終章

終章

 羽黒も帝も、何事もなかったように、それぞれの仕事に打ち込んだ。

 帝が追いやった政敵については、少しずつ権利を回復させてやり、うまく味方として取り込んでいるという。

 ましろは、育った山に戻り、前より少し立派になった家に住んでいる。小屋は、狼達が改修してくれたので、雨漏りもしない。

 ましろは今、新しい布を作っている最中だ。いずれは、白露王が着られるくらいの、反物を作る予定である。

 村人達は、狼娘と呼んで、ましろのことを恐れてはいるようだ。ただし、以前のようにからかいはしない。ましろが貴族と縁があると分かったから、村人は気を遣っているのだろう。

 羽黒からは、たまに「訪ねてこい」と連絡が入る。忙しくて、こちらには来られないようだ。機を織る狼なんて、うるさくて邪険にするくせにと、ましろはおかしく思っている。

 ましろは今日も、羽黒の手紙を受け取り、都で皆が元気に過ごしていることを知る(宮で勉強しておいたので、簡単な手紙なら書いて送り返すこともできる)。

 兄の手紙には、こんな話もあった。

 ――帝も、俺の母のことを調べていたようだ。その際、衣を入手している。それをどうも、あのとき、下に着込んでいたようだな。

(あの、亡霊を、切ったとき?)

 帝が亡霊に触れられたのは、ましろの母の布のおかげだったか。本当のところは分からないけれど――。

「手紙か」

 狼姿の白露王が、畑の隅に現れた。

「そう。白露王も、何か、書く?」

「いいや。これ以上、関わりたくない」

 白露王の視線が、畑の奥に泳いでいく。向こうには、祠が置いてあるのだ。帝が、奉った、立派な祠。奉られているのは、狼だ。

「本当は、あんまり人間と関わっては、いけないんだ。恵みを期待されすぎても、困る。俺達は、ただの狼なのだから」

 礼としての貢ぎ物が、祠に置かれているのを思い描いて、白露王がため息をつく。

 結局、あれから白露王は、狼の里で特に罰せられず、これまで通り暮らしているらしい。

「白露王。関わらないと言っても、都では新兵のふりをして、逃げ道とかいろいろ探っていたみたいじゃない?」

「それはした。必要だったからな」

 はたりと、白露王が尾を揺らした。

「ましろ。お前は、ここにいて寂しくはないか」

「何? 改まって。大丈夫、白露王が、毎日様子を見に来てくれるもの」

「そうか」

 白露王が前足で、戸口を押さえる。

「そういえば、大事な話があってな」

「うん。立ち話もなんだし、あがって」

 人の姿になって、白露王は出された湯を飲んだ。ましろは何だか穏やかな気持ちになった。不思議な気がして、じっと見つめてしまう。

「お前は、ここで暮らしたいのだろう」

「うん」

「俺は狼の里にも、行かなくてはいけない。たまにしか、来れないかもしれない。守って、やれないこともあるだろう。それでも、一緒にいると、言ってもいいか」

 ましろは、座ったまま、しばらく身動きしなかった。

 不意に、先祖返りの可能性を考えながらも、結局、兄と自分を生んだ、母のことを思い出した。

 考えても、しようのない、ことだったのかもしれない。どんないいことも、悪いことも。

 気持ちに嘘はつけなかった。

「一緒にいたい」

 ましろはぎこちなく呟き、前触れもなく白露王に抱きついた。

 白露王が戸惑っているのが分かる。

 いつも、落ち着き払っている人を、驚かせたので、ましろはおかしくなってきた。

 ましろが笑いやめてから、これを黙っていたのは悪かった、と、白露王が静かに言った。

「お前の母を捜させると言ったが。川向こうで、女が流れていくのを見たという狼がいる」

 ましろは、ぞくりとした。手足が冷える。

「その後、川下で、同じ者と思われる女が、川縁にいた貴族に引き上げられ、丁寧に供養されている。その貴族は、お前の父親だろう」

 思いもかけない言葉だった。

「お前の兄という、宮中にいた貴族の、父親だ。お前の母のことを、ずっと捜していたらしい。お前の兄を生み、もう一人を身ごもったまま隠れてしまった女のことを」

 ようやく見つけたときには、女は骸となっていたけれど――その遺骸は、弔われた。

「羽黒は、知らなかったみたいなのに」

「仕事の関係で、父親と疎遠気味だったようだ。また、父親は、出ていった妻を悪く言われたくなかったらしく、息子に告げることができなかったようだな」

「悪く言うわけ、ないのに……」

 白露王が、ましろの頬をそっと撫でる。

「もう、きっとお前の母親も寒くない。寂しくない。大事にされているよ、ましろ」

 今度、お参りに行けばいい。ましろは、泣き出しながら思う。

 羽黒と行こう。

 そのとき、白露王も来てくれるだろう。

 彼は、この山の狼で。

 私を見守る、ひとだから。


   了

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見狼伝~ましろき獣の駆けるとき~ せらひかり @hswelt

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