終章
終章
*
羽黒も帝も、何事もなかったように、それぞれの仕事に打ち込んだ。
帝が追いやった政敵については、少しずつ権利を回復させてやり、うまく味方として取り込んでいるという。
ましろは、育った山に戻り、前より少し立派になった家に住んでいる。小屋は、狼達が改修してくれたので、雨漏りもしない。
ましろは今、新しい布を作っている最中だ。いずれは、白露王が着られるくらいの、反物を作る予定である。
村人達は、狼娘と呼んで、ましろのことを恐れてはいるようだ。ただし、以前のようにからかいはしない。ましろが貴族と縁があると分かったから、村人は気を遣っているのだろう。
羽黒からは、たまに「訪ねてこい」と連絡が入る。忙しくて、こちらには来られないようだ。機を織る狼なんて、うるさくて邪険にするくせにと、ましろはおかしく思っている。
ましろは今日も、羽黒の手紙を受け取り、都で皆が元気に過ごしていることを知る(宮で勉強しておいたので、簡単な手紙なら書いて送り返すこともできる)。
兄の手紙には、こんな話もあった。
――帝も、俺の母のことを調べていたようだ。その際、衣を入手している。それをどうも、あのとき、下に着込んでいたようだな。
(あの、亡霊を、切ったとき?)
帝が亡霊に触れられたのは、ましろの母の布のおかげだったか。本当のところは分からないけれど――。
「手紙か」
狼姿の白露王が、畑の隅に現れた。
「そう。白露王も、何か、書く?」
「いいや。これ以上、関わりたくない」
白露王の視線が、畑の奥に泳いでいく。向こうには、祠が置いてあるのだ。帝が、奉った、立派な祠。奉られているのは、狼だ。
「本当は、あんまり人間と関わっては、いけないんだ。恵みを期待されすぎても、困る。俺達は、ただの狼なのだから」
礼としての貢ぎ物が、祠に置かれているのを思い描いて、白露王がため息をつく。
結局、あれから白露王は、狼の里で特に罰せられず、これまで通り暮らしているらしい。
「白露王。関わらないと言っても、都では新兵のふりをして、逃げ道とかいろいろ探っていたみたいじゃない?」
「それはした。必要だったからな」
はたりと、白露王が尾を揺らした。
「ましろ。お前は、ここにいて寂しくはないか」
「何? 改まって。大丈夫、白露王が、毎日様子を見に来てくれるもの」
「そうか」
白露王が前足で、戸口を押さえる。
「そういえば、大事な話があってな」
「うん。立ち話もなんだし、あがって」
人の姿になって、白露王は出された湯を飲んだ。ましろは何だか穏やかな気持ちになった。不思議な気がして、じっと見つめてしまう。
「お前は、ここで暮らしたいのだろう」
「うん」
「俺は狼の里にも、行かなくてはいけない。たまにしか、来れないかもしれない。守って、やれないこともあるだろう。それでも、一緒にいると、言ってもいいか」
ましろは、座ったまま、しばらく身動きしなかった。
不意に、先祖返りの可能性を考えながらも、結局、兄と自分を生んだ、母のことを思い出した。
考えても、しようのない、ことだったのかもしれない。どんないいことも、悪いことも。
気持ちに嘘はつけなかった。
「一緒にいたい」
ましろはぎこちなく呟き、前触れもなく白露王に抱きついた。
白露王が戸惑っているのが分かる。
いつも、落ち着き払っている人を、驚かせたので、ましろはおかしくなってきた。
ましろが笑いやめてから、これを黙っていたのは悪かった、と、白露王が静かに言った。
「お前の母を捜させると言ったが。川向こうで、女が流れていくのを見たという狼がいる」
ましろは、ぞくりとした。手足が冷える。
「その後、川下で、同じ者と思われる女が、川縁にいた貴族に引き上げられ、丁寧に供養されている。その貴族は、お前の父親だろう」
思いもかけない言葉だった。
「お前の兄という、宮中にいた貴族の、父親だ。お前の母のことを、ずっと捜していたらしい。お前の兄を生み、もう一人を身ごもったまま隠れてしまった女のことを」
ようやく見つけたときには、女は骸となっていたけれど――その遺骸は、弔われた。
「羽黒は、知らなかったみたいなのに」
「仕事の関係で、父親と疎遠気味だったようだ。また、父親は、出ていった妻を悪く言われたくなかったらしく、息子に告げることができなかったようだな」
「悪く言うわけ、ないのに……」
白露王が、ましろの頬をそっと撫でる。
「もう、きっとお前の母親も寒くない。寂しくない。大事にされているよ、ましろ」
今度、お参りに行けばいい。ましろは、泣き出しながら思う。
羽黒と行こう。
そのとき、白露王も来てくれるだろう。
彼は、この山の狼で。
私を見守る、ひとだから。
了
見狼伝~ましろき獣の駆けるとき~ せらひかり @hswelt
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