブな内容だと思った奏は何も聞かなかった。


「そっかそっか、すまんかったのう。ここ何十年かぐやの身の安全を守ってきたから、敏感になってしまって」

「いえいえ、こちらが事前に言えば良かったことですし…」

「そんなにかしこまらなくても良い。かぐやが認めた奴なら安心して任せられるわ」

なおさんはさっきまでの上品な身のこなし方からは想像もつかないほど、ガッハッハと男勝りに笑っていた。何十年も自分以外にかぐやを守るものがいなかったので、奏の存在がよほど気に入ったみたいだった。


なおさんはニヤニヤと笑みを浮かべながら

「かぐやが認めるなんて、今までになかったことだからの。いっそのことかぐやと結婚するか」と言った。


「だから、何を言っているのおばぁ‼︎」

かぐやは席を立ち、声を荒げて叫んだ。


「いいと思ったんだがの。奏といったかな、とにかくかぐやの頼みを聞いてくれてありがとう。落ち着いている子だが、天然な部分もある。どうか守ってやってくれ」

さっきまでのニヤついた表情を一転させ、真剣な眼差しで奏を見つめた。


「承知しました。守り抜いてみせます」

奏はうなずき、二度目の決心をした。かぐやの頬には赤みがさしていた。


咳払いをして、なおさんは腕を前で組んだ。

「ここからが本題じゃ。最近、この街で不可解な現状が起こっているのを知っているかの。山火事や、家の火事が例年より100件も多く発生しているというやつなのだが」


「小耳に挟んだことはあります。僕の友達の山も燃えたそうです」


「そうなのか、それは大変なことだの。幸いにも、うちの山は燃えずにすんでいる」

讃岐家の山には所々桜が生えていて、その桜の色合いに負けじと緑色の主張が見られ、とても素晴らしい山だった。火事とは無縁のものに思えた。


「でもフェーン現象とか乾燥していたとか、そんな理由ではないんでしょうか」

奏には特に不思議に思うことはなかった。


「それもありうるかもしれん。しかし、この街の火事跡には大きな動物の足跡のような焦げが残っていることが多いのだそうな」

そうさんは、これ位と足跡の大きさを手で表した。おおよそ六十センチメートルほどだろう。実際にそれほど大きい足跡をもつ動物はなかなかいない。アフリカゾウで約四十センチメートル強ほどである。奏には心当たりが全くなかった。


「足跡ですか」


「そうだ。普通に考えればそのような大型の生物が日本にいるなど考えられない。ましてや、ヒグマのいる北海道でもないのにだ」


「じゃあ、何だって言うんですか」


少しの沈黙の後、なおさんは重々しい口調でこういった。

「月の使者じゃよ。火を操る大型の」

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