涼宮ハルヒの変貌

十(じゅう)

涼宮ハルヒの変貌


 今日もいい天気だ。平和だ。

 俺は、窓の外の空を見ながら思った。

 半透明な水色の空の中、白い雲がゆったりと右から左へ流れており、時どきチュンチュン、とのどかな鳥の鳴き声が聞こえる。

 まあ、この穏やかな雰囲気も、ヤツが部室に現れたとたん、闇鍋食材ありったけぶち込み空間と化すのだろうが……。

 俺がそんな事を考えていると、部室のドアが静かに開いた。

 ドアが静かに開いたので朝比奈さんかと思ったが、ドアの影から出てきたのはハルヒだった。

「ハルヒか。今日は珍しくドアをぶち開けたりしないんだな」

「……」

 ハルヒは何も言わず、俺の隣のパイプ椅子に座った。

 一瞬流れる沈黙。

「どうしたんだ、ハルヒ。いつもだったら壊れたスピーカーみたいにある事無い事まくしたてるじゃないか」

 俺はそんな事を言ってから、ちょっと言い過ぎたか、とハルヒの鉄拳が飛んでくることを予測し両手でガードした。

 しかし、何も飛んでこない。

 俺は、恐る恐るハルヒを見た。

 すると、ハルヒも俺の事を見た。

 どことなく悲しそうな瞳。

 俺は、ハルヒのこんな表情をほとんど見たことが無い。

「……ョンは」

「何だ」

「キョンは、SOS団に残ってくれるわよね?」

「何をいきなり。別に居なくなる理由はないが」

 するとハルヒは、体を俺の方に寄せた。

「よかった……」

 ハルヒは、心から安堵したような声を漏らした。


 部室で、うら若い男女が2人きりで、そばに居る。

 普通であれば、微笑ましいシチュエーションだと思うだろうが、俺は違和感を感じていた。

 ハルヒの挙動。言動。

 全てがいつもと異なる。

 一体何があった。

 俺はハルヒに問いかけてみたが、要領を得ないので、一旦ハルヒを部室に残し、その原因を探りに行く事にした。

 俺が部室を出ていく時、ハルヒは心細そうな表情をしていた。

 そのお前らしくない、触れるともろく砕けてしまいそうな表情の原因は、一体何なんだ。

 

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 俺は、谷口や国木田に会ってハルヒの事をそれとなく聞いてみたが、特に心当たりは無いとの事だった。

 それから、普段は使われていない空き教室前の廊下で、長門に会った。

「おい、長門」

「何」

「お前、ハルヒについて何か心当たりは無いか。今日のハルヒは明らかにおかしい」

「……」

 長門は何も答えなかった。

「おい、どうしたんだよ」

「……この学校全体に、細工を施した」

「どういうことだ」

「涼宮ハルヒの言動に対して、如何なる有機生命体も反応しないよう空間を操作した」

「なんだよ、それ」

「噛み砕いて言えば、仮に涼宮ハルヒが自分の意見を如何なる手段で訴えようとも、それは心に刺さらず空気のようにただ通り抜けていく。そして、一向に届かない想いに、涼宮ハルヒの心は摩耗していく。そうなるようにした」

「……おい」

 俺は、意図せずドス黒い声を出していた。

 相手が女でなければ、胸倉を掴んでいたと思う。

「なんで、そんな事をしたんだ」

「理由は教えられない」

「ふざけるな! いますぐその操作を解けよ!」

「無理」

「……!」

 俺は、脳の全てに怒りがこみあげていた。

 俺は長門を見た。するとそこに、意外なものを見た。

 長門は、その透き通るような白い頬に、ひとすじの涙を流していた。

「長門、なんで、泣いて」

 その時、俺がいた空間は、ぐにゃりと歪んだ。


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 俺は、いつの間にか、別の教室前の廊下に居た。

 恐らく、長門は空間操作をして俺を別の場所に移動させたのだと思う。

 と、そばに、朝比奈さんが居た。

 朝比奈さんは、酷く慌てた様子だった。

「朝比奈さん、どうしたんですか」

「キョンくん! あの、その、大変な事になっているんです」

「一体何が」

「この間、ちょっと用事があって未来に行ったんです。それでSOS団の部室を覗いてみたら、長門さんが居なくなっていたんです。その代わりに朝倉さんが、私や、涼宮さん、キョンくん、古泉くんと楽しそうに話していて」

「でも、一瞬部室を覗いただけなら、長門がずっと居ないということの証明にはならないでしょう」

「いいえ。私は3日間、定期的に部室に行きました。でも、その間、長門さん用のパイプ椅子は誰も座る事無く空っぽのままでした」

 俺、考えろ。

 恐らく全人類平均で考えると、数世代遅れのCPUでクロック数もいまいちな俺の脳みそだが、こういう時に役立て!

 ……恐らく、未来に朝倉が居るという事は、情報統合思念体の急進派が関与している。 

 そして、情報統合思念体は現在進化が停滞していて、この銀河系の一惑星が年月を重ねる中で生まれた知的生命体の一端、涼宮ハルヒの莫大な情報発生能力に興味を抱いている。出来れば、ハルヒの情報発生能力の謎を解明して、自己の進化に役立てたい。特に急進派であれば、多少手荒でも早急に事を進めたいと思うだろう。

 つまり、俺とハルヒの関係を現在から変化させて、その結果を見たいということだ。

 ……だが、これ以上が分からん。どうして今の長門はハルヒに関する空間操作をして、どうして未来の長門は居なくなって朝倉がSOS団に入ってるんだ。

 そしてさらに言えば、『涼宮ハルヒの言動に対して、如何なる有機生命体も反応しないよう空間を操作した』と長門は言っていたが、

 どうして俺はハルヒと会話が成立したんだ。

 ……いや、分からなけりゃ、分かりそうなヤツに教えてもらうまでだっ!


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「これは、あなたにとって辛い話かもしれません」

 古泉は、いつもの微笑みを封印して言った。

「これは僕の憶測ですが、きっと長門さんは、あなたと涼宮さんの仲を発展させる鍵の役割を果たしたのだと思います。長門さんが涼宮さんのコミュニケーション能力を封じる。しかし、あなたとだけは普段通り意思疎通が取れる。すると涼宮さんはあなたを今まで以上に特別視し、また、あなたという安全装置がいつでも側にいるという安心感から、今まで以上に好き放題暴れられる。情報発生も盛んになる。これは、情報統合思念体の急進派の意図通りの結果となる。……無論、この考え方に、全ての情報統合思念体が賛成していたとは思いませんが……」

「長門は、それで涙を流していたのか……」

 俺は、胸がぎゅうっと痛くなった。

「長門さんの涙の理由はそれだけではありません。きっと、もうあなたと会えないという想いも重なっていたと思います」

「おい、なんだよ、それ」

「先程も言いましたが、今回、情報統合思念体が描いたストーリーでは、長門さんはあなたと涼宮さんの仲を発展させる鍵の役割となっています。しかし、鍵は鍵以上でも鍵以下でもありません。鍵は、あなたの側で歩く事は出来ません。これからずっとそういった関係があなたと続く事に長門さんは耐えられず、長門さんのバックアップである朝倉さんと役割をバトンタッチしたのではないかと思います。ですから、未来には長門さんの姿は無く、朝倉さんが僕たちの仲間となっている。あなたと涼宮さんの仲を発展させる鍵の役割を引き継ぐために」

 俺は、青ざめた。

 そして、すぐに走り出していた。


 俺は、気付けば文芸部の本棚の本をあさっていた。

 そして、一冊の本を見つけた。

 その本のページをめくる。 

 それから、一枚の栞が目に留まる。

 栞には、


『今までありがとう』


 それだけが書かれていた。


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 長門は外国に転校したという話を先生から聞いたのち、一日分の授業を受けてから、俺は部室にやってきた。

 橙色の夕焼けの光が、部室に濃く差し込んでいた。

 ハルヒは、一瞬びくっと肩を震わせたが、俺の顔を見て笑顔になった。

「キョン。……頂きもののジュースとかあるけど飲む?」

 ハルヒは、おしとやかな様子で優しく俺に話しかけてきた。

 しかし、俺はハルヒに向かって言った。

「おい、いい加減にしろよ」

「……なにが?」

「ちょっと自分の意見が通らなかったくらいで落ち込むなよ! お前はそうじゃないだろ! お前は、誰が何と言おうとありとあらゆる道を模索して、自分の考えを世界にぶつけるやつだったはずだ! そんなしおらしいハルヒはハルヒじゃねぇ!」

「……」

 ハルヒは、うつむいた。

「お前はやりたいことをやれっ! あんまり滅茶苦茶なものだったら……俺がストップかけてやるからさっ」

 俺は、いつもの傍観者気分だった俺を捨てて、ハルヒにまくしたてていた。

 するとハルヒは、少しの間息を止めた後、やがて俺に肩を寄せ、

 泣き始めていた。

 夕焼けの光は徐々に黒みを帯び、周囲には冷気が纏わり始めていたが、俺は不思議と寒くは感じなかった。


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 次の日。

「じゃあとりあえず、複数階立てのビルを両手で持ち上げる事が可能なのか? についてキョンに実践してもらおうと思うのだけれど、何か異論はあるかしら」

 俺は立ち上がり、猛然と抗議した。

「異論ありまくりだろっ! 俺の両腕がおかしくなるのは明白だっ!!」

「昨日、キョンが『お前はやりたいことをやれっ』って言ったんじゃない」

 くっそーっ! 都合のいい所だけ覚えてやがってっ!

 昨日のしおらしさの100分の1でも残って無いのかっ!

 おれは拳をぷるぷる震わせながら着席した。

 そして、俺はふと、本棚近くのパイプ椅子を見た。

 そこには、本来座っている筈の人間……いや、対有機生命体ヒューマノイドコンタクト用インターフェースは存在していない。

 俺は、ふぅ、とため息をついた。

 と。

 ぐにゃり、と空間が歪み、長門がパイプ椅子の上に現れた。

 俺は、その瞬間吃驚してしまい、明らかにヘンな顔をしていたと思う。

「な、なが、なが」

「どうしたの」

 長門は何事も無かったようにいつもの無表情で俺の方を見た。

「いや、」

 俺が呆気に取られていると、長門は俺に近づいてきた。

「……本の栞」

「え?」

「『今までありがとう』は『私は部室に現れる』の暗号」

「え? そうだったのか?」

「冗談」

 長門は言い残すと、またパイプ椅子に戻り、本を読み始めた。

 なぜここで長門流の独特な冗談が炸裂するのか。

 俺の脳のメモリーがそろそろ限界近くになっていると、古泉が側にやってきた。

「いやはや、涼宮さんはやはり只者ではないようですね。長門さんを強引に部室に引き戻すとは。あなたが涼宮さんとの絆を深めることで、情報統合思念体の調査も進み、想定外ではありますが、長門さんも涼宮さんの力で戻って来た。まあ道中いろいろありましたが、それぞれの思惑が達成できたのでハッピーエンドなんじゃないですか」

「なんていうか……野球で例えると、俺は年間30回2/3イニングを投げて防御率3.86くらいの平凡な中継ぎの役割が出来れば十分なんだが……どうしてハルヒと居ると先発で年間200イニングを投げるようなことになっちまうんだ?」

「彼女に選ばれてしまった者の宿命でしょうかね。羨ましい限りです」

 古泉は微笑んだ。

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