第2話 次の世界。
目が覚めてすぐにハンマーで叩かれ続けているような頭痛が襲ってきた。同時に起き上がるのも億劫なくらい全身のだるさを感じていた。
……。
そうだ、俺は上から降ってきたものにぶつかって……。
ぶつかってどうなったんだろう。自分の身体を隈なく観察しても外傷は見当たらない。
つまり奇跡的に避けたか、もしくは身体が意外にも岩石並みに頑丈だったか。
たぶんどちらでも無いだろうな。
むくーっと音も無く起き上がって周りを見渡す。
まずは頭上。街灯らしきものがさんさんと光を照らしてくる。
次は周り。でも起きたばかりなのと周りがやけに暗いのも合わさってあまり光景を飲み込めなかった。でもはっきり分かることは、さっきまで居た場所とは明らかに違うということ。気を失ってる間に一体何があったんだ。
もう一つ、はっきり分かることがあった。
「誰だアンタ」
俺の隣で同じように誰かが倒れているのが見えた。俺より身体が一回り小さい女の子。まだ目を覚ましていないらしく気を失ってるみたいだ。
とにかく起こした方がいいよな、外でこんな風に横になってたら風邪引くかもしれないし、死体と間違われて死体処理のバイトに持ってかれても何も文句言えないだろうし。
……。
起こしたい、起こさないといけないんだけどさ。なんせ初対面のしかも女の子にどう接したらいいかわからない。
「あの、起きて、ください」
まるでロボットのようなぎこちない発音で声を少女の身体を揺さぶって起こそうとした。
そんな無機質な呼び声にも応えてくれたのか、少女の瞼がゆっくり開いた。
「……ここは?」
目をこすりながら問う少女。
「えぇと、あの、お、俺にもわからない、です」
明らかに俺より年下なのに思わず敬語。
まずこんな年頃の女の子と話すことなんて日常では皆無だったから、どうしてもオドオドしてぎこちなくなってしまう。
普段色々言葉にしないで心のうちで他人の事をボロクソに言って生きているが、外界に触れると俺はタダのオドオドしたコミュ障。いわゆる内弁慶ってやつだ、申し訳ない。
謝罪はそれくらいにして、とりあえず今は現状を把握することが先決。
怪我はしてないみたいだし少し歩き回ってみる。いや、すぐ近くに危険があるから動かないほうが賢明かもしれない。いや、もしかしたらここが既に危険地帯だから今すぐに立ち去るべきかもしれない。いや……。
「あ、あの……」
「は、はいぃっ」
裏返った声の情けない返事。
「とりあえず……目が覚める前の事を話しませんか?」
「そ、そうですね」
そうだ、目が覚める前は俺は家に帰る途中だったんだ。それで団地を通ったときに上から何か落ちてきてそこで記憶は途切れている。なのにここは明らかに団地前じゃない。
遠くを見回しても電灯しか確認出来ない、というより電灯しか目立たないくらい暗闇な光景だった。
「と、とりあえず貴方からお先にどうぞ……」
なんかわからんが譲られたから俺から喋る。
「お、俺は家に帰る途中で、それで、団地の前歩いてて、それで、なんか上から落ちてきて、そこまでしか、覚えてない、ですね、はい」
「……ごめんなさい……っ」
「え……?」
急に少女は泣いてしまった。もしかして俺はこの子が寝てる間に何かを犯してしまったのか。いや、それだけは考えたくないしありえない。それじゃ俺がいつも馬鹿にしているレイプ魔まがいのヤンキーと変わらない地位まで突き落とされてしまう。
とにかく落ち着かせないと、この状況を他人に見られるのはかなり不味いぞ。
「じ、実は……」
少女の弱弱しい言葉はまだ続いた。
「私は、団地の屋上から飛び降りて……」
「……」
俺は上から落ちてきたものにぶつかった。
彼女は俺の真上の団地から飛び降りた。
つまり。
「貴女が飛び降りて、それに俺が巻き込まれて一緒に死んだってことか?」
「そうみたいです……」
「……」
……。
ははっ。
思わず笑いが出てしまった。なんだそりゃ、不運にも程があるだろ。
これは他殺になるのか、事故になるのか。この際どっちでもいい。
一番大事なのは、死んだという事実だ。
そっか。
……。
そうか、俺は死んだのか。
「……俺たちは死んだのか」
とても実感がわかない。だって死んだんだから。この世から消えたはずなんだから。
「で、今はどんな状況なんだ。結局死んでないじゃないか……」
生きている。
意識がある。こうして呼吸をして、声を出して、瞬きをしている。
生前ですらほとんど無かった女の子との会話が実現している。
生きてるのか、死んでるのか、はっきりしてほしい。踏ん切りがつかないから。
「本当にあったんですね……」
「え?」
「聞いたことありませんか……死後の世界」
死後の世界。
原文ではSecondLine。
なんでそんな名前なんだっけな。確か聞いた話によると、現実世界をFirstLineと表現していて、くすぶってないで次のステップのSecondLineへみんなで行こう、って感じだった気がする。
WorldじゃなくてLineなのが気になるけどな。世界線じゃあるまいし。
とにかくそんなもの嫌と言うほど耳にしている単語だ。
俺はソレを嫌ってきた。そんなものを信じる者たちも蔑んできた。
でも。
俺はソレにいる、現に今。自分が信じてこなかった死後の世界に。未だに信じたくない世界にいてしまう。
確かに死後の世界に来てやっと女の子とまともに話せたから、楽園かもしれない。いや、そこは認めたくない。
「……本当にごめんなさい……どうすれば……」
「いや、大丈夫ですよ」
「死んで詫びます……」
「死んでるから、もう」
「そうでした……」
何だろう、この会話。とにかく彼女を元気付けないと。
「え、えーと。どうせ生きてても良い事無かったし、死んでないだけでダラダラ生きてたところもあるし。だったら死んでもずっと眠ってるのと変わらないから問題ないかなって……」
「……なるほど」
納得してもらえた。
彼女は自分から死を選んだわけだから、俺の言ってることも簡単に理解出来たのだろう。
「あ、敬語じゃなくて大丈夫ですよ……?」
「お、おう。分かった」
敬語でも敬語じゃなくてもぎこちないのは変わりないけども。
「とにかく周りを歩いてみないか? 何か重大なものが見つかるかもしれないし」
でも今は死んだはずなのに身体が動かせているわけだから、生きているわけだ。
死に損、というのはおかしいけれども、生きているのだからここでじっとしているわけには行かない。
時間が経てばお腹が減るかもしれないから、それで苦しんでまた死ぬとかは御免だ。
「そ、そうですね……」
「あ、立てるか?」
俺は目が覚めて以来初めて足を地につかせた。そして彼女に手を差し伸べて立ち上がらせる。
「あの……怪我はないですか?」
「ないよ。さっき気づいた事だけど、二人とも外傷が無いんだ」
俺はもう一度自分の身体を確認したが、やっぱり目立った傷跡なんて一つも見つからなかった。
「どうなってるんでしょう……」
俺は勝手に結論づけてみた。
今の身体と死んだ時の傷ついた身体とは別物である、と。
まさかこの一瞬で傷が癒えるとは思えないからな。俺がどれくらい眠っていたかわからないから何とも言いがたいけども。
俺たちはその答えを出せないまま、本能のまま歩き出した。
真っ直ぐ一本道があるのでずっと歩いてはみるが、その道以外は暗闇しかない。夜というわけでもなく、月や雲なんてものは見えない。
少し進んでもやっぱり同じ光景が続いた。
街灯と道を除けばひたすら無の空間、闇が支配する世界だった。
「ちょっと暗くて進めないな」
「あ、それなら……」
彼女はポケットから携帯型のライトを取り出して俺に渡した。災害時に役に立つものだけど、この子はいつも持ち歩いていたのか……。というか持ち物はこっちの世界にも反映されるのか……?
俺は咄嗟にポケットに手を突っ込んだ。色々なことがありすぎてポケットの中身を確認する作業が後回しになってしまっていた。
「財布に携帯電話だ」
財布には雀の涙程度のお金が、携帯電話は電波は圏外だがバッテリーはだいぶある。
「それは……生前の持ち物ですか?」
「そうだ、貴女だってその携帯型ライトは持っていただろ?」
「いざという時に持っておいたほうがいいってお母さんに言われて持ってました……」
身体は別のものなのに、持ち物は受け継がれている。つまり衣服はそのままってことか。
確かに死んだ時と同じ服装をしている。でも血が衣類や皮膚に付着しているということは特になかった。
「よし、これで少し歩いてみよう」
俺たちは慎重に一歩一歩前へと踏み出した。手がかりは足元を照らしている光だけ。
俺はライトをより一層強く握り締めた。絶対に落としたらダメだ、希望のような光なんだ。
「まるで……明かりがないですね」
「しっかり捕まっていて」
彼女が言っているとおり、まるで明かりが見当たらない。目の前にあるのはただただ広がる闇だけ。
俺たちは一体何に向かって進んでいるのだろうか。
いつもそうだ。俺は生前、何に向かって進んでいたんだろう。いつも人波にさらされて進んでいた。
……。
今さら生前のことなんて振り返っても仕方ないだろう。
どうせもう「戻れない」んだから。
「……あ、あの……」
「な、なんだ?」
彼女がとても怯えた声で俺に尋ねてきた。気づくと俺の服をつかんで震えていた。もう今にも泣きそうな彼女だが、俺にはどうにかする力はなかった。ただそこにいるだけしかなかった。
「う、後ろに……」
「後ろ?」
俺は反射的に後ろを振り返った。もちろん真っ暗な世界と、わずかながらもさっき倒れていた近くにあった電灯の明かりしか見えなかった。
「どうした?」
「後ろに……何かいます……」
「え」
後ろを振り返ると、さっきまで歩いてきたと思われる道すらも見えないほどの闇に囲われていた。その中に何かいるのか……。
そして彼女が恐怖で俺に抱きついて震えてる。こんなに女性の身体が密着したことは生前に一度でもあっただろうか。でもそんなバカげた事を考えてるほど余裕はなかった。
「何か、見えたか?」
「いや……でも気配が……」
気配?
俺が鈍感だからなのか、何も感じない。
「じゃあ俺が見てくる」
「やっ……」
彼女が服を掴んで離さなかった。小刻みな振動が服を伝ってくる。俺まで怖くなってくるじゃないか、臆病者だってことを隠しておきたいんだ。
「一緒に?」
彼女の小さな頷きを見て、俺は来た道を少し戻ってみた。やはりその道は暗いままで正体がつかめない。
一歩、一歩とゆっくりと彼女に服を掴まれながら。
「やっぱり何もない、気のせいだ」
「そう、ですか」
どうにかしてこの子を元気づけないと。何か笑わせる一芸くらい持ってなかっただろうか。あ、とっておきの芸があるじゃないか。
「あの」
「……?」
「布団がふっとんだ」
「……」
笑わせるどころか少女の顔が蒼白していた。そこまで寒かったか今の。そんなに俺が悪かったか。
「あ、あの、わ、悪い。変なこと言って」
「う、後ろ……」
後ろ? 今は来た道の方向を向いているからつまりは行こうとしている方向、そこに何があるのか。
振り返ってみた。
何か黒い物体に覆われた気がしたが、そこで俺の意識は途切れてしまった。
Second Line 淡月カズト @awawan1123
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