第8話 Solanine
のちの私へ。
他人には見られたくないから、手紙でもなく心の中に振り返ることしかできないけれど、ことのあらましを振り返ります。
さかのぼるときりがないから、五月半ばのあの日から。
✝
私の分まで泣いてくれているみたいだった。たぶん以前に一度か二度、会ったことがある気がする。男の人のほうが涙もろかったりするのかな。そんなことばかり考えていた。話の詳細はあんまり覚えていない。もう何か月も前のことだから当たり前かもしれないけれど、その日の午後にはもうおぼろげだったような気がする。
浦田くんの友達の、高羽くんとか言ったその人の話では、浦田くんはなくなったそうだ。コーナーがどうとか対向車がどうとか、わかる範囲で高羽くんは誠実に説明してくれたけれど、私にはそもそもよくわからなかった。
葬儀もこっそりと出席したのだけれど、出席したという事実だけが残って、その中身は私の記憶からすっぽりと抜け落ちていた。浦田くんと私のことは、浦田くんと私と、それぞれの親しい友人くらいしか知らなかった。浦田くんから話だけ聞いていた町から帰る電車の中で、話だけ聞いていたご両親はやっぱりどこか彼と似ていたなってぼんやり考えていたような気がする。あとは、遺体と対面することはできなくて、遺体の状態によってはそういう場合もあるんだな、ってぼんやりと感心したことくらいしか覚えていない。恋人を失った女性が彼の葬儀に出る、というシチュエーション。友人は、ショックで何も考えられないんだよね、わかるよ、と言ってくれたけれど、私には私がわからなかった。私なのに。
「人はいつだって死ぬかもしれないんだ、って実感した」ことがわかった。カギかっこ付きで。どこまでも感覚は私の表皮のひとつ外側にあって、私はいくつかの平日やいくつかの休日をつぶして、そのあとは浦田くんが消えただけの、いつもの日々を生きていた。
リング・ワンダリング、ぐるぐる回っていたのかも、今も回っているのかもしれない。
✝
籠に積まれた山から、また一つ、芽を抉り取る。
✝
私の中に、確かに浦田くんの不在を悲しんでいる私はいたのだろう、と思う。思いたい。それでも私は、朝ごはんを食べて、お昼にもごはんを食べて、たまにおやつを食べて、夜にもごはんを食べていた。洗濯もしたし、掃除機もかけた。相変わらず机の上は汚いままで、浦田くんに呆れられたままの状態だった。彼の不在は、私の心にぽっかりと穴を開けた、と言いたいところなのだけれど、そういうわけにもうまくはいかず、私の体は惰性のままに三食と睡眠を欲していた。テレビを見て笑った。授業で知らない国の少年たちのことを学んだ。新しいバイトを決めた。たまに授業をさぼった。
相変わらずの惰性の中から、少しずつ感覚はずれていった。繰り返しの日常には答えどころか手ごたえもない。誰かの舐めの料理は自分のための生産と消費。デイリーライフ。消費すべき日々のタスク。
ドラマチックに生きられないで、どこまでも日常のままだった。私にとって彼の存在は外付けで、失っても外形は損なわれずあり続けた。首つり紐が首もとで絡まったまま絞まらずに、もやもや私は揺れて、そのまま生きていた。
✝
前後するのだけれど、なくなったという言い方が死んだとか亡くなったとかいうよりも私にはフィットするような気がしている。(い)なくなった、というか、存在が消えてしまったというか、私からしたら彼の死というものを見たわけではないし、今までだって彼と一緒にいる時間は私にとって数パーセントに過ぎなかったのであって。
そういう話をしたら、友人はわかっているよという優しい目をしたので、私は口を閉じた。
恋人を失ったものとして、悲しみに沈むのは一つの義務のように思えた。自然の摂理とでも言ったほうが正しいのかもしれない。自分をぼんやりと醒めた目で眺めながら、新しい包丁を使って皮を剝いている。
私たちは恋人だったのかな、と幾たびか考えた。
私たちは一緒にいた。浦田くんは出かけるのが好きだったので、時々出かけた。時々はどちらかの家にいて、私はごはんを作った。浦田くんとの時々の日々は良く言えばゆるくて、悪く言えば何もなかった。本当に、同じ部屋、同じ空間にいただけの存在、って片づけられてしまうんじゃないか。幸せだったのかな。特別な日よりだらだらした日常を共有していた彼は私に取って特別だったのかな。
✝
きっかけは緑色になったじゃがいもを見つけた、それだけのことだった。久しぶりに肉じゃがなんて作ってみようかな、と思いついた。天国の彼のために作りました、みたいな感じで。浦田くんはそういう健気な女の子がいいのかな、なんて思ってしまって、キャラじゃないし恥ずかしいし、なんだか面白かった。今更なのかもしれないけど。なんて、良くないかな。
流しの下からじゃがいもをいくつか取り出し、皮を剝く。ふと、ソラニンというかわいらしい名称を思い出した。
毎日の中で、戸棚の奥のじゃがいもたちは少しずつ悪い芽を育てていった。
✝
別に今だって、じゃがいもたちを剝きながら死について想っているとか、そんなことはない。病んでない。
しいて言えば、病んでないことに病んでるのかもしれない。死ぬ気は無いし、生きる気もあんまりなかった。ただ、浦田くんのいなくなった日常で何かが起これば面白いなと思った。毒を以て毒を制す。これ。
今の私は、彼に会いたいのかすら自分でもわからない。
✝
前の私へ。
死ぬかと思いました。今となっては、何考えてんだって思います。まあ今となっては、とても面白かったんだけど。
もうどんな味だったかも覚えてないけど、じゃがいも炒めを食べて、誰かもわからない神様にお祈りを捧げてみて、嵐に遭いました。吐き気と腹痛、歪むような頭痛。息をするのも苦しくて、視界がピカピカして、苦しい気持ちしかなかった。
夜は明けて、お医者さんに行った。控えめに少し追及されたけれど、私が知らなかったって言うのは嘘じゃない。
ソラニンで人が死ぬには、二キロとか三キロくらい、じゃがいもの芽を食べなきゃいけないらしい。
どこかの小説とかみたいに、浦田くんが死に目に出てくるようなこともなかった。あんなぐちゃぐちゃのところ、あんまり見られたくはないけど。
もうこれでいいのだ。お別れを言わないお別れだったんだって、私は納得できた。私たちはそういう関係だったのだ。あなたとさよならして、私はまただらだらと生きていく、それでいいのだろう。どうにかなるのだと思う。
短編詰め合わせ 陽鳥 @hidori
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