4-5

 がたた、と、宮の建物を囲む柵が崩れた。兵が驚き、見上げると、何かがいる。

 ぎらりと宵闇に目が光る。

「おっ……」

 叫ぶ暇はなかった。

 すさまじい物音を立てて、獣が飛びかかってくる。白い狼の群れだった。まるで綿くずのように、大量の白狼が、走ってくる。赤い狼もいた。茶色のものも。青みのものも、黄みのものさえいた。勢いがいい。人間達はあっと言う間に突き飛ばされる。

「あんまり、殺すなよー」

 柵にのぼり、のんびりと、白狼の参謀係が、指示を飛ばす。狼達は、ずどど、と音を立て、廊下を滑ったり転んだりしつつ、駆けていく。人の姿をした者もいる。

「人間を脅しあげろ!」

「狼の力を思い知らせてやれ!」

「あんまり脅かすと、後で仕返しされんかのう」

 茶色い、狸のようなどんぐりまなこの狼が呟いた。白狼がふと気づく。

「あれ。正露王の息子さんでしたか? 久々に狼に戻られたんです?」

「まぁ、その、いろいろ、ありましてな」

「人間の格好で荷担するわけにも、いきませんものねぇ。目撃されたら、いろいろ問題がありそうですし。脅しについては……まぁ大丈夫でしょう。権力者を押さえれば。二度と悪さをしないよう、よくよく、言い聞かせてやりましょうぞ!」

「何なの、今の音」

 地面と建物全体が、ぐわぐわと揺れている。白露王が、帝から離れて、御簾をあげた。

「おい、いるなら手伝ってくれ」

 呼びかけを聞きつけて、狼達が鉄砲水のように固まってすっ飛んできた。

「こいつが! こいつらが親分を!」

 狼達はわあわあ叫んでいるが、沢山いすぎて、絡まってうまく動けないようだ。

「こらこら、そいつは殺さない。近づきすぎるな」

 白露王が、狼達を廊下に押し戻した。

「こいつには変なものが絡んでいる。建物にも、だ。唱和で十分だろう、祓うぞ」

「はいっ!」

 若手の狼が、白露王を見て、指示を受けて歓声をあげる。白露王が振り返った。

「ましろ。手伝ってくれ」

「どうやって?」

「よく、この声が聞こえるように。祈っていてくれ」

 以前、山にいた頃であれば、ましろはそれを拙く思っただろう。でも。

 今、握りしめている母の布が、自分と羽黒を守ったのを知っている。

 白露王に渡した布も、少しは、彼を守って、致命傷を免れさせてくれただろうか。

(お母さんが巫女で。私は狼の先祖返り。死者が見えた。……祈りに力があったとしても、いいはず)

 どうか、助けてあげてほしい、と、ましろは願う。

 帝の後ろにいる老人達も、きっと、帝を救いたいのだ。帝だけでなく――この、場所を。

 呪われた場所を、解放したい。

 くるりと、白露王が狼に戻った。喉をそらす。

 遠吠えの、鋭い声が、広がっていく。

 朗々と、歌うように。

 わああん、と、金物が反響した。あちこちで、何かが砕ける。意識のある人間達は、うずくまり、身を震わせる。やがて、徐々に空気が軽くなるのを肌で感じて、顔を見合わす。

 帝の後ろで、男の亡霊が眉間に皺を寄せた。身をよじる。暴れ出す。

「自由になれ」

 白露王が静かに告げた。

「いくら、子に恨まれ始末されたとて、恨み返して、度の過ぎた妄執におぼれるのは、自分ばかりが苦しいぞ」

 白露王が、帝と、その背後の者を、まっすぐに見る。つられたように、帝が言った。

「弔いは、する。他の代ではなしえなかった、新たな時代を作り、これでよかったのだと納得させてやろう。あの世で見ていろ」

「お前は、わざわざ、謝る機会を台無しにするのか」

 白露王に呆れたふうに言われても、帝は構いはしなかった。帝の手が、短刀を掴む。振りかぶり、白露王と目を合わせ、笑いかける。心からの、笑いだった。

 後ろへと振り切られた刃が、亡霊の真中をとらえる。絶叫を残し、亡霊は霧散して、消えてしまった。他の幽霊達も、微笑み、帝の肩を叩いて、励ましてから消えていく。

 ましろは呆然と呟いた。

「白露王、あの人達、行ってしまった」

「そうか」

 それはよかったなと、白露王は軽く、答えた。視線を帝に戻して、言う。

「では、こちらの約定は果たされた。玄人、お前も真摯に生きて、振る舞え」

 白露王の言葉に、帝が頷く。

「できることをしよう……礼になるかは、知らないが、せめて、改めて詫びはする」

 驚くほど、憑き物の落ちたような、ぽかんとした声だった。これまでの帝とは、別物のような、軽さだった。

 狼達が、どこか遠くでまた暴れ始めている。

 白露王は周囲を見回し、部下に怪我の手当を受けながら、これでいいか、と呟いた。

「さて、ましろ。片づいたようだし、帰ろうか」

 ましろは、精一杯頷いた。

 明葉達の無事を確認してから、帰る途中、狼達は群れとなり、一体となって、聞いたことのない歌を歌っていた。

 愉快な気持ちになり、ましろも、白露王と手を繋いだまま、歌い出す。

 白露王は腑に落ちない顔で、周りの狼を見ていたが、やがて、たまにはいいかと諦めた。

「ねぇ、これ何ていう歌?」

「あぁ……祝いの時に歌うんだ」

「祝いだよ!」「祝言とか!」「祝言とか!」

 周りの狼達が、楽しげに吠えている。

 言葉の意味が分かって、ましろは、顔が熱くなる。

 視線を逃がすと、見たことのあるものが、近くの塀の上にいた。

「あれ?」

 狼の里で見た、赤い、狼の若者だ。目が合うと、ふん、とそっぽを向かれた。

「ねぇ、白露王。皆で、助けにきてくれたのね」

「うん。そうだな」

 ましろは、若者にも礼の言葉を叫んだ。

 帰るぞと、狼達はうねり、進んでいく。

 闇夜は再び、静けさを取り戻して、更けていった。

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