第4幕 ヘキサゴン 君と僕との 三角形
薄雲に覆われた空の下。
屋上を隙間なく囲む灰色のフェンスは、逃げ道が無いことをことさら強調しているかのようだ。
昼休みまであと五分。
だというのに、この人だかりは何?
ミステリ研のメンバー、勢ぞろいじゃん。
そんな探偵団の中央で、黒の名探偵、
君の心は、この空のように曇っているのだろう。
僕は夕風の隣に立って、同じように空を見上げた。
「朝はあんなに晴れてたのに。随分曇って来たな」
「うむ。降って来るほどではないが」
そうつぶやいた、夕風の顔色も曇る。
「……雨、嫌いだよな、お前」
「仕方あるまい。どうあっても、
事件のあった日も、そして、事務所にたどり着いた晩も。
夕風にとって、最悪な日と、新たな一歩を踏み出すきっかけとなった日は
だが、未だに負の感情の方が勝ることはやむを得ないのだろうか。
……雨の日を楽しむまでには至らないのだろうか。
「そんな顔しないでよ。君を楽しませようと毎日頑張る僕が浮かばれない」
「確かに。ただの助手と言うにはもったいないほどの才能だ。暇さえあれば推理クイズだのパズルだの準備してくれて、確かに悲しんでいる暇などない」
「だろ? だから探偵になんかならなくても、十分に楽しめるって」
「いや、残念だが君を上回る才能の持ち主がいるのでな。我がもっとも楽しむことが出来るのは、
ちきしょう、僕の恋敵め。
夕風に課せられたリミットが一秒でも過ぎたら、この手で学園から消し去ってくれよう。
決意に燃える僕には目もくれず、夕風は黒髪をなびかせながら一歩踏み出し、探偵団の皆に声をかけた。
「諸君、よく集まってくれた。実は、我の助手が怪盗に狙われている。我々の勝利条件は犯行の阻止。報酬は、諸君に送ったなかなか面白い暗号だ」
そう言われて鼻白むものなど、この場にいるはずは無い。
皆はブルーシートに乗せてある、僕が持ってきたありとあらゆる私物を眺めると、携帯を確認し始めた。
想像力をフル稼働。
今の彼らは、何物にも代え難い至高の時間を過ごしているのだ。
そんな皆の耳に、昼休みのチャイムが響く。
いよいよ開戦だ。
「さて諸君。犯行時刻となったのだが、暗号を解読できた者はいるかね?」
「もちろんいくつか思い付いたぜ。でも、決定的なもんがねえ」
唯一リアクションを取ったのは、同じクラスの
他の皆は、そんな巽くんに疑いの目を向けて観察し始める。
「おいおい俺じゃねえって。それよりこの予告、
「いや、名前が無いのだ。怪盗ノー・ネーム君とでも呼んでおこう。予告状は皆に届けたもので全文だ」
「……なんか、ラブレターにも見えるけど」
おお! 分かってくれるか巽くん!
「でしょ? これは僕宛のラブレターなんだ!」
「そうか、
「ちきしょう! 巽くんと、お酒しかメニューの無い居酒屋!」
「助手よ、なんだそれは。……そのこころは?」
「つまみ出せ!」
「緊張感のない奴だな」
夕風さん、だからその呆れ顔はやめてくれ。
僕はこれでも年上なんだからさ。
「しかもこんなに私物を持ってきて、暗号を解読できなかったというわけか」
「うん。なんて読むんだよ」
「いや、言わない方が楽しかろう」
「……夕風と小説家」
「今日はいくつも出るな。そのこころは?」
「かくしごとばっかり。よくもまあ飽きもせず」
ミステリ研の連中のうち何人かが噴き出したけど、君らを笑わせるために言ったわけじゃないからね?
まあ、当のお相手がクスリともしないから少しは報われたけど。
「やれやれ、仕方ないな。狙われているものは、君の後ろポケットに突っ込んであるものだ」
「え? 狙われてるの、財布?」
「不安ならば私が預かっておこう」
僕は周囲に注意しながら慎重に財布を取り出した。
そして夕風に渡そうとしたその時、
「うおっ!?」
財布に挟んだままにしてあったラブレター、フラッシュコットンが激しい閃光と共に炎を巻き上げて、一瞬で消えた。
光と炎。
驚いた僕は財布を放り投げ、地面に落とす。
呆気にとられる皆の見守る中、厳しい表情を浮かべた夕風が財布を手に取って、ぽつりとつぶやいた。
「……やられた」
「え? なに? まさかお金が燃えちゃった?」
「いや、炎で
ざわつく探偵団。
それを尻目に、夕風が空っぽの財布を逆さに振る。
「うそ……。15cmって、お金のことだったの?」
「正確には、ドル紙幣、セント硬貨、そして日本円の三種類。……暗号を見たまえ。そこに書いてあるではないか」
この説明に、探偵団の何人かが声をあげる。
さすがミステリ研。頭の切れること。
「『1』を動かして、『S』と『c』と『m』にくっ付けるのか」
「そう。怪盗ノー・ネームの狙いは、『
「なるほど、上手い暗号だね。……って、みんなどこに行くの!? 待ってよ! お金盗られたんだよ? 捜査を始めてくれ!」
僕の叫びを受けて足を止めた面々。
皆を代表して、巽くんが口を開く。
「面白い犯行だったけど、これじゃ捕まえようがねえだろ。……そもそも、いくら盗られたんだ?」
「二百六十円」
「ばかばかしい!」
そんな一言を残して、ミステリ研の皆は校舎へ戻ってしまった。
屋上に取り残された僕をあざ笑うかのように風が吹き抜ける。
でも、夕風は楽しそうに笑っていた。
「君には災難だったが、我はなかなか楽しめたぞ?」
うん。君が楽しめたのなら本望だ。
じゃあせめてものお礼に、次は僕が楽しめる時間でも貰おうか。
ブルーシートに腰を下ろして、私物で隠しておいた鞄を二つ取り出す。
すると夕風が珍しく声を荒げた。
「それは、我の鞄ではないか!? どうして君が持っている!」
「約束だったよね。君の、米ばっかりな弁当を半分貰おう。代わりに、僕のおかずしか入っていない弁当を半分やるから」
「やれやれ、とんだ怪盗が現れたものだ。だが、そう言うことなら喜んで」
黒髪の名探偵は、ご機嫌そうに僕の隣に腰かける。
こんなご褒美も、たまにはいいよね。
僕が、弁当箱の蓋におかずを乗せて夕風に渡すと、代わりにご飯が乗った蓋を渡された。
事務所の炊飯ジャーからよそっただけとは言え、これは夕風のお弁当。
半分貰って嬉しいことに変わりはない。
僕が嬉しさに緩み切った顔を上げると、ちょっと思案顔を浮かべていた夕風が、苦笑いと共におかずを指差す。
「君はそんな弁当をどうする気だったのかね? 我から米を貰わねばどうしようもないだろうに。愉快犯の怪盗ノー・ネーム君に感謝したまえ」
「別にどうしようもないってことは無いんだけど。でも、愉快犯に感謝だね」
「愉快犯に感謝だ。我も愉快だ」
「うん。彼は愉快。そして君も愉快。君が愉快なら僕も愉快。じゃ、食べますか」
そう言いながらフライをつまみ上げる僕を、夕風はじっと凝視したまま。
……どうしたの?
「ふむ。そういうことか。……あらかじめ言っておこう。我は良い一日を過ごした」
「そりゃよかった」
「今日の暗号は素晴らしいものだった。ありがとう」
「どういたしまして」
僕の返事を聞いた夕風が、玉子焼きを頬張りながらニヤリと微笑む。
……ちょっと気が緩んでいたかな。
「……………………さすがは名探偵。巧いね」
「ふむ。礼に返礼するとは迂闊だぞ、怪盗ノー・ネーム君」
僕たちを優しく包むように柔らかな風が吹く。
でも、心境は針のむしろ。
ひきつった笑いを浮かべたまま、僕は名探偵に聞いてみた。
「どこで気付いたの?」
「準備された鞄、偶数のおかず。……そして、君が犯人を『彼』と呼んだこと」
「しまった。ラブレターをくれた人、まさか男子だったとは」
「いまさら考えれば、財布が昼休みに燃えなければただの犯行時刻のフライングだ。都合よく皆の前で何かが起きたように演出できる者は一人しかおるまい。一つ聞かせてくれ。なぜこんなことを?」
「……今日も一日、楽しかったろ?」
やはりな。にこやかな笑顔がそう物語る。
でも、最後には寂しそうにかぶりを振った。
「君は我を楽しませてくれる天才だ。そして、君の好意を有難いとも思っている」
「……うん」
「だが、君の気持ちに応えることはできない。
そう言って、夕風は米を口に運んだ。
――僕は、君の技量を過不足なく理解している。
君なら、SCMの謎に気付くと思った。
暗号を楽しんでくれると思った。
……そして、ミスリードに引っかかってくれることも信じていた。
僕に言わせれば、君はまだまださ。
プロファイリングの能力があまりに足りない。
これが出来なければ、真実は見えないのだ。
『予告状』というものをよく考えて欲しい。
これは、僕が、君に渡した犯行予告。
しかも、事前に暗号の読み方も教えている。
僕は、君から盗んだよ。
$、¢、そして円。
米国、日本。
つまり、『米』で出来た『日の丸』をね。
……僕は、お宝を口いっぱいに頬張る。
大好きな人と食べるお昼は最高だ。
すると、灰色だった空に青い線が引かれ、光の階段が地に降りた。
僕たちは同時に声を上げて、見つめ合い、そして笑い合うのだった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
閑静な住宅街を抜ける下校路。
隣には最愛の女子がご機嫌な様子で歩いている。
最高だ。
まあ、そのお相手が延々と恋敵の話を続けていることだけは納得いかないが。
「……我はまだ入学していなかったからな。もしもその場に我がいたなら、クリスマスケーキに目を奪われることなく一人増えていたサンタに気付いたものを」
「うんざりだ。ほんとに好きだね、
「ああ、敵なのにな。……次は、いつ現れるかな」
「何度現れても君には捕まえられないと思うけどね」
「我に掴まった怪盗ノー・ネームが何を偉そうに」
そう言いながら、夕風が僕の頬をつつく。
傷だらけの手で。
真っ白だったはずの指で。
「いいから、卒業したらまっとうな職に就きなさい」
「いやだ」
「弁当を一緒につついたよしみで」
「あれしきのことで彼氏づらか? 君は我にやたらと言い寄って来るが、諦めろ。我がお付き合いするとしたら、君の叔父上以外にありはしない」
……知っていた。
でも、とうとう、初めて聞かされた。
夕風は、叔父さんに憧れている。
だから探偵になりたいと願っているし、そのためにこんなに頑張っている。
その気持ち、もう一歩踏み込んでプロファイルすれば簡単にわかる。
夕風は、叔父さんのそばに、ずっといたいんだ。
風が、彼女の心を隠していた黒髪をなびかせる。
その横顔は、恋をする女性のものだった。
「今日は楽しかったな。また予告状を出してくれ」
「うん。何か思いついたらね」
「だが、今度はノー・ネームと明記するのだぞ?」
「ノー・ネームと明記? 矛盾してら」
夕風と僕。
二人、笑い合う。
この先、僕たちの関係はどうなるのだろう。
正直不安ばっかりだ。
でも、今だけは。
二人で笑っている間だけは、君を独り占めだ。
……そのためなら、知恵を絞ろう。
君をいつでも、笑顔にしよう。
「しかし、やっぱり夕風に
「何度も言わせるな。我はいつでも奴を捕らえることが出来るのだよ」
すぐこれだ。
でも、そう簡単にはいかないよ。
そもそも今日の手際だって、僕に言わせればまだまださ。
怪盗が予告状に名前を書かないなんてミスはしないものだ。
僕が君に宛てて書いた予告状。
よくヒントを見るがいい。
動かしていいのは、まっすぐな棒だ。
『*15cm*』から『1』を動かしただけでは、『$¢円』にはなるまい。
あと二本の『棒』、それは、両端の『*』から持って来るのさ。
『*』から、棒を一本抜いてごらん。
……『我』はリミットの一年間、愛する君から逃げ切ってみせよう。
終幕。
……
…………
………………
「そうだ、もう一人。我がお付き合いするなら、
「ぶっ!? な、なんだって!?」
「探偵と怪盗、禁断の恋。面白そうではないか!」
……そして『僕』は、君に正体を明かさずにいられる自信が無くなった。
今度こそ、終幕。
怪盗XXに告ぐ! なんで僕のラブレター盗むのさ!! 如月 仁成 @hitomi_aki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます