第2話
変異。それは、この世界の産まれてくる人間にならば例外なく起きる現象である。身体のどこかの部分が通常とは違う造形を、通常とは違う機能を生まれ持つこと。それを変異と呼ぶ。
背中に羽が生えている。
口から火を吐ける。
怪我がすぐに治る。
等々の便利なものから、
自在に爪を伸ばせる。
舌が長い。
首が伸びる。
等々の少し微妙なものまで、その種類は多岐にわたる。
原因・原理は今だ謎が多く――約千年前、この世界に人間が住みだした頃には既に存在していた、と言われている。
人間の生活にとって有益である、もしくは戦闘技能に優れているほどその変異は『優秀』であるとされ、重宝される。この世界において、個人を評価する絶対的な価値基準の大きな一つ、というわけだ。
そして基本的に変異は遺伝せず、その本人固有のものとして無作為に現れる。そのせいもあって変異箇所、変異範囲、変異能力には個人差があり、中にはいつまで経っても自分の変異箇所がわからない、なんて人間も少ないながら存在しているのである。
そしてその一人が、空上匝だった。
「……っても、十六にもなって変異箇所が未だ不明、っていうのは流石にな……」
一般的に、例え変異箇所が体内にあるなどして不明な場合でも、変異能力の発現により変異箇所も自ずと推定される。齡十六を数えてもなお変異能力が発現せず、変異箇所も不明、なんてのはレア中のレアケースなのである。そしてこれが、匝が憂鬱たる要因でもあった。
匝は溜息をつく。
正直、変異箇所がわからない、といことはまだ良い。いや、実際悪い意味で珍しくはあるし、決して良くはない。が、世の中には変異箇所や変異能力が判明しているのにも係わらず、その力を生活に役立てることの出来ない人間も大勢いる。いわゆる微変異〈シュプール〉と呼ばれる人々だ。そう考えると、今の匝はその人々とほぼ同じ。そこまで憂鬱になる理由にはならない。
匝が憂鬱な訳は、この事実と、もう一つ存在する事実が、悪い方向に重なるからだ。
「……です!変異箇所は背中、見ての通り翼が生えてます!」
快活な女子の声に、匝の意識は引き戻される。
今は入学式典を終え、クラスごとに別れた後行われる恒例の「自己紹介」の真っ最中だった。
今、皆が自己紹介を行っている教室は扇状で、弧に沿う形で歪曲した長椅子と長机が四つずつ、内側に向かって階段状になるように八列置かれている。そして扇の中心には教壇が設置されていた。
その教壇に立つ、恰幅のいい男性教師――先程自己紹介していたようだが聞いていなかった――は、翼人っ娘の自己紹介を聞き、満足そうに頷くと、
「はい、有難うございました。それでは次――空上君」
最後の抵抗として、できるだけ目立たぬよう小さくなっていた匝を指名する。
順番に自己紹介を行っているのだから、いずれ指名されるのは当然のことなのだが。
遂に順番が来てしまった。……あまり気が進まないが、仕方ない。
匝は嫌々ながらも立ち上がり、話し始める。
深く息を吸うと、
「空上、匝です。出身はウテルス。この学院には特殊変異支援制度で入学してきました。変異箇所は――わかりません」
教室にどよめきが走り、否応なしに奇異の視線が向けられる。
覚悟していたこととはいえ、やはり少し居心地が悪い。
そう、これが、重なると良くない『もう一つの事実』だ。
此処は、王立学院ゲヒルン。大国ケルパーの中心、王都に居を構える変異教育の最高学府である。入学が許されるのは、資産家か貴族の子供、もしくは『変異能力』が規定値以上に達しているような人間だけなのだ。
間違っても、身寄りの無い、変異箇所が不明の男が入学できるところではない。
そして、『特殊変異支援制度』――これは、『変異能力』が規定値以上に達してなくとも、その『変異能力』が希少である、極めて特殊である、と判断された場合に、学院への入学が許される制度である。重ねてこちらも、変異箇所が不明、とされる人間に適用されるような制度ではない。
つまり――俺の入学は、自然ではないのだ。金もない、能力もない、制度を受ける資格もない。何故こんな俺が入学を許されたのか――不自然極まりない。
この疑問の出口が見つからないことが、俺の憂鬱の原因だ。
……さらに付け加えて言うならば――俺は、周りから見れば『不自然な力で入学してきたコネ野郎』と、映ることだろう。
溜息を押し殺し、視線を気にしないようにしながらゆっくり席につく。
面倒なことに、ならなければいいが。
「はい、有難うございました。それでは次――」
匝の自己紹介を聞いても特に気に留めた様子のない教師が次を促し、大半の視線は取り敢えず霧散する。
匝は教師に心の中で少し感謝し、彼の自己紹介を聞いておけばよかったと思った。
無関心が助けになることもあるものだ。
しかしそれでも尚、匝は首筋に刺さる強い視線を感じ、後ろを振り返る。
多くの生徒が自己紹介をしている者へと顔を向けている中、一人だけ此方に視線を投げかけている人物。
そこには美しい銀髪と主張の激しい胸を持った女生徒――ミアがいた。
間が悪い。同じクラスだったのか――と、もはやこの学院に来てから何度目になるかわからない溜息を押し殺し、ミアと視線が合う。
若干の気まずさを感じながらも、微笑を送った。
そしてそういえば髪の色が戻っているな、もう機嫌は直ったのかな、などと考えていると、ミアの方から憮然とした態度で視線を逸らしてしまった。
どうやら、まだお怒りのご様子だ。匝は苦笑しながら教壇へと向き直る。
――あとで、謝っておくか。
ゲヒルン本館、中央大食堂。
どうやら今日は顔合わせだけのようで、カリキュラムは午前中だけで終わり、昼食を摂ったら寮に向かいそちらの説明を受けるらしい。生徒たちは自己紹介の後、この食堂に移した。大国・ケルパーの王都を代表する学院らしく、その造りは豪華の一言に尽きるものだった。故郷の辺境都市ウテルスの教会内にある食堂の十数倍、千人は入るのではないかという程の広さを持ち、窓には〈盟約〉を象ったステンドグラスが嵌めこまれている。様々な装飾を施された長椅子、長机に丸テーブルが数えるのも億劫になるほど設置されており、入ってくる人数に応じて自動で増減するのではないか、と錯覚させられるほどである。食堂内は、昼間だというのに薄暗い明かりとステンドグラスの色彩により、夜のはじまりのような雰囲気を帯びていた。
匝は慣れない絢爛さ、やたらと高い天井に些かの圧迫感を感じながらも、隅の空いている小さな丸テーブルに腰を下ろした。食事はバイキング制で、肉に海鮮、野菜に果物と選り取りみどり取り揃えてあったが、匝が選んだのは比較的質素なサンドイッチだ。
「……なかなか慣れるのには時間がかかりそうだ」
匝はそう独りごちる。
ふいに周りを見渡すと、初日にも関わらず既にある程度のグループが出来上がっているようだった。やはりというべきか、変異箇所の近い者同士で固まっているような印象を受ける。
わざわざ自分みたいな奴に話しかけてくる奴はいないか。怪しさの塊みたいな人間だ。
と思っていると、
「よう!」
と、突然後ろから肩を叩かれる。
どうやら、相当の物好きがいたようだ。
「……お前は?」
訊きながら振り返る。そこには、金色短髪で、マントを羽織った男子生徒が立っていた。
その手には赤いジュースと、赤身の肉が大量に盛られた皿を持っている。
「なんだよ、同じクラスじゃねーか。自己紹介聞いてなかったのか?」
「悪い、結構ボーッとしてた」
特徴的な黒いマントを制服の上から羽織った男子生徒は苦笑しなが答える。
「なら仕方ねーな。俺はダイ。ダイ・ノーチラスだ。ダイでいいぞ。変異箇所は――」
そういうとダイは歯を見せて笑い、指さした。
「ここだ」
「……牙」
ダイの示した犬歯の部分は、異常に尖っていたのだ。
「ああ、そうだぜ。つっても、正確にはここだけじゃねーがな。ここが一番判り易いってことだ」
「吸血種か?」
頭に浮かんだ可能性の一つを口に出す。
「大正解!お前、結構博識なんだな!」
ダイは指をぱちんと鳴らし、赤いジュースに口をつける。
「自分の変異箇所を探すためにな、知識だけは無駄につけたんだよ」
吸血種。その名の通り、人の血液を吸うことができる変異箇所を持つ人間を総称してそう呼ぶ。
とはいっても、人の血を吸うと身体機能が大幅に上昇するというだけで、生存に血液が必要不可欠というわけではない。普通の食事でも問題なく生きていける。しかしその性質から、誤解されやすい人々だ。
「安心したぜ、大体のヤツは吸血種っつーとビビっちまって話にならねぇ。んで、お前さんも友達いなさそうだったからな。寂しい者同士もしかしたら、と思って声を掛けてみたんだよ」
言いながらダイは正面の椅子に腰を下ろした。
「悔しいが大正解だ。今もちょうど、寂しく一人で昼食と洒落こむところだったしな。ああ、俺は――」
言いかける匝をダイは手で制しながら、
「知ってるぜ、お前と違ってちゃーんと聞いてたからな。匝、だろ?友達いない同士、仲良くやろうぜ」
ダイは豪快に肉を頬張りながら笑顔を向けてきた。
「そうかよ。ま、よろしく頼む」
入学早々不名誉なカテゴリに入れられてしまったが、全て本当のことなので何も反論できない。ミアと話したことはあったが、怒らせてしまったし、あれで友達の関係になれたと思うほど図々しい神経はしていない。
「ああ。……ところでお前、自分じゃ気づいちゃいないかもしれねぇが、けっこう注目集めてるぜ?」
ダイはいたずらっぽく笑いながら言った。
「よしてくれ、十分自覚してるよ。……やっぱりこっちでも、俺みたいなのは珍しいのか?」
「俺も王都育ちってワケじゃねぇからここの事はわからねぇが、少なくとも俺のトコじゃあ珍しいな」
匝は溜息を付きながら返す。サンドイッチを一口齧るが、禄に味を感じない。
「やっぱりか」
「ガキの頃はそこそこいたが、流石にこの歳になるとなぁ」
何が面白いのか、ケラケラ笑いながらダイは応える。
遅くとも、六歳七歳の頃には自分の変異について把握する、というのが一般的だ。
逆に言えば、小さい時は判断能力が低いこともあり、変異がわからなくともそこまで深刻になるようなことではない。
「ま、別に悪事働いたワケじゃねぇんだ。皆そのうち慣れるだろ」
「コネは悪事には入らないのか?」
自分の立場を使った皮肉を返す。
「なんだよ、やっぱコネ使ったのか」
すると、ダイは特に馬鹿にした様子もなく純粋に尋ねてきた。
「わからん。少なくとも俺は此処に知り合いは一人もいないし、此処に入学する、と知らされたのもたった二週間前の話だ」
「……よくわかんねぇな」
「まったくだ」
嘆息する。
住んでいた教会の育ての親であるシスターも、手続きに関しては一切教えてくれなかった。それが単に知らなかっただけなのか、あえて隠していたのかはわからないが。
そこまで話すと、ダイは突然辺りを見渡し、声をひそめて尋ねてきた。
「……ところでよ、これはお前に声掛けたワケの一つでもあるんだが、匝お前、シュタルクさんと知り合いなのか?」
シュタルク?聞き慣れない響きに一瞬考えるが、すぐに思い当たる。
「ああ、ミアのことか」
「ミアだって!?お前ら、もう名前で呼び合う仲なのか!?」
ダイは立ち上がると同時に手を机で叩きながら叫んだ。零れそうになるジュースを慌てて支える。
「……別にお前の想像しているようなことはないよ。今日たまたま校門で立ち話になって、そこでそう呼べと言われただけだ」
突然のダイの大声に、周りを気にしながら答えた。
なぁんだ、とダイは脱力し、椅子に深く腰掛ける。
「あまりの手の速さに、下半身が変異してんのかと思っちまったぜ」
「……つまらん冗談を言うな」
ダイの下世話なジョークに、記念すべき本日二桁目に突入した溜息をついた。
「だから何だってことは無いんだがよ。今朝、校門のトコでちょっと見かけたもんだから、一応な」
どうやら今朝のアレを見られていたらしい。見ていたのが友達いないこいつで良かった。
下手したら変な噂が流れていたかもしれない。ただでさえ良くない立場だっていうのに。
「あいつはそんな有名人なのか?」
口ぶりから、ダイは自己紹介の前からミアのことを知っているようだったので、尋ねてみる。
「当たり前だろ!あの顔、あの髪、そしてあの胸!これが無名でたまるかよ!」
熱弁するダイに若干のけ反るが、彼女に対して全く同じ感想を持ち、さらに今朝やらかした身としては馬鹿に出来ない。
「……まぁ、そういうのを抜きにしても、かなりの有名人だぜ。〈盟約持ち〉程ではないにしろ、かなり権力のある家の娘だ。本人も、既に『プラクティカス・ポータルグレード』の認定を受けてるって話だってよ」
「そりゃ、また」
学院生で予備とはいえ、プラクティカスとは相当に優秀だ。素直に驚いた。
このプラなんとかというのは、簡単に言ってしまえば変異関連のレベル分けだ。
この位階によって、その変異に対する評価が決まる。
今話に出た『プラクティカス』は下から四つ目で、『ポータルグレード』はその予備という意味。
要するにもう少しで本当の『プラクティカス』になれそうな人、ということだ。
しかし下から四つ目とはいえ学院生、それも初年度にしては破格の階級であり、殆どの学院生は下から二番目、良くて三つ目だ。
俺といえば当然一番下。というか、本来なら一番下にすら入れないところを便宜的に入れさせてもらっている、という始末である。
ちなみに、最低でも一番下の階級に入ることが学院入学に必要な資格の一つでもある。
「ちなみにお前は?」
俺の位階なぞ言わなくても察しがつくと思うので、自分のことは無視して尋ねてみる。
「『ジェネレーター』だよ。ま、血ぃ吸わなきゃほとんど何もできないからな。しょうがねぇ」
「なんだ、俺とそう変わらないじゃないか。仲良く出来そうだな」
冗談めかして言う。
「抜かせよ、コネ野郎」
ダイもそれに笑顔で応えた。
唯一性の二律背反 ごましお @gomax
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