処刑人の刃
黒木 京也
処刑人の刃
むかしむかし、あるところで、今日も誰かの首が飛んでいました。
とある国のお話をいたしましょう。
栄えているわけでもなく。かといって、寂れているわけでもない。
綺麗ではありませんでしたが、汚いわけでもない。
普通。
それが一番、分かりやすい国でした。
そんな平凡な国の真ん中に、唯一特異で、訪れる人々の目を引き付ける、有名な場所があります。
それは今日も、今日とて、観客で賑わっておりました。
「これより! 犯罪者、ハンスの公開処刑を行う!」
衛兵の轟くような声が響き渡ります。
国の中心街。そのど真ん中にそびえるものこそ、『ウィゼンガーの処刑台』でした。
太陽が照りつける蒼天の下。観衆が固唾を飲んで見守る中、十三階段を登る男がいます。髭も、髪もぼうぼうに伸びきったこの男こそ、今日処刑される男、ハンスでした。
頭のてっぺんから爪先まで震えながら、後ろ手に手錠を掛けられたハンスは、処刑台の上に到着しました。
「助けてくれ……死にたくない……!」
そこにいた人物に、ハンスは必死で頼み込みます。が、その人物は一言も言葉を発することなく、ハンスを見据えていました。
「処刑人、前へ!」
衛兵の怒号に応えるように、処刑台に佇んでいたその人物は、一歩。二歩と、ハンスに歩み寄ります。
「いやだ! 止めてくれ! 止めてくれよぉ……」
ハンスの懇願に耳を貸すこともなく、その人物は、手に持っていたモノを両手で振り上げます。
その時、ハンスとその人物の目が合いました。
それと同時に、ハンスは言い様のない絶望と恐怖を覚えたのです。
その人物が、純白のドレスを着た、少女という事実に。
太陽に輝く、シルバーブロンドの髪に。
ルビーみたいに綺麗な赤い瞳に。
死神のそれを思わせる、少女が持つには武骨で大雑把で、凶悪な大鎌に。
なにより――。
「なんで……お前は笑ってるんだよぉ……?」
見とれるくらい美しい、少女の笑顔に。
その瞬間、カツン。と、斧で薪を割ったような音が響き渡って……。
数秒後、ハンスの首は、処刑台から地上に堕ちていきました。
首はクルクルと回りながら、真っ赤な尻尾のような血を噴き出して、地面をビシャビシャ濡らします。
やがて、頭蓋骨が固いものに当たる音がしたかと思うと、処刑台の広場は、しんと静まり返ってしまいました。後に聞こえるのは、傍観者達の息遣いだけ。
その様子を、処刑台の上で今まさにハンスの首を切り落とした少女は、無表情に見渡していました。
少女の髪も、ビスクドールのように白い肌も。ドレスも、そして処刑台も。真っ赤な鮮血で染め上げられています。
「首斬り……サリア」
聴衆の誰かが、そう呟きました。
そんな畏怖の視線を受けながら、サリアは十三階段を降りていきます。血と、わずかな肉片がこびりついた、大鎌を肩に背負いながら。
『サリア・ウィゼンガー』
この国において、代々罪人の処刑を生業としてきた、ウィゼンガー一族。その現当主が、彼女でした。
※
サリアは、今日も首を切り落とします。来る日も来る日も。
詐欺を働いた商人。
人を釜戸にくべて焼き殺した鍛冶屋。
たくさんの少女を誘拐した貴族。
国の秘密を漏らそうとした逆臣。
王に狼藉を働いた者。
牢屋からの脱走者。
敵国の、王と王妃。
老若男女、誰であろうと、サリアは微笑みを浮かべたまま、一撃の元に首をはねます。
真っ白なドレスを。輝くシルバーブロンドを血に染めながら。微笑みを顔に張り付けながら。
今日も今日とて、仕事を終えて、帰路につくサリア。そんな最中、ふと、誰かに呼び止められました。
「助けてくれ! 悪い人に追われてるんだ!」
サリアが振り返ると、金髪の薄汚れた少年が、こちらへ向かって走って来ていました。
続いて、それを追いかけるように、丸々と太った男が、包丁を手に現れます。
「小僧め! もう逃がさんぞ!」
大男は、少年の首根っこを掴もうとして、すぐそばにいたサリアに気がつきました。
サリアは、こんなときどんな顔をすればいいか分かりませんでした。なので、〝言いつけ通り〟ニッコリと笑うことにしました。
「ひ、ひぃ! 首斬りサリア!?」
大男は、途端にのけ反り、ブルブルと震えだしたかと思うと、一目散に逃げ出しました。
残されたのは、サリアと少年だけ。
「首斬り……サリア?」
この国の人ならば誰もが知っている筈の人物を、少年は知りませんでした。
珍しい人もいるものね。
誰かに会うたびに、気味悪げな目を向けられていたサリアには、少年の不思議そうな瞳が、なんだかくすぐったいのでした。
※
帰る場所がない。そう言った少年を、サリアは取り敢えず屋敷につれていきました。
かといって、物心ついたときから一人だったサリアには、少年をどうしたらいいものかわかりません。
「貴方は、どうしたい?」
サリアがそう訪ねると、少年は屋敷をキョロキョロ見回します。
「君は、一人で住んでるの?」
「そうよ」
「寂しくないの?」
「考えたことないわ」
「お父さんや、お母さんは?」
「殺した」
少年の顔が、分かりやすく真っ青になりました。
「それが、掟なの。ウィゼンガー一族は、代々孤独と共にある。次の跡取りが一人前になったら、前の当主はその人の前に膝まずき、首を斬られる」
淡々と語るサリアを少年は黙って見つめていました。
「どうして……」
「質問に答えて。貴方はどうしたいの?」
少年の言葉を遮り、サリアは問いかけます。何となく連れて来てしまった事をサリアは後悔し始めていました。
サリアにとっては、仕事以外で初めて接する、他の人。
やりづらい。そんな気持ちになりかけた時、不意に少年は口を開きました。
「ここに置いてほしい」
サリアは、思わず目を見開きます。この少年は、何故そんなことを言うのだろう。疑問は尽きず、サリアは首を傾げます。
「僕、帰る場所がない。けど、君に助けられたから、恩返しがしたいんだ。ここで僕を、君の召し使いにしてほしい」
サリアは黙って、少年を見つめます。サリアのルビーのように紅い瞳が、少年のサファイアのような蒼い瞳を見つめます。
「……名前は?」
サリアの再び質問すると、少年は恭しくサリアの足元に膝まずきました。
「アレン。僕の名は、アレン・トラフト」
アレンはそう言うと、サリアの足の甲に、そっと口づけを落としました。
……処刑人の私が、気まぐれで人助けなんて、お笑いだわ。
サリアはそんなことを考えながら、アレンの頭をそっと撫で付け……。
「臭い」
「え?」
「貴方、臭いわ」
よくよく見ると、アレンの身体は、泥やホコリにまみれていました。
サリアは口をへの字に歪めながら、むんずと少年の首を掴みました。
「来なさい。洗ってあげる」
「へ? え? ちょ……!」
数分後、屋敷のお風呂場から、少年の悲鳴が上がりました。
※
真夜中。
アレンは静かに目を開けて、傍らに眠るサリアを見ました。屋敷にベッドが一つしかないので、一緒に寝ることになったのです。
召し使いなのにいいのかな? と、思いはしましたが、サリアが構わないというのだからいいのだろう。アレンはそう考えることにしました。
サリアは、ぐっすり眠っているようです。すると途端に、アレンのサファイアの目が、ギラギラと輝き出しました。それはまるで狼のように。
チャンスはいくらでもあったのに、自分はついに実行できなかった。アレンは悔しげに唇を噛みます。
例えば、初めて会った時。アレンは太陽に反射するシルバーブロンドに、目を奪われてしまったのです。
例えば膝まずいた時。困ったような顔をするサリアに、アレンは一瞬だけ毒気を抜かれてしまったのです。
例えば、さっき一緒にお風呂に入った時。ビスクドールのような白い肌に、思わずドギマギして……。
アレンは必死で頭を振るいました。余計な事を考えないように、アレンはゆっくりと、サリアに手を伸ばします。
アレンは、サリアに隠していたことがありました。それは、サリアを知っていたこと。そして、召し使いにしてほしいと、嘘をついたこと。
アレンの目的は……。
「……さい」
「え?」
不意に、か細い声が聞こえます。この屋敷には、サリアとアレンしかいません。アレンが何も言っていないということは、さっきの声はサリアのもの。アレンは無意識に、それに耳を傾けてしまいました。
「ご…………さい」
声は、うわ言のようです。よくよく見ると、サリアは眠りながら、苦しそうにシーツを握りしめていました。
アレンは声をもっとよく聞こうと、サリアに顔を近付けます。
「……ごめんなさい。父様。母様……ごめんなさい」
涙声で、サリアは呟きます。何か、悪い夢でもみているのでしょうか?
アレンはそんなサリアを、じっと見つめていました。
ただただ黙って。じっと見つめていました。
※
サリアは、悪夢を見ていました。思い出すのは、お父さんとお母さんを殺した日。
王様が来て、後継者のサリアを確認して、そして、最初の命令をする。あの二人を殺せと。
いつもの言いつけ通り出来たかは、サリアは覚えていません。ただ、お父さんとお母さんの首が床に転がった時、サリアは感じたのです。次は私だ、と。
それからは、今と変わりません。言いつけ通り、笑顔で首を撥ね飛ばす。
アレンと出会った今日は、三人。婚約者を裏切った女と、その間男。病気の母の為に盗みを働いた男。
ひしと抱き合う男女や、祈るように母の名を呟く男の首を、サリアは笑って斬り落として、そして……。
※
「サリア! サリア!」
誰かの声が聞こえます。サリアがゆっくり目を開けると、そこにアレンの顔がありました。
頬を伝う、湿った感触。そして、喉の奥から込み上げてくる気持ちの悪い感触。
ああ、まただ。
サリアは他人事のように、内心で呟きました。
「サリア、どうしたの? 凄く魘されて……」
「何でもないわ」
「いや、でも……」
「うるさいわ。それよりアレン。お水が欲しいの。持ってきてくれる?」
有無を言わせないサリアの剣幕に、アレンは渋々、寝室から出て行きます。
それを見届けたサリアは、寝室から窓の方へ走ります。
もう、限界でした。いつもなら部屋でするものの、ここでしたら、戻ってきたアレンにバレてしまいます。
もう既に魘されているのを見られていた。という事実は、サリアの頭から消えているようです。
窓を開けたサリアは込み上げてきたそれを、思いっきり吐き出しました。
※
お水をコップに入れて戻ってきたアレンは、寝室の前でピタリと立ち止まります。
寝室の中から、苦しげな息遣いが聞こえて来ました。まるで獣の唸り声のようなそれは、慟哭でした。
この屋敷には、サリアとアレンしかいません。つまりは、そういう事です。
「サリア……」
下唇を噛み締めながら、アレンはそっと、寝室に入りました。
サリアは、窓の傍にすがり付くかのようにして、座り込んでいました。
アレンが来たことに気づいた彼女は、ゆっくり振り返ります。
口元を汚したサリアは、まるで迷子の子どものような目で、アレンを見ました。が、それはほんの一瞬で――。
「入ってこないで」
「水持ってこいって言ったじゃないか」
そう言いながら、アレンはサリアに近付きます。
「口、濯いじゃいなよ。立てないなら床に吐いて。明日僕が掃除する」
サリアは黙って水を受けとります。
手が、小刻みに震えていました。
何処かでカラスが不気味に嘶きます。サリアはビクリと、身体を震わせました。
「夜……苦手なの?」
「黙って」
ペッと、水を吐きながら、サリアは答えます。
「今日見たことは……いえ、貴方がここにいる以上、言っておく事があるわ。夜の私は忘れて。これは、別の私よ。全部勝手に出てくるのよ。本意じゃないのに」
涙を、吐瀉物を。そして自分を否定するサリアを、アレンは静かに見つめます。やがて……。
「わかったよ」
短い返事だけが、部屋に響きました。
※
こうして、処刑人と召し使いの生活が始まりました。
サリアは、基本的に、屋敷の外には出ませんでした。ただ黙々と、部屋で縫いぐるみを作るだけ。
作った縫いぐるみの首を、切り落として。また縫って。サリアが屋敷でやることはそれくらいで、あとはアレンの仕事でした。
朝はおはよう。と挨拶し、朝食の用意をします。サリアの好きなココアに、ホイップクリームをたっぷり入れて。ちょっと固い黒パンにマーマレードを沢山塗れば、サリアがほんの少しだけ顔を綻ばせることを、アレンは知っています。
屋敷の掃除をして、お洗濯。それが終わったら後は何もありません。足りないものがあれば、目立たないような格好でお買い物。
お昼は日によって色々。お肉が食べられないサリアの為に、スパゲッティネーロを作ったり。料理なんてあまりしたことがなかったアレンですが、美味しく作れれば嬉しいと気づいたのは、つい最近です。もっとも、一緒に食べるサリアが、いつだって無表情なのが、ちょっとだけ悔しいのですが。
夕方お風呂に入って、サリアのシルバーブロンドの髪を手入れするのは、アレンの密かな楽しみになりつつありました。その後は夕食。やっぱり無表情なサリアに苦笑いしながら、アレンは肉なしのシチューを頂きます。
そうして夜は、おやすみ。と軽い挨拶を交わし、静かに眠る。何もなければ、こんな感じです。
……何もなければ。
実際は、週に三、四度。サリアは真っ白で、綺麗なドレスを身に纏い、屋敷を出ます。
お仕事の為でした。
借金が膨らんだ家族を。
裏切り者の騎士を。
敵国の側近を。
異端の革命家を。
尽く、首を撥ね飛ばすサリアは、やっぱり笑っていました。
そんな日のサリアは、夕食を殆ど食べません。服も、ドレスも、血で染めて。いつも以上に冷たい表情で帰ってきます。
「処刑人なんか……もう止めなよ」
ある日、サリアの仕事帰り。
お屋敷のお風呂で、サリアの髪を洗いながら、アレンはおずおずと提案します。ずっと言い出したかったことをやっと言えたアレンですが、その顔は固いままです。
一方のサリアは、ポカンとした顔のまま、鏡越しにアレンを見ました。
「私に……死ねというの?」
「そんなこと一言も言ってないよ」
アレンはそう答えながら、サリアの髪をお湯で流します。
「今日、君の仕事を見に行った。処刑を見せ物にするわけだよ。こんな喩えはしたくないけど、君のあれは、もはや芸術だ」
何だか悲しそうに、アレンはうつむきました。
「……ウィゼンガー一族は、ずっとそれをやってきたの。それしかないし、それでしか生きられない。私は、他に生き方を知らないから」
「そんなの……やってみなきゃ……」
「首斬りサリアを、誰かが受け入れてるの? 王の庇護があるからこそ、私はこうして生きていける。召し使い一人くらいなら、囲っていられる」
淡々と語るサリアを、アレンはますます悲しそうに見ます。
「苦しくないの?」
「わからないわ。だって、首を撥ね飛ばす時は、何も考えないもの。人形の首を切るときと同じ。ただウィゼンガーの教えの通り、笑って鎌を振るう。罪人は、人形なの。命を私に委ねられた人形……」
「でも……君は……」
人の首を斬る度に、苦しんでるじゃないか。
その言葉を、アレンはぐっと飲み込みます。そんなことを言っても、帰って来る言葉は決まっています。
「私は、サリア・ウィゼンガーだから」
そうに決まっているのです。
「……もし、僕が罪人になって、あの処刑台に上ることになったら……君はどうする?」
少しだけ震えながら、アレンは質問します。
ピクリと、サリアの肩が跳ねたのは、ほんの一瞬で。すぐにいつもの調子でこう答えました。
「……貴方を処刑するわ。罪人になるなら、例外なく」
深紅の瞳は、鏡越しに蒼の瞳を、真っ直ぐに見据えていました。
※
その夜も、サリアは魘されていました。赦しを乞うように、頭を抱え、肩に爪を突き立てて。
それを合図に、アレンはそっとベッドを抜け出します。
お水が必要だから。
ゆっくり、時間を掛けて階段を降りて、水差しを満たしてから、抜き足。差し足。忍び足で、アレンは寝室に
戻ります。
いつも大体これくらいで、サリアの発作は一時収まります。酷いのは最初だけ。後は、弱くて、ずっと続く苦しみが、明け方まで。
朝日が顔を出した頃、サリアはようやく眠りにつきます。
一度水差しを取り換えて、後は何も見ないフリをして、傍で眠る。それが、サリアがアレンに命じた、『夜のサリア』が出た時の仕事でした。
今日は……いつもより、長いな。
そんなことを思いながら、アレンは扉の前に立ち、静かになるのを待ちました。悪夢は、まだ続いているのでしょうか? サリアの譫言は続いていました。
「嫌……嫌ぁ……来ないで。……もう斬りたくない! アレンの首を……斬らないでぇ」
悲痛な悲鳴を耳にしながら、アレンはドン。と、手近な壁を殴り付けます。サファイアの瞳が、何も無いところを見つめながら、儚く揺れていました。
君が自分で語るように、人形を斬るみたいに人を殺す処刑人なら、どんなによかったか。
仕事の時に笑顔なのは、そうでもしなければ心が砕けてしまうからだと、気付かずにいれたら、どんなに幸せだったのだろう。
なにより……。
「普段の君と、夜の君。どっちが本物なんだ……」
きっと、両方なのでしょう。だからこそ。アレンは未だに燻っているのです。
懐に手を伸ばします。そこには、短剣が握り締められていました。お風呂に入れられそうになった時、何とか見られるのを免れたそれは、一人の時、いつでもアレンを守ってくれました。
アレンはそっと、鞘から刃を出します。銀色の刀身には、今にも泣きそうなアレンの顔が写っていました。
※
数日後。
出掛けよう。そういったアレンの提案で、二人は森の中を歩いていました。
暗い暗い夜の森。
はぐれないように手を繋いで、二人は進んでいきます。
昼間だと、回りの人は、ビクビクしながらサリアを見ます。だから、夜に星を見に行こう。
アレンは少しだけ緊張しながら、目的地まで一直線。
そして――。
「綺麗……ね」
サリアは少しだけ迷うように、そう呟きました。満天の美しい星空を、二人で寄り添うように寝そべりながら。
「今日は……あのナイフ、持ってないのね」
サリアの一言に、アレンはビクリと身体を震わせます。気づかれていた? そんなアレンの心配を他所に、サリアは黙って星を見つめていました。
「……あれは、僕を守るためのものだ。だけど、今日は、君とお出かけなんだ。だから。だから、必要……ない」
絞り出すようにそう言うアレンに、サリアは短く、「そう」とだけ口にしました。
※
くる日もくる日も、サリアは首を撥ね飛ばします。アレンは、短剣を庭に埋めてしまいました。
「いらないの?」
サリアが首を傾げながら問いかけると、アレンは曖昧に微笑みます。
「うん、きっと僕には必要ない。僕はここで、君の召し使いを続けるよ」
太陽に反射する、見事な金髪を眩しげに眺めながら、サリアはうつむきます。
「ここには、何もないのに」
「何を言ってるんだ。君がいる。僕は、君の傍にいたいんだ。君を支えたいんだよ。サリア」
アレンのその言葉に、サリアの目が、少しだけ見開かれます。が、すぐにあきれたような顔になりました。
「……アレンは、おバカさんね。勝手にすればいいわ」
サリアはそのまま仕事へ向かいます。
それを見送った後に、アレンはぐっと拳を握ります。
「そうだ。もういいんだ。僕は、アレン・トラフト。サリアの召し使い。それでいい」
アレンが、自分に言い聞かせるように呟いた時、不意に後ろから、物音がしました。
何だ? と、アレンが振り向くと、そこにはいつの間に現れたのか、沢山の衛兵の姿。
「……バレちゃったか」
諦めたように肩を落とすアレンに、手枷が嵌められました。
※
仕事が終わり、サリアは家へと急いでいました。今日処刑したのは、敵国の大臣。どこかで見たこともあるような。丸々と太った、大男でした。
「王子……どうか自由に生きてください」
そう涙ながらに祈る男の首を、サリアが撥ねたのです。
サリアは苛立ったように、足を早めます。
自由。その言葉が、妙にサリアの心にこびりついていました。
確か……アレンもよく言っていた言葉です。処刑人以外にも、道はあるのではないか? 自由に生きてみてもいいのではないか?
「何をバカな……」
頭を振りながら、サリアはその言葉に蓋をします。アレンを見ていると、調子が狂う。最近のサリアの悩みでもありました。特にココアを飲んでいる時や、スパゲッティネーロを食べている時。妙に幸せそうにこっちを見てくるアレンに、サリアは毒気を抜かれるような気分になるのです。
「……私は、サリア・ウィゼンガー。処刑人よ」
呪文のようにその言葉を唱え、サリアは考えることを止めました。何だか自分が自分でなくなるような気がして。それを悪くないと思う自分がどこかにいて……。
サリアには、その気持ちが何なのか、自分では理解できなかったのです。
「……あら?」
暫く歩いていると、前方から衛兵が歩いて来ます。どうやら、犯罪者を連行しているようです。
戻って、また仕事かしら?
そう思ったサリアは、立ち止まり、その一行を見据えます。
サリアに気づいた衛兵は、一瞬不快そうな顔を見せてから、ふんぞり返るようにして、サリアを睨み付けました。
「処刑人。悪いが、もう一仕事だ。今日の夜か、明日の昼にでも決行する」
「……っ!」
高圧的な衛兵の声は、サリアには聞こえていませんでした。
手錠を掛けられ、猿轡を噛まされていたのは、なんとサリアの召し使いとなった、アレンではありませんか。
「……罪状は?」
「ない。だが、この少年は敵国の王子、アレン・マルコフだ。いつ我が国に謀反を企てるか、分かったものではない。芽は摘んでおかねばな」
そう言って笑う衛兵に、サリアは何も言えません。サリアの刃は、国の敵を屠(ほふ)る為にあるのです。国が敵と見なしてしまえば、サリアはその首を落とすしかありません。
引きずられて行くアレンの瞳を、サリアは黙って見つめていました。
※
「どうして、ここに?」
「……いつもの事よ。処刑する前に、その罪人の顔をしっかり見るようにしているの。だから、仕事」
地下牢に入れられたアレン。サリアは真夜中にそこを訪ねていました。
「もしかして……今まで処刑した人達、全員を覚えてるとか?」
「さぁ? どうかしらね」
きっとそうなんだ。アレンはそう直感し、ますます暗い顔になります。
「僕はね。君を殺そうと思っていたんだ」
二人とも会話がなくなって、しばらくすると、アレンはそう語りました。
サリアは黙って聞いています。
「父さんが、その仲間が、この国に殺された。僕の国は滅んだんだ。憎かったよ。そんな時、風の噂を耳にした。この国には、王の命ずるままに、罪人を罰する、処刑人がいると。僕の家族にとどめを刺した……王の芸術がある……と」
アレンの目は、サリアをまっすぐ見つめていました。
「僕はね。この国に一矢報いたかった。王のお気に入りだという処刑人を、滅茶苦茶にしてやりたかった。そして簡単な策を巡らして……君に出逢った」
アレンは、どこか苦しげにため息をつきます。
「でも……君は、処刑人というには、優しくて繊細すぎた。君が機械のように首を切り落とすような処刑人だったなら、いくらか楽だったのに」
「優しくて繊細? アレンの目は虫の穴だったのね」
突き放すようにそう告げて、サリアは踵を返します。
「さよならよ。アレン。貴方がこの国の罪人である以上、私は貴方の首を撥ねる。それは決定事項よ。……言い残すことはある?」
背中を向けたまま、サリアはアレンに問い掛けました。
「僕は、君には処刑人以外の道があると思うんだ」
「……まだ、それを言うのね」
うんざりしたような声のサリアに対して、アレンは真剣です。
「もし、もしも僕の首を切り落として、少しでもいつもと違うと感じたら、僕の言葉を思い出して欲しい」
「……考えておくわ」
根負けしたかのようにため息をつくサリア。それを見届けたアレンは、穏やかに微笑みました。
「ありがとう。……君と出逢えて、嬉しかったよ」
最後に告げられたアレンの言葉。サリアは一瞬だけ足を止めかけましたが、そのまま振り返る事なく、地下牢を後にしました。
※
翌日。アレンを処刑する時間がやってきました。後ろ手に枷を嵌められ、アレンは十三階段を上ります。
処刑台の上には、純白のドレスに身を包み、大鎌を手にしたサリアが待ち構えていました。
「これより、アレン・マルコフの、公開処刑を執り行う! 処刑人、前へ!」
衛兵の号令が響き渡ります。
サリアは一歩前に。
アレンはゆっくりと顔を上げました。
大きく鎌を振りかぶるサリア。
ところが、サリアはそこで鎌を掲げたまま動けませんでした。いつまでたっても始まらない処刑に、観客はどうしたものかとどよめきます。
そんな中で、アレンは目を閉じる事なく、サリアを見つめていました。
「……笑わないでくれ。サリア」
アレンは〝今にも泣きそうな顔〟でこちらを睨むサリアに、優しく語りかけます。
「無理した笑顔なんかいらない。ココアやスパゲッティネーロで、ちょっとだけ顔を綻ばせる君でいいんだ。そんな君だから、僕は復讐心を棄てて、共に在りたいと思えたんだ」
唇を震わせるサリア。ルビーの瞳が、哀しげに揺らめいていました。
「処刑人! 何をしている!」
衛兵の急かすような声。それでもサリアは動けません。それを見てとったアレンは静かに頷きました。
「僕を斬るんだ。サリア。ここで僕を斬らなければ、君も同罪にされてしまう。けど、僕を処刑したら、後の君は、自由なんだ」
戸惑うように、サリアのシルバーブロンドが風に靡きます。
背後から、階段を上る音が聞こえます。誰かが見かねて、処刑役をかってでたのでしょうか?
他の人間の気配を感じたアレンは、処刑台の上でニッコリ笑い、サリアにだけ聞こえるよう囁きました。
「その顔を見れてよかった。僕の存在が、君の自由の切っ掛けになれて。泣いてはいても、やっぱり君は綺麗だよ」
数秒後。誰かの手によって、アレンの身体に沢山の剣が突き立てられ――。
「あ……」
サリアはペタリとその場に座り込んでしまいました。
無惨な姿になったアレンの身体へ、一人の衛兵が斧を振り下ろします。大雑把に振るわれたそれは、三撃目でようやくアレンの首を切り落としました。コロコロと転がる首は、サリアの元に行き着きます。
「……どうして」
アレンの首を抱き締めながら、サリアは呟きます。
血まみれのまま、処刑された男の首を抱えるサリアを見て、誰かが息を呑みました。
人を殺す時ですら、笑みを浮かべていた処刑人、首斬りサリア。それが今、静かに涙を流していたのです。
「私は、サリア・ウィゼンガー。使命は、この国の罪人を屠ること……なのに……」
ルビーの瞳から、止めどなく涙が溢れます。アレンの血と混じりあったそれは、赤い雫となって伝い落ちていきます。
「どうして……私はこんなにも苦しいの? アレンの死が哀しい? 誰よりも人を殺す私が? そんなのは……おかしい」
失うものなど、サリアにはありませんでした。ですが、彼女にとって知らず知らずのうちに、アレンの存在は、今までにない何かとなっていたのです。
うわ言のように呟き続けるサリアの横で、衛兵は恐る恐る、アレンだったものをかき集めます。
「処刑人。その首を渡せ。それは国の敵だ。晒し首とする。これは……王の命令だ」
命令。その言葉に、サリアはビクリと身体を震わせます。サリアの元からアレンの首が離れていきます。
広場の目立つ位置で処刑を見物していた王の元へ。王は満足そうに笑っていました。
「自由に……」
アレンの言葉を思い出すサリア。虚ろな瞳にギラリとした光が宿りました。
今、自分が何をしたいか。初めて得た自由な気持ちは、サリアを変えていました。
今、したいこと。それは……。
大鎌を手に、サリアは王へ向けて走り出しました。
「な……っ、し、処刑人! なにを……!」
慌てる衛兵の首を、サリアは切り落としました。サーベルを抜く騎士の首を。狼狽える大臣の首を。そして……。
「よ、よせ! サリア! ワシは王だぞ!? お前はワシの
怯える王の声も、今のサリアには聞こえませんでした。あれほど絶対に思えたそれは、今のサリアにはただの戯れ言です。何よりも欲しいものが、サリアにはありました。
「アレンを……アレンを返して。その首は私の
大鎌を振りかぶり、サリアは微笑みました。
アレンを取り返す。それは、生まれて初めてサリアが抱いた、燃えるような想いでした。
※
その後の事は、語ることは憚れる程、凄惨なものでした。
首輪を外され、解き放たれた処刑人の刃は、王の首を撥ね飛ばしました。
大混乱の後、国は新たな王が祭り上げられ、処刑を見せ物にする事はなくなったのです。
処刑人が。ウィゼンガー一族が滅んでしまった事も関係あるのでしょう。
哀しき運命に縛られていた少女の行方は、誰にも分かりません。ただ……。
その国から離れた地にて、奇妙な噂が流れているのみでした。
身の丈ほどの大鎌を背負い、大きな棺桶を引きずるようにして道を行く、少女の旅人あり。
その棺桶には、自らの首を抱えた、美しい少年の蝋人形が入っているのだとか。
処刑人の刃は、最後に錆び付き、使い物にならなくなりました。
刃を持たねば、彼女は生きられませんでした。
けれども、刃を持ったままでは、誰も彼女を抱き締めてはくれませんでした。
ただ一人の例外を除いて。
「……アレンはダメな召し使いね。主人を残して逝くなんて」
今日もどこかで、少女の寂しげな独白が、乾いた空へ溶けていきました。
処刑人の刃 黒木 京也 @kuromukudori
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます