No.1 死人の箱庭



 私には記憶、そして名前がない。

 ここにいる人間ならば誰もがそう口にする。男性も、女性も、大人も子どもも、誰もが、だ。

 ここはそういう場所、そういう世界。男もまた、自らの記憶と名前がない。あるのは与えられた番号――47番という数字だけだ。

 その数字が持つ意味は、名前の代わり。ここの住人は皆、男のことを47番と呼んだ。共に暮らす者たちだけは別の名で呼ぶが、基本的には47番が名前だ。

 もちろん、47番がいるのだからそれ以前もいる。1番も2番も、30番も42番もいる。しかし、50番はいない。それはなぜか? 

 この箱庭と呼ばれる世界には、四十九人しかいないから。

 空が青いな。濁った空を見上げ、47番は呟いた。手入れされた庭園で、その呟きを聞き留める者はおらず、風に運ばれどこかへと消え去る。

 そろそろ戻ろう。47番はその足を部屋へと向ける。47番含め、七人が暮らす部屋に。

 自然豊かな庭園を抜け、鉄色の目立つ建物を眼前に見る。そこかしこに鉄格子が嵌められ、そのどれもが人の身体が通り抜けることを良しとしない。47番は正面の入り口から堂々と入った。

 中は一層鉄色が目立った。床は鉄、壁も鉄、さらには天井も鉄、窓に嵌め込まれた鉄格子はもちろん、照明を覆う板でさえ鉄。殴れば拳の方がやられてしまう頑強さを持ち、破壊するには相応の力が必要だ。

 だが誰も破壊しようとはしない。それはなぜか?

 する必要がないからだ。この牢獄ヽヽは出入りが自由であり、牢獄として機能していない。

 それでも囚人たちは逃れることができない。なぜならばこの牢獄は、牢獄のある世界は、――断絶された、異世界ハコニワなのだから。


 ◆


 47番。それが自分に与えられた名だと受け入れるまでに、幾分かの時間を要した。

 なぜ自分は記憶がないのか。――なぜ、檻の中にいるのか。

 目が覚めれば檻の中にいた47番は、周囲に、同じように倒れ付す者たちを見る。頭にスカーフを巻いた大柄な男、眼鏡をかけた白衣の女性、……人の形をした岩の塊に、マントを身に着けた少年、ベレー帽を被り羽ペンを握って離さない少女、そして大剣を背負い鎧を身に着けた、自分と同じくらいの歳であろう男性。

 自分を含め七人が、檻の中に閉じ込められていた。

 まず始めに、羽ペンを握った少女が目覚めた。

「ん、うぅ……えっと、……え、あれ? なにこれ?」

 47番は問う。あなたの名前は何か、と。しかし少女は異様な環境で目を覚ましたことに混乱し、問いを聞いてはいなかった。

「な、なにこれ、なんですかこれ……なんで檻に。待って、そうじゃない。なんで? 記憶が……名前も、名前、あたしの名前――え?」

 混乱する少女にもう一度問う。あなたの名前は何か、と。

 47番には、その答えがある程度予想できた。きっと考える通りならば、

「……よ、48番」

 ――数字で答えるはずだ、と。

 しかして47番の予想通りになり、おそらく他五人もそうなるだろうと考える。皆記憶と名前を失い、代わりに機械的な番号を名前としているはずだ。

 いったい何が起きているのだろう。

「…………んぉ!? なんでぇ、身体がバッキバキにいてぇ! 藁と毛布はどこ行――んだぁ? 鉄の床?」

 続いて大柄の男が目を覚まし、その大声によって他四人も目を覚ます。

「大声で喚くな、今何時だと思って――はっ?」

「……誰か、状況を説明してくれないか。どうか理解できる言葉で」

「シュコォー……シュコォー……」

「ぅぐ……頭が、痛い……――ってなんだこのでっかいの! 岩!? 動いてる!?」

 一人、人間とは言い難い存在が在るが、一先ずは置いておこう。47番は、48番にした問いを四人に投げかける。

「名前ぇ……んあ、なんだっけなぁ? オレもボケたか、はっはっは! ……ん? おお、そうだ、思い出した。オレぁ43番ってんだ」

「……大声出してたのはアンタか。っていうか、なんだその名前? ……って思ったら、俺もだ。笑えない……46番、それが俺の名前らしい」

 大柄な男が43番、マントを着た少年が46番。そして、

「はて、記憶が消える原理を述べよと言われれば述べることは容易い。……しかし、己の名前はと問われると少々難儀だな。44番、きっとこれは本来の名前ではないのだろう」

「……こ、この隣の動く岩はなんなんだろう? 人の形をしているように見えるけど……まさかゴーレムだったりするのかい? え? 名前? 49番だけど……って、なんだこれ記憶がない!?」

「シュコォー……シュコォー……ヨンジュウ、ゴバン」

 白衣の女性が44番、鎧の男性が49番、そして岩の塊が45番らしい。

 49番が「喋った! この岩喋った!」と騒ぐのを余所に、この不可解な状況が生まれた原因を考えてみる。

 しかし記憶を探れど、出てくるのは名前と、――少々、思い出したくない記憶のみ。その記憶はこの状況を説明するものではなく、手詰まりもいいところだ。

「いったいここはどこでぇ? オレぁ確か……確かぁ、なんだっけな。まったく思い出せねえ」

「頭は必要以上に回っているのだが、なにしろ虚数が多すぎる。この状況に至るまでの過程がまったく計算できない。……非常に遺憾だ」

 43番と44番の言葉に、やはり皆自分と同じ状態に陥っていると理解する。

 檻の中に閉じ込められた7人の共通点は、

 一つ、名前と記憶が無い。

 二つ、番号としての名前が刷り込まれている。

 三つ、誰も現状を理解していない。

 何がどうなってこうなったのか。それを説明できる人間は、この七人の中にいない。つまりは七人全員が被害者ということになる。

 被害者がいれば加害者もいるはずだが、恐らく会う為にはこの檻を出ねばならぬのだろう。

「えっと……出られるんでしょうか」

 鉄格子の扉に近寄り、どうにかして出られないかと調べる47番に声をかけたのは48番だ。手に持つ羽ペンをくるくると回しながら、うーんと首を捻る。

「普通、檻って外から鍵がかかってて出られないものですよね。で、その鍵は檻の外にいる誰かが持っている。……あの、これ、どう考えてもあたしたち、捕まってますよね?」

 捕まっている。なるほど、そう捉えることもできるか。確かに檻というものは囚人を閉じ込めておく物だ。その中にいるのだから、自分たちは捕まっているという解釈ができる。

 自分たちは、罪人か。

「そう考えると、名前代わりのこの番号も……囚人番号、だったりして?」

 おどけて見せるが、不安なのだろう。ぽとり、と羽ペンを落とし、引きつった笑みを浮かべる48番。単なる想像でしかないが、なるほど、有り得ない話ではない。

 と、

 ――ガシャン。

「うっそ!?」

 そんな話をしてたら、檻の扉が開いた。鍵がかかっている可能性もあったために拍子抜けしてしまう。

「おぉ? 出られんのか、でかしたぜ坊主、嬢ちゃん!」

 43番が我先にと扉の外に飛び出し、扉の外にある通路を走っていく。その姿はたちまち小さくなり、あっという間に見えなくなった。

「一本道なんですけど。どんな足の速さしてるのあのおじさん……」

 48番の呟きに同意する。少なくとも人間が寝起きで出せる速度ではない。

「ああ、良かった……出られるんだな。出て大丈夫なのかイマイチ不安だけど、ここがどこなのか確かめなきゃ」

 46番も檻の外に出てくる。して、檻の中に残ったのは44番と45番、49番だ。

「あれ、出ないんですか?」

「……今そこの少年が言ったばかりじゃないか。出て大丈夫なのか、その保障が無い限り僕は外に出ない。このゴーレムと一緒にいるのもどうかと思うけど、見た感じ危害を加えてきそうにないし、だったらここにいるのが一番安全だ。外はきみたちが見てきてよ。大丈夫そうだったらここに戻ってきて、大丈夫だって言ってくれると嬉しいかな」

「……シュコォー」

 45番はともかく、49番はその性根が腐っているらしい。

「……ん? ああ、出るつもりはない。肉体労働は苦手なのでね、そこの49番と同じく待機させてもらう」

 44番もまた、出るつもりはないと言う。

 仕方ない、と三人だけで外に出る。続く通路は一本道で、ところどころ上の方に窓はあるが、鉄格子が嵌められていて身体は通りそうにない。

「……それにしても長いな。この鉄の道を、43番は見えなくなるまでの遠くに一瞬で走って行ったのか」

 46番の呟きは、鉄の壁、鉄の天井、鉄の床に反射し響き渡る。延々と続く通路は、本当に出口があるのかと思わせるほどに長い。

 光が上にある窓からしか入らないというのもあり、通路は薄暗い。先も見えないこの道を、いったいどれだけ歩けばいいのだろう。

「でも、夜じゃなくて良かったですね。日が出てるっぽいから光も差すけど、夜だったらもっと弱い月の光しかないわけで……しかも、その月が雲にかくれたり、そもそも出ていなかったりしたらって考えると、ああ怖い!」

 先ほどからこの少女は、とかく想像力が豊かだ。羽ペンにベレー帽という組み合わせからするに、48番は物語を創造する人間だったのではないだろうか。

「え? あたしが作家? ……そうかもしれませんね。ええ、きっとそうなんでしょう。――だから記憶の中のあたしは、」

 はっ、と何かを言い掛けた口を両手で押さえる。今、明らかに何かを隠した。それはこの状況を説明するものか、あるいは単に他人に言いたくない類のものか。

「そ、そういう47番さんは、いろいろ洞察力とかあるし、探偵さんだったのかもしれませんね! 檻の扉も開けちゃいましたし。あはは、あはははは!」

 この少女、話題を逸らそうと必死である。

 触れられたくないのなら触れるつもりはない。しかし必要だと感じた時には、その口を裂いてでも話してもらおう。

「意外とエグいこと考えるな、アンタ……」

 苦笑を浮かべる46番。本当に口を裂くわけがないだろう。そんなことをしてしまったらマトモに言葉も話せない。

「そういう思考がエグいんだって。もっと仲良く行こうぜ、みんな被害者なんだ」

 この46番、きっと周囲の人間に好かれていたのだろう。仲良く、なんて言葉が遣えるのは、仲良くする相手がいた人間のみだ。容易に想像できる、この少年の周りに集まる多くの人間を。

「いや、たぶんそんなんじゃなかったと思う。……俺はもっと、人に嫌われる人間だったはずだ」

 自嘲気味に語る少年。その表情には陰りがあり、やはり何かを隠している。

 ……いいや、これ以上は詮索すまい。なぜならば、彼らが隠しているのはきっと、47番が隠しているものと同質のものだろうから。

 そうしてどれほど歩いただろうか。たった10分の気がするし、30分は歩いたかもしれない。時間の感覚がおかしくなる鉄の道を抜け、光が差した。

「おお、おお! 外ですよ外! あたしたち出られた!」

 ――――。

 ああ、出られた。確かに外に出ることはできた。空は青く、太陽が自分たちを照らしている。ここは紛れも無く外なのだろう。

 だが同時に違和を感じる。――自分の知っている空は、ここまで濁った色をしていただろうか。

「……なんか、変な空だな」

 同じ事を感じたらしい46番が呟く。48番はそんな二人を余所に、外に出られた喜びを全身で体現すべく飛び跳ねていた。

「やー、もっと喜びましょうよ二人とも! 檻に残った三人……三人? の分も!」

 浮かんだ疑問符はきっと、ゴーレムを指している。

 しかし、喜ぼうにも空が気持ち悪すぎる。知っているのだ、この空ではない空を。自分が本来いたはずの世界の空を。

 どうして47番たちは、その世界を離れ、ここにいるのだろう。



 ――――贖え。



「…………!?」

 声が、聞こえた。

 瞬間、視界がぐるりと反転する。色が混ざり、景色が溶け合い、捻じ曲がっていく。


 ――ここは死人の箱庭、牢獄なり。死してなお有り余る罪を背負いし者の果て。汝ら、罪と向き合う覚悟はあるか。

 ――さらば贖え、己の罪を。ここは最期の余生。恒久に近い時間の中で、無限に後悔し続けよ。

 ――いずれ、罪と向き合うことができたなら……、


「……現れる扉を叩け、罪を償う機会を授ける」

 聞いたのだろう、46番は声にする。

「これ、なんなんですか……あたしたちは、なんで、」

 なんで、ここに。

 ここはなんだ、とか、今の声は、とか、浮かぶ疑問は様々だ。しかし結局行き着く疑問はそこだ。なぜ自分たちはここにいるのだろう。

 声は『罪を贖え』と言う。ならば、

「――ここにいる人間はみんな、何かしらの咎人ってことか」

 三人の視線が交差する。46番も48番も、47番と同様に己の罪を知っているはずだ。

 なぜならば、名前も記憶も忘れた中でたった一つ残っていた記憶こそが、――罪の記憶なのだから。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死檻の咎人 三ノ月 @Romanc_e_ier

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ