裸のキッス
砂嵐の中にぽっかりと遺棄された輸送パイプの中に響くのは、一続きのピアノの音でした。それはたったの六秒間だけ、ずがががががという重たい音を立てながら、空間に反響する倍音や「ちりん、ちりん」という空薬莢の鳴らすパーカッションと一緒に奏でる、ひとつの
そして銃声が止みました。
.308口径のフルオート射撃。エネルカの潜水服は全ての銃弾を弾きます。
エネルカの【四十挺の拳銃】こと傀儡兵たちはカラシニコフ由来の中国軍アサルトライフルを装備しています。コンベンショナルなタイプとブルパップ式が混用されていて……あとはカービン銃であるとか。割とまちまちな装備です。私は銃器――すなわち
効果は今ひとつのようです。エネルカの潜水服はクラスIVやクラスVのエディプス複合装甲なのでしょうか? エネルカが正当防衛の原則に従ってホルスターから光線銃をゆっくり抜くと、それに合わせて【四十挺の拳銃】たちもライフルにぽっかり空いた虚空の穴をこちらに向けて持ち上げます。
“彼女の門は死の門であり
その入り口を
そこから誰も戻っては来ない
彼女に憑かれた者は穴へと落ちゆく”
(死海文書4Q184)
それは銃口と呼ばれる【人を殺す穴】です。
あわや切断かと思われたが、しかし文字通り
アノニマさまは急所を庇うようにして、【四十挺の拳銃】たちの銃弾の雨をその身に受けます。
塵も積もればなんとやら。酷く出血しています。まだ息はあるようです。
「くそっ!」
悪態をつく元気もあるようです。傀儡兵たちは弾倉を交換しています。エネルカの光線銃は……まだ放たれていません。それとも、あの光線銃こそが他者の精神と行動を操る道具なのでしょうか?
「――できた! 乗りな!」
後ろでがちゃがちゃと何かをしていたのかと思えば、エニーさまが鉄パイプなどの廃部品からアノニマさまのバイクに即席のサイドカーを急造していたようです。我々は裸のバイク『アル=カマル』に積載されて、サムさまがスロットルを開けました。
輸送パイプの反対側から銃弾が射出されるように、バイクは砂嵐の中に飛び出します。銃身は死の種たる銃弾を運ぶパイプラインです。男性器でいうところの尿道と精液の関係です。この場合、死と生のみが反転している掌性関係と言えるでしょう。
エネルカと【四十挺の拳銃】たちは追ってきているのでしょうか? 偶然居合わせただけ? 嵐のせいで、それもよく分かりません。
急ごしらえのサイドカーは過載重量から溶接部からビリビリ鳴って、破壊して、「あっ」という間に私たちは砂漠に投げ出されました。
それは荒野を彷徨うイシュマエルそのものです。すなわち創世記16:12が言うところの、【彼は野生のロバのような人となる。彼はあらゆる人に拳を振りかざすので、人はみな彼に拳を振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす】という節です。…―――…
それから、ややあって。なんとか這いずりながら、私たち二人は砂塵を避けるように岩の隙間に避難しました。
アノニマさまの出血が止まりません。修復剤によって表層を塗り固めることで簡易的に出血を防ぐ修復スプレーも、ここまで深い傷には功を奏さないようです。
「アノニマさま……機械の身体は生物とは違います。傷付けば壊れるだけです。
「分かっている……クソッ! 内臓もやられてる……」
負けず嫌いなのでしょうか? アノニマさまは救急キットから注射器のような止血器具と包帯を取り出し、巻き始めます。私はメイド服のエプロンを脱ぎました。シャツのボタンを外し、新雪のように無垢な肌が露出します。
乳房の大きさはオプションです。
「私の人工臓器を使用されますか?」
「規格が合わないだろ…………いや、待て、よく見せてみろ」
アノニマさまの指が私の身体に触れます。お腹の部分がぽっかり開いて、内臓を露出させます。
それでは、ちょっと気恥ずかしいですね。とでも言っておきましょうか。
「お前……
「はい。高価な作りとはそのことです」
「人工子宮もか?」
「その通りです。ゆえに、
「……生体の脳ミソを持たないだけで、他は人間と同じというわけか……」
出血により青ざめた顔で、アノニマさまは私の腹部を閉じました。
「服を着とけ」
「アノニマさま、お聞き下さい」
「くどいぞ」
「違います」
私は常々、アノニマさまの言動に違和感を覚えていました。そのような矛盾は人間にごくありふれたことですが。
「アノニマさまは、どうやら感情豊かすぎます。もっと機械のことを道具然と扱ってみてもいいのではありませんか。私の人工臓器はエニーさまも言っていたように、
「よく喋るな」
「人間を助けることが機械に課せられた役割です。あなたは死にかけていますから」
「私が死ねば、埋葬して葬式でも挙げるか?」
「まだ元気があるようですね」
「本当に感情が欠如しているんだな」
「仮に皮肉に聞こえたならば、それは私の意図ではありません」
「お前の存在が気に入らない」
「人間から疎外され、外部化された従順な女性役割/母性役割がですか?」
「私は、誰にも頼らない、」
「――なるほど、」
それで合点がいきました。
「だから、いつもお一人なのですね」
「…………」
やはり図星だったようです。
「他者存在への愛情が深すぎることと他者を完全に信用できないことの折衷案として、孤独を選択されているのですね」
「…………」
「他者からの愛情を上手く受容できない……つまりアノニマさまは、
「……もういい、わかった、やめてくれ」
アノニマさまは負傷したのもあってか、ずいぶん気落ちしているようでした。
「……あの保安官のように、命令やシステムに何の疑問も抱かないほど、私は若くない……」
「ネナさまのことですか」
「私も昔は、例えば正義だとか……人間の善意のようなものを信じていたんだ。しかしこうやって長く生きていると、人々の悪意だとか対立、分断、闘争の連続に……とにかく疲れてしまった。歴史は何度も繰り返すが、それは人間の寿命が多少伸びたところで……必要がなければ、人は歴史から何も学ばないんだ」
「他者や世界に対する期待が高すぎるのだと思われます」
「もう、うんざりなんだよ。この不毛な輪廻のサイクルに」
アノニマさまはMC51Kアサルトピストルの薬室を開放して、内部に息を吹き込んで砂塵を吹き飛ばし、弾倉を装填してボルトハンドルを叩きました。
そうして内部に砂が入りこまないよう、じっと排莢口を手で塞いでいました。
「それはニーチェの永劫回帰でしょうか、それとも仏教でしょうか?」
「どちらでも同じことだ。二項対立の権力勾配は人々にとって都合がいいので為されるのみだ」
アノニマさまは目を閉じて呼吸を整えています。痛覚抑制が機能しだしたようです。痛みは、人間が自身の異常を検知するためのシステムです。つまり合理的に言えば、必要以上に痛がることをしなくてよいのです。
「アノニマさま」
「…………なんだよ」
「エネルカも同じだと思いますか?」
「さあな。だがあの潜水服は、他者との対話や交流そのものを拒絶しているようだ」
「自分だけの安全な世界に閉じこもるということですか?」
「……人間には少なからず、そういう領域が必要なのは確かだ」
それはパーソナルスペースのことでしょうか。私には思い当たることがありました。
「アノニマさま」
「くどいぞ」
「違います。それでは失礼します」
そう言って私はアノニマさまの腕をとり、指先と手の甲に軽く唇を寄せました。
アノニマさまは何だか意外だったようでした。
「これは紛い物のキスです。しかしながら、今の私がアノニマさまに差し出せるものは、この感情のない口づけくらいです。愛情のエミュレータを欠いた、この
少しは
シゾイドロイド2173 名無し @Doe774
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