第3幕 ナイトより 僕の立場は ピエロなの


 僕も叔父さんも、夕風にはまともな職に就いて欲しいと願っている。


 だから、こんな難題を与えたわけだ。


 ――XXヘキサゴンを捕まえろ。


 その呼び名は、エックスとエックスに挟まれた空間が六角形に見えることに由来するとかしないとか。


 去年の九月頃、突如現れた学園の怪盗。

 その犯行の数々を、夕風は何度も僕に話し続ける。


 まるで自分の自慢話のように。

 ほんとうんざりだ。

 たまには『探偵助手・僕』の話をそんなテンションで語ってはくれまいか。


 そんなことを考えながら、ベッドの上からハイツインの後ろ頭を眺めていたら、夕風が再びふんぞり返って鼻息荒く語り出した。


「奴の手際は素晴らしい。君もそう思わないかね?」

「褒めてどうする。君はXXヘキサゴンのこと好き過ぎ。一人称もあいつの真似してるし。いつからわれとか言い出したんだっけ?」

「う……、そ、それはどうでもよかろう。それより、この予告状を出した怪盗もなかなかだ。一時間たっぷり楽しんだ。二時間目からは授業に出席しようか」

「え? 楽しめたってことは、もう読めたのかよ?」


 そんな馬鹿な。

 保健室のドアへ向かう夕風を慌てて追いかけると、こいつは僕のラブレターをぞんざいにひらひらと振りながら、何かを思い出したように声をあげた。


「そうだ! 念のために確認しておかなければ。なるべく高カロリーなジュースを我にご馳走してはくれまいか?」

「相変わらず貧乏なんだな」


 まあ、当然か。

 保護者である遠縁のおばさん夫婦の家を離れて、僕の叔父さんの事務所に寝泊まりしてるからね。


 高校生になってバイトを始めたものの、財布はいつもからっぽのはずだ。


 でもさ、君が占拠してる部屋、僕用にあてがわれた部屋なんですけど。

 おかげで僕が事務所で寝る時は応接用のソファーの上とか、勘弁してください。


 保健室を出てすぐ目の前、体育館へ抜ける扉をくぐると、さっきの自動販売機の前で夕風が立ち止まる。


 そして僕が財布を後ろポケットから取り出すと、強引に取り上げられた。


「ここに怪盗現る!」

「バカを言うな。それより助手よ、海外の金をまだ入れているのか?」


 夕風はそう言いながら勝手に財布を開いて、1ドル紙幣と25セント硬貨をまじまじと眺めだす。

 毎度毎度、真剣な表情が美しい事。


「それ、ちょっとかっこいいだろ?」

「だからと言って、いつも見せびらかすな。ミステリ研の部室でも声高らかに自慢を始めるし。だから狙われる」

「ん? なんのことだ?」


 僕の質問に応えもせず、夕風は百円玉を取り出してペットボトルのオレンジジュースを買うと、財布にラブレターを挟んで投げ返してきた。


 僕は慌てて財布を受け取って、そのまま後ろポケットに突っ込む。

 ……フラッシュコットン、爆発したりしないよね?


「その財布、肌身離さず持っておけよ?」

「当たり前だそんなの。……なあ夕風。さっき、怪盗が何を狙ってるか分かったって言ったよね」

「ふむ。ほぼ間違いないと思うが」

「そうか。彼女は、僕の心を盗むつもりなのか」

「まだ言うか」


 なんたる冷たい目。

 もう、やきもちを期待するのはやめよう。


「嘘です。何が狙われてるのかまるで分からなくて怖い。見張っていて欲しい」

「構わんぞ? なんならミステリ研の連中も呼んでおくか?」

「そりゃ心強い。もしも無事に助けてくれたら、今、叔父さんが抱えてる現場に連れて行ってやろう」


 この条件提示はちょっと刺激が強すぎたようだ。

 夕風は僕に噛みつかんばかりの勢いでその端正な顔を寄せて叫ぶ。


「破格だな! よし乗った!」

「そ、そんなに喜ぶんなら、ダメだった場合の条件も出そう。犯行を未然に防ぐことが出来なかった時は、君の弁当を半分もらう」

「それは一向に構わんが。助手よ、我の弁当、知っておろう?」


 もちろん。

 恐らく連綿れんめんと続く人類史の中で、君が最後の制作者となるであろう日の丸弁当。


「あんパンと夕風の弁当」

「また始まったか。そのこころは?」

「日米合作」

「日の丸弁当は純日本製だろう」

「『日の丸』と『米』でしょうが」

「ばかばかしい。いや、ちょっとうまいか」


 そう言って微笑む夕風は、黒いスカートを翻しながら教室を目指して歩き出す。

 僕は、その笑顔を見たいがために、いつもこうして頭をひねるんだ。



 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇



 ちょうど今から一年前。

 土砂降りの夜のことだった。


 深夜の探偵事務所。

 その扉を叩く音に、僕は目を覚ました。


 叔父さんが開いた扉の向こうに立っていたのは、雨に濡れた長い黒髪。

 その奥に黒く燃える双眸そうぼう


 僕は恐怖と共に、彼女に淡い恋心を抱いたのだ。



 ……夕風は、両親の無理心中に巻き込まれ、それでも生き残った中学生。

 そう、報道されていた。


 だが、彼女は警察の見解を否定する。

 時に理路整然と、時に感情に任せて伝えていく。


 そしてついに、叔父さんの心を動かした。



 叔父さんのスタイルは、プロファイリングをメインとした捜査だ。

 だが、誰と会話するにしても相手の話をろくに聞かず、メモも取らず、挙句に目も合わせずにあさっての方向を見ながら質問する。


 探偵に質問された場合、やましい心を持つ人は警戒するものだ。

 だがその相手が、まるで自分の話も聞かず、観察もしないようないい加減な男だとしたらどうだろう。


 必ず気を抜いて、『サイン』を出す。


 ……そのサインを観察するのが、伏目ふせめがちに一歩離れた所に立つ、僕なのだ。



 僕の仕事は、観察結果の詳細な報告。

 叔父さんはそれを聴いて、ひたすらプロファイルするのだ。


 キャストになり切る。

 ロールプレイ。


 すべての登場人物の動きを完璧にトレースすることによって、真実を暴く。



 僕にはまだ届かない領域だ。



 この事件も、推理や証拠探しすら僕に任せて、叔父さんはドラマを組み立てた。


 ……借金をした直後の夫婦が、はたして無理心中を企てるものだろうか。


 推理はそこから始まり、そして真相へ辿り着いた。



 偽装殺人。



 実行犯は、高利貸しの息がかかったプロの代行屋。

 だが真犯人は、花野家の土地を狙った、大手ブローカーだったのだ。



 ……一人の少女の無念を晴らした。

 だが、そんな叔父さんは、新たな事件に巻き込まれることになる。

 つまり、彼女に気に入られて付きまとわれるようになったのだ。


 遠縁の親戚に引き取られた夕風は、夏休みになると当然のような顔をして事務所で暮らし始めた。


 そして秋を迎え、夏休みが終わっても帰らず、学校へも通わないという始末。


 挙句に、中学校を卒業したら助手になるとバカなことを言い出した彼女の将来を案じた僕と叔父さんは、課題を出したのだ。


 十月一日。

 彼女の両親の墓参り。


 その帰り道で彼女に告げた言葉。


 怪盗XXヘキサゴンを捕まえろ。


 ……以来、彼女の探偵人生は、逆にバラ色に輝き始めてしまったのだ。


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