こちら恋愛応援同好会!~あなたの恋愛矢印見せて下さい~

べる・まーく

こちら恋愛応援同好会!~あなたの恋愛矢印見せて下さい~

 ――私立笹舟高等学園。

 文武両道をモットーとするこの学園で、お荷物と呼ばれる弱小野球部の地区予選がグラウンドで行われていた。


 伊伏いぶし銀之上ぎんのじょうは休日にも関わらず、わざわざ野球部の試合へやってきた。


 銀之上は野球部ではない。

 かといって、今日ここを訪れたのは野球部の応援をするためでもない。

 スコアボードに目を向ければ応援するまでもなく結果は見えている。


 これはバスケットの試合かと突っ込みを入れたくなるほどの点差だ。

 もちろん、当校笹舟学園の劣勢も劣勢。

 このままいけばコールドゲーム確定だろう。


 人様のことだから口を挟みたくないが。

 銀之丞はため息をつき考える。

 ……試合中にもかかわらず、こんなところでキャプテンが油売っていてよいのだろうか? と。


「ど、どうだギンノジョー!?」

「田中、顔近い」


 野球部のキャプテンである田中が、暑苦しい顔面を銀之上に近づけてくる。

 銀之上は『恋愛応援同好会』の活動をするためここにやって来ていた。

 同好会の活動内容は、恋占いだ。


「彼女はいつも俺を励ましてくれるんだ」

「田中、汗臭い」


 まぁ、同好会といっても学園非公認の上、会員は銀之上ただ一人なのだが。


「だから、俺は彼女との出会いを運命だと思ってる!」

「田中、息臭い」


 試合が行われているグラウンドの傍らで、銀之上は占いをしていた。


 なぜ、彼らは炎天下の下こんなところでタロット占いをしているのだろうか?

 それには理由があった。


 銀之上の恋占いは外れない。

 百発百中占いを的中させる。


 だだ一つ、必中の占いをするためには条件を満たす必要があった。


「そう彼女は俺の天使エンジェル。俺は愛に目覚めたのだ!」

「田中、……なんか臭い」

「誹謗中傷酷くねぇ!? つか、最後のやつが地味に一番傷つくわ!!」


 条件とは、依頼人とその意中の人物がいる場で占いをすること。

 それが銀之上が恋占いをする上で、相手に課す唯一のルールだった。

 そのルールさえ守れば、銀之上は決して占いを外さない。


 坊主頭の田中は、キスしそうなほど至近に銀之上に迫る。彼は真剣な表情で銀之上の手元にあるタロットカードを睨み付けている。「試合はいいのかよ?」と銀之上は問い質したい気持ちを抑え、代わりにまた一つため息をこぼした。


「脱線したが話を戻すぞ。銀之上、俺は愛の力で彼女を甲子園に連れていく!」

「地区大会一回でも勝ってから言ってね、そのセリフ」

「……これから快進撃が待ってるんだ」

「あ、ホームラン」


 相手の、と枕詞がつくが。

 これで我が校のコールドゲーム確定、と。


 そもそも、キャプテンである田中が甲子園行きがかかった地区予選の試合中にもかかわらず、銀之上の恋愛相談に抜け出している時点で勝敗は最初から分かりきっていたことだ。


「野球なんてクソくらえだ!」

「……全国の高校球児に土下座して謝った方がいいね」


 銀之上はタロットカードを見つめながら、眉間にシワを寄せる。ずっとこっちを見続ける田中。銀之上の口はへの字に、眉はハの字に歪んでいた。


「……俺の夏は終わった」

「甲子園を目指す動機が不純な上、負けたのは自業自得だけどね」

「もう失なうものはない」

「ここにいる時点で手放しているけどね」


 本当、こいつがキャプテンでいいのだろうか野球部?


「いいんだよ! もう辛い過去は忘れた!!」


 切り替えが早すぎやしないだろうか?


「それよりこれからの未来について話をした方が有意義というものだよギンノジョー君。で、俺と彼女の相性はどうなんだよ!? 」


 田中とは小学校からの付き合いだ。

 こんな真剣な田中の表情は初めて見る。

 その情熱を、一割でも野球に向けてもらいたい。


 極めて面倒だが、試合を捨ててまで恋占いをしたのだ。一応ちゃんと練習をしていたのも知っている。友人として自暴自棄ヤケをおこさないようにちゃんと説明をしてやらなければなるまい。


「お前の占い次第で、俺は今日の七夕祭りに彼女を誘い、そして告白する! 嘘も慰めもいらん。さぁ、俺に勇気をプリィイズ!!」


 絶対悪いカードなんて予測していだろう顔の田中。

 ある意味ゴキブリ並にしぶといメンタルを凄いと思う。

 しかしまぁ、本人がこう言うのだ。


 銀之上は包み隠さず占いの結果を口にさせてもらうことにした。


「……最悪脈あり止めたほうがいい」

「ガアッーデムッ! 神は俺を見捨てやがった!」


 頭をかきむしりイナバウアーで悶絶する田中。

 ……器用だな、田中。

 そして、キモい田中。


「ん? んん? ……って、脈あり!?」


 田中は銀之上の言葉に違和感を覚えて、ピタリと動きを止める。そして、慌てて上体を戻し銀之上に詰め寄ってくる。


 銀之上は無言で頷いた。


 銀之上はひいたタロットカードをベンチの上に置く。

 カードに描かれていたのは『恋人ザ・ラバー』。

 恋占いならば、一見して良い意味を示すカードに見える。


恋人ザ・ラバーズって……脈ありそうじゃんか!?」

「うん、だから脈はあるよ」

「……でも最悪?」

「うん、最悪だね」


 ちなみにというか、銀之上が使用する占いの種類スプレッドは『ワンオラクル』という手法だった。


 合計七十八枚のタロットカードから、大アルカナと呼ばれるくくりのカード二十二枚のみを選出して、その中から一枚引き抜く手法スプレッドだ。


「一途な田中には特にね」


 銀之上の前置きに田中が唾を飲む。


「カードの向きをよく見て、田中」

逆位置さかさまだ」


 田中に向かってカードは逆向きに置かれている。

 この『恋人ザ・ラバーズ』というカードは、確かに正位置なら田中の言うとおり相手方とのよい未来を暗示するものだ。だが、逆位置はそのカードの持つ意味も逆転させる。

 今回『恋人ザ・ラバーズ』が意味するのは、浮気性、二股、三角関係、それに分離や破綻を意味するものだ。


「……というわけです」

「ふぁきゅー!」


 出たカードの意味を知ると、田中はその場に崩れ落ちた。


「あんな清純そうな大和さんが、男好きだとは……!」


 ベンチに座る野球部のマネージャーを見詰める田中。

 瞳には未練が感じられる。恋心は、たかが占いで諦められる程度のものなら苦労しない。

 だが、田中が崩れ落ちるほどの落胆に見舞われているのは、たかが占いでも、それが銀之上の占いの結果だからだ。


「手を出さないの推奨。百パー不幸になるよ」


 銀之上の占いは外れない。

 そう、噂されている。

 そして、それは事実だ。


「絶対か?」

「絶対だね」


 ましてや田中曰く、銀之上は絶対の信頼を寄せる親友だ。銀之上は甚だ遺憾だと感じているが、銀之上の言葉をここまで信じてくれるのは素直に嬉しいものだとも感じていた。

 それに、田中は何度も銀之上の恋占いが依頼人を結びつける現場に立ち会っている。


「……俺の夏は終わった」


 田中が球場の土を集めだす。


「ここ、甲子園じゃないけど?」

「……俺の甲子園はここだったんだよぅ」


 地区予選の一回戦が甲子園と言い張るとは余程ショックがでかかったと見える。まぁ、心中察する。田中の気が済むなら好きなだけやればいい。


 ふと、銀之上は自分のひいたカードを見る。


 この占いに本当は意味なんてない。

 カードは小道具でしかないのだ。

 銀之上はインチキ・・・・をしている。


 銀之上が、先述した占い方法『ワンオラクル』を好んで使う理由は、単純に他の多数のカードを使用する占術が面倒くさいからだ。


 恋占いが必中である理由カラクリは、依頼人に課す条件の方にある。試合に負けた野球部の部員達を健気に励ますマネージャー。

 なるほど、とてもいい子だ――と普通は思うだろう。


「……ホント、何本・・矢印・・出してんだよ、あのひと


 銀之上は知っている。

 人は見かけによらないということを。

 なぜなら、見えている・・・・・からだ。


「ん。ギンノジョー何か言ったか?」

「ん、いやいや、何も言ってないよ!」


 軽率だったが、思わず口走ってしまった。

 しかし、ここまで酷いのは久しぶりだ。

 アレが見えるのだから仕方ない。


 彼女の頭の上には矢印が浮かんいる。


 銀之上には、人の感情が矢印で見える。


 彼が『感情矢印』と呼んでいる十五センチ定規ほどの矢印は、感情の種類によって色が違う。

 怒りなら赤、悲しみなら青、恋心ならピンクというようにその想いの強さで色彩が異なる。

 感情矢印が見えるようになったのは、銀之上がまだ中学生のとき。路上に飛び出した犬を庇って交通事故に遭ってからだ。


『感情矢印』が見える事を誰かに話した事はない。

 唯一例外が一人だけいるが、転校してもうここにはいない。


「ドンマイ、田中」

「……うるせー」


 人に向けられた感情の数だけ矢印は増える。

 そして、感情の入り方によって矢印の太さは違う。


 大和と呼ばれたマネージャーの頭上には、数えるのが嫌になるほどのか細いピンク色の矢印が浮いていた。それらは負けたのにだらしなく鼻を伸ばす野球部員にむけられている。

 向けられた矢印の先には、同じ数だけマネージャーに向けられる太いピンク色の矢印が浮かんでいた。


 あの矢印の相対関係からきっともう手を出した後だ。彼らがその事実を知ったとき、修羅場は確定事項だろう。

 ……うわぁ怖いわ、野球部。


「ん?」


 銀之上は野球部の中に、こちらを向く矢印があるのに気づく。


「田中~?」

「なんだよ?」


 ふてくされながら、田中が答える。


「あのヤリマ……じゃなくて、大和さんの隣に立ってる地味で背の小さいマネージャーね」

「山田のことか?」

「多分、田中に脈アリだよ?」

「……本気マジ?」

「うん、本気マジ


 カードをひく。


「ふーん、悪くないじゃん」

「今度はなんだよ?」


 それを田中に見せる。


「ん」

「……すとれんぐす?」


 山田の矢印は太く鮮やかで曇りがない。

 気見ていて持ちのいい綺麗なピンク色の矢印だ。

 彼女の矢印は真っ直ぐに田中に向いている。


「ボクの占いは百発百中、だろ?」

「そりゃ、そう聞いてるけどよ……」


 だってほら、見えてるし。


「心配するなら男らしく行動! ……織姫先輩がここにいたなら、きっと田中にこう言うだろうよ」

「お前……まだ先輩のこと忘れてないんだな」

「ボクの事はいいから。ほらっ!」


 田中の背中を思いっきり叩く。


 カードの意味を説明されないまま送り出された田中だったが、すぐ笑顔になる。どうやら、いい意味を示すタロットカードだと判断したようだ。


「わっ、とと。おうっ! サンキュな、ギンノジョー」


 本当は田中にカードの意味を説明するつもりだった。

 自ら口を滑らせたとはいえ、あれ以上先輩の話題を続けたくなかった。

 きっと、先輩の話を普通に話せるようになるまで銀之上に自分の恋が始まることは無いと思っている。


「これからも『恋愛応援同好会』をご贔屓に!」


 走り出した田中を見送り、銀之上も背を向け歩きだす。


 『恋愛応援同好会』は、今は銀之上ただ一人。

 今はということは、元があったということ。

 元々、恋愛応援同好会は二人だった。


 相方が転校してしまった今では最早同好会と呼べるのかさえ怪しいものだが、それでも銀之上は活動を続けている。


 元々学校に申請も出してない非公認同好会。

 辞めたくなったら辞めればいい。

 何より銀之上は、先輩が残したこの同好会つながりを消滅させたくなかった。


「Strengsか……矢印なんて見なくても、ボクの占いも捨てたもんじゃないね」


 Strengs――『力』のカードの正位置は、そのまま力や勇気を示すが、恋愛や友情を占う際の意味に『深い絆で結ばれる』という意味がある。


 失恋した田中に新しい恋が始まるのもそう遠くないだろう、と銀之上は思う。


「先輩もそう思うだろ?」


 銀之上は届くはずもない同意を求めた。

 当然相方である先輩は転校しているのだから、返事なんて返ってくるわけがない。何を言ってるんだと自分でも可笑しくなり、失笑しながら走り去る田中に視線を戻す。


 大和さんのことは、まぁドンマイだ。

 むしろ相談されてよかった。

 山田と話す田中を見れば尚更そう思う。


 この『感情矢印』のせいで、銀之上は人の恋路ばかり応援している。自分の恋はしばらくできそうにない。でも、元・相棒の言葉を借りるのなら、『恋愛応援同好会』の活動は、笑顔しあわせのお裾分けを貰ってるのだ。


 だから、人の恋路の手助けばかりも悪い気はしない。


 銀之上は振り返る。


 彼女はサボっていた田中にお小言をこぼしながらも、真っ直ぐ田中だけに『感情矢印』を向けている。

 そんな二人の様子は見ていて心が和む。隣に大和に群がる野球部員がいれば余計にだ。


 恋仲に発展するのはまだ時間がかかりそうだが、あの二人ならきっと上手くやっていけるだろう。二人を見て、銀之上も笑った。なるほど、笑顔しあわせのお裾分けとは上手く言ったものだ。


「さて、次のお客さんのところに行きますか」


 口許に柔らかな微笑みを浮かべ銀之上は歩きだした。



 ☆ミ ☆ミ ☆ミ



 依頼主の指定した場所は屋上。

 先に田中の相手をしたので、約束の時間である四時を五分過ぎてしまった。銀之上は屋上へ続く階段を一段飛ばしでかけ上がる。


 今朝、銀之上の下駄箱に手紙が入っていた。

『放課後四時に屋上で待っています』とだけ書かれた封筒には差出人の名前が記載されていなかった。


「誰だか分からないけど、怒っていないといいな」


 田中の依頼もあったし、名前が分かれば事前に時間調整もちゃんとできたのだが、どこの誰か分からないのではそれもかなわなかった。


 長い階段を経て屋上にようやく到着。

 運動部ではない銀之上にグランウンドから屋上までの移動は相当キツイ。息を切らしながら扉を開く。


「少し遅れちゃったなぁ……い"っ!?」


 視線の先に少女が背を向けて立っていた。

 落下防止柵の外に裸足で両手を広げ立っている。柵の手前には揃えて置かれた革靴が揃えて置いてあった。


 ――飛び降り自殺!?


「ちょ、ま、待って! 早まっちゃダメだ!」


 銀之上の声に少女が振り返る。夏服がよく似合う日に焼けた少女に銀之上は見覚えがあった。

 彼女は駆け寄る銀之上を認めると、肩口で切り揃えた黒髪を弾ませ、笑った。


「……織姫せん、ぱい?」


 一瞬、世界が止まった気がした。

 心臓が早鐘を打つ。


 八重歯を覗かせた彼女の笑顔はひまわりのようで、呼吸をすることさえも忘れさせる。恋い焦がれた笑顔が目の前にある。理由は不明だが、いないはずの先輩が目の前にいた。


 織姫は再び蒼穹が広がる空を向く。


「――――ぁ」


 喉から漏れた声。

 勢いよく伸ばした手は弱々しく空をつかむ。

 銀之上が駆け寄る目の前で、彼女は飛び降りた。


「織姫先輩っ!!」


 駆けていた足が減速する。

 上手く力が入らない。

 力が抜けていく。


 それでも銀之上は足を止ずに歩く。

 彼女が――先輩がいた場所まで。


 防錆用の緑色の塗色がはげた落下防止柵を掴み、身を乗り出す。掴んだ拍子に錆のざらついた不快な感触が掌に伝わってくる。乾燥した塗料がパラパラと銀之上の足元へ落ちた。


「……あれ? 誰も……死んでいない?」

「遅刻してきた罰だよ。銀之上君」


 銀之上の背後、よく聞き慣れた声が響く。

 付け加えて、何の冗談か背中を押された。

 いや、おそらく軽い冗談でしかないのだろう。


「――うひゃあ!?」


 銀之上は存外に驚く。もう少しで自分が落下するところだった。柵を掴み元の位置へ。

 足元が浮いた瞬間直下に校庭が見えた。落ちたら完全に死んでいた。が……どうにか間抜けな死に方はせずにすんだようだ。


 銀之上は柵を隔てて勢いよく後ろを振り返る。


「――織姫先輩っ!?」


 そこには、飛び降りたはずの少女がいた。

 織姫はニヤニヤと笑顔を浮かべドヤ顔だ。


 織姫がここにいるはずがない。

 だが、事実目の前にいる。

 なによりも、銀之上が彼女を見間違えるわけがなかった。


 それは、まごうことなく今年の一月に転校したはずの銀之上の先輩だった。『恋愛応援同好会』の元・相棒だ。そして、銀之上の元・恋人——天野織姫だった。


「変わらないねぇ。君は」

「……相変わらずですね先輩も」


 織姫は五体満足。人の悪い笑顔を浮かべている。

 とても飛び降り自殺したようには見えない。

 さっきのは先輩の冗談だったのだろうか?


「先輩、質問」


 なぜなら、彼女は確かに銀之上の目の前で飛び降りた、はずだ。今も瞼を閉じれば悪夢を見そうなほど、さっきの光景ははっきりと銀之上の瞳に焼き付いている。説明を求めたい。


「却下だ。拒否するよ、銀之上君」

「まだ、何も聞いていないよね!?」

「謎は美少女に必須のスキルだからね」

「……腹黒なのは知ってますけどね」


 織姫の人をおちょくる悪い癖は相変わらず健在のようだ。

 織姫がピクリと眉を動かす。どうやら最後の呟きが耳に入ったようだ。


「なーにーか、言ったかな~?」

「だぁあ!? 危ない危ない危ない! 死ぬから! 落ちたら死んじゃいますから! 押さないでっ!?」

「口は災いの元だよ、銀之上君」


 織姫は口許をほころばせ笑っている。

 冗談で殺されかけてはたまらない。

 確信した。目の前にいるのは織姫先輩で間違いない。


「分かったよ! もういいです! 質問変えるからヤメテクダサイ……」


 銀之上は死の危険から解放され、諦観ていかんした様子でため息をこぼす。


「君は私の事を誰より知っているだろ? 何が聞きたい。今日の下着の色か? はいてない」

「ノーパンっ!?」

「嘘だったのだが……食い付きが凄くて流石に私もドン引きだ。この変態さんめ」

「ぐっ……違うよ! そうじゃなくて!」


 銀之上は反応した自分を悔いた。

 手玉にとられるのはいつもの事。


 いつまでもはぐらかされても話が進まない。彼女のおふざけをスルーして質問した。

 銀之上の声は真剣だった。


「先輩、何でここにいるの?」

「ん? 君に会いたくて、かな?」

「先輩、何で連絡くれなかったの?」

「色々と忙しくてね」

「先輩、何で生きてんッスか?」

「それは……乙女の秘密だよ♪」


 何だよ、乙女の秘密って。

 そんなことでは理由がつきません。

 だって、飛び降りてたよね?


 これは真面目に聞かなければならないことだ。織姫は、今年の一月に転校した。銀之上が彼女と別れたのもそれが原因で、銀之上が誰かをまだ好きになれないのも彼女が原因だ。


「乙女の秘密を詮索するのは野暮だよ。私のことはいい。そんなことよりもっ!」

「そんなことって……あだっ」


 銀之上の訝しげなジト目を全く意に介さず、織姫は鋭く腕を伸ばすと銀之上の鼻先に人差し指を突きつけた。


「銀之上少年。君は今恋をしているかい?」

「……してません」

「君の心の矢印はどこを向いている?」

「……。きっと――」


 銀之上は織姫から視線を逸らし言葉に詰まる。

 きっとまだ、先輩に向いています。そう言いかけて止めた。

 織姫の目を見ながら言い直す。


「――上を向いてますよ」


 なぜなら、彼女の矢印は上を――空を指している。

 それは、銀之上と付き合っていた時から変わらない。

 今も彼女の矢印こころは、昔と変わらない色で空を指し示している。


 織姫には、銀之上が人の感情が矢印になって見えることを話したことがある。

 銀之上が織姫に心惹かれたのも感情矢印がきっかけだった。

 そして、二人は付き合うようになり『恋愛応援同好会』を始めたのだ。


「ふーん」

「なんでか、別にいいでしょ」


 織姫の恋心は銀之上に向いていない。

 彼女と付き合った一年近くの歳月に、たくさんの初めてを彼女からもらった。唇を、体を、幾度重ねようと、彼女の心は結局最後まで銀之上を向いてはくれなかった。


 銀之上はある時訪ねた。

 自分を好きか、と。

 もちろん、銀之上は織姫の心が自分に向いていない事は見えていた。


 織姫は頭を振ってこう答えた。


 ——死んでしまった好きな人がいる、と。

 ——だから、私の心が上を向いているのなら君に向くことはない、と。


 銀之上は、寂しさをまぎらすためのその人の代わりなのだ。


「——聞いているかい、銀之上君?」


 唇を尖らせ織姫は拗ねてみせる。

 銀之上は昔を思い出し少しほうけていた。


「すいません、聞いてませんでした」

「だから、銀之上君を待っているのに、来ないから人生嫌になって自殺しようとしたのだよ」

「どーしてそういう発想になるんスかね!?」

「愛?」

「……好きでもないくせに」


 正直、あの時の彼女の答えは銀之上の心を深くえぐった。

 それでも、いや、感情が見えているからこそ、嘘偽りない本心を伝えてくれた織姫に感謝した。それでもかまわないと、銀之上は織姫との恋人関係の継続を申し出たのだ。


「ふっ、好きでもないくせにだよ」

「はぁ~、もういいです。愛の告白でもなければ恋愛占いの用ですらないのなら、一体なんでボクを呼び出したんですか?」


 銀之上は織姫の相変わらずの自己中ぶりに頭を抱える。


「銀之上君は今日が七夕なのは知っているかな?」

「……七夕? 何をまた唐突に……そりゃ、当然知ってますけど」

「よしっ、七夕祭り行こう。ありていに言えばデートだ」

「……デート、ですか? いや、いいですけど先輩体は――」


 織姫はマイペース、言い換えれば自己中心的だ。

 他人の考えなどおかまいなし。

 故に思い立ったらすぐ行動。


「あー!!」


 織姫が大声を上げて空を指差す。

 銀之上は、つられて空を見る。

 ……何もない……。


 ——やられた!


「先輩っ!?」


 銀之上がハメられた事に気づいて織姫の方を振り返ると、彼女はすでに扉のドアノブに手をかけていた。銀之上は今、情けない顔をしているに違いない。織姫はおどけながら銀之上へサムズアップする。


「また、会おうぜ銀之上少年」

「いや、色々聞きたい事が山ほどあるけど先輩、体は――」

「九時に天の川の大笹飾りに続く門の下で!」


 やけに様になったウィンク。彼女のよくやる仕草だった。声を落とした宝塚の男役を思わせるイケメンボイスで銀之上に別れを告げると、声をかける間も与えてもらえずドアの奥に消えていく。


 ――体、大丈夫なんですか?


 尋ねようとした質問はさせてもらえなかった。

 きっと意図的にだろう。


 相変わらずだ。全く人の話なんて聞かない。久方ぶりとはいえ自己中すぎる。

 必要なことに答えず、人の感情が分かっていながらはぐらかす。苛立ちながら銀之上は織姫を追いかける。だが、屋上の扉を開けたときには、階下に誰の姿もなかった。


 彼女の転校の理由は病気によるものだった。

 遠く他県にある病院で治療を受けるため引っ越すことになったため、銀之上たちは二人の関係を終わらせた。

 こっちに帰って来たということは完治できたのだろうか?

 会話を交わした感じでは、体調が悪いようには見えなかった。

 でもだからと言って心配しない理由にはならない。


 織姫が転校してしまう間際の姿を見ているから尚更だ。


「……人の気も知らないで、本当なんなんだよ」


 銀之上には珍しく言葉を荒げる。


 腕時計が五時のアラームを短く鳴らした。

 銀之上はため息をつき苦笑いを浮かべる。少し寂しそうな瞳にオレンジ色に変わり始めた空を映しながら、せっかっちな星が瞬くのを見上げていた。



 ☆ミ ☆ミ ☆ミ



 結果銀之上は常に織姫に振り回されていた。

 いつもこうなのである。だらしない先輩の面倒を見るのは、しっかりした後輩の役目という構図が世の常なのだろう。


「……」


 時刻は九時と三十分。場所は約束の天の川河川敷織姫像の前。

 織姫の携帯電話にコールする。十分おき、もうすでに三回目の電話だ。


「私がぁキターっ!」

「……いや、三十分大遅刻ッス」

「むー相変わらず君は細かいね。 そこは、今来たとこだよベイビーって言うとこじゃないかな、男の子?」

「はいはい、気が利かないですいませんね。そもそもそんな口調で話しませんし、それだとボクも遅刻してきたことになりますけどね」

「ぶー、可愛くない。それに、女の子には色々準備ってもんがあるのさー」


 三十分遅れで織姫は待ち合わせ場所にやって来た。


「どうかな? さぁ、私を褒めちぎりたい気分になっただろう?」


 確かに織姫は浴衣を着て、髪を綺麗に後ろ手に縛っていた。

 白地に牡丹の文様が描かれた浴衣は彼女によく似合っている。少し大きく開かれた胸元から、織姫の趣味でもある水泳の競泳水着の日焼け跡が見えてしまい、妙に艶かしくエロい。

 しなをつくり上目遣いをする織姫は、計算してあざとく演出しているのだが……それが分かっているからこそ認めるのは釈然としない。けれども事実可愛かった。


「君の視線は正直だ。このエロ助め」

「褒めようと思ったけど、止めます」

「あぁ、相変わらず心地いいくらいイケずだ。ちなみに今度こそノーブラだぞ?」

「……素敵です」

「このタイミングで褒められると微妙な気持ちになるのだが?」


 去年の七夕祭りも確か織姫は遅れてきた。それでこうして茶化されて、一切悪びれずにふざけあった。

 確かこの後、織姫はあるものを銀之上に手渡してきたはずだ。


「はい、銀之上君」

「……短冊?」

「願い事を吊るしに行こう」


 そう、丁度こんな風に。


 織姫はピンク色の短冊を顔の前でひらひら泳がせる。


「なんスかね、この短冊は?」


 去年も同じやりとりをした。

 織姫と過ごした七夕祭りの記憶がフラッシュバックする。

 全く同じやり取りをした記憶が銀之上にはあった。


 織姫はわざと、去年の七夕をなぞらえている。


「ん? 私たち『恋愛応援同好会部』だから」

「だった、ですけどね」

「銀之上君冷たい!? あぁ、昔の女の事なんてどーでもいいんだ! 私の体だけが目当てだったんだんだね! 男の子だから穴なら誰でもいいんだ! うぅ……織姫ちゃんショックっ!」

「ドコで何を口走ってんですか!?」


 ここは祭りの往来。周囲の人間が一斉に二人を見る。

 普段は使わないような口調で、泣き真似までして故意に衆人の注目を集める。

 ……悪魔か、アンタ。


 事情を知らない殆どの人間は、当然銀之上を非難の瞳で睨み付ける。


「行きますよ!」


 織姫の手を取り走り出す。

 理不尽だ。世の中は男に優しく出来ていない。

 だってほら、現に織姫はもう笑ってる。


「なぁ、銀之上君」

「何ですかっ!?」

「楽しいな」


 あぁ、これが両思いになれたならきっともっと楽しいだろうけど。そう口には出さずに銀之上は織姫の手を強く握り直した。だって、結ばれない恋だと分かっていて、銀之上は織姫と付き合っていたのだから。


「えぇ」


 楽しい、そう思えるのなら。

 さっきからチラつく記憶なんて思い出さなくていい。

 織姫の笑顔に、笑顔を返すのを言い訳に銀之上は胸のざわめきを圧し殺した。


「銀之上君、ゴー!」


 目指すは屋台建ち並ぶ縁日の最奥、天の川の大笹飾り。

 銀之上は途中で走るのを止めてゆっくりと歩きだす。それでも彼女の手を離さず、この時間を噛み締めるように、織姫の冷たい手を握りしめた。



 ☆ミ ☆ミ ☆ミ



 手を繋いだまま屋台の建ち並ぶ人混みの中を進む。


「先輩」

「ん~なんだい銀之上君?」


 銀之上と織姫の出会いは『感情矢印』がきっかけだった。

 学校の屋上で、織姫に出会った。彼女の矢印の色はピンクでも、青でもないくざくろのような紫色で、空を指していた。


「先輩……死んでますよね?」

「……どーしてそーゆーこと言うかなー」


 織姫は銀之上に非難の視線を送る。

 だけど、肯定も否定もしない。


「初めて会った時、銀之上君は、私の心を言い当て驚いたのだよ」


 何も考えず「泣いているんですか?」と貯水タンクの上で寝そべる織姫に声をかけた。銀之上の声に反応し、起き上がった織姫は泣いてなどいなかった。少し驚いたような顔で、キョトンと目を丸くして、初めて見る年下の男の子を見詰めていた。


「あー、悔しいな。泣いてないのに「泣いているんですか?」って何だコイツはと思ってさ。でも、銀之上君の言葉で自分の気持ちに気づいて、泣かされたんだ」

「母さんが、言ってました。悲しい時は……泣いてもいいんだって」

「あー、もう止めてくれるかな? 織姫さんは泣いてしまうぞ?」

「あのときも同じやり取りしましたね」


 銀之上の言葉で、初めて出会った後輩の男の子の言葉で、織姫の目尻から一粒、また一粒と涙が零れだした。彼女は自分の頬に触れ、何が溢れでてるのかを理解すると「あれ? なんだコレは?」と声を漏らしてボロボロと泣き出した。


「後の『恋愛応援同好会』の始まりであった」


 照れているのか、織姫が話題を逸らす。


「先輩とボク、二人だけですけどね」

「今は、一人だけにさせちゃったね」

「……でも、まだ続けてます」


 織姫が初めてだった。

 銀之上が『感情矢印』が見えることを誰かに話したのは。


 あの時銀之上は、織姫が泣いてくれたから泣かずにいられた。

 織姫の寂しさを理解して、それを自分では紛らわせることはできないかと尋ねた。

 きっと、一目惚れだったのだと思う。


「死んだ好きな人の代わりを務めろなんて、最低な女だな私は。……本当に最低」

「でも、おかげで好きな人の役にたてました」

「……銀之上君のそーゆーとこ、嫌いだ」

「誉め言葉として受け取っておきます」

「ぶー、可愛くない」


 誰かの代わりに寂しさを紛らわせるのなら、誰かを幸せにすることで自分達のポッカリあいた心を埋められないか?


 二人が付き合い始めて間もないころに織姫が言った。


 銀之上の能力を使って誰かを幸せにしてみよう。

 幸せのお裾分けを貰うためだから、これは自分達のエゴなのだ。

 そう理由を無理矢理取り付けて、ついでに二人のデート代を稼ぐため『恋愛応援同好会』は誕生した。


「楽しかったな」

「楽しいです」


 織姫は過去形で、銀之上は現在進行形で言葉を返す。


「……すまなかったね」


 銀之上は小さく囁かれた織姫の言葉を、聞こえないふりをした。


 織姫が病気を患い転校することになった。

 なにやら早口言葉みたいな病名だと、織姫はそのときも笑いながら話していた。

 だけど調べてみれば、織姫が軽く言っていたその病状はガンの一種で、織姫の病状は思ったより深刻で、問い詰めると闘病する自分を見られたくないと織姫は銀之上に別れを切り出したのだ。


「着きましたよ」

「……着いちゃったね」


 七夕祭りの終着点、天の川の大笹飾り。高さ十メートルにも及ぶ大笹が天の川の河原の風を受け、掠れた葉が清涼な音を奏でる。

 遠くに太鼓と祭り囃子が聞こえる中二人は手を握りしめたまま、前へと踏み出した。



 ☆ミ ☆ミ ☆ミ



「本来、七夕は裁縫の名手織姫にあやかり裁縫の上達を願ったのが始まりらしいですよ」

「じゃあ、ここにある願い事を見たら、織姫様と彦星は知ったこっちゃねー、とキレてるな」


 そう、余談だが七夕は本来芸事の上達を願うもの。

 短冊に願いを書くようになったのも習字の上達を便乗して願うようになったのが由来と言われている。

 だから、現代人の数多の『願い事』は天の川にいる織姫&彦星から言わせれば「私ら機織り師と牛飼いよ? それを聞いてどうしろと?」と思っているに違いない。


 二人が、いや、織姫が書いて銀之上が吊るしたピンク色の短冊。

 そこに書かれた願い事には織姫と銀之上、二人の名前が連名されていた。

 織姫はまだ大笹飾りに合掌した手を額にこすりつけていた。


『両思いの、新しい恋ができますように。

 恋愛応援同好会 織姫ちゃん&銀之上君』


 織姫の短冊にはこう書かれていた。

 正直、銀之上は願い事が叶わなくてもいいと思っていた。


 織姫は、銀之上の前に付き合っていた元・恋人に心を縛られている。だから空を向く織姫の感情矢印は、恋心のピンクと赤と悲壮の青が混じったざくろ色だ。

 そして自分では見えないけれど、きっと銀之上の矢印は、織姫を真っ直ぐ向いている。


「これでお別れだ、銀之上君」


 大笹飾りにひしめく数多の短冊。

 分かっていた事だが、つらい。


「君にお願いだ。どうか、どうか――」


 織姫の叫んだ大声が銀之上の心を揺さぶる。


「——新しい恋をしてくれ。私なんて忘れて、君の感情矢印を誰かに向けて欲しい。どうか、私のようにならないでくれ」


 なんて我がままで残酷なお願いなのだろう。

 好きな人に新しい恋をしてくれと言われるのは。

 銀之上は織姫を見つめ黙っている。


「このままじゃ私は……君がそんなだから――」


 織姫の声は涙声だ。

 消え入るような声を絞り出す。


「――死ぬに、死ねないじゃ、ないか……」


 織姫の手は冷たかった。

 いや、人にあるべき温度が無かった。

 銀之上は、織姫が死んでいるのだと、そう思っていた。


「君は自分が悲しいのに泣けない。人の事ばっかりで、私に泣かせて泣かない。私は最低な奴なのに、ずっと側にいてくれた。好きにならないって言ってるのにずっと好きでいてくれる大馬鹿者だっ!」


 堰を切ったように、織姫は言葉を続ける。


「お願いだ……君に幸せになって欲しいんだ……それだけが、私の未練なんだ」


 銀之上の視界が霞んで、祭りの提灯や縁日の灯りがぼやけて幻想的に光る。ぼんやりと瞳に映る景色のその中で、織姫だけはハッキリと輪廓を保って映っていた。


「あー嫌です」


 銀之上は短く、織姫の願いを断った。


「重いんだ! 後悔ばかりする! 今、私の矢印がどこを向いているか見えるだろう!? 化けてでるぞ! 君の事を呪っちゃうぞ!」

「どうぞ」

「私が未練を残しているから、七夕の力でいるはずのない場所に……君の所に来たんだ。分かっているのだろう!?」


 そんな顔されたら、泣くになけませんよ。

 笑う場面ではないのだろうが、銀之上は笑ってしまった。

 だってほら、織姫が銀之上の分も泣いてくれるのだから。


「先輩、深呼吸。ひっひっふー」

「ひっひっふー」

「ひっひっふー」

「ひっひっふー、ってコレはラマーズ法だ!?」


 織姫には珍しく、ボケさせられた。

 こんな事は初めてだ。


「ボクは泣きません。新しい恋をしません。だって——」

「君は馬鹿だ」

「ボクは出会ったときからずっと」

「大馬鹿だよ」

「あなたにボクの矢印は向いていますから」

「……バカ」


 きっと今笑えるのは織姫のお陰。

 きっと今泣かないのは織姫が代わりに泣いてくれるから。

 そして、今度こそお別れなのだろう。


 織姫の体から蛍のような光が一つ、また一つと空へ昇っていく。


 時刻は、間もなく日をまたごうとしていた。

 七夕が終わる。


「素敵な恋をありがとうございました。織姫先輩」

「最後まで生意気だったよ君は。ありがとう銀之上君」


 織姫は言った。七夕の力でここにいると。

 腕時計が午前零時のアラームをピッと短く鳴らす。


 織姫の体が粉雪をばらまいたように光を散らし、跡形もなく消え去った。



 ☆ ☆ ☆


「おーい、ギンノジョー!」

「田中」

「俺たち付き合うことになった」

「そっか、山田さんご愁傷様です」

「相変わらず口悪いな、お前!?」


 織姫と七夕で再開してあれから半年。

 高校三年に進学した銀之上は『恋愛応援同好会』を続けていた。

 半年前大和さんに恋した田中の恋はようやく実ったようだ。


 ちなみに田中から聞いた話では、大和さんに関しては、顧問との不純異性交遊が判明し、芋づる式で浮気をしていたことが明らかとなって予想以上の修羅場を迎えたそうな。


「さて、次の依頼はっと」


 待ち合わせ場所は屋上。

 差出人は書いていない。

 なんだか、半年前の織姫を思い出してしまう。


「私を待たせるとはいい度胸だ、銀之上君」


 屋上の扉を解放一番、聞きなれた声が銀之上を責める。


「嘘、だ。だって——」


 死んだはずじゃなかったのか。


「死ぬに死ねないとは言ったが、誰も死んでいるとは言っていないだろう?」


 後に聞く話だが、あの時織姫は生死の境をさ迷っていたそうだ。

 ようやく、空にいる恋人に会えるが言う事を聞かない可愛い後輩を思うと未練が残り、気づくと生霊となって笹船学園にいたそうだ。


「残念ながら、休学期間が長くて留年したため明日から君の同級生だ」

「先輩体は……?」

「完治した。誰かさんが言うことを聞かないから死ぬのを止めたよ」

「なん、っだよ、は……はは……」


 下を向いた銀之上の眼鏡に滴が落ちる。

 織姫は笑い、銀之上は泣いている。


「そうか、君を泣かせるのなら笑えばよかったんだな」


 意地悪く彼女は笑う。

 相変わらず彼女の頭の上にある感情矢印は空を向いていた。

 だが、矢印は半透明で、その代わりもう一本、銀之上に向けてピンク色の矢印が伸びていた。


「織姫先輩、お帰りなさい」

「もう先輩じゃないんだが」

「先輩——」


 告白しよう。そう思った矢先。


「断る!」

「まだ何も言っていないんですが!?」


 そっぽを向いた織姫の頬は赤く、銀之上から逸らされていた。


「その話はまた今度だ。それより、行くぞ銀之上君」

「行くって……どこへ?」

「私たちは『恋愛応援同好会』だろう? 依頼はもう受けてある」


 織姫は悪戯を成功させたときのように笑い、銀之上も理解してほほ笑んだ。


「幸せのお裾分けを頂きに、だよ」


 感情矢印が結んだ恋ならば、また、その力を誰かを幸せにするために使おう。

 いや、誰かの恋路を結ぶ矢印ならば、感情矢印よりも『恋愛矢印』と呼んだ方が、これからの『恋愛応援同好会』に相応しいかもしれない。


 そんな事を考えながら、銀之上は涙をぬぐい目の前にいる先輩に向き直る。


 自分の恋は焦る必要はない。

 だって……また恋ができるのだから。


「はいっ!」


 銀之上は織姫の背を追いかけ走り出した。


 その日から笹船学園に新しい噂が流れ始める。女性の方は否定的らしいが。

 曰く、百発百中の恋占いをするカップルがいる、と。


 お代は少々、決まり文句はあなたの『恋愛矢印』見せて下さいだそうだ。


 もし、恋であなたが悩んでいるのなら『恋愛応援同好会』をどうぞ御贔屓に。

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こちら恋愛応援同好会!~あなたの恋愛矢印見せて下さい~ べる・まーく @shigerocks

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