第三話

「坊様……もし、坊様……。」

眠りに落ちていた円空を、大柄な手が揺さぶっていた。

「ぬ……何じゃ、何じゃ……。」

眠い目をこすりつつ、起き上がった円空の目の前には、猟で山に入ったのであろうか、大柄な男が三人彼を取り囲むように立っていた。

「何じゃ、何じゃ……ぬしらは。」

「何じゃとは、こっちの話だべ。坊様こそ、何だ。」

「わし……わしは、見ての通り、旅の坊主だ。」

「そんなこと、見れば分るべよ。」

「この家にて、一晩世話になっただけじゃ。」

「あー、昨日は誰もいなかったからな。」

「ぬし、何を言うておる。」

「何を言うておるとは、何がだ?」

円空、男達、双方がお互いの話に要領を得ていないようだった。両者は、しばしお互いを見合う。

「ええい、あの者に話をさせれば良い。おせんは、どこに行ったのかの?姿が見えぬようじゃが。」

円空がおせんの名を出した途端、男達の表情がこわばった。

「坊様、いま、何言った?」

「何とは面妖な……ここの女主人のおせんのことじゃが……ははぁ、ぬしら、あれじゃな。おせんを抱きに来たのかの?だったら、わしはすぐに出て行くゆえ、安心するがよい。」

そこまで言うと、男衆の顔色はもう真っ青になっていた。

「坊様……その話、誰に聞いた?」

「誰とはまたおかしなことを……心配せずとも、他言はせん。安心せい。話なら、ここのおせんという娘に、の。」

「おせんは……いねえ……。」

男衆の中の一人、とりわけヒゲの濃い男が絞り出すような声で答える。

「いねえ……いないとは、どういうことだ。山菜でも摘みに出かけたのかの?」

「おせんは……おせんは、去年の冬、死んだだよ。」

「何を言うておる?」

瞬間、円空は、男の言うことが理解できなかった。呆然とする円空の目の前で、そのヒゲの濃い男は涙をボロボロと流す。

「死んだだよ……オレが見つけたんだ……間違いねぇ……。」

「ぬし……。」

男は、泣きながらも円空に語った。

「おせんは、ええおなごだっただよ。ちいと頭の足らんところもあっただが、オレはおせんが好きだった。こんなところで、独りで暮らして大変なこともあったろし、村のモンからも冷たくされることもあっただが、オレだって、酷いことしたって言うのに、人のことをあしく言うこともなかった。それに笑うとこれがええ顔になるんだ。」

「そうじゃろうな……。」

「オレはそんなおせんが好きだった……。でも、おせんは死んだだよ。オレがここに顔を覗かせた時はもう冷たくなっていた……でも、不思議でな……おせん、笑っていただよ。」

村の者達は、ひっそりとではあるが、おせんを弔って以来、この小屋を山仕事の折りの休憩小屋として利用しているのだという。だから、昨日は誰もいなかった筈だと。

「ふむ……何とも面妖なことよ……。では、昨日のあれは幽鬼の類かそれとも狐狸妖怪の類だったのか。」

そう言いながらも、円空にはまだ昨夜のおせんの生々しい暖かさとその感触が残っていた。円空は苦笑しつつも、己の頭を軽く叩く。

「わしも、まだまだ修行が足りぬか……。して、そのおせんが亡くなっていたというのは、どのあたりかの?」

問われた男は、小屋の一角、囲炉裏の脇、円空の座す横を指さす。そこは、奇しくも昨夜おせんが円空の横で寝ていた場所だった。

「これはまた奇縁な……。」

円空は、座を正し、読経をひとつ。

男達も、頭をたれ、手を合わせ神妙な顔。

ひとしきり読経を終え、顔を上げた円空の目にあるものが止まった。

円空は立ち上がると、囲炉裏を挟んで自分が座っているのとは反対側の壁にかかる棚に向かう。板きれを組み合わせて作ったと思われる質素な棚であるが、そこにあるものが気になったのだ。

「これは……。」

それは小振りな彫り物。月日が経ち、色などはくすんでいるが、そこに彫られた顔には覚えがあった。

「ああ、それ、多分観音様だと思うだが、死んだおせんが握りしめていたもんだ。いつから持っていたのか知らねえが、大事にしていただな……旅の坊様が作ってくれてたって言っていただ。」

「そうか、大事にしていたか。」

「おせんと一緒に埋めようかと思ったが、何だか忍びなくてな……その観音様、ええ顔してるだで。」

「観音様でねえ。マリア様だ。」

円空が昨夜のおせんの口調をまねてそう言うと、男達はぎょっとした顔で円空を見る。

「坊様、何で……。」

「隠さずとも良い。隠れだったのじゃろう、おせんさんは。」

そうして、円空は昨夜のことを男達に話して聞かせた。そして、いま手にした彫り物が、円空の手になることも……。

「はぁー、不思議な話だな……でも、坊様が作ったというなら、暦(こよみ)があわねえ……何でだ?」

「知るか、わしが教えて欲しいわい。」

その話の間にも、男衆の一人が小屋に取っておいた米と味噌、醤油、それに近場から取ってきた山菜を鍋に入れ、何やら煮込んでいた。美味そうな匂いが鼻をつく。

「御仏の導きか、狐狸妖怪か悪神の戯れか、それとも耶蘇の神さんの気まぐれか、それは知らん。」

平然という円空に、男達の方が顔色を変える。

「耶蘇って……坊様、滅多なこと、言うもんじゃねえ……。」

「何じゃ、けちくさいこと言うな。」

笑いながら、円空は差し出された椀に手をつける。

「おかげで、こうして朝餉(朝食)も口に出来る。耶蘇の神さんのおかげというなら、素直に礼を言いたいわい。」

言いつつ、はふはふと息をかけながら、椀の中の熱い雑炊をすする。

「はぁ……坊様、変わっているな。」

「当たり前じゃ、変わっているからこそ、こうしてふらふら諸国を回っておる。」

もの凄い勢いで椀をすすり終えると、食した椀と箸を置き、手を合わせ一礼。そして、立ち上がると再び棚にある観音像、いやおせんにとってはマリア象に手を合わせる。

「マリアさんか……。わしは耶蘇の神さんのやり方は知らんでな、坊主のやることじゃ。仏さんの流儀になるが、まぁあまりケチくさいことは言わんでくれや。ただ、礼を言いたいだけじゃ。」

そうして、また読経。

読経を終えた円空は、今度は荷をほどき、昨夜したように仕事道具を広げる。そして、三体の仏を手早く彫って見せた。

「はぁ、大したもんだな……。」

男衆の一人が、その円空の手際の良さに感心してみせる。

「ほれ。朝餉の礼じゃ。」

手早く彫り終えた木仏を、男達に渡すと、円空は道具を片付け、再び荷をまとめる。

「坊様、ありがとうございます。でも、これ、何の仏様だ?」

「それは……。」と言いかけ、円空はふと考えてから言い直す。

「何でも……好きなように思えばええ。」

「結構、いい加減だな……。でも、これうちの坊主が見たら喜ぶかもな。」

「何だ、おめ、わらし(童)のおもちゃにするつもりか……罰があたっぞ。」

男衆が、互いに言い合うのを横に円空はもう荷をまとめ終え、その手には編み笠があった。

「構わんよ、童子とともにあるのなら、仏さんも本望だろうて。そんなにケチくさい方ではないわ。」

そう言う円空の顔は、ある種の確信に満ちていた。

(そう、そうやって、粛々と作っていけば、いつか宿願も叶うわい。)

その時、ふと耳元で、おせんの声がしたような気がした。

勿論、振り向いたところでそこには誰もいない。

円空は、まるでそこに誰かがいるかのごとく微笑むと、男達に改めて礼を言い、小屋を後にした。

耳元には、昨夜の言葉の温もりと余韻。



「坊主なら、大丈夫だあよ。」



円空が宿願を果たし、入定となるのは、これより三十年後の元禄八年(1695年)七月のことである。

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聖母観音 ねごとや @negotoya

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